(神奈川県小田原市 国指定史跡 日本100名城23番 日本の歴史公園100選85番 )
六年半振りに相州小田原を訪れる。以前は工事中であった馬出門の再現が完了していた。また、新たに本丸東側が発掘調査対象になっていた。
幸田門跡付近土塁 復元馬出門と二ノ丸平櫓 馬出門 銅門
伝 銅門礎石
「史跡整備に伴い発掘調査中」
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(愛媛県今治市四村字東前 1985年6月15日)
和銅五年(712)大三島より勧請された神社である。天保十四年(1843)村内八幡宮と合祀され、新たに社殿が建立されている。昭和4年(1929)には、村内字日ノ本より現在地に遷座している。
(神奈川県鎌倉市西御門 国指定史跡)
「北条九代記」には、建久九年(1198)家臣の稲毛三郎重成が妻の冥福を祈って架けた橋供養に頼朝は出かける。その帰り、矢的原という場所に差し掛かった時にただならぬ気配となり、そこに源義経主従や源行家の亡霊が現れた。それを見て頼朝は恐怖を覚え、身の縮む思いで立ち退いた。そして稲村ヶ崎まで来ると、今度は波間に子供の亡霊が見える。これが壇ノ浦に沈んだ安徳天皇であると悟るや、ついに頼朝は失神し、落馬したというのものである。死後、頼朝の亡骸は、持仏堂(後の法華堂)に葬られた。現在の墓塔は安永八年(1779)薩摩藩主島津重豪(しげひで)が建立したものである。明治に入り、神仏判然令が発布されると、法華堂は壊され、代わって下方に白旗神社が建てられた。
(鍵屋ビル 浜松市中区田町)
知人の写真展会場を訪れた。会場である昭和35年(1960)築造の賃貸ビルは、RC造4階建で、外壁に帯状の細かなタイル、連続するスチールサッシ等、60年代前半に流行したスタイルである。当初は1階を店舗、階上は賃貸オフィスであったが、老朽化と共に空きスペースが増えたため、近年はクリエイティブスポットとして利用されている。
(根津権現 東京都文京区根津 旧府社 社殿:国指定重要文化財)
根津はこの根津神社の門前として栄えた。そして、日本武尊(やまとたける)が千駄木に創建したのが根津神社の始まりとされる。文明年間(1469-1486)には太田道灌により社殿が造られたが、後に元根津に遷座した。甲府藩主徳川綱重の子で、後の第六代将軍徳川家宣の産土神(うぶすながみ:出生地の守護神)であったことから、家宣の旧屋敷地を献納して社殿を普請した。
庚申塔
(長崎県佐世保市ハウステンボス町)
宿泊場所で夕食の後、再び園内を訪れる。経営母体交代の後、イルミネーションや3Dマッピング等の企画を加えたことにより、黒字運営となったようである。訪れたときはクリスマスであったこともあり、多くの来園者の姿があった。
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(神奈川県小田原市栄町)
以前訪れたときは営業していた駅前の大型商業施設は、閉鎖され解体の覆いが組まれているところであった。昭和34年(1959)箱根登山デパートとして開業したこのビルは、RC造9階地下1階、延床面積 5,136m2の長方形をした建物である。昭和55年(1980)業績低迷により業態を専門店に転換し、店名を「箱根登山ベルジュ」として業績を持ち直したが、市街地空洞化により再び低迷し、ピーク時の1/5まで売上が減少、建物の老朽化も相まって、平成25年をもって廃業した。
(愛知県渥美郡田原町田原字巴江 1990年3月7日再訪)
文明十二年(1480)戸田宗光(全久)によって築城された。戸田氏は松平氏に属したが、後に今川氏に属した。天文十六年(1547)戸田康光のとき、今川氏の人質として駿河に送られる竹千代(後の徳川家康)を護送する際、寝返って敵方の織田信秀に送ったため、田原城は今川方の攻撃を受けて落城、康光も戦死した。桶狭間の戦い後は、松平氏臣本多広孝が入り、天正十八年(1590)家康が関東へ移封すると、吉田城池田輝政の持城となり、田原城は池田氏臣伊木忠次が城代となった。その後、再び戸田氏が入り、寛文四年(1664)からは挙母藩(七州城)三宅康勝が一万二千石で入封、以後、 康雄、康徳、康高、康之、康武、康邦、康友、康和、康明、康直、康保と続いて廃藩を迎えた。藩士には家老で画家の渡辺崋山がおり、城内には三宅氏の祖である児島高徳を祀る巴江神社がある。
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(臨済宗長嶋山妙興報恩禅寺 愛知県一宮市大和町妙興寺 1989年7月28日)
この日は妙興寺に隣接して新たに開館した一宮市博物館を訪れ、博物館準備室時代から知る館長の岩野氏を訪ねた。
三門
本尊 釈迦如来坐像 南北朝
重文 勅使門 南北朝
総門 旧尾張藩武家屋敷薬医門
妙興寺は貞和四年(1348) 尾張国中島城主中島蔵人の子滅宗宗興によって創建された。文和二年(1353) 足利義詮(よしあきら)の祈願所となり、延文元年(1356)には後光厳天皇の勅願寺となっている。
(長崎県佐世保市ハウステンボス町)
バブル期に計画され、オランダ村の改良施設として佐世保市針尾島の赤子新田に2000億円以上を費やして開園した、オランダのまちを日本で再現したテーマパークである。然し、バブル崩壊と来園者の伸び悩みにより一時は破綻するに至った。
(早岐瀬戸とオークラJRハウステンボス)
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