京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

飛び交う賞讃のことば

2008年10月04日 | 日々の暮らしの中で
おくどさんで薪を使い、大きな鉄鍋に大量に作る具だくさんの味噌汁。
これが“絶品”です。
大根・人参・冬がん・かぼちゃにおあげさん。作り手は70・80・90歳代の女性ばかり。前日午後から野菜を切っての準備です。

朝、この当番さん達がやってきました。月一回の“お講さん”、尼講です。
「Keiさん、おたまさんないかー」
「ありますよー。出しておきましたよー」
「小皿ないかい?」「keiさん、砂糖を少しくれへん?」
「ありますよー」「いいですよー」
私の務めはこんなもの。

腰が曲がっていてもファイトがあります。身を粉にして十二分に働いてきた方々。
どこからこの力が湧いてくるのかと思うのです。

「車で送ってもろた」「大事にしてもろて。幸せやなあ」
「嫁さんが漬け物用意してくれた」「よい嫁さんやなあ」
「豆を炊いてきた」「ちょうど良い加減やー、甘すぎへんしー」
「あんたさん、上手やなあ」

中でも若いAちゃんは、口ばかりの指示役。が、足元ふらふらのSさんに、
「よう出て来てくれたなあ」と。
口も手もよく動く、“おととのおばちゃん”は90歳。
漬け物盛りつけ係のM子さん、味見しながら「上手に漬けてあるなあ」。
いっぷく時の菓子袋を開けるTさんに、「うまいこと分けてくれてー」。

一見、たわいもない、賞讃の言葉が飛び交っています。
不思議と上手に、互いを褒め合うのです。それも頻繁に。
言葉の向かう先には各人がいて、みんなちゃんと自分の居場所が確保できています。

他者から与えられる「ほめ言葉」は、素敵な贈り物です。
ほめられたと感じたら?
認められたと感じたら?
大切に思われていると感じたら?
それこそ、熱いまなざしで見つめられたら?
きっと、自分の存在を大切なものとして自らが感じていけるでしょう。
それは、生きる喜びとなり、エネルギーにもなるというものです。

老若問わず、倒れないように最後に自分を支え続けているのは、こうした他者との関係の中から芽生えた、内なる誇りかもしれないなあ……と思うのですが。

本堂では今日の参加者が待っています。持ち寄りの白飯に、今日は豆と漬け物を添える程度です。
再びここで、
「ご苦労さんやったなあ」「上手に炊いてある」「おいしかった」
多くのねぎらいの言葉を受けるのでした。
コメント (4)
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