京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 当てにしなくても…

2010年07月15日 | 日々の暮らしの中で
「中学校の教員になって丸八年。今月いっぱいで教員を辞めます。…」担任は、1年B組の生徒に向かって話し出す。「愛美は事故で死んだのではなく、このクラスの生徒に殺されたからです」自ら知った娘の死の真相を語っていく。『告白』。

「読んだ?」「まだ」「なあんや。感想が聞きたい思て」「今日から読むわ!」(ごまかせへんなあ…)

「セレンディピティ(serendipity)」、この言葉を知ったのは岡部伊都子さんの著書を購入したのがきっかけだった。「当てにしなかった良いものを偶然発見する能力」のことを言うようだ。「何か探しものをしていたら偶然さらによいものを見つける」、棚ボタとは少し違うのだろう。

先月上京の折、『私の日本語雑記』(仲井久夫著)を買って帰ることを考えていた。八重洲ブックセンターへ向かった。新刊間もない本ですぐに探せたが、偶然にもその隣に置かれていた本が『神谷美恵子コレクション 生きがいについて』だった。ハンセン病患者の方々と真摯に向き合ってこられた人生を知って日も浅い。もう少し知りたいと思いながら…。ページを繰ってみて、2冊をレジへ。

「人は誰しも…、生命の残された年月の長さについてほとんど深く考えることもしないで日常を過ごしている」
時に重い緊張感で息が詰まるようで、心の臓のドキドキが響く。自分に問う、そんな場面なのだ。何の裏づけもなく偶然でしかないが、何かが呼び寄せてくれた1冊。幸運を招き寄せる力は、潜んでいたと思いたい。こちらを一休み。

押し付けられぎみに読み始めた『告白』。何が潜んでいるやら。
当てにしてなくても、読んでみないことには。

               (写真:昨年は祇園祭にもぶらぶらと…)

コメント (6)
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