
昨年88歳で亡くなった庄野潤三さんが、「この夏の思い出」に書いていた。
むかし、三人の子供が小さかったころ、私たちは夏休みが来ると、子供を連れて外房の太海(ふとみ)海岸へ行き、子供らを泳がせた。おかげさまで三人とも小学生のうちにいくらでも泳げるようになった。長女は中でもいちばん泳ぐのが好きで、…
平成7年8月、77歳のときの文章になる。
このくだりを読みながら思い出す事があった。
私は反対の内房の保田(ほた)へ、毎年両親と姉弟の五人が一泊で出かけていた。やはり小学生のころだ。父の勤める会社が、社員やその家族のために“海の家”を提供していてくれた。
庄野さんは父より3歳年上だが10年以上も長生きされた。
「三人の子供」の年代は両家ほぼ同じだった。
庄野ワールドに描かれた平穏な日常のいとおしさや豊な味わい、今にしてそれがより深く感じられるようだ。思いがけなくもこうした夏の記憶がよみがえったけれど、自分が生きてきた「時代」をついそこに懐かしく重ねてしまう。
民宿から海は近かった。

細い路地を歩けば目の前に海が見えてくる。足を砂だらけにして行き来したのだったと思う。
こちらの長女は、水泳はからっきしダメ。中学校時代の体育でプールの授業、まだ梅雨も明けない肌寒い日にも既に始まるが、この授業をどうサボルかだった。あれこれ理由をつけてほとんど見学していたはずだ。補習もなかったし、まあ~よかった。
書店でガイドブックを開いてみたが、保田のページは見当たらなかった。
ネットであれこれ…、千葉県安房郡鋸南町保田、だった。