京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 ちょっとだけ間に合わない 

2011年04月14日 | 日々の暮らしの中で
                
今は亡き父ですが、庭に小さな池を作って鯉ではなく金魚を飼って楽しんでいました。
昔のこと、戸外で、酸素をブクブクと供給するでもない環境下でしたが、大きなお腹の金魚さんもいましたし、中に入れてある石の陰で越冬したのではなかったかと記憶しています。出勤前に自分で餌をやりに出ていました。いったい何の話をしていたのですか…。

この小さな池に覆いかぶさるように、しなやかに枝葉を広げ「山吹の清げに」咲くのでした。
赤いおベベを着たかわいい金魚の上に、すっきり美しく咲く山吹を配した父の心遣いがあったのかも知れません。
もっとも、その奥のほうには茗荷がにょきにょきと生えてくるのでしたから、庭造りに特別な意図があったなどとも思えません。茗荷も夕食前に自分で採りに行くような父でした。
太田道灌の有名なエピソードを、「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」の歌と共に常々わたしたち子供に語って聞かせてくれていた、その心意も汲めないままです。
     
       
「人生はいつもちょっとだけ間に合わない」こんなキャッチコピーの映画がありました。
今になってみると、「ちょっとだけ」どころか思いの大半を知らずに別れてしまった親不孝者のようにも思えてきます。

コメント (8)
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