みぞれが降り出したと思うと大きな雪に変わり、ひとしきり吹雪くと、まぶしいほどの春の陽ざしに包まれる。降ったり晴れたりと変わりやすい、いろんなお天気の一日でした。
尼講さんたちが昼から三々五々お集まり、井戸端会議で話題はなんなのでしょう。
ストーブを囲んで背を丸め、お菓子とお茶でほっこり過ごしておられました。まさかボランティアの相談でもないでしょうが…。
幹という幹もない古木に、やけに今年は花が咲きました。何もかもを見続けている愛着を感じる一本の木です。仏性?仏心あり?
清が終りを告げ中華民国が成立していく二十世紀初頭の詩人、王国維と魯迅の詩でもって、八年間続いたNHKラジオの「漢詩をよむ 漢詩が来た道」が今夜で完結でした。講師の宇野直人氏の穏やかな口調が好きでした。
日本を、京都も訪れたことのあった王国維と魯迅。
清王朝の崩れを予感、八方ふさがりの境遇に、これからは下界(家庭外)の移ろいに決して心を乱されまい、と魯迅は心境を読んでいましたが…。
季節も時代、人の世も心も移り変わる。どんなに栄華を極めたとてもだ。それなら、「どん底」のようなと思えてもきっとそうだろう。留まっていることはない。よどみの中にもいつかまた変化の兆しが見えるはず、とうなづけます。
もうこれで最後にと、終了直前まで思っていました。が、いともたやすく心変わり。
次回からは「日本の漢詩」と題して道真から漱石まで…という案内に誘われてしまいました。
尼講さんたちが昼から三々五々お集まり、井戸端会議で話題はなんなのでしょう。
ストーブを囲んで背を丸め、お菓子とお茶でほっこり過ごしておられました。まさかボランティアの相談でもないでしょうが…。
幹という幹もない古木に、やけに今年は花が咲きました。何もかもを見続けている愛着を感じる一本の木です。仏性?仏心あり?
清が終りを告げ中華民国が成立していく二十世紀初頭の詩人、王国維と魯迅の詩でもって、八年間続いたNHKラジオの「漢詩をよむ 漢詩が来た道」が今夜で完結でした。講師の宇野直人氏の穏やかな口調が好きでした。
日本を、京都も訪れたことのあった王国維と魯迅。
清王朝の崩れを予感、八方ふさがりの境遇に、これからは下界(家庭外)の移ろいに決して心を乱されまい、と魯迅は心境を読んでいましたが…。
季節も時代、人の世も心も移り変わる。どんなに栄華を極めたとてもだ。それなら、「どん底」のようなと思えてもきっとそうだろう。留まっていることはない。よどみの中にもいつかまた変化の兆しが見えるはず、とうなづけます。
もうこれで最後にと、終了直前まで思っていました。が、いともたやすく心変わり。
次回からは「日本の漢詩」と題して道真から漱石まで…という案内に誘われてしまいました。
新たに「日本の漢詩」ですか。浅学な私などにはこちらの方が少しは分かりいいのかも・・・。
などと立派げな言っても、放送時間を失念したりじゃ論外ですね(笑)
古木に例年にない花の数。確かにそんな木がします。
色んなところに変化が。やはり今はどん底でも、必ず日の差す日が来ることを信じたいですね。
まさに「がんばろう 日本」!!
嬉しいニュースをお聞きできてとても嬉しいです。
25年以上も中国語をやっていながら漢詩はあまり・・・です。
超有名な「月落烏啼霜満天」「早発白帝城」など数首は暗誦させられましたので覚えていますが・・・
またお勉強が始まりますね。
途中抜けたり、何を聞いていたのかわからんような回もかなりあったようですが、
それでも一年間の締めでした。八年間の完結日になるとは思わずにいました。
次回からのほうがもっと身近に感じるかも知れませんね。ということは…?
外回りもご覧のように、中はもちろん空洞です。昔啄木鳥があけた穴があるのですよ。
大切な人の行方さえわからないままの今、先も見えない厳しい状況ですが、離れている私達にもできることはありそうですね。
そして、いろいろな影響を受けています。誰もが渦中にいることを思います。
できたらJessieのためにも弟妹がいたらいいのにと思っていました。
世話を焼き過ぎそうですが、喜ぶ顔を想像しています。
興味の始まりは高校時代、ですから中心は唐詩ですね。
清朝までの詩に触れることなど初めてで、しかも途中は何度も抜け落ちながらでした。
これからもそうでしょうが、その1回を聞いてみることからの始まりです。
続くでしょうか…。
まず、むずかしい..と思い込んでしまいます。
取っ付きにくいのです。
でも、読めたらきっと奥が深いでしょうね~
桜ですか?
毎年、花をつけてくれる~四季の移り変わりとは本当に
いいものですね。
すぐ忘れてしまうのですが、その1回で一つ残るものがあればよしとしています。
アナウンサーと講師のやり取りが混じって解説も進みますから、気楽に聞いております。
白梅ですが、ほんのり桜色に見えてしまっていますね。もう盛りは過ぎました。
幹の外郭の一部が残るだけで空洞です。
紅梅の老木が、奥庭でひと目に触れることもなく咲いています。