京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 ヒロシマ65年

2010年08月06日 | 日々の暮らしの中で
魂祭り。鎮魂の月、八月。
ヒロシマ65年、「原爆の日」を迎えた。

関連したいくつかの報道番組もみたが、こんな愚かなことがあっていいはずがない。
どれほど時を重ねても消えることのない記憶、逃れようのない被爆による心身の苦しみを思い遣る。わけもなく多くの命を奪いとった蛮行への憤り、奪われた命の無念さを思っていた。

東京育ちの夢や希望にあふれる青年は、親の反対を押して広島の大学で教員への道を志していた。わざわざ広島まで…。それゆえの被爆であった。

子供のころ、彼がよく夫婦二人で実家に遊びに来ていたのを記憶している。私の母とよく似たおじさんと綺麗なよしこおばちゃんは、ずっと夫婦二人きり。
叔父の口から「子供ができない」と話し出されて「被爆」の言葉を聞かされたのは、嫁いだ私のところへ遊びに来てくれたときだった。
父母からの話で知ってはいたのだ。知っていた、という必要もなかったが、叔父の話以上に深く尋ねることもできずにいた。
ただ、知らずにいることは罪だとも思ったものだ。

少し細身だが一見は健康そうだ。どれ程の症状で苦しんだのか、叔父は語らない。定年退職まで高校で社会科の教諭として勤め、今も二人揃って暮らせている。

…どんな思いで今日という日を過ごしたであろう。全国的に暑い一日だった。

コメント (4)
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