京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 家路を急ぐ

2010年08月07日 | 日々の暮らしの中で
            

午前3時35分だった。
突然の目覚め、なにやら意識もはっきりと目が覚めた。
起きるか!?だけど何時だろうかと時計を見てビックリ、さっき寝たばかりじゃないの。
ということで、二度寝??することにした。

午前中に30度を越える「秋立つ日」、とは言え暦の上だけの話であって残暑も猛暑らしい。
そんな中、ご先祖の霊を迎える「六道まいり」が始まった。

京都には、この世とあの世の境目と言われる場所がある。東山の六道珍皇寺がそれだ。
ここの背後は阿弥陀ヶ峰と呼ばれる山の麓にあたり、平安の昔から鳥辺野と呼ばれてきた葬送の地へと続いていく。鳥辺野へと続く道筋にある寺、となる。
本堂裏にある庭の井戸を使って、閻魔大王がいる冥界とを行き来できたという。もっとも、小野篁の伝説によれば…、だが。

          

「迎え鐘」を撞く。撞くとは言っても、厳密には撞木(しょうもく)を鐘にぶつけて鳴らすのではなく、引き綱を引っ張って鳴らすようになっている。
「引く」と鐘の響きははるかかなたのあの世にまで届く、それを合図にお出ましなのか。引き手の持つ戒名ごとに音色にも微妙な違いがあるのかも知れない。
我が家へと祖霊をお迎えするお盆を前にした行事になっている。

あの世への入り口があるのなら、予行演習などというものではないが、ちょっと覗いてみたくなるのは人情。我が家の井戸で試すわけにも行くまいし…。

四日間で10万人ほどは訪れるという。一家に一人をお迎えとは限らない…。
黄泉の国から家路へのラッシュも続きそうだ。
 

コメント (6)
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