時々メールのやりとりをしている教え子から、今日メールが届きました。
そのメールは「先生の退職を祝う会(?)をすることが本決まりになりました」という内容のものでした。
以前から、そうしたことをしたいというやり取りはあったのですが、いよいよ本決まりになったというメールだったのです。
なんだか面映いような、恥ずかしいような気持ちです。
若気の至りとはいえ、めちゃくちゃをさせてもらった子どもたちです。
その教え子とは、私が初めて小学校から送り出した子どもたちで、私が26才の時の卒業生です。その時の子どもも今やもう44~45才になっています。
いずれもが立派な社会人となり、それぞれが社会の中堅として、家庭の柱として活躍している人たちです。
あのときから大して進歩をしていない自分を、教え子の前に晒すのは本当に恥ずかしい思いですが、せっかく教え子が企画してくれたのですから、喜んで承諾することにしました。
教師冥利とは、このようなことを言うのでしょうか。
静かに舞台を去りたいと思っていた私に、思わぬ最後の晴れ舞台(?)が待っていました。
成長した一人一人の姿を、この眼に焼き付けてこようと思っています。
最後の晴れ舞台(?)は半月後に待っています。
そのメールは「先生の退職を祝う会(?)をすることが本決まりになりました」という内容のものでした。
以前から、そうしたことをしたいというやり取りはあったのですが、いよいよ本決まりになったというメールだったのです。
なんだか面映いような、恥ずかしいような気持ちです。
若気の至りとはいえ、めちゃくちゃをさせてもらった子どもたちです。
その教え子とは、私が初めて小学校から送り出した子どもたちで、私が26才の時の卒業生です。その時の子どもも今やもう44~45才になっています。
いずれもが立派な社会人となり、それぞれが社会の中堅として、家庭の柱として活躍している人たちです。
あのときから大して進歩をしていない自分を、教え子の前に晒すのは本当に恥ずかしい思いですが、せっかく教え子が企画してくれたのですから、喜んで承諾することにしました。
教師冥利とは、このようなことを言うのでしょうか。
静かに舞台を去りたいと思っていた私に、思わぬ最後の晴れ舞台(?)が待っていました。
成長した一人一人の姿を、この眼に焼き付けてこようと思っています。
最後の晴れ舞台(?)は半月後に待っています。