木下監督に「最も好きな作品は?」と問うとこの「野菊の如き君なりき」を躊躇なく挙げたそうだ。それは木下監督にとって封建的な価値観の愚かさを世に問うた作品であったからだろうか…。
4回にわたってレポートしてきた木下恵介監督作品シリーズも今回が最終回である。
木下監督は戦争と封建制に対して大いなる批判精神を映画に込めたということだ。
さしずめこの映画では農村に根強く残っていた封建制を批判した映画ということになろう。
下の資料にあるように古い道徳観に縛られた周りの大人たちにとがめられて若い二人は離ればなれにされてしまい悲劇的な結末を迎えてしまう。
白黒の画面がその悲しさ、むなしさを一層色濃くしてくれたように思えた映画だった。
野菊の如き君なりき(1955年作品、白黒、スタンダード、92分)
原作は、明治の歌壇で正岡子規に師事した著名な歌人、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」である。数十年ぶりに故郷を訪れた老人の回想が、信州の美しい自然を背景に回想形式で描かれる。旧家で育った少年と、2歳年上のいとこの少女との淡い恋愛が、古い道徳観に縛られる大人たちによってとがめられ、二人は離れ離れにされた上、少女は嫁ぎ先で少年の手紙を握りしめて死んでしまう。その思い出を回想する場面では、木下監督はスタンダード・サイズの画面を、白地の楕円形で囲むという大胆な表現形式を採用し、シネマスコープならぬ《たまごスコープ》と称されて話題となった。この作品では、木下の叙情性がストレートに表現されているとともに、詠嘆的美しさとしての完成度が感じられるものとなっている。主人公に起用された田中晋二と有田紀子は無名の新人で、演出意図に沿った初々しさを十分に発揮している。「キネマ旬報」ベストテン第3位。
回想シーンを資料では《たまごスコープ》と称しているが、一部ではそうした表現形式を用いた木下監督の名を取り《木下スコープ》と呼ばれたと違った資料は語っている。
主役の二人はまったくの素人だったが、木下監督はあまり厳しい演技指導は行わずに彼らのぎこちなさを逆に効果的に演出したということである。
私も実際に観ていて、彼らの初々しさがとても好感を持てたと思った。
最後に楢部氏が気になることを語られた。
「木下監督は平成の世の中になって一番早く忘れられた監督である」と…。
この意味するところは、叙情性とか、感傷的な作風というのは、現代の日本人の価値観から一番先に消えていってしまったものではないのか、ということだった。
せちがらい世の中、心に余裕がなくなった日本人…。
木下監督が描いた美しい日本、心やさしい日本人はどこか遠くに行ってしまったのだろうか?
嘆くだけなら誰でもできる。
私のような名もなき者でも何かできないだろうか…。
そんなことを考えることができた名作祭だった…。