南区・石山地区は「石山緑地」に代表されるように、札幌軟石の採石場があったところで、そのことに関する史跡も多いところである。少し広範囲となったが、石山地区界隈を巡った。
このところサンドイッチ的に一日おきに「札幌歴史散歩」を投稿している。こうした史跡めぐりは他サイトでも取り組んでおられる方が多いためか、アクセス数が芳しくないのだが、今の私にとっては大きな関心事なので、もう少し続けたいと思っている。お付き合いのほどを…。
石山地区となると、札幌都心から直線距離でも10km以上離れているので、この日は自家用車で石山地区に出かけた。目指すは「石山緑地」である。ここは石山軟石採石場跡を公園化しているところである。この「石山緑地」に併設されている駐車場に車を駐車し、史跡巡りをした。
①石山軟石採石場跡

※ 今回は敢えてアート的なところを除いて、採石場跡らしいところを写した。
※ この石山地区を訪れたときはすでに夕刻近くだったため写真がいつも以上に鮮明でないことをお断りします。
「石山緑地(石山軟石採石場跡)」は、史跡というよりは芸術的な公園としての方が札幌市民には良く知られた存在である。
石山軟石は、約4万年前に支笏火山が大噴火した際に、大量の火砕流堆積物を噴出し、それが20kmも離れた石山地区に降り積もり、その溶結部が石材として注目され、明治時代に石材として注目され、建築物の資材として盛んに利用されたという。
その採掘場の跡を北海道の彫刻家集団がユニークなアート空間として公園風に再生させたのが「石山緑地」である。
現在でも札幌市内の様々なところで札幌軟石を使った建物が見られることは良く知られている。
②石切山街道碑

※ 碑の横に建てられた副碑には名称の由来や札幌軟石の歴史が刻まれていました。
「石山緑地」からおよそ900m、かつて国道230号が走っていた、現在は市道平岸通沿いに、札幌軟石製の大きな石碑が建っている。これが「石切山街道」碑である。
この街道の名称は、平成6年に公募で街道名が決まったということで、いわゆる愛称の類のようだ。現在の「石山」は、かつて「石切山」と称していたことからこの名が付いたようだ。
③旧石山郵便局(ぽすとかん)


「石切山街道」碑から平岸通を南に350mほど戻った交差点のところに札幌軟石製の2階建ての建物が目に入る。「旧石山郵便局(ぽすとかん)」である。1940(昭和15)年に建築された郵便局舎を再利用しているものである。
現在は、イベントスペースとして使用されるほか、民間の会社も入居しているようである。内部観覧もできるようだが、私が行ったときは夕刻近かったこともあり、扉は閉まっていた。
④旧定山渓鉄道石切山駅(現石山振興会館)


※ 旧駅舎の建物の傍には駅名板が立てられていました。
「旧石山郵便局」の道路向かいに白い木造の建物が建っている。この建物が「旧定山渓鉄道石切山駅」である。
1918(大正7)年に開通した定山渓鉄道は、豊平から定山渓までの区間を半世紀にわたって運行したそうだ。1969(昭和44)年の鉄道が廃止された後、現存する唯一の定山渓鉄道の駅舎である。駅舎は木造だが、基礎部分には札幌軟石が使われている。
現在は、石山商店街振興組合の事務所として活用され、向かいの「旧石山郵便局」とともに、石山地区の歴史を物語るシンボルとして親しまれているそうだ。
⑤石森和男歌碑


この碑は平岸通沿いに建つ石山小学校の敷地内にあった。
石森和男という方は、北海道においては高名な歌人だったようで、藻岩山ロープウェイ下には、この地より立派な歌碑が建っているようだ。
石山小学校HPによると、「この碑は、開校80周年を記念して卒業生の辻勝三氏と岩本光正氏が、石切り場で栄えた石山の姿を後世に伝えようと石山に縁の深い歌人石森和男氏の歌碑を建立した」となっているが、石森氏が石山とどのような縁なのかについて、少し調べたのだが分からなかった。
なお、歌碑には「にぐるまも 輪をかたむけてあぶなしや 石まろびころぶ 石山の里」
と刻まれている。
※ 石山神社の境内に至るには札幌軟石製の急な石段を上らねばなりません。


⑥石山開基百年記念碑


石山小学校の道路向かい、少し奥まったところに小高い丘があり、札幌軟石で造られた急な階段を上ると、右手に立派な台座に乗った石碑が目に入る。これが「石山開基百年記念碑」である。碑は石山の歴史を誇示するように台座から本体までふんだんに札幌軟石が使用されていた。
碑は石山地区が開基百年を迎えた1974(昭和49)年に建立されている。
⑦石山神社境内碑群

石山神社では2004(平成16)年に石山神社創祀120年の記念事業として、境内内に散在していた碑を一括して現在地に移設したということだ。
それらの碑は、◇山の神、◇山乃神忠魂碑、◇稲荷大神(碑)、◇招魂碑、◇天照皇大神、◇八幡大神、◇春日大明神(碑)の七つの碑である。
石山の歴史を少し調べてみた。石山地区は1974(昭和49)年に開基百年を迎えているということだから、遡ること百年前1875(明治8)年に初めて開墾の鍬がおろされたことになる。
そして石山地区は平岸村の一地区に含まれたそうだが、その平岸村は1872(明治5)年に開村したとなっていることから、石山地区は平岸地区よりは少し遅れて開墾されたということのようだ。
なお、平岸村は1902(明治35)年に豊平村に吸収合併され、さらに豊平村(当時は町)1961(昭和36)年に札幌市に吸収合併されたということである。
最後に石山地区へのアクセスであるが、地下鉄「真駒内駅」からのバス便が適していると思われる。
「真駒内駅」より、「空沼」行き、「滝野」行きに乗車し、「石山東3丁目」で下車すると徒歩3分で「石山緑地」に到達する。
見学域内の徒歩距離は、2.8キロ程度と高齢者には少し辛い距離かもしれない。
帰りは、石山神社下のバス停「石山小学校」から乗車することができる。
(2017/10/31)
このところサンドイッチ的に一日おきに「札幌歴史散歩」を投稿している。こうした史跡めぐりは他サイトでも取り組んでおられる方が多いためか、アクセス数が芳しくないのだが、今の私にとっては大きな関心事なので、もう少し続けたいと思っている。お付き合いのほどを…。
石山地区となると、札幌都心から直線距離でも10km以上離れているので、この日は自家用車で石山地区に出かけた。目指すは「石山緑地」である。ここは石山軟石採石場跡を公園化しているところである。この「石山緑地」に併設されている駐車場に車を駐車し、史跡巡りをした。
①石山軟石採石場跡

※ 今回は敢えてアート的なところを除いて、採石場跡らしいところを写した。

※ この石山地区を訪れたときはすでに夕刻近くだったため写真がいつも以上に鮮明でないことをお断りします。
「石山緑地(石山軟石採石場跡)」は、史跡というよりは芸術的な公園としての方が札幌市民には良く知られた存在である。
石山軟石は、約4万年前に支笏火山が大噴火した際に、大量の火砕流堆積物を噴出し、それが20kmも離れた石山地区に降り積もり、その溶結部が石材として注目され、明治時代に石材として注目され、建築物の資材として盛んに利用されたという。
その採掘場の跡を北海道の彫刻家集団がユニークなアート空間として公園風に再生させたのが「石山緑地」である。
現在でも札幌市内の様々なところで札幌軟石を使った建物が見られることは良く知られている。
②石切山街道碑


※ 碑の横に建てられた副碑には名称の由来や札幌軟石の歴史が刻まれていました。
「石山緑地」からおよそ900m、かつて国道230号が走っていた、現在は市道平岸通沿いに、札幌軟石製の大きな石碑が建っている。これが「石切山街道」碑である。
この街道の名称は、平成6年に公募で街道名が決まったということで、いわゆる愛称の類のようだ。現在の「石山」は、かつて「石切山」と称していたことからこの名が付いたようだ。
③旧石山郵便局(ぽすとかん)


「石切山街道」碑から平岸通を南に350mほど戻った交差点のところに札幌軟石製の2階建ての建物が目に入る。「旧石山郵便局(ぽすとかん)」である。1940(昭和15)年に建築された郵便局舎を再利用しているものである。
現在は、イベントスペースとして使用されるほか、民間の会社も入居しているようである。内部観覧もできるようだが、私が行ったときは夕刻近かったこともあり、扉は閉まっていた。
④旧定山渓鉄道石切山駅(現石山振興会館)


※ 旧駅舎の建物の傍には駅名板が立てられていました。
「旧石山郵便局」の道路向かいに白い木造の建物が建っている。この建物が「旧定山渓鉄道石切山駅」である。
1918(大正7)年に開通した定山渓鉄道は、豊平から定山渓までの区間を半世紀にわたって運行したそうだ。1969(昭和44)年の鉄道が廃止された後、現存する唯一の定山渓鉄道の駅舎である。駅舎は木造だが、基礎部分には札幌軟石が使われている。
現在は、石山商店街振興組合の事務所として活用され、向かいの「旧石山郵便局」とともに、石山地区の歴史を物語るシンボルとして親しまれているそうだ。
⑤石森和男歌碑


この碑は平岸通沿いに建つ石山小学校の敷地内にあった。
石森和男という方は、北海道においては高名な歌人だったようで、藻岩山ロープウェイ下には、この地より立派な歌碑が建っているようだ。
石山小学校HPによると、「この碑は、開校80周年を記念して卒業生の辻勝三氏と岩本光正氏が、石切り場で栄えた石山の姿を後世に伝えようと石山に縁の深い歌人石森和男氏の歌碑を建立した」となっているが、石森氏が石山とどのような縁なのかについて、少し調べたのだが分からなかった。
なお、歌碑には「にぐるまも 輪をかたむけてあぶなしや 石まろびころぶ 石山の里」
と刻まれている。
※ 石山神社の境内に至るには札幌軟石製の急な石段を上らねばなりません。


⑥石山開基百年記念碑


石山小学校の道路向かい、少し奥まったところに小高い丘があり、札幌軟石で造られた急な階段を上ると、右手に立派な台座に乗った石碑が目に入る。これが「石山開基百年記念碑」である。碑は石山の歴史を誇示するように台座から本体までふんだんに札幌軟石が使用されていた。
碑は石山地区が開基百年を迎えた1974(昭和49)年に建立されている。
⑦石山神社境内碑群


石山神社では2004(平成16)年に石山神社創祀120年の記念事業として、境内内に散在していた碑を一括して現在地に移設したということだ。
それらの碑は、◇山の神、◇山乃神忠魂碑、◇稲荷大神(碑)、◇招魂碑、◇天照皇大神、◇八幡大神、◇春日大明神(碑)の七つの碑である。
石山の歴史を少し調べてみた。石山地区は1974(昭和49)年に開基百年を迎えているということだから、遡ること百年前1875(明治8)年に初めて開墾の鍬がおろされたことになる。
そして石山地区は平岸村の一地区に含まれたそうだが、その平岸村は1872(明治5)年に開村したとなっていることから、石山地区は平岸地区よりは少し遅れて開墾されたということのようだ。
なお、平岸村は1902(明治35)年に豊平村に吸収合併され、さらに豊平村(当時は町)1961(昭和36)年に札幌市に吸収合併されたということである。
最後に石山地区へのアクセスであるが、地下鉄「真駒内駅」からのバス便が適していると思われる。
「真駒内駅」より、「空沼」行き、「滝野」行きに乗車し、「石山東3丁目」で下車すると徒歩3分で「石山緑地」に到達する。
見学域内の徒歩距離は、2.8キロ程度と高齢者には少し辛い距離かもしれない。
帰りは、石山神社下のバス停「石山小学校」から乗車することができる。
(2017/10/31)