札幌市山鼻地区は、琴似に続いて翌1876(明治9年)屯田兵が大挙して入植したのだが、その痕跡は琴似ほど残っていなかった。それでもその足跡を記念会館や記念碑などに見ることができた。
10月30日(月)朝、好天に恵まれたので自転車を駆って、史跡が集まっている「山鼻公園」に向かった。
山鼻地区には、1876年に主として青森、坂田(現在の山形)、宮城、秋田などから240戸が入植したとなっている。
事前の調べでは山鼻記念会館、山鼻兵村開設碑、山鼻屯田兵の像、などが見られると思って出かけたのだが、「山鼻屯田兵の像」は思っていた以上に離れたところにあり(南29西11)徒歩で巡るのは困難と判断し、訪れるのを止めることにした。
まずは「山鼻公園」内に建っている「山鼻兵村開設碑」から散歩を始めた。
①山鼻兵村開設碑
※ 碑の裏には、入植し共に開墾に従事した村民の名前が記されていた。
開設碑は「山鼻公園」の中央部付近にドーンと建っていた。高さは台座を含めると4m前後か?台座のところには碑の説明板があった。そこには、
「碑暦
明治七年屯田制度が制定されこの山鼻地区に山鼻兵村を設置することが決定した。明治九年五月兵屋の建築が竣工すると同時に東北地区の諸藩士を主体とした二百四十戸の兵士・家族千百十四人が移住一大が形成された。以来北方領土警備の責務と、生活を共にする家族を含めうっ蒼として原始林と多くの野獣の遠吠えが聞こえる当時の山鼻地区を開発する厳しい任務を背負う苦難が始まりこれが山鼻開発の原点であった。
明治二十七年九月山鼻兵村開設から二十年を経過したのを記念して屯田の有志が私財を投じこの地にこの碑を設置した。碑の題字は当時の屯田兵司令官陸軍中将永山武四郎です。
(以下、省略)
財団法人 山鼻記念碑保存資産」
とあった。「原始林と多くの野獣」…、まさに札幌が未開の大地であり、その未開の大地の困難な開墾に挑んだのが屯田兵だったことが如実に記されている。
②山鼻記念塔
この記念塔は「山鼻兵村開設碑」の副碑として昭和32年5月に「創基八十一年周年祭」の折りに建立されたとある。
③童謡「赤い靴」歌碑
※ 黒御影石(?)は反射して、撮影している私の姿まで写している。
※ こちら裏面には建立の経緯が記されていました。
「山鼻公園」の西端にちょっと目立たないが、逆U字型をした黒い碑が建っている。これが2015(平成27)年に建立された「童謡『赤い靴』歌碑」である。
童謡「赤い靴」は童謡作詞家・野口雨情の作品である。野口雨情は札幌で新聞記者をしていたころ山鼻に住んでいたという。その折り、隣に住んでいた同僚の妻から聞いた幼い子についてのお話をもとに後年になって作詞したといわれている。
この歌碑は、童謡「赤い靴」の素晴らしさが多くの人に歌い継がれることや、子どもたちの心豊かな成長を願い、同碑建立の会が中心となって2015年に建立されたものだという。
なお、逆U字型の碑は藻岩山をイメージしているそうだ。
④明治天皇御駐蹕之地碑(ごちゅうひつのちひ)
山鼻公園の道路向かいに山鼻小学校の校舎、グランドがある。そのグランドの一角を区切って比較的目立たぬところに「明治天皇御駐蹕之地碑」がある。
「御駐蹕」とは、天皇が行幸の途中で一時乗り物を止めて一休みすることをいうそうだ。
この碑は、明治14(1881)年9月1日、真駒内牧場をご覧になった明治天皇が山鼻村においでになり、山鼻小学校でお休みになったそうだ。その際、周辺で作業をしていた屯田兵に「いっそう仕事に励むように。」とお言葉をかけてくださったそうだ。そのことに感激した人々が、明治天皇が山鼻小学校でお休みになられたことを記念して、ここに記念碑を建てたということである。
昭和3年10月、山鼻小学校創立五十年を記念して建てられたそうだ。
⑤山鼻記念会館
※ 「山鼻記念会館」のエントランスですが、一階の洋菓子店と同居しているため見逃す恐れがあります。
※ 入り口脇に、2階、3階が記念会館である旨、表示されています。
※ 良く説明を見ませんでした。おそらく山鼻小学校で残っていた最古の全校写真では、と思われます。
※ 記念会館の壁には、屯田兵の正装が展示されていました。
山鼻小学校から一区画東に寄ったところに「山鼻記念館」がある。建物の一階に洋菓子店が同居しているために、見落としがちである。2・3階が記念館であるが、展示室は2階のみである。展示室はけっして広くはないが、展示内容は屯田兵一色で、当時の屯田兵が使っていた農具や家財、雑貨類などが約500点展示されている。公開日・公開時間が限定されているので注意が必要である。公開日は火・木・土・日の週4日、公開時間も火・木は10時~12時。土・日は10時~15時となっている。
山鼻地区には確か屯田兵の像が国道沿いに建っているはずと思い、そこを目指したのだが、いくら歩いても目にすることができない。おかしいなぁ?と思い、スマホで所在地を確認すると、南29条西11丁目と判明した。山鼻公園は南14条西10丁目である。いくらなんでも遠すぎる。お年寄りが歩くには無理がある。断念することにした。
ということで、山鼻地区の史跡めぐりは5ヵ所と物足りない気もするが、山鼻記念会館の管理人に伺うと、その他には特にお勧めのスポットは無いとのことだ。
地域によって、過去の歴史とどう関わっているのか、微妙な違いも見て取れるようにも思われる。札幌都心に比較的近かった山鼻地区は、屯田兵制度の廃止とともに札幌の都市化に飲み込まれるのも早かった、ということが言えるのかもしれない…。
(2017/10/30)
10月30日(月)朝、好天に恵まれたので自転車を駆って、史跡が集まっている「山鼻公園」に向かった。
山鼻地区には、1876年に主として青森、坂田(現在の山形)、宮城、秋田などから240戸が入植したとなっている。
事前の調べでは山鼻記念会館、山鼻兵村開設碑、山鼻屯田兵の像、などが見られると思って出かけたのだが、「山鼻屯田兵の像」は思っていた以上に離れたところにあり(南29西11)徒歩で巡るのは困難と判断し、訪れるのを止めることにした。
まずは「山鼻公園」内に建っている「山鼻兵村開設碑」から散歩を始めた。
①山鼻兵村開設碑
※ 碑の裏には、入植し共に開墾に従事した村民の名前が記されていた。
開設碑は「山鼻公園」の中央部付近にドーンと建っていた。高さは台座を含めると4m前後か?台座のところには碑の説明板があった。そこには、
「碑暦
明治七年屯田制度が制定されこの山鼻地区に山鼻兵村を設置することが決定した。明治九年五月兵屋の建築が竣工すると同時に東北地区の諸藩士を主体とした二百四十戸の兵士・家族千百十四人が移住一大が形成された。以来北方領土警備の責務と、生活を共にする家族を含めうっ蒼として原始林と多くの野獣の遠吠えが聞こえる当時の山鼻地区を開発する厳しい任務を背負う苦難が始まりこれが山鼻開発の原点であった。
明治二十七年九月山鼻兵村開設から二十年を経過したのを記念して屯田の有志が私財を投じこの地にこの碑を設置した。碑の題字は当時の屯田兵司令官陸軍中将永山武四郎です。
(以下、省略)
財団法人 山鼻記念碑保存資産」
とあった。「原始林と多くの野獣」…、まさに札幌が未開の大地であり、その未開の大地の困難な開墾に挑んだのが屯田兵だったことが如実に記されている。
②山鼻記念塔
この記念塔は「山鼻兵村開設碑」の副碑として昭和32年5月に「創基八十一年周年祭」の折りに建立されたとある。
③童謡「赤い靴」歌碑
※ 黒御影石(?)は反射して、撮影している私の姿まで写している。
※ こちら裏面には建立の経緯が記されていました。
「山鼻公園」の西端にちょっと目立たないが、逆U字型をした黒い碑が建っている。これが2015(平成27)年に建立された「童謡『赤い靴』歌碑」である。
童謡「赤い靴」は童謡作詞家・野口雨情の作品である。野口雨情は札幌で新聞記者をしていたころ山鼻に住んでいたという。その折り、隣に住んでいた同僚の妻から聞いた幼い子についてのお話をもとに後年になって作詞したといわれている。
この歌碑は、童謡「赤い靴」の素晴らしさが多くの人に歌い継がれることや、子どもたちの心豊かな成長を願い、同碑建立の会が中心となって2015年に建立されたものだという。
なお、逆U字型の碑は藻岩山をイメージしているそうだ。
④明治天皇御駐蹕之地碑(ごちゅうひつのちひ)
山鼻公園の道路向かいに山鼻小学校の校舎、グランドがある。そのグランドの一角を区切って比較的目立たぬところに「明治天皇御駐蹕之地碑」がある。
「御駐蹕」とは、天皇が行幸の途中で一時乗り物を止めて一休みすることをいうそうだ。
この碑は、明治14(1881)年9月1日、真駒内牧場をご覧になった明治天皇が山鼻村においでになり、山鼻小学校でお休みになったそうだ。その際、周辺で作業をしていた屯田兵に「いっそう仕事に励むように。」とお言葉をかけてくださったそうだ。そのことに感激した人々が、明治天皇が山鼻小学校でお休みになられたことを記念して、ここに記念碑を建てたということである。
昭和3年10月、山鼻小学校創立五十年を記念して建てられたそうだ。
⑤山鼻記念会館
※ 「山鼻記念会館」のエントランスですが、一階の洋菓子店と同居しているため見逃す恐れがあります。
※ 入り口脇に、2階、3階が記念会館である旨、表示されています。
※ 良く説明を見ませんでした。おそらく山鼻小学校で残っていた最古の全校写真では、と思われます。
※ 記念会館の壁には、屯田兵の正装が展示されていました。
山鼻小学校から一区画東に寄ったところに「山鼻記念館」がある。建物の一階に洋菓子店が同居しているために、見落としがちである。2・3階が記念館であるが、展示室は2階のみである。展示室はけっして広くはないが、展示内容は屯田兵一色で、当時の屯田兵が使っていた農具や家財、雑貨類などが約500点展示されている。公開日・公開時間が限定されているので注意が必要である。公開日は火・木・土・日の週4日、公開時間も火・木は10時~12時。土・日は10時~15時となっている。
山鼻地区には確か屯田兵の像が国道沿いに建っているはずと思い、そこを目指したのだが、いくら歩いても目にすることができない。おかしいなぁ?と思い、スマホで所在地を確認すると、南29条西11丁目と判明した。山鼻公園は南14条西10丁目である。いくらなんでも遠すぎる。お年寄りが歩くには無理がある。断念することにした。
ということで、山鼻地区の史跡めぐりは5ヵ所と物足りない気もするが、山鼻記念会館の管理人に伺うと、その他には特にお勧めのスポットは無いとのことだ。
地域によって、過去の歴史とどう関わっているのか、微妙な違いも見て取れるようにも思われる。札幌都心に比較的近かった山鼻地区は、屯田兵制度の廃止とともに札幌の都市化に飲み込まれるのも早かった、ということが言えるのかもしれない…。
(2017/10/30)