さすがにアナウンサーである。そのクリアな語り口は聴いていても心地良いものだった。お話は我が国のアナウンサーの足跡についての話であったが、私自身の過去が蘇り興味深いお話の数々だった。
11月14日(木)午後、私が連続受講している「ほっかいどう学」かでる講座の第9回講座が開講された。この日は元北海道文化放送(UHB)アナウンサーの伊藤治明氏が「昭和のアナウンサーについて語ろう~北海道の空を駆け巡った声~」と題してのお話だった。
伊藤氏はUHBでは主としてスポーツ中継などを担当していたが、早期退職をされ現在はフリーのアナウンサーとして活躍されたり、後進の指導に当たられたりしている。
お話は日本のラジオ放送の黎明期から、昭和年代に至るまで、ちょうど受講者の年代に合わせてお話をされた。話は大正14年3月22日の東京放送局から京田武男アナウンサーが「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声を放ったことから始まった。北海道内にラジオの電波が流されたのは、それから4年後の昭和3年6月5日だったそうだ。
話は多岐にわたったが、伊藤氏がスポーツ中継を主としていたことから、スポーツに関する話が中心となっていった。その中で印象的だったのは、北海道内で昭和6年にすでにスポーツ中継が行われていたという事実だった。昭和6年2月16日には「北海道樺太中学生スキー大会」を、同年の7月3日には公認札幌春季競馬の「競馬中継」が実況放送されたということだった。
スポーツから離れるが、日本で初めてNHKからフリーアナウンサーへの道を拓いた名物アナの高橋圭三アナウンサーの最初の赴任局が札幌放送局だったという事実は意外だった。
一方、民間放送局の始まりは意外に遅く昭和26年に東京、大阪、名古屋など6局が相前後して放送を開始したという。北海道では翌年昭和27年に「北海道放送(HBC)」が免許を取得し放送を開始したそうだ。その際の面白いエピソードを伊藤氏が明かしてくれた。その当時HBCには男性2名、女性2名のアナウンサーがいたそうだが、誰が第一声を担当するかということになったそうだが、なんとジャンケンで決めたという。その結果、河内寿美子アナウンサーが第一声を担当したそうだ。
続いて話は民放の深夜放送に移っていった。深夜放送について私はその真っただ中の世代なのだが、田舎で育った私はそうした世の中の流れから取り残されていたようだ。国内的に人気を誇った糸居五郎や土居まさるなどの名は知っていても、道内各局のパーソナリティについてはほとんど知識がなかった。
※ 深夜放送の名物パーソナリティ土居まさる氏です。
最後に東京オリンピックの際のアナウンサーについて話が及んだ。東京オリンピックの開会式を担当したテレビの北出清五郎アナ、ラジオを担当した鈴木文弥アナは、スポーツ穴の中でも伝説的な名物アナであり、伊藤氏にとっても憧れのスポーツアナだったようだ。両者の開会式の際の実況アナウンスを再現してくれたが、私にとっても懐かしいお二人の声だった。
このように私たち世代にとっては懐かしく、自分の来し方を思い出させてくれるひと時だった。はたして来年の東京オリンピック2020ではどのようなアナウンサーが登場し、どのような記憶に残る名言を残してくれるのだろうか?