2006年9月、5期18年に渡り、福島県知事を務めていた佐藤栄佐久知事が突然辞任した。当時私は遠い他府県のことと、大して関心を持つことはなかった。しかし、この辞任の陰には巨大な権力の翳があったというのだが…。
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一昨日(2月22日)夜、白石区のライブバー「ハニービー」というところで映画「『知事抹殺』の真実」の上映会がありました。
この映画の上映会を知ったのは、先月末エルプラザにおいてエルプラシネマ「決断 運命を変えた3.11 母子避難」を観賞した際に、ゲストとして招待されていた福島原発事故避難民の一人である鈴木哉美さんからの紹介でした。
知事抹殺…とは穏やかではありません。私は俄かに興味を抱き、観賞してみたいと思いました。
予め私は佐藤栄佐久氏のことについて調べてみました。
佐藤氏は大学卒業後(東大卒)、父親の事業(紳士服の製造業)を手伝いながら青年会議所の活動で頭角を現し、1983年に自由民主党公認で参議院議員に当選します。これを機に事業の方は弟(祐二氏)に継承したということです。
そして1988年には、前任者の引退を受け、福島県知事選挙に立候補して当選し、以降4回連続して当選しますが、5期目の任期途中に弟(祐二氏)の汚職疑惑に関連して追求を受けたことから、辞表を提出して辞職しました。さらにその後栄佐久氏は収賄容疑で逮捕されたという事件です。
佐藤栄佐久氏の政治姿勢は、自民党所属でありながら徹底して県民のための政治を志向した点にありました。当時の国策だった原発推進、道州制の推進、市町村合併などの施策に対して、県民目線からことごとく疑問、あるいは反対の姿勢を取ったようです。そのことが県民から支持され5選も果たしたのです。
しかし、中央政府は佐藤栄佐久氏の姿勢を苦々しく思っていたのは想像に難くありません。特に国のエネルギー政策の根幹と位置付けられていた原発推進に反対の姿勢を取ったことが全ての問題の始まりだったようです。
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※ 記者会見をする佐藤栄佐久氏(右側)と映画監督の安孫子亘氏です。
映画は、栄佐久氏が逮捕され検事から追求を受ける場面の再現シーンから始まります。検事は時の権力を傘にして、執拗に栄佐久氏を責め立てます。栄佐久氏は身の覚えのないことに対して否認を続けるのですが…。
しかし、知事時代の部下だった福島県職員の裏切りの証言があったり、否認を続けることで栄佐久氏の周辺の人たちにも類が及んでいることに苦しみ、ついには検事の追求に屈し、本人の関与を認める証言をし逮捕されてしまったのです。そして裁判においても有罪判決を受けてしまうという結末でした。
私は事件に詳細については、正直に言って分かりません。しかし、画面を通して見るかぎり、栄佐久氏が虚言を発しているとはどうしても思えません。栄佐久氏は知事時代、自らを律し、利権に関わるようなことには一切関わらぬように神経を費やしていた知事だとも云われていました。それでも法という名の前に屈してしまったのです。
魑魅魍魎が跋扈するという政界です。時の権力に楯突くということの怖さを思い知らされた映画でした。そのことを十分に認識しながらも、栄佐久氏の言動には隙があったということなのでしょうか?
裁判は最高裁まで争われましたが、すでに結審し、栄佐久氏の有罪は確定しました。
映画は2017年に制作・公開されたものです。映画の最後で栄佐久氏は恬淡としながらも、自らに降りかかった災難について「これから本当の闘いが始まる。私はだれにもできない経験をしたことを伝えていきたい。」と話された。
あれから8年、栄佐久氏は現在85歳で健在である。栄佐久氏はきっとまだ闘っているのだと思う。