田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №343 キーパー ある兵士の奇跡

2022-03-07 16:04:32 | 映画観賞・感想

 第二次世界大戦でナチスドイツ軍兵士だった青年が、捕虜収容所から釈放後イギリスに残り世間の蔑視の中で歯を食いしばり、ゴールキーパーとして成功を収め、イギリスサッカー界の英雄にまで上り詰めた実話を描いた物語である。

   

 「北澤豪さっぽろフットボールシネマフェスティバル」の上映の最後(第三弾)は「キーパー ある兵士の奇跡」である。

          

 映画は第二次世界大戦でイギリス軍の捕虜となったナチスドイツ軍の一人の兵士が、収容所内の余暇にサッカーをしていて、ゴールキーパーとしての資質を認められ、幾多のいきさつの中から戦後もイギリスに残りサッカー選手としてイギリスサッカー界の英雄にまで上り詰めた過程を描いたものである。

    

 主人公であるバート・トラウトマンは母国のドイツでも相当に優秀なゴールキーパーだったのだろう。(映画の中での説明はなかったが)収容所内でのプレーを見た地方のサッカーチームのオーナーにその力量を見出されて、田舎チームで活躍した。しかし、彼がおかれた境遇はイギリス人にとって憎きナチスドイツ軍の一員であった。チームの中で理不尽な差別を容赦なく受ける中で彼はプレーを続けた。オーナーは別として…。容赦なくチームメイトから罵声を浴びせられるも、トラウトマンは黙々と自分の役目を果たそうとしていた。そうした姿を見つめるオーナーの娘マーガレットは最初は彼を忌避していたものの、彼の純粋さに惹かれトラウトマンとの恋に陥り、やがて二人は結婚することとなった。この恋がトラウトマンをイギリスに留めたのだろう。やがて彼の名声は、イギリスの名門クラブ「マンチェスター・シティFC」への入団へと繋がっていく。そこで彼はチームメイトから罵詈雑言を浴びせられるも、じっと耐え黙々と自分に与えられたゴールキーパーとして役目を果たし続けた。その姿がチーム内からも、サポーターからも受け入れられ、彼は名門「マンチェスター・シティFC」にとってなくてはならない選手となっていったのだった。そして彼はマンチェスターにおける英雄となり、イギリスを永住の地としたのだった。

   

 映画は感動的な映画であったが、邦題のサブタイトル「ある兵士の奇跡」という題名に若干違和感が残った。邦題は日本で公開される際に、関係者たちによって付けられるようだが、ときどき絶妙の邦題が付けられることで思わぬヒット作となる場合があるという。例えば「The Longest Day」が「史上最大の作戦」に、最近では「Das schweigende Klassenzimmer(沈黙する教室)」が「僕たちは希望という名の列車に乗った」と名付けられて公開された。そうした命名に対して「奇跡」と名付けるのはどうだろうか?この映画を見るかぎり、奇跡ではなく周りの罵詈雑言に必死に耐え、自らのプレーに没頭したバート・トラウトマンの人間性の素晴らしさがもたらしたものである。それを「奇跡」と称したのはどうなのかな?と私は思ったのだが…。この映画の原題はThe Keeperである。邦題も原題同様「キーパー」あるいは「ゴールキーパー」で良かったのではないか?ただ、再度云うが映画そのものは感動的な映画だった。

《トークセッション》北澤豪 × ラモス瑠偉

   

 トークセッションの3番目には最も高名なラモス瑠偉氏が登場した。日本サッカーのプロ化の黎明期、ブラジルから来日し読売クラブに入団したラモス氏は圧倒的なテクニックでたちまち人気選手となった。そのラモス氏が登場すると、トークセッションはラモス氏の独壇場となった。彼は母国で家庭が貧しかったために、「ともかくお金を稼ぎたくて日本に来たのだ」と何度も強調した。だから日本に永住するつもりはなく、すぐ帰国するつもりだったのだが、行きがかり上日本国籍を取得し日本人を結婚し、やがて日本代表として戦うことになったと語った。北澤氏にとってもラモス氏はヴェルディ川崎の先輩となることから、ラモス氏を持ち上げるためにラモス氏は滔々と自分の過去を語るのだった…。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。