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山岡荘八著「伊達政宗」全八巻を読む

2024-08-29 08:00:00 | 本・感想
   歴史小説というのは、登場人物の関係を把握することがこれほど難しいことなのか、ということを嫌というほど味わわされた。また登場人物の氏名も私にはことのほか難しかったぁ…。それでも伊達政宗の人となりを理解することができたのでは?と思っているのだが…。

      

 今ごろになって歴史小説に興味を持ち始めた。吉川英治著「宮本武蔵」全八巻に続いて、BOOK OFFで山岡荘八の歴史文庫「伊達政宗」全八巻を購入することができたので、凡そ一か月をかけてこのほど読了することができた。
 伊達政宗について私のこれまでの知識は幼少の頃の病気で隻眼になったということ、そして「伊達者」という言葉もあるように派手な装いをしていたということくらいの知識しかなかった。
 しかし、今回読了することによって伊達政宗が大変な策略家であり、時の将軍だった徳川家康からも一目おかれた存在であったことを知ることができた。思えば伊達政宗生きた時代とは、群雄割拠の時代で常に緊張しながら、世の中の勢を見ながら策略を練ることが求められた時代であった。
 伊達政宗が生きた時代(1567〜1636年)。特に家督を継いだ1584年(政宗18歳の時)以降、時代を共にした主な武将として名が挙げられるのは豊臣秀吉、その子の豊臣秀頼、織田信長、そして徳川家康、その子である徳川秀忠、孫の徳川家光と、ちょっと挙げただけで錚々たる顔ぶれが並ぶ。こうした中で丁々発止のやりとりをしながら逞しく政宗はその存在感を発揮しながら生き抜いていくのである。

    

 よく「もし政宗が20年早く生まれていたら、天下を取ったのではないか」と言われているそうだ。ところが現実は政宗が本当に力を持った時に、政宗の前に徳川家康が大きく立ちはだかっていたのだった。家康を前にして政宗は丁々発止の仕掛けをあれこれと企むのだが、家康の泰然とした対応の前に、政宗はなすすべに事欠いたというのが、実相だったようだ。そうした経緯を辿る中で、政宗は大望を胸にしまい込み、家康と共存共栄を図る道を選択したようだ。そして、政宗は領地である仙台の地の繁栄に力を注ぎながら、家康と共に歩む道を選択したのである。そして三代将軍:徳川家光の代には家光の後見人という実質的に副将軍の地位を得たということである。
 識者によれば政宗は「類まれなる情報収集力と分析力を持ち、それを基にした決断力があった」からこそ、当時辺境の地であった仙台藩主という立場にありながら、絶大なる権力を発揮した希代の名君として名を馳せたということだろう。
 著者の山岡荘八は、史実に沿いながらも、細部においては氏の創作も巧みに織り込みながら筆を進めたという。そうした創作姿勢が多くの読者の支持を得たということなのだろう。私もおおいに楽しめた全八巻だった。





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