私はこれまで何度か稚内(宗谷地方)を訪れたことがあったが、車で訪れるたびに周辺の風景が北海道の他のところとは違った風景に見えていた。それが氷河が造った風景だとは恥ずかしながらこれまで知らなかった。あの独特の風景が氷河によって造られていたとは…。
少し長くなるが、「周氷河地形」についてガイドブックでは次のように説明している。
「今から1万年ほど前まで続いた氷河期の寒冷な気候条件のもとで、長い時間かけて作られた地形だ。それは、岩石のあいだに浸み込んだ水分が凍結・融解を繰り返すうち、凍結の際の膨張によって岩は砕かれる。また土中の水分が凍ることにより砂礫が持ち上げられ、氷が溶ける際に低い場所へと移動させられる。こうした作用が長い時間をかけて繰り返されるうち、地表面の凹凸が少しずつ埋められ、なだらかで丸みを帯びた地形が形成されていく。」
こうした地形は稚内地方のみならず北海道内各地にあったものと考えられるが、宗谷地方以外は人間の営みによって地形が変えられたり、森林が育つことによって本来の地形が分かりづらくなっているところが多いという。宗谷地方も明治時代の中頃までは周氷河地形の丘陵が森林に覆われていたが、人の手で伐採されたり、何度かの山火事によって樹木が失われ、現在のように樹木がないササ原に覆われ、丸みを帯びた丘陵の姿になったそうだ。
私が「宗谷丘陵の周氷河地形」が良く見える宗谷岬周辺を訪れたのは7月3日(日)だったが、№4で触れたように海霧が発生して遠くを見渡すことができない生憎のコンディションだった。それでも時間の経過とともに霧が薄くなり、なんとか丘陵を見渡せるようになり、独特の風景を思う存分カメラに収めることができた。
※ この一枚は、前日に稚内に向かっていたとき「これも周氷河地形だよ」と思って撮った貴重な一枚です。
「宗谷丘陵の周氷河地形」を堪能するには、宗谷公園(宗谷歴史公園)と宗谷岬公園を繋ぐフットパスルートを通るのが最も人気のコースらしい。そこで私は稚内市から向かったので、まず手前の宗谷公園側から入ることにした。小さな標識に従って入っていくと、直ぐに「白い道」に行き当たった。「白い道」とは、砂利道に地元の方々がホタテの貝殻を細かく砕いて道に撒いたものということだ。その「白い道」が約3kmにわたって続いているのが近年人気となっているという。私は道端の路側に車を置いてひとまず途中までトレッキングしようと歩き始めた。ところが、私の後に次から次へと車が通っていく。これは私のリサーチ不足で車で通過できるのかもしれない、と判断し数百メートルも歩かぬうちに引き返し、車でフットパスルートを往くことにした。
※ 前の2枚は丘陵に上るときの「白い道」ですが、これは丘陵に上り切ったときの一枚です。とたんに風車群が目に飛び込みました。
丘陵の上部に至ると、やがて「白い道」は終わり、アスファルト舗装の道路に代わり周氷河地形の独特の景観が広がっていた。緩やかな凹凸が続き、丘陵の頂上部には多数の発電風車が目に入った。一説によると日本最大の風力発電設備だという。
宗谷岬公園に近づくと、もう一つ周氷河地形を利用した「宗谷黒牛」が飼育されていて牛たちがのんびりと草を食んでいた。
フットパスコース全区間を終えると、そこに「宗谷岬公園」が広がり、そこにも数々の碑が建っていた。
※ 「宗谷岬公園」に立てられていた碑や像の数々をレポします。
◆平和の碑
この碑は、昭和18(1943)年太平洋戦争中に宗谷岬沖で日本海軍とアメリカ海軍が激突し、日本人696名、アメリカ人80名が犠牲となったことを慰霊し、平成7(1995)年日米合同で建立された碑だということです。
◆旧海軍望楼
◆あけぼの像
この像は北海道の牛乳生産量100万トンを突破したことと、飼育乳牛50万頭突破を記念して昭和46(1971)年に建立されたそうです。
◆祈りの塔
昭和58(1983)年9月1日、大韓航空機が北朝鮮によって撃墜されるという世界を震撼する事件が宗谷岬の眼前のサハリン西海域で起き、乗員・乗客269名が犠牲となったことを悼み、昭和60(1985)年に建立された。
◆宗谷岬灯台
※ 宗谷岬灯台が設置されている高台から「日本最北の地の碑」を望んだところです。
※ 宗谷岬公園の高台には海浜植物として貴重なアルメリアという花が地域の人たちの手で育てられていました。
※ 宗谷岬公園内で見かけたエゾシカです。けっして公園で飼育しているわけではありません。稚内では、ここだけでなく人がいるところに平気でエゾシカが出没するということですが、この二匹のエゾシカも大して私を気にする風でもありませんでした。
さらに公園は岬の先端にも「日本最北の地の碑」を始めとする碑や像が立ち、多くの観光客が記念写真を撮っていた。
◆「宗谷岬」音楽碑
「流氷とけて♪ 春風吹いて♪ …」と歌詞で大ヒットした「宗谷岬」の音楽碑が建っていました。
◆間宮林蔵の像
樺太を何度も探検し、ついには「間宮海峡」の存在を発見した探検家・間宮林蔵が宗谷海峡を眺めるように立っていました。
◆日本最北の地の碑
宗谷海峡を望み、岬の最先端に立っていました。
「宗谷丘陵の周氷河地形」は前述したように人為的な要因も絡み今のような景観を造り出していると知った。しかし、今ではそのことが日本最北の地という特異な地理的位置も手伝って独特の寂寥感を醸し出しているように思えた。
※ 今回、道路を走っていると突然のように存在感抜群の植物を目にしました。以前に教えていただいた「エゾニュー」という植物が今花の時期を迎えていました。