講師としての和田哲さんのお話は実に魅力的である。五日前に続き、また和田哲さんの話術を楽しんだ。札幌の路面電車にまつわるあれこれを豊富な知識をもとに聞き手の興味をそらさずに話される和田哲さんとの1時間のミニトリップを楽しんだ。
※ 北海道生涯学習協会の賛助会員約20名が参加してのミニトリップだった。
本日午前、北海道生涯学習協会が賛助会員を対象に「賛助会員の集い」が開催され参加した。今年の集いの内容はタイトルにあるように、札幌の路面電車を貸し切りループ路線を一周する「和田哲さんと巡る札幌路面電車ミニトリップ」という興味ある内容だった。
※ 往時の札幌の路面電車の路線図を示しながら説明する和田哲氏です。
電車は「すすきの」の貸切専用停留所からループ化された路線の内回り(つまり「すすきの」から中心街へ向かう方向)を一周するコースだった。
和田さんのお話は、まず「すすきの十字街」を見渡すように掲げられているニッカウヰスキーの看板の話から始まった。現在掲げられているのは三代目だそうであるが、看板が掲げられたのは昭和44年で、描かれている「ヒゲのおじさん」はイギリス人の公爵ということだが、彼はウィスキーを飲んでいるのではなく、ウィスキーのティスティングをしている図だということである。
※ ご存じすすきの十字街を見下ろすニッカウィスキーの大看板です。
そして「狸小路」のところへ差し掛かると、「狸小路」の命名の由来に触れた。その昔、「狸」とは「遊女」のことを差したそうだ。つまり「狸小路」界隈は昔は遊女がたむろする小路だったことから「狸小路」という名が付いたということだ。また、最近狸小路のところにできた複合ビルの「moyuku」とはアイヌ語で狸のことだということも教えられた。
さらに進んで、「三越デパート」のところに差し掛かると、「札幌三越」同様、全国の「三越デパート」はなぜか駅前通りの一等地に立地しているそうである。じゃあ、札幌の老舗であった「丸井今井」はどうして駅前通に立地しなかったかというと、これはこれで理由があったそうだが、長くなるので割愛したい。
というように、電車の行く先々で和田氏は豊富な知識の中から興味深い小ネタを次々とお話してくれた。
※ 私たちが乗車したちょっと古い型の路面電車です。
札幌の路面電車は往時には札幌市内中心部全域に路線を巡らせていたそうだが、札幌冬季五輪の開催が決まり、地下鉄が整備されるに伴って昭和46年から次々と廃線されていったという。そして残された中心部の現在の路線が2015年にループ化され現在に至っているとのことだった。
それからも和田氏の話は次々と続いた。その全てをここでは再現できないが、印象に残ったお話を2~3紹介することにする。
まず、現在のループ化された線路は一見平坦に見えるが、実にその高低差が約20mもあるとのことだった。何度も電車に乗ったり、周辺を歩いたりしていたが、意外な思いだった。
明治14年に明治天皇が「行幸」した際に、沿線の山鼻小学校の校庭でお休みになられた際に、そこに立っていた木を見て「この木は何という木か?」とお尋ねになったそうだ。そうした経緯からその木はその後「お声がかりの柏」と呼ばれることになったそうだ。その木は現在枯れてしまい、その木の株が山鼻小学校に保存されているという。また、南14条の通りは明治44年に当時皇太子だった後の大正天皇が通られたことから「行啓通り」と呼ばれ、現在もその名が使われている。
※ 途中休憩で立ち寄った電車事業所の車庫には冬になった出番のある名物のササラ電車が格納されていました。
事程左様に和田氏は札幌の街を非常に詳しく調べられている。まさに「街歩き研究家」の面目躍如である。
和田氏は最後に「路面電車のある街は優しく見える」と話された。ゆっくりと街並みを走る路面電車、CO₂を排出しないエコな乗り物、まさにおっしゃるとおりのように思える。和田氏のお話をこれからも機会があれば何度も聴いてみたいと思った。