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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

好漢 野村良太自らの登山の流儀を語る

2023-12-14 16:03:03 | 講演・講義・フォーラム等
 野村良太はこの夜もやっぱり“好漢”だった。けっして対談相手を否定せず、自らの体験や思いを、誇るわけでもなく、照れるわけでもなく、淡々と話す。それがどんなに困難なことであり、快挙であろうとも…。
       
 12月13日(水)夜、札幌駅前通地下広場〔北大通交差点広場〕においてNHKが主催する「未踏峰への挑戦 野村良太のヒマラヤ日記」スペシャルトークが開催され、駆け付けて耳を傾けた。彼の話を聴くのは今年の2月7日、かでるホールで聴いて以来2度目だった。
        
 その際に「近い将来、ヒマラヤの未踏峰のジャルキャヒマール(標高6,473m)に挑戦する」と話されていたが、今回のトークはその挑戦の様子などについて「サバイバル登山家」を自称し活動する登山家:服部文詳氏が聞き手となって対談する形で実施された。
         
 野村良太氏は服部氏に問われる形で自らが登山家になった経緯を語った。それによると、野村氏は小・中・高と野球少年だったという。その後北海道大学水産学部に進学したことで、雪が降るようなところで野球でもないだろうと考え、北海道の自然を体感できるようなサークルを求めたという。北大にはそんな野村氏を満たすサークルとして山岳部、山スキー部、ワンダーフォーゲル部があったが、山に関しては最も緩いと思われるワンダーフォーゲル部を選択したそうだ。
 
 ワンダーフォーゲルの水は野村氏の肌に合ったようだ。山に魅せられ夢中になって山野を巡ったという。しかし、水産学部は3年次から函館に移住しなければならない。彼は意を決して休学届を提出したという。そして3~4年次はアルバイトを続けながらワンダーフォーゲル部のリーダとして部を引っ張り(部長も経験)思う存分山を楽しんだという。
 5~6年次は親との約束もあり、復学して函館と札幌を往復するような生活を送りながら大学を無事に卒業した。しかし、山からは離れられず就職はせずに山岳ガイドに職を見つけて、ガイドの合間に道内の山を登ったり、稜線を歩いたりするような冒険の世界にも歩を進めたそうだ。その延長線上に2023年度に「北海道分水嶺積雪期単独縦断」という前人未到の快挙を成し遂げたのである。
         
 お話の方は今回のヒマラヤ未踏峰の挑戦に移った。今回の挑戦は、北海道の礼文島在住で隊長を務めた齋藤大乗氏からの誘いだったという。野村氏は齋藤氏の誘いに一も二もなく即断して誘いに乗ったそうだ。その後、隊にはジャルキャヒマールに挑戦経験のある2人が加わり4人の遠征隊が組まれたそうだ。その中で野村氏は最年少だったという。
 彼らは挑戦前に八ヶ岳などで2度の事前合宿を行ったという。ここにNHKが割り込んだ。「北海道分水嶺積雪期単独縦断」の際にその記録を放映し大反響があった野村良太の挑戦の様子を再び記録し放送したいと…。そのことについて野村は仲間に了承を求めたところ許しを得たことで今回の「未踏峰への挑戦 野村良太のヒマラヤ日記」の番組が出来上がったという。
 私はこの挑戦の模様について、11月下旬だったか、12月初旬だったかに、タイトルは違ったかもしれないがすでに一度視聴し、野村たちがジャルキャヒマールの登頂に失敗した様子について画面を通して知っていた。
 そこで彼は最年少ではあったが、ヒマラヤ未体験で、高山病などを患ったこともあり、体力のある最年少としての力を十分に発揮できない様子を私は画面から感じ取っていた。そのことを野村もこの日のトークで正直に漏らしていた。また、登頂断念を隊の仲間で相談する際、野村は断念を判断する際に重要な役割を果てしていたと私は見た。苦境に立った時、ヒトはその本質を垣間見せる時がある。野村はそのことを隠すことなく率直に語った。控えめながらも「人間関係ストレスを少なからず感じた」と…。そして「隊の中がギスギスしていた感じだった」と…。そのあたりは15日の放送(後述)の際に観ていただければと思う。
 最後に野村は自身の登山について語った。どこを目ざすかについては「自分の動機で動き続けたい」、「自分の中から湧き出てくるものを追求したい」と…。
 そして「自分はけっして100%まで追い求めない」、「今回の場合も初めての高所で自分の身体がどうなるか不安だった。だから自分の中では撤退したい思いがあった」と告白した。
 自分の将来に向けては、山(自然)に挑みながら、それを伝える「書く」ということにも挑戦していきたいと語った。対談相手の服部氏はそのことを「体で稼ぐ仕事と、脳みそで稼ぐ仕事の二刀流で生きろ」とエールを贈った。
 まだまだ様々なことを語ってくれたスペシャルトークだったが、私にとっては濃密な90分間だった。 
 今回のスペシャルトークで閉口したことが一つあった。会場が狭すぎたという問題点だ。あの520名を収容できる「かでるホール」をほぼ満杯にするほど今注目されている野村良太氏のトークを椅子席僅か44席の会場で行うのはいくらなんでも狭すぎる。私は開会30分前に会場に着いたのだが椅子席に座ることは叶わず合計120分立ち続けてトークショーを聴く羽目となった。私はそれでも立ち席の最前列だったが、私の後方では代子ン雑だったようだ。NHK側にもいろいろと事情はあったとは思うが、もう少し配慮してもらいたかった。
 反対に意外な発見もあった。それは着席できないために、いつものようにノートにメモを取ることができなかった。そこで急遽スマホのメモ機能を使ってメモし続けたところ、意外にもおおよその内容をメモすることができ、今回の投稿にも活かすことができた。案外これからも講演・講座の際には活用できるのではないかと思ったのは収穫だった。
 なお、野村氏関連のNHKの放送がこれから2度放送されることになっている。各種メディアでも予告されているが、本欄でも紹介しておきたい。関心のある方はぜひ視聴していただきたいと思う。
◆「はるかなるひと ~未踏峰への挑戦 野村良太のヒマラヤ日記~」
    12月15日(金)19時57分~20時42分 NHK総合テレビ(北海道特別版)
◆「未踏峰への挑戦 ~野村良太のヒマラヤ日記~」
    12月18日(月)22時45分~23時28分 NHK総合テレビ


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