田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 34 野菊の如き君なりき

2010-11-10 13:33:18 | 映画観賞・感想

 木下監督に「最も好きな作品は?」と問うとこの「野菊の如き君なりき」を躊躇なく挙げたそうだ。それは木下監督にとって封建的な価値観の愚かさを世に問うた作品であったからだろうか…。 

 4回にわたってレポートしてきた木下恵介監督作品シリーズも今回が最終回である。

 木下監督は戦争と封建制に対して大いなる批判精神を映画に込めたということだ。
 さしずめこの映画では農村に根強く残っていた封建制を批判した映画ということになろう。
 下の資料にあるように古い道徳観に縛られた周りの大人たちにとがめられて若い二人は離ればなれにされてしまい悲劇的な結末を迎えてしまう。
 白黒の画面がその悲しさ、むなしさを一層色濃くしてくれたように思えた映画だった。

              
 
野菊の如き君なりき(1955年作品、白黒、スタンダード、92分)

原作は、明治の歌壇で正岡子規に師事した著名な歌人、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」である。数十年ぶりに故郷を訪れた老人の回想が、信州の美しい自然を背景に回想形式で描かれる。旧家で育った少年と、2歳年上のいとこの少女との淡い恋愛が、古い道徳観に縛られる大人たちによってとがめられ、二人は離れ離れにされた上、少女は嫁ぎ先で少年の手紙を握りしめて死んでしまう。その思い出を回想する場面では、木下監督はスタンダード・サイズの画面を、白地の楕円形で囲むという大胆な表現形式を採用し、シネマスコープならぬ《たまごスコープ》と称されて話題となった。この作品では、木下の叙情性がストレートに表現されているとともに、詠嘆的美しさとしての完成度が感じられるものとなっている。主人公に起用された田中晋二と有田紀子は無名の新人で、演出意図に沿った初々しさを十分に発揮している。「キネマ旬報」ベストテン第3位。

 回想シーンを資料では《たまごスコープ》と称しているが、一部ではそうした表現形式を用いた木下監督の名を取り《木下スコープ》と呼ばれたと違った資料は語っている。

 主役の二人はまったくの素人だったが、木下監督はあまり厳しい演技指導は行わずに彼らのぎこちなさを逆に効果的に演出したということである。
 私も実際に観ていて、彼らの初々しさがとても好感を持てたと思った。

        

 最後に楢部氏が気になることを語られた。
 「木下監督は平成の世の中になって一番早く忘れられた監督である」と…。
 この意味するところは、叙情性とか、感傷的な作風というのは、現代の日本人の価値観から一番先に消えていってしまったものではないのか、ということだった。
 せちがらい世の中、心に余裕がなくなった日本人…。
 木下監督が描いた美しい日本、心やさしい日本人はどこか遠くに行ってしまったのだろうか?

 嘆くだけなら誰でもできる。
 私のような名もなき者でも何かできないだろうか…。
 そんなことを考えることができた名作祭だった…。


映画 33 喜びも悲しみも幾年月

2010-11-09 12:04:58 | 映画観賞・感想

 映画づいている私だが、映画は最もコストパフォーマンスが優れているエンターテイメントではないかと思っている。この映画も戦前、戦後の世相を灯台守の生活を追いながら描いて見せる貴重なフィルムである。

              

 今回の日本映画名作祭は「国立近代美術館フィルムセンター」所蔵のフィルムの提供を受けて、全国各地のさまざまな団体が主催する行事のようだ。
 代金は一本500円だからとてもリーズナブルといえる。
 こうした映画祭でなくとも、新作を映画館で観る場合でも私たちシニアは1,000円で観賞できるのだから、映画はコストパフォーマンスに優れている娯楽だと思う。

 さて、この「喜びも悲しみも幾年月」だが製作されたのは1957(昭和32)年ということだから戦後もそれなりの年数を経過してのものである。しかし映画の年代設定は1032(昭和7)年だから、戦争に翻弄された灯台守夫婦の一代記を描いたものだ。

 全国の灯台を転々とする灯台守の生活の過酷さと、海を背景とする美しい情景が映画に大きな陰影を与えている。せっかく慣れたと思ったたら、また新しい任地に赴かねばならない灯台守の宿命は、私自身の現役時代をも投影するような思いで画面を見入った。

              

喜びも悲しみも幾年月(1957年作品、カラー、スタンダード、161分)

ある灯台守の妻の手記からヒントを得て、木下恵介が作り上げた夫婦の一代記である。上海事変の1932年、新婚早々の一組の夫婦が観音崎灯台に赴任した。二人の生活は、戦争に翻弄される日本と同じ苦労をたどる。戦後も一人息子の死や娘の結婚という悲喜こもごもの連続であった。25年にわたる夫婦の姿を通して、木下は『二十四の瞳』と同じように、日本の同時代史を見事に描いてみせる。木下は、日本人好みの感傷を織り交ぜながら波瀾万丈の一代記をうまくまとめ上げ、北は北海道の納沙布岬から南は五島列島の先の女島まで、全国15ヵ所に横断ロケを敢行し、その後のロケ地とのタイアップによる製作方法の先駆けとなった。作品は記録的大ヒットとなり、(おいら岬の~♪、灯台守は~♪)で始まる映画の主題歌も、行進曲風なアレンジによる若山彰の歌唱により多くの人々に親しまれた。「キネマ旬報」ベストテン第3位。

 楢部さんの講演によると、この映画は松竹映画会社が斜陽になりかけたときに、会社の再興を託されて製作されたものだそうである。幸い資料にあるように記録的な大ヒットとなったということだから、木下監督の会社内における立場にも変化をあたえたことだろう。
 また、楢部氏の話から日本における灯台守の仕事は機械化が進み、次々と無人化されていき、ついに主人公も勤めた経験のある五島列島の女島灯台も平成18年に閉鎖され、国内の全ての灯台が無人化されたということである。

 ちなみに講演された楢部氏は昭和30年に松竹に入社し、この映画で初めてプロデューサーの一人として名を連ね、木下監督の映画づくりに関わったということだ。

 「二十四の瞳」でもそうだったが、この映画においても木下恵介監督は登場人物に戦争の愚かさを口にさせている。声高にではなく、静かに語らせるところに木下監督の確固たる信念を見る思いがする。


映画 32 カルメン故郷に帰る

2010-11-08 12:49:25 | 映画観賞・感想

 この映画は松竹映画社の創立30周年記念の映画だそうである。日本映画としては初めての総天然色映画(この表現が時代を表している)だそうだ。   

 11月3日、「二十四の瞳」とともに観たのがこの「カルメン故郷に帰る」である。
 この映画について私の疑問がある。
 それは前記したように会社の創立を記念した映画、しかも日本で初めて全編カラー化された映画なのだが、ストーリーは高峰秀子演ずるストリッパーが主役の風刺喜劇である。
 私などが思うには、「記念作品として相応しい映画なのかなぁ…」というのが率直な感想である。

              

カルメン故郷に帰る(1951年作品、カラー、スタンダード、86分)

国産カラー映画第一作。日本映画監督協会は富士フィルムの委嘱を受けて日本初の長編総天然色映画を企画、松竹の木下恵介をその監督に選んだ。まばゆいメイクと色とりどりの衣装で飾り立てた女優たちが緑豊かな高原で歌い踊る映像に、カラー第一作を手がけた監督の意気込みが感じられる。東京で名を上げたストリッパーのリリィ・カルメンことおきん(高峰秀子)は同僚のマヤを連れて故郷に意気揚々と帰ってくる。芸術家気取りのリリイは、派手な服装と突飛な行動で、若く純情な小学校教師の小川や、盲目の元音楽教師・田口、親切な校長先生、朴訥な父親等を巻き込んで、ドタバタ喜劇を繰り広げる。監督の実弟、木下忠司の音楽が、浅間高原を舞台にした牧歌的なコメディに深い情感を与え、異彩を放っている。この作品で、初めて木下監督とコンビを組んだ高峰秀子は、主役を鮮やかに演じきり、以降、木下映画の中心的ヒロイン像を担うことになる。続編に『カルメン純情す』(1952)がある。「キネマ旬報」ベストテン第3位。

        
        ※ 講演をする楢部一視氏です。

 先の私の疑問について、楢部氏が講演の中でそのヒントらしきことを述べている。
 一つは撮影がオールロケであったということだ。つまり室内セットなどだと当時の技術としては光量不足という問題もあったのだろうか。
 舞台となった浅間山山麓に広がるのどかな風景の中にまばゆいメイクと色とりどりの衣装がカラー映画に相応しかったということだろうか?
 なお、初めての総天然色映画ということで、保険のために(?)白黒フィルムによる撮影も同時に行われたということだ。また、後に大スターとなる岸恵子さんは前年に松竹に入社し、この映画では高峰秀子さんのメーキャップの実験台になっていたそうである。

 高峰秀子さんというと、私などは「知的でちょっと勝気な感じのインテリっぽい女優」という印象なのだが、この映画で「おつむの弱いストリッパー役」とまったく違ったイメージである。
 それはデビュー間もない頃の俳優は会社の方針に逆らえなかった結果ということだろうか?

 楢部氏は木下恵介監督のことを次のように語った。
 「木下監督と同時代を生き国際的評価の高かった黒澤明監督や小津安二郎監督と比べると、木下監督の国際的評価は必ずしも高くなかった。しかし国内的には圧倒的な支持があった。これは木下監督が日本人の琴線をくすぐる感傷的映画を作るのに優れていたことに加え、喜劇でもメロドラマでも、叙情性あふれる映画でも、何を撮らしても秀作を作り上げるという器用さが災いしたのではないか」と楢部氏は分析した。

 なるほど、木下監督は「二十四の瞳」のような叙情性豊かな映画も、この「カルメン故郷に帰る」のようなドタバタ喜劇映画も手がけている。こうした器用さが国際的な評価を上げることを阻んだとは皮肉なことであり、木下監督にとっては不運であった。


映画 31 二十四の瞳

2010-11-07 20:17:55 | 映画観賞・感想

 このところの私は映画づいている。先週木下恵介監督の作品を4本立て続けに観る機会があった。「二十四の瞳」は私が記憶していたストーリーとは少し違っていた…。

 11月3日・4日、札幌市生涯学習総合センター「ちえりあ」では「日本映画名作祭2010」と銘打って木下恵介監督作品4本を取り上げての連続上映があった。
 併せて松竹などでプロデューサーとして活躍した経験のある楢部(ならべ)一視(かずし)さんが「木下恵介監督作品を語る」と題する講演が二日にわたってあり、こちらも聴くことができた。

              

 それぞれの作品について、配布された資料を用いて紹介することにする。

二十四の瞳(1954年作品、白黒、スタンダード、156分)

 壺井栄が1952年に発表した児童小説を、当時気鋭の中堅監督であった木下恵介が脚色・監督した作品。小豆島の豊かな自然を背景に、太平洋戦争をはさんだ激動の時代を、小学校の教師とその教え子たちの成長を通して描き、国民的大ヒットとなった文字通りの感動大作である。風光明媚な島の自然をとらえるために長期にわたるロケーションが行われたことはもちろんだが、セット撮影であることを感じさせず「自然のように」見せる配慮が画面のすみずみまで行き届いていることも見逃せない。小学唱歌のみを用いた音楽も特徴的である。木下はこの作品の成功で、一般には叙情派監督として大きく印象づけられることになった。冒頭の場面と同じく再び自転車に乗って、岬の分教場に向かう主人公、大石先生(高峰秀子)を小さく映し出すラストシーンには、少しも変わらぬ自然、その中を点景のごとく生きていく人間、そして人間の営みに対する木下の思想が集約されている。「キネマ旬報」第1位をはじめ、この年の映画賞を独占した。

              

 この作品もその冒頭10分ほどがYou Tubeで公開されている。興味のある方はこちらをクリックを!(

 木下監督は戦前から監督として活躍していたが、この作品の成功によって名実共に名監督の一人に数えられることになった記念碑的作品である。
 映画は白黒であるにも関わらず、瀬戸内海の小さな島(小豆島)の情景が叙情豊かに表現されている。
 その白黒作品のことだが、当時(1954年 昭和29年)の日本ではすでにカラー映画が上映されていた。木下監督もこの映画に先立つこと2年前に「カルメン故郷に帰る」という映画でカラー映画は体験済みだった。2年後のこの映画がカラー化されなかったということは、予算の関係もあったのではと想像される。

 冒頭、私の記憶とはストーリーが違っていたと記したが、私の中では大石先生と12人の子たちとの分教場での交流の様子が描かれた映画だと記憶していた。
 確かに映画の前半はそうした場面だったが、全体として分教場時代のことと共に、教え子たちと本校へ移ってからのこと、その教え子たちの卒業後の変遷や出征のことなど、そして大石先生自身の変遷と、大石先生の20代から50代までを描いた作品だった。

 映画にはこれでもかというくらい童謡や唱歌が使われている。(歌われている)
 楢部氏は講演の中で、「映画に使われている童謡や唱歌が忘れられてしまったとき、日本はきっとおかしくなっているだろう」と言ったある人の言葉を紹介した。
 そのような時代になりつつあるのではと私は杞憂するのだが、どうなのだろうか???

 


札幌Cafe紀行 43 高級茶房 ひので

2010-11-06 23:59:51 | 札幌Cafe紀行
 南1条西4丁目と札幌駅前通に位置し、地下鉄大通駅にも直結しているという絶好の立地です。高級茶房はどこか懐かしい匂いのするカフェでした。

 道新ホールでフォーラムがあった後、友人と二人で都心にある「高級茶房 ひので」に行くことにしました。
 「高級茶房 ひので」は日の出ビル内にあるということですからビルオーナーが始めたカフェなのだろうと思います。
 カフェは日の出ビル地下一階にありました。

                

 札幌のカフェとしては願ってもない一等地に位置するのですから、創業当時は店名のとおりおそらく高級なカフェだったのでしょう。
 今回訪れてみて「高級」という名に相応しいかどうかは、訪れる人の判断に委ねられるのかなぁ、と思いました。
 というのも、私が感じた印象では高級というよりは、どこか懐かしい匂いがするカフェに感じたからでした。

        

 店内は昔の喫茶店という感じで、特別な高級感も特別館も感じるものではありません。都心にあって、昼休みや休憩時間にビジネスマンがひと時の安らぎを味わう空間には最適なのかなぁ、と思いました。

        

 私は当店オリジナルという「アイスコーヒー」(450円)をオーダーしました。するとオーダーを聞いていたスタッフが「甘いのですか?甘味抜きですか?」と聞いてきました。どうやらこの店では、アイスコーヒーにあらかじめ甘味料をいれたものと、そうでないものを用意しているようです。私は甘味が入ったものをオーダーしました。

        

 出されたアイスコーヒーはやや甘さの勝ったコーヒーのように感じました。
気取りのないスタッフの対応がきっと常連客には人気なのではと思いながら店を後にしました。
 レジの近くにあった銅製の「風船を持った少女の像」が印象的でした。

              

【高級茶房 ひので データ】
札幌市中央区南1条西4丁目 日の出ビルB1F
電  話 011-231-9233
営業時間 8:00~22:00 
定休日  年中無休
座  席 約50席
駐車場  無
入店日  ‘10/10/24



映画 30 「地球交響曲 第七番」再見

2010-11-05 23:07:22 | 映画観賞・感想

 クラークシアターにおいて「地球交響曲 第七番」を再度観た。当然と言えば当然なのだが、先に観たときと印象はそれほど変わらなかった…。              
                            
 10月31日(日)、北大クラークシアターにおいて「地球交響曲 第七番」を恵庭市の上映会(10月2日)に続いて観た。
 2度も同じ映画を観ようと思ったのは、初回に観終えたときに「あれっ?」という印象が残ったからだ。
 私には昨年「第五番」を観たときの印象があまりにも強烈だったために「こんなはずではない」という思いが強かったからだ。

 しかし、正直言って2度目を観終えた後も印象が大きく変わることはなかった。
 それはなぜなのか…。
そのことをこの数日考え続けた。
明解な解答を見出すことはできなかったが、私なりにその原因を考えてみたい。   

 この映画は大きく4部構成になっている。
 一つは「霊性の原風景」と称して、神道の儀式を紹介しながらこの世のすべてを生かす大自然の、目に見えない力について触れている。
 次に環境教育活動家の高野孝子氏に自分の活動について語らせ、三つ目にはツール・ド・フランスの覇者グレッグ・レモン氏に日本の山岳地帯の聖地を訪れ、伝統工芸の匠達に会うために自転車を走ってもらい、その印象を語らせている。
 最後に医学博士のアンドルー・ワイル氏が登場し、人間の自発的治癒力に着目し、統合医療の実践やその考えを紹介している。

 この四つの構成要素はもちろん一つの糸で貫かれているのだろうが、その糸が細いように感じたのは私だけだろうか?
 高野氏、レモン氏が登場した意味も今一つ弱いような気がした。
 最後になってアンドルー・ワイル氏が登場してきて、自発的治癒力について語り、統合医療を実践している姿に接して初めて監督の瀧村氏の意図を窺い知れたと思った。
 というのも、瀧村氏はガイア(地球)の現状は悪性の肺炎を患い、苦しんでいると認識し、その治癒のための智恵や考え方を求め国内外の識者や実践者を探し求めているのがこの映画なのだと私は理解しています。

 瀧村氏は「第五番」で「ガイア理論」創始者のジェームズ・E・ラヴロック氏に次のように語らせています。

 かつて人は生きることの意味を宗教や芸術を通じて問い続けてきました。しかし、今や人々はその答えを科学に求めています。ただ、今の科学はそれに充分に答えていない。しかし、科学にもそれができると私は信じます。私たちが、この地球はひとつの生命体であるということに気づけば、何を大切にしなくてはいけないか、何をやめるべきかという道徳的なこともおのずと見えてくるのです。
         
 この言葉について私は次のように記しました。
「私の理解度は別にして、私はこのラヴロック氏の言葉に激しく同意します。(あっ、こんなふうに書くと激しく反発されそうですね…)
 科学が発達し、人々の教育も行き渡った今、人々はガイアに起こるさまざまな現象を科学的な説明で納得しようとします。その納得の上で私たちは生きる意味も見出していくのです。 
 ただ、その科学の説明が今の段階ではまだ不十分と言うべきなのでしょう。私たちが納得しうる科学の説明がかなり近くまでやって来ていると私は思っていますし、そう信じたいと思います。」

 今回、瀧村氏はそうした問題に対して「霊性」とか「自発的治癒力」に答えを求めました。このことはラヴロック氏の言葉との間に齟齬はないのだろうか?
 私にはそこが腑に落ちない点の一つだった。

 生意気なことを述べたが、私は「地球交響曲」全7巻のたった2巻を観たにすぎないことも事実だ。それなのに勝手に私が解釈し、勝手に期待しすぎていたきらいがあったようだ。だから瀧村氏の意図をどれだけ理解しているのかと問われると自信がない。
 ただ、私には第七番が瀧村氏自身の問いに対する最終章ではないような気がする。
 まだまだ続きがあるようにも思えるのだが…。

            

 それにしては瀧村氏の年齢が気になる。
 何せ御年70歳ということだから少々気なる年齢ではある。しかし舞台挨拶に立った 瀧村氏のエネルギッシュな姿を見るとまだまだ続編を作り続けるエネルギーに満ち溢れているように見えた。
 続編を期待したい!

 ※ あらゆることが動画として配信される時代である。(今日の最大のニュース「尖閣諸島の中国船衝突」のビデオもそうである。この「地球交響曲 第七番」ももちろんその予告編をYou Tubeで見ることができる。こちらをクリックください。(


映画 29 森と水の庭・ウトナイ

2010-11-04 21:34:50 | 映画観賞・感想

 クラークシアター2010において「地球交響曲 第七番」とセットで放映されたのがこの「森と水の庭・ウトナイ」だった。新千歳空港の直ぐ近くに広がる豊かな自然を映し出した映画である。

 映画は空港という現代機器の集積基地のようなところと、その直ぐ近くに広がる手付かずの自然、ほどよく手が入れられた自然とを対比するという形で作成されている。
 空港からほど近いウトナイの自然を一人の女性の目を通して(ナレーター役)、四季の移り変わりを映し出しながら、地域の古老や地域の自然を守る人の語りを入れながらドキュメンタリーフィルムは進みます。

 この映画のダイジェスト版がYou Tubeの中にありました。10分間物なので作品のおおよそを把握することができます。興味のある方はこちらをクリックください。(こちら )  

 「壁男」のときもそうであったように、クラークシアターのような映画祭的な催しの場合、監督などの話が聞けることが一つの魅力であるが、この映画でも、次の「地球交響曲」でも監督の話を直接聞くことができた。

 この「森と水の庭・ウトナイ」の監督は札幌出身で写真家・映像作家として東京を中心に活躍している北川陽稔氏という方だった。
 北川氏は東京から北海道に帰ってくる際、飛行機が新千歳空港に着陸する間際、窓の外に広大な原野が広がり、それと隣り合わせるように新千歳空港の巨大なグレーの敷地を見たときに、この映画を作ろうという構想が浮かんだそうだ。

        
        ※ 自らの作品について語る監督の北川陽稔氏です。

 監督の北川氏は言う。
 ウトナイに残る素晴らしい自然の良さをローカルな視点から伝えることによって、自然を守るというグローバルな考え方が広がっていってほしいと…。

 森にはさまざまな森があるという。
 生活のための森
 人々の心のための森
 ただそこにある森 

 人間と自然が調和を保ちながら、地球環境を守り持続させていくという考え方がこうした動きと共に広がっていくことだろう。


映画 28 禁じられた遊び

2010-11-03 20:07:57 | 映画観賞・感想

 クラークシアター2010で「禁じられた遊び」を観た。1952年公開というから半世紀以上前の映画である。しかし名作は時を経ようとも十分に見応えのある映画だった。

 今年のクラークシアターで鑑賞する4本目の映画が「禁じられた遊び」だった。
 時系列的には「地球交響曲 第七番」、「森と水の庭・ウトナイ」の2本の映画が先なのだが、この2本の映画については腰を据えて述べてみたいと思い、「禁じられた遊び」を先にレポートすることにした。

 映画「禁じられた遊び」は1952年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞しているが(ちなみに一年前には黒沢明監督の「羅生門」が受賞)、あまりにも有名な映画のために多くの人が鑑賞した経験があると思われる。
 ストーリーはこちら()をご覧いただくとして、私の感想的なことをレポートすることにする。

 この映画の根底には監督・脚本のルネ・クレマンの戦争を批判する思いが流れていると聞いていたが、主人公の幼き少女ポレットが戦争によって両親と引き裂かれてしまった状況で展開される映画です。
 そうした状況で出会った少年ミッシェルと二人で教会や墓地から十字架を集めるというやってはいけない遊びをしてしまう。

 しかし、ある解説文では「本当の『禁じられた遊び』とは、大人たちが起した戦争ではないか。ルネ・クレマンはあどけない子どもたちが『死』を遊戯としている姿を描くことで、戦争によってより大きな『死』を争っている大人たちを批判している映画である」と解説しています。
 なるほどと納得する解説です。

 それにしても少女役のブリジット・フォッセー、少年役のジョルジュ・ブージュリーの二人の演技力が素晴らしい!まったく違和感なく私は映画に没頭することができた。
 映画の主題曲「愛のロマンス」とともに大ヒットとなった「禁じられた遊び」は半世紀の時を経てもひとつも色褪せることなく、観るものを感動させてくれる映画だった。

※ 一度投稿した後、You Tubeに映画「禁じられた遊び」のオープニング部分10分間
のフィルムを発見した。興味のある方はこちらをクリックください。主題曲も聴けます。(こちら 


林 心平 × コウモリの人

2010-11-02 14:21:03 | 環境 & 自然 & 観察会
 人々からあまり良いイメージで見られていないコウモリを一心に追いかける中島宏章さんの話はとても興味深かった。話を引き出す林心平さんとのやりとりも楽しく聞けた。

 札幌在住の作家林心平氏が道内に住み特定の動物を一心に追いかける人たちをゲストに招いて、インタビュー形式で進行する札幌市環境プラザのシリーズ企画「林心平 × 動物の人」が始まった。

              
        ※ 「林心平 × 動物の人」シリーズのパンフレットです。

 林氏は北海道新聞の企画で道内に住みながら特定の動物を追いかけている人たちを追った「北海道 動物の人」という連載を25回続けてきた。
 その連載に対する林氏の思いは、北海道の動物の置かれた状況を「動物の人」の言葉を通して浮かび上がらせたかったそうです。そしてまた、好きなことを見つけたら一生かけて取り組んでいいのですよ、ということを子どもたちにメッセージとして伝えたかったと言います。

        
        ※ ゲストにインタビューし話を引き出す林氏です。

 そんな思いから開催されたシリーズの第1回目(10月30日)のゲストは写真家の中島宏章氏だった。
 中島氏はコウモリを追いかける人としてその世界ではかなりの有名な人らしい。
 そんな中島氏だが、コウモリと関わるようになったのはかなり偶然らしい。
 というのも、中島氏は幼少のころから動物が好きで、一つのことに徹底して追求するタイプだったらしい。その彼がコウモリに取りつかれたのは、コウモリと出合ったとき「コウモリの観察を誰もやっていなかった」「誰もやっていないから自分がコウモリの世界を紹介したい」という思いからだったそうだ。

 そうして彼はコウモリを追い続け、今年動物写真界の芥川賞とも称されている「第三回田淵行男賞」を受賞したそうだ。林氏も強調していたが田淵賞は5年に一度の表彰ということで、大変に価値ある受賞のようである。その受賞作品も見せていただいたが、粘り強い観察の末に撮られたコウモリの姿を印象深く組写真に構成されている作品だった。

        
        ※ コウモリを追いかける日々を楽しく語る中島氏です。

 中島氏は言う。
 国内には35種、道内には19種ものコウモリが生存している。
 このコウモリの生態を紹介したい。けっして被写体を商売の道具とは考えたくない。
 動物(コウモリ)の写真を紹介するとき安易に紹介したくはない。バックボーンとしてその動物(コウモリ)のことを詳しく知って(観察して)から紹介したい。
 そして彼の夢は「動物写真界を活性化したい」とのことだった。

 動物写真家として独立してからまだそれほど年数の経っていない中島氏である。
 きっと不安や揺れ動く日々もあるのではと想像されるのだが、明るくコウモリのことを語る中島氏は幸せそうであり、とても魅力的に見えた。

 シリーズは6回に渡って月1回のペースで開催される。
 その他の動物の人にも興味がある。都合のつくかぎり参加してみたい。

北大イチョウ並木 &…

2010-11-01 11:23:02 | 札幌(圏)探訪
 毎年秋の恒例(?)行事で北大のイチョウ並木の黄葉を見てきた。今年の黄葉ぶりはイマイチかなと思われたが、相変わらず見物客は群れをなしていた…。

        
        ※ 空を写しこまないようにと思いながら撮った一枚です。        

 今朝(11月1日)の北海道新聞朝刊でも「今が見ごろ」と記事の掲載があったが、私も昨日クラークシアターに参加しつつ、イチョウ並木を見物してきた。

        
        ※ イチョウの葉をドアップで撮りたいと精一杯近づいた一枚です。

 今年は各地の紅葉が猛暑の影響かイマイチだと報じられているが、北大のイチョウの黄葉もイマイチのようである。中にはまだ黄色く色づかず、緑のままの葉もとろどころ目立った。なのに一方ではかなりの落葉も見られた。
 また、新聞の写真は上空をイチョウの葉で遮るようにトンネル状態の並木を映し出しているが、私はどうしても空が写しこまれるような写真となってしまった。

        
        ※ 人々が群れている感じに見えますか?

 と、黄葉としてはあまり良い状態とは言えなかったが、それを眺めようとする観光客や市民が大挙して押しかけ、まるで観光地状態だった。
 こうして大学構内を開放していただき見物できることは私たち市民にとってはありがたいことだが、大学関係者にとってはどうなのだろう?
 いつまでも私たちがイチョウ並木の黄葉を愛でることができることを願いたい。

        
        ※ 黄色の葉が多い中で紅い色が強烈に自己主張していました。

        
        
        
        ※ こうしたグラデーションに彩られた光景も素晴らしいですね。
        

映像教育の意義

 昨日のブログ「クラークシアター2010」の投稿で、映像教育の意義について4点にわたって紹介したが、「よく理解できない点がある」とのコメントをいただいた。
 項目を羅列しただけではそのきらいがないわけでもない。そこで私なりにもう少し説明したいと思った。(私が理解した範囲において)

映像の制作体験を通して磨かれるスキルとして…
 ①の「映像で語る」だが、これは文字どおり表現したいことを映像という形を通じて表現するということ指していると思う。

 ②の「意思を伝える」というのは、映像の制作過程を通してスタッフやキャストに自分の意思を積極的に伝えようとしないと制作そのものが進まないということになる。そうした態度が制作過程を通して身に付いていくということだろう。

 ③の「意思決定ができる」というのも、制作過程においてはさまざまな段階で意思決定を繰り返しながら前へ進めていくことが求められるが、その意思決定の態度が自然に身に付いていくということであろう。

 ④の「責任を取る」も③と同列に語るべきもので、自らが意思決定したことに対して責任を取るという態度が自然のうちにスキルとして備わっていくということであろう。

 さて、昨日のブログの最後に筑波大の西岡教授が「映像教育が学校教育の中に位置づけられれば」との希望を語ったことに対して、私は態度を留保しました。その理由は?
 トークセッションを聞いていてその意義は理解できたけれど、学校現場を良く知っている自分からすると、学校には解決しなければならない課題を山ほども抱えていて、その中に映像教育が割り込んでいくだけのスペースがあるか、と問われれば答えを「留保」せざるを得ないというが本音である。