田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

大苦戦です

2019-11-20 21:22:15 | その他

gooの事務局よりログインパスワードの変更を求められ、その作業をしていたのですが、IT音痴の私にはそれが大変です。どうもPCから投稿することができません。原稿はできているのですが、PCからの投稿は叶わなく、今日は諦めます。

明日再び試します。


改めて「大友亀太郎」を学ぶ

2019-11-19 17:05:12 | 講演・講義・フォーラム等

 大友亀太郎…、その人、その業績についてはかなり学んだつもりだったが、今回改めて彼について学ぶ機会を得た。新たな発見はそれほど多くはなかったが、それでも興味深いお話を聞くことができた。 

 11月16日(土)午後、東区民センターにおいて「札幌の発展と大友亀次郎の業績について」というテーマのもと「北海道遺産選定記念講演会・シンポジウム」が開催され、参加してきた。実は、昨年11月に「大友亀次郎の事績と大友堀遺構」北海道遺産に指定された。北海道遺産に登録されることを願って運動を展開していた関係者(札幌村郷土記念館保存会・札幌村郷土記念館)にとっては意義深い記念の会だったようだ。その空気を反映して会場は200名を越えようかという参加者で溢れんばかりだった。

          

          ※ 写真のように会場が満杯になるほど盛況な講演会でした。

 講演は「北海道遺産になった大友堀と東区」と題して、札幌市の文化財課の文化財保護指導員の松岡洋一氏によるものだった。

          

          ※ とても分かりやすく大友亀次郎を語ってくれた講師の松岡洋一氏です。

 松岡氏は大友亀太郎が故郷小田原市に生まれ、郷土の偉人・二宮尊徳の門下生としてその思想と実践を学び、その教えを北海道に渡って道内各地に御手作場を開墾することによって尊徳の教えを広く伝えようとした事績をおさらいした。その中で札幌の元村に御手作場を開墾するにあたり「大友堀」という大工事を主導したことにも触れた。さらには明治新政府となり道府札幌の開拓のために来道した島義勇とも交わったが、大友の意志は生かされず志半ばで北海道を後にしたことについてもおさらいした。

 そうした歴史を振り返る中で、私の中で新たなる人物を知ることができた。それは篠路地区(現在の東区篠路)の開墾の祖・早山清太郎の存在である。松岡氏の口から何度も早山の名前が出てきたことから、あるいは大友亀太郎との接点もあったのかな?と思われるが、その点ははっきりとしなかった。(その後、帰宅してから調べたがどうも分からない)

 もう一点私が学んだことが「在住制度」という言葉だった。松岡氏によると、在住制度とは、その後北海道内に普及した「屯田兵制度」の前身だということだが、北海道内の開発を急ぐ明治政府は本州で困窮する農家を北海道の開墾に誘致するための優遇制度を作って北海道への移民を勧めたのが「在住制度」だという。この在住制度において、農民たちは兵士ではなかったが、当時ロシアからの圧力が増大する中で「いざ鎌倉!」の時にはその先兵となる役割も担っていたという。(このあたりは私の聞き間違えの可能性もあり、正確なものでない恐れもあることをお断りしておく)

 松岡氏は講演の最後に今は埋土され宅地化されてしまった「大友堀」跡を古地図にもとづいて検証して歩いたことを報告された。(「大友堀」の一部は、現在「創成川」として残っているが)私もその一部を歩いた体験はあったが、埋土された全てを歩き、そこを写真と共に報告されたことを伺うことができたのは貴重だった。

 歴史に「もし」はないと言われる。しかし、もし江戸時代がもう少し続いていたとしたら、大友亀太郎は札幌のマチをどう創り、北海道開発にどのように関わっていただろうか?と夢想してみることも面白い。

             

             ※ 札幌創成川公園に鎮座する「大友亀太郎」像です。

 それにしても「大友亀次郎の事績と大友堀遺構」が北海道遺産として登録されたことは関係者にとっては大きな喜びであろうことは講演会参加者の多さからもうかがうことができた…。


清宮流マネージメントの極意とは?

2019-11-18 20:37:14 | 講演・講義・フォーラム等

 日本ラグビーフットボール協会の副会長:清宮克幸氏は自らのラグビー人生、特に監督として3チーム(早稲田大、サントリー、ヤマハ)を指導した経験をもとに自らのマネージメントの極意を語った。その極意とは?

  「野村証券札幌支店開設80周年記念特別講演会」における昨日の投稿、第一部の野村ホールディングスの池上浩一シニア・コミュニケーションズ・オフィサーが「グローバル化する世界~新たな時代にチャンスをつかむ日本、そして北海道~」に続いて行われた第二部の日本ラグビーフットボール協会清宮副会長「清宮流マネージメントの極意「情熱、言葉の力、独自性」~人を支え、組織を動かす~」についてレポしたい。

              

 清宮氏は冒頭で今回日本が開催されたラグビーWCの大成功について触れた。日本ラグビーフットボール協会の副会長としては当然のことだろ。ちなみに清宮氏は24試合も観戦したそうだ。さすがである。

 ここで面白いエピソードがある。清宮氏は私たち聴衆に問いかけた。「これは絶対分からないと思うけど…」と前置きして、「日本でラグビーワールドカップを開催しようと最初に言った人は誰でしょうか?」と問いかけ、「もし分かる人がこの中に居たら息子の幸太郎のサイン入りの色紙をあげてもいい。(清宮氏が日本ハムの清宮幸太郎選手の父親であることは有名である)」とけしかけた。私は早大ラグビー部OBで、外交官となりイラクで非業の死を遂げた奥克彦氏であることを知っていた。清宮氏は「誰も知らないだろう」といった顔で何度も問いかけるものだから、私は思い切って手を挙げた。それに気づいた清宮氏は私の自信満々の表情を見て、「こいつは正解を知っている」と悟ったのだろうか、「まあ、いいでしょう」と話し、さっと正解を言ったのだった。「それはないでしょう!何がいいの?清宮さん!」と言いたいところである。

 奥氏は早大ラグビー部で清宮氏の先輩である。奥氏はイギリスに留学していた際にラグビーに親しみラグビーの国際競技連盟(国際ラグビー評議会)の役員にも多くの知己を得たようである。そこから「日本でラグビーWCを開催しないか?」という提案を受け、奥氏と清宮氏は当時の日本ラグビーフットボール協会の森喜朗会長に進言したというのが、そもそもの始まりだと清宮氏は語った。

                

 つづいて話は、ラグビーWC直前に話題となったテレビドラマ「ノーサイドゲーム」のことに移った。清宮氏は「あのノーサイドゲームのモデルは清宮氏が監督を務めたヤマハ発動機である」と話した。清宮氏はドラマの原作者である池井戸潤氏と食事をした際にヤマハ発動機の窮状を話したことがあったそうだ。私は残念ながらドラマ「ノーサイドゲーム」はまったく見ていない。ドラマがどのような内容で、どのように展開をしたのか知る由もない。はたして清宮氏が言った通り「ノーサイドゲーム」のモデルチームがヤマハ発動機なのか、ネットで確かめてみた。すると、視聴者たちの中には諸説があるようだが、私は清宮氏の話を信ずることにしょう。

 さて、肝心のテーマについての話だが、清宮氏はラグビー監督として名将の一人として数えられる方であるが、学生ラグビーの早稲田大、実業団のサントリー、ヤマハ発動機と3チームを率いて、それぞれ日本一を獲得した経験を持っている。(早稲田大の場合は学生日本一)それぞれのチームでのエピソードを交えて、“情熱” “言葉の力” “独自性” を大切にしたチームづくり、選手育成を語った。

 最後に清宮氏は協会の副会長を務めるとともにラグビープロリーグ準備委員会の会長に就任した。そのことに関し、「北海道にもプロチームを作りたい」と明言した。ぜひその実現に向けて尽力いただきたい。

 今日のブログは書き終えてみて、タイトル名に対して「ちょっと羊頭狗肉かな?」との思いをぬぐえない…。

 


世界経済を俯瞰する。そして…

2019-11-17 16:53:06 | 講演・講義・フォーラム等

 それはまるでトークショーと称するようだった。経済の話など、私にとってはいつもちんぷんかんぷんだったが、今回のお話には惹き込まれるように話を聞き入ってしまった。それほど講師の話は魅力的だった。

        

 11月15日(金)午後、札幌文化芸術劇場hitaruにおいて「野村証券札幌支店開設80周年記念特別講演会」が開催された。私に受講資格はなかった(野村証券の顧客が対象のようだった)が、知人が受講券を譲ってくれたので厚意に甘えて受講させてもらった。

 講演は二部となっていて、第一部が野村ホールディングスの池上浩一シニア・コミュニケーションズ・オフィサー(SCO)が「グローバル化する世界~新たな時代にチャンスをつかむ日本、そして北海道~」、第二部は日本ラグビーフットボール協会清宮副会長「清宮流マネージメントの極意「情熱、言葉の力、独自性」~人を支え、組織を動かす~」と題してそれぞれ講演された。

 私は清宮克幸氏の話を聞きに行ったつもりだった。だから拙ブログでは清宮氏の話をレポするつもりだった。しかし、第一部の池上氏の講演にすっかり惹き込まれてしまった私はこのことをどうしても記録として残しておきたくなった。予定外ではあるが、清宮氏のレポは明日アップすることにして、ここでは池上氏のお話にフォーカスしてレポすることにした。

               

 池上氏の肩書は前述したとおり野村ホールディングスのSCOである。つまりは野村證券の顧客に対して株式投資をお勧めするのがその役割である(と思う)。だから投資の話などその資力もない私にとっては関心外のことであった。だから池上氏の話は、清宮氏の話の前座くらいにしかとらえておらず、聞き流そうと思っていた。ところが…。いざ講演が始まってみると、一瞬の淀みもなく滔々と語りながら、その内容も実に明快な話に私はすっかり魅了されてしまった。

 池上氏の話をかいつまんでレポしてみたい。池上氏は世界の経済の長期的な流れは“グローバル化しフラット化する”とした。“グローバル化”については今や各界において常識化しつつあるが、“フラット化”という概念は耳新しく私には聞こえた。つまり、世界の経済の歴史を眺めてみると、20世紀初頭はイギリスの時代であり、やがてそれはアメリカに取って代わられ、20世紀後半になると日本、ドイツが席巻し、今や中国、インドなどアジアの国々が伸長し、近い将来はさらなる新興国や資源国がのし上がってくるとした。つまり世界は経済的には平準化(フラット化)の道を歩むとした。こうした動きは投資家たちの“国際分散投資”の動きを生んでいるとした。

 私は投資の話より、池上氏の新たなる時代の読み方に注目した。それによると、グローバル化し、フラット化した時代に入り日本企業は地球企業に変貌しつつあるとし、さらには農業改革によって日本は世界一の農業国となり、観光業改革によって世界最高の観光大国になるという。そうすると北海道は世界の中心となるのではないか強調された。(道民に対するリップサービスも含まれているか?)続いて外国人の永住権を認める制度によって、日本が外国人にとって世界で最も働きやすい国となれば日本の未来は明るいとし、日本の産業構造の改革で地方が活性化されれば、格差の是正を世界で最初に解決する先進国となり、世界で最も尊敬を集める国になるとした。

 なんだかずいぶんと楽観的な見方にも思えるが、最後に池上氏は忠告も忘れなかった。過去の歴史を謙虚に学べば、過去から現在までの延長線上に日本の明るい未来はないとし、来るべき厳しい未来を予想した上で、現在何をしたら良いかを考えるべきだと指摘した。そのためには、日本から世界を見るのではなく、世界から日本を見る視点が大切であるとした。

 そして投資家に対しては、国際分散投資をしていかねばならないと強調した。

 株の世界のことなど全く分からない。経済のことについても専門家の見通し通りにはいかない場合が多々あるようにも思える。ただ、一つの考え方として興味深く拝聴した池上氏のお話だった。


我が国のアナウンサーの歴史

2019-11-16 20:33:43 | 講演・講義・フォーラム等

 さすがにアナウンサーである。そのクリアな語り口は聴いていても心地良いものだった。お話は我が国のアナウンサーの足跡についての話であったが、私自身の過去が蘇り興味深いお話の数々だった。

  11月14日(木)午後、私が連続受講している「ほっかいどう学」かでる講座の第9回講座が開講された。この日は元北海道文化放送(UHB)アナウンサーの伊藤治明氏が「昭和のアナウンサーについて語ろう~北海道の空を駆け巡った声~」と題してのお話だった。

         

 伊藤氏はUHBでは主としてスポーツ中継などを担当していたが、早期退職をされ現在はフリーのアナウンサーとして活躍されたり、後進の指導に当たられたりしている。

 お話は日本のラジオ放送の黎明期から、昭和年代に至るまで、ちょうど受講者の年代に合わせてお話をされた。話は大正14年3月22日の東京放送局から京田武男アナウンサーが「アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声を放ったことから始まった。北海道内にラジオの電波が流されたのは、それから4年後の昭和3年6月5日だったそうだ。

 話は多岐にわたったが、伊藤氏がスポーツ中継を主としていたことから、スポーツに関する話が中心となっていった。その中で印象的だったのは、北海道内で昭和6年にすでにスポーツ中継が行われていたという事実だった。昭和6年2月16日には「北海道樺太中学生スキー大会」を、同年の7月3日には公認札幌春季競馬の「競馬中継」が実況放送されたということだった。

 スポーツから離れるが、日本で初めてNHKからフリーアナウンサーへの道を拓いた名物アナの高橋圭三アナウンサーの最初の赴任局が札幌放送局だったという事実は意外だった。

 一方、民間放送局の始まりは意外に遅く昭和26年に東京、大阪、名古屋など6局が相前後して放送を開始したという。北海道では翌年昭和27年に「北海道放送(HBC)」が免許を取得し放送を開始したそうだ。その際の面白いエピソードを伊藤氏が明かしてくれた。その当時HBCには男性2名、女性2名のアナウンサーがいたそうだが、誰が第一声を担当するかということになったそうだが、なんとジャンケンで決めたという。その結果、河内寿美子アナウンサーが第一声を担当したそうだ。

 続いて話は民放の深夜放送に移っていった。深夜放送について私はその真っただ中の世代なのだが、田舎で育った私はそうした世の中の流れから取り残されていたようだ。国内的に人気を誇った糸居五郎や土居まさるなどの名は知っていても、道内各局のパーソナリティについてはほとんど知識がなかった。

               

               ※ 深夜放送の名物パーソナリティ土居まさる氏です。

 最後に東京オリンピックの際のアナウンサーについて話が及んだ。東京オリンピックの開会式を担当したテレビの北出清五郎アナ、ラジオを担当した鈴木文弥アナは、スポーツ穴の中でも伝説的な名物アナであり、伊藤氏にとっても憧れのスポーツアナだったようだ。両者の開会式の際の実況アナウンスを再現してくれたが、私にとっても懐かしいお二人の声だった。

 このように私たち世代にとっては懐かしく、自分の来し方を思い出させてくれるひと時だった。はたして来年の東京オリンピック2020ではどのようなアナウンサーが登場し、どのような記憶に残る名言を残してくれるのだろうか?


映画 冒険写真家という仕事 №254

2019-11-15 17:10:19 | 映画観賞・感想

 “冒険写真家”と自称する人たちは「それが性(さが)だ」とでもいうように自らを危険の中に晒す。それはまだ見ぬ景色を、未だ体験せぬ世界を自らのカメラに収めるためにだけ自らを危険に晒す。

                

 11月12日(火)午後、エルプラザにて表記の映画上映会があり参加した。エルプラザでは「エルプラ・シネマ」として毎月上映会を実施しているが、今月はすでに9日(土)に「STAR SAND-星砂物語-」が上映されている。(レポ済み)そのあたりの関連性は不明だが、ちょっと風変わりな題名に惹かれて観覧することにした。

 映画は世界各地で人類がまた見たことのない世界を、カメラを携えて挑んでいくカメラマンたちを追ったものである。登場するカメラマンは全て外国人だったが、活発に活動する火山の噴火口に接近する姿、体長4メートルものジンベイザメの目前で撮影する姿、スカイダイビングをしながら仲間を追う姿、等々観ている方が緊張を強いられるような場面の数々だった。

 映画は2007年に制作され、47分間という短編だった。詳しくは調べ切れなかったが、制作は「TDKコア」という日本の会社のようだ。

          

          ※ 写真は本作とは直接の関係はない写真です。

 映画は前述したように危険な現場を撮影するカメラマンの姿を淡々と追ったものだったが、私にはその制作意図が今ひとつ理解できないままだった。敢えてその制作意図を類推すると、「冒険写真家」という存在のおかげで、私たちは茶の間に居ながらにしてそれまでに見たこともない世界を見ることができている、ということだろうか???


ふるさと動画視聴会 様似町・夕張市

2019-11-14 17:15:22 | 「めだかの学校」関連

 合金鉄を生産する日本電工が稼働していた様似町。石炭産業が華やかなりし頃の夕張市。両市町ともに現在よりは勢いがあった時代のフィルム(白黒フィルム)を懐かしく視聴した。 

 11月11日(月)午後、シニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の「ふるさと動画視聴会」の第2回目は様似町夕張市が取り上げられた。両市町のフィルム共に1965(昭和40)年に制作されたものだった。

           

 様似町は2015年にアポイ岳周辺がユネスコ世界ジオパークに指定されたが、アポイ岳がかんらん岩など特異な岩石に覆われた山であることは当時から知られていて、そのことを町の特産として売り出そうとしていたことがフィルムから伺われた。また、一昨日正式に廃線が決まったJR日高線であるが、当時は様似駅が終着駅だったために襟裳岬へ向かう観光客にとってはバスへの乗り継ぎ駅として大いに賑わったことがフィルムによく映し出されていた。さらには様似町には合金鉄を製造する日本電工の工場があったようで、当時は盛んに操業していた様子は今昔の感を深くした。

          

          ※ アポイ岳には写真のようにかんらん岩がむき出しになっている個所もあります。

             前方がアポイ岳山頂です。

         

         ※ 日本電工の合金鉄を製造する工場が、製造を廃止し残った残骸です。

 個人的には2016年5月にアポイ岳登山、様似山道ウォークなどを体験していたこともあり、古いフィルムではあったがところどころで懐かしい風景に出合うことができた。

            

 夕張市の昭和40年というと、夕張市の石炭産業が最も繁栄した時代といえる。フィルムは夕張の谷から山へ向かって炭坑住宅(たんじゅう)が立ち並び、炭坑に従事する人々の表情が明るく映っていたのが印象的だった。

            

            ※ 往時を写す炭住です。山の麓から頂まで住宅が立ち並んでいます。

 人口的には最盛期は過ぎていたものの昭和40年には85,000余人を数えていたのが昨年(平成30年)実績で8,200人余りと実に1/10に激減している。

            

            ※ あまりにも極端な夕張市の人口の推移を表すグラフです。

フィルムの中でも触れられているが、1965年当時は我が国のエネルギー政策の転換点にあたり石炭から石油に徐々にシフトされていた時期である。そのことから採炭の省力化とか、炭坑からガスを採掘するなどの新しい試みをしていたことも紹介されている。しかし、夕張にとって大打撃だったのは頼みの綱だった北炭夕張炭鉱が起こした1981年のガス爆発事故だろう。この事故によって夕張は炭鉱のマチとしての命脈を完全に断たれた。夕張市の現状を知っているだけに、華やかだった1965年のフィルムを見るのは複雑な思いだった…。

           

           ※ 夕張市衰退の象徴の一つ、廃止された火力発電所の建物です。

 


ミュージカル Little Step

2019-11-13 19:15:19 | ステージ & エンターテイメント

 成人と少年・少女たちが織りなすハートフルなミュージカルを満席の観客と共に楽しんだ。日常的にMob Studioで練習に励む出演者たちはダンスも歌も素晴らしく、感動的なフィナーレを迎えた。

              

 11月9日(土)夜、琴似の生活支援型文化施設「コンカリーニョ」Mob Studioのミュージカル「Little Stepを観劇する機会を得た。

 なぜ私がミュージカルを観劇する機会を得たかというと、現在札幌では「さっぽろアートステージ2019と題して各種のアートイベントが多彩に展開されている。その一環として「札幌劇場祭TGR(Theater Go Round)が行われている。その主催者から観覧券が2枚送付されてきて、観劇の機会が与えられたのだ。11月1日から12月1日の間に32の公演が予定されているが、その中から私がチョイスしたのがミュージカル「Little Step」だったのだ。

 会場のコンカリーニョは座席数200の中規模の施設だが、開演時には満席の状態だった。

         

         ※ コンカリーニョの客席ですが、仮設式の客席のようです。

 私は当初、成人や青年が演ずるミュージカルかと思っていたのだが、実際は前述したようにMob Studioに学ぶ少年少女や、そこで研鑽を積む成人たちの混合チームによるミュージカルだった。内容は、家庭においては両親の不和に悩み、学校においては引っ込み思案のために仲間外れにされるという一人の少女が、あるキッカケから立ち直り、両親の不和もなくなり、学校でも友人たちと打ち解けていくという心温まる(ハートフル)ストーリーのミュージカルだった。

               

               ※ ヒロイン役を演じた久保心和さんです。

 主演のヒロイン桜役(久保心和)は音程をしっかりとり、素晴らしい歌を何曲も謳い上げていたし、他の役を演じた少年少女たちも見事な群舞を披露していた。何より演じている少年少女たちが楽しんで踊り・演じていることが伝わってくるステージだった。

             

             ※ Mob StudioのHP掲載されていた教室生の写真です。

 提供された資料によるとMob Studioは札幌市内各所で教室を展開しているようだ。ということは同種の教室やスタジオが札幌市内にはいくつも存在しているということだろうか?日本ハムファイターズをはじめ、各種プロチームがダンスチームを持っているが、こうした教室やスタジオの出身者たちが担っているのだろうか?

 TGRの観劇券をもう一枚持っている私は、今度は本格的な演劇を鑑賞しようと思っている。

 


映画 STAR SAND-星砂物語- №253

2019-11-12 16:41:47 | 映画観賞・感想

 「“戦わない”という裏切り」をした米兵と日本兵。しかし、作者は「暴力を拒否するのは英雄かもしれない」との思いを強くする。この映画は、静かなる反戦映画であると私には映った。

※ 映画タイトルの前にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の映画の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

                

              ※ 写真上は主演の洋海役の織田梨紗、下は女学生役の吉岡里帆です。

 この映画は11月9日(土)午後、エルプラシネマの11月分として上映されたものである。映画は自らもベトナム戦争に反発してアメリカを去ったロジャー・パルバースが原作・脚本・監督を兼ね2017年8月に公開されたものである。

          

          ※ この映画では主演の洋海役の織田梨紗(上段中央)を錚々たる助演陣が脇を固めた。

 舞台は太平洋戦争末期の1945年、戦火からは遠く離れた星砂が取れる沖縄の小さな離島。日本人の父と日系アメリカ人の母の間に生まれた少女・梅野洋海(16歳)は親類を頼ってこの島に辿り着き、空き家で一人住まいを始める。そのような島の洞窟で軍を脱走した日本人(岩渕)とアメリカ人(ボブ)が密やかに共同生活をしていたところを、星砂を探していた洋海が偶然出会ってしまう。洋海は二人に食料を運ぶなどして親しくなっていく。特にボブと洋海の間には淡い恋愛感情も生まれたようだ。そうした中に、戦争で脚を負傷した岩渕の兄・一(はじめ)が洞窟へやってきて徴兵を拒否した二人を激しくなじる。そして悲劇的な結末が…。映画はここで終わらない。2016年、東京のとある大学に通う志保が卒論制作のため指導教授から推薦された沖縄の離島の歴史を探る中で意外な発見をすることでストーリーは思わぬ方向に発展する。ここから先はネタバレとなるので省略する。

          

          ※ 洞窟内での洋海(織田梨紗)と岩渕隆康(満島真之介)です。

 この映画の主題でもある徴兵を拒否するということが当時はどれほどの反逆罪とされたのか、私には想像もつかない。たまたま私が今唯一連続して視聴している倉本聰作「やすらぎの刻 道」の中で徴兵を拒否するために毒を盛って自殺したり、自ら交通事故を装って重傷を負ったりシーンがあったが、当時においては徴兵を拒否することがどんなに重いことなのかおぼろげに想像するしかないのだが…。作者は自らが徴兵を拒否したことについて二人の脱走兵を通して観客に考えてもらいたいとの思いが滲み出た作品だった。特徴的なことは、作者のロジャー・パルバースがけっして自らの立場を援護(擁護)しようとして映画を創ったわけではないことがスクリーンを通して伝わってきた…。

 


LRT都市サミット札幌2019 記念講演

2019-11-11 21:58:57 | 講演・講義・フォーラム等

 街歩き研究家の和田哲氏が、俳優の石丸謙二郎氏が、女優の村井美樹氏が、それぞれ路面電車の魅力を語った。「人と、まちと、未来と。LRTがつなげる幸せのループ」と題して、それぞれがその魅力を語った。

      

 11月9日(土)午前、札幌市民ホールにおいて「LRT都市サミット札幌2019の記念講演が行われ、聴講の機会を得た。

 LRT(Light Rail Transit)、日本語に訳すと「軽量軌道交通」となる。LRTの解釈は海外と日本では異なるようだが、日本では「路面電車」を指してこう呼んでいるようだ。その路面電車を運行する9つの都市(実際に国内で路面電車を運行しているマチは19都市あるそうだ)の関係者が集まりサミットを開催しているが、記念講演の部分は市民に開放されているということのようだ。

 記念講演は「オープニング映像」、「街歩き研究家 和田哲 トークライブ」、「石丸謙二郎×村井美樹トークショー」の3部構成だった。

 「オープニング映像」は札幌の市電のイメージ映像のようなもので、特にレポすべき点はないように思えたので省略する。

                 

                ※ 札幌街歩き研究家 和田哲氏         

 興味深かったのは「街歩き研究家 和田哲 トークライブ」である。和田氏は最近道内マスコミにも度々登場して札幌のマチの歴史などについて語っているので私もよく知っているが、今回は札幌の市電の歴史について語られた。ボーッと聴いていたこともあってしっかりと記憶には残っていないのだが、札幌市の市電の開業は「開道五十周年記念北海道博覧会」の開催に合わせてそれまでの馬車鉄道から路面電車を運行させる計画が立てられたそうだ。当初は8月1日からの博覧会の開幕に合わせての運行開始を予定していたのだが、資材調達の遅延などのために実際に運行されたのは博覧会が始まってから12日後の8月12日だったという。

 また最盛期には札幌市内を縦横に走っていた札幌の市電も時代の移り変わりとともに、現在は市内をループ状に走る一路線のみとなってしまった歴史を振り返ってくれた。最盛期には電車だけでは足りずにディーゼル車も走っていたという珍しい歴史も披露された。

          ※ 石丸謙二郎氏         ※ 村井美樹氏           ※ 依田英将アナウンサー   

 続いて「石丸謙二郎×村井美樹トークショー」に移ったが、モデレーターというか司会役をHTBアナウンサーの依田英将さんが務めた。二人の話は国内の路面電車に乗った経験からそれぞれの特徴を披露しあった。その中で記憶に残っているのは、富山市のスマートな電車、鹿児島市の軌道の緑化、岡山市のキャラクター電車、京都市の嵐電のこと、等々多岐にわたり路面電車愛を語った。さらには、石丸謙二郎氏が担当するTV長寿番組「世界の車窓から」にちなみ、世界各地の電車について珍しい電車や光景について語った。さらに依田アナが自らの故郷(宇都宮)に敷設中の本格的なLRTについて紹介してくれた。宇都宮で敷設中のLRTは路面電車とは違い、宇都宮と周辺の街を軽快の速度で往来するいわゆるヨーロッパ型の電車で当面15km程度を予定しているそうだ。

 「LRT都市サミット」の趣旨についてはイマイチ理解できていないところもあるが、環境にやさしい交通機関としてその価値が見直されてきている。そうした機運をさらに盛り上げていこう、というのがその趣旨のように思える。莫大な経費を要する地下鉄よりは市電の復活を!という機運が生まれてくるのだろうか?注目したい。