田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌市の都市緑地めぐり⑧ 新川緑地 後編

2020-06-20 14:35:06 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 復路の「新川緑地」は往路の対岸である。それほど大きな差はない。ゴールの西陵橋に向かって黙々と歩くだけだったが、よ~く目を凝らしてみると、右岸独特の光景も見えてきた。

   

   ※ 右岸の散策路の一部には写真のように化粧タイルで舗装された休憩所もありました。

      238,083㎡(ドーム約4.5個分)

  

 新川の左岸沿いには手稲区の住宅街が広がっている。対して復路とした右岸はまだ住宅地としては開発されていないところが多く、「前田森林公園」が目立つ程度で閑散とした光景が広がっている。(もっとも、西陵橋が近づいてくるにつれて右岸にも住宅は目立ってくるが…)したがって、散策路を行き交う人も左岸に比べるとグッと少なくなった。

   

   ※ 新川の最も石狩湾に近い位置に架かっている「第一新川橋」です。

   

   ※ 「第一新川橋」は道央新道が走る幹線のため交通量も多いのが特徴です。

 右岸の散策路でまず気が付いたのが、左岸はアスファルト舗装だったのに対して、右岸にはレンガ風焼成ブロックが敷かれてあったことだ。見た目には焼成ブロックの方がいかにも歩くのが楽しくなる雰囲気がある。ところが長い時間が経つと、ブロックを敷いた隙間から雑草が顔を出してくるのだ。右岸の散策路もブロックを敷いた両側から雑草が進出し、人が独り歩く幅程度しかブロックが顔を出していないところがあった。そういえば「あいの里緑道」の場合も同様だった。散策路の舗装をどうするか?考えるべき問題かもしれない。

   

   ※ 右岸の散策路は写真のようなレンガ風焼成ブロックが敷かれていたのですが雑草が目立ち、人が通る幅しかブロックが見えません。

   

   ※ 本来は幅1.5mくらいにブロックが敷かれているのですが…。

 次に、右岸には樹木の少なく河川敷が広がったところがあった。そこには一面にタンポポが咲き誇っていた。しかし傍によってよく見ると、それは私たちがタンポポと言っているものとは違っていた。茎が空洞状ではなく、針のように細く固い茎なのだ。帰宅して調べてみると、それはどうやら「ブタナ」というタンポポモドキの種だった。しかし、一面に咲き誇る様子は壮観だった。

   

   ※ 一見タンポポと見えたのですが、正式名は「ブタナ」という外来植物(?)でした。

   

   ※ ブタナを大写ししたものです。

 花と言えば、一本だけ高くそびえていたニセアカシアが木全体に白い花をいっぱいに付けた様子も豪快だった。

   

   ※ ご覧のようにニセアカシアの大木には白い花がびっしり付いていました。

 堤防の法面に掲げられた子どもたちの壁画は右岸にももちろんあった。壁画が飾られたある一帯は緑地の造成当時にちょっとした公園風に造られたようだ。壁画の周りは花壇風になっていた。また辺り一帯も花壇のようなものが2~3あったが、いずれもが雑草に覆われていたのが残念だった…。

   

   ※ 右岸にも子どもの壁画が掲示されていました。周りにシバザクラが配されています。

   

   ※ 同じ所には写真のような花壇が配されていたのですが…。

 向かいの左岸から見たとき、堤防の法面の雑草が刈り取られているように見えた、と書いたが、実際に傍に寄ってみると業者がきれいに刈り取った跡が見て取れた。やはり雑草が刈り払われた後は気持ちの良いものである。

   

   ※ 右岸の堤防法面はご覧のように雑草が刈り取られていました。

   

 そんなあれこれを目にしながら、やはり復路も2時間近くかかってスタートした西陵橋に還ってきた。

   

   ※ スタートした地点の西陵橋に還ってきました。

 「新川緑地」の河川敷(散策路)を往復しての印象だが、「中の川緑地」のときも感じたことであるが、私の印象では「緑地」というよりも「緑道」というイメージが強かった。ことほど左様に「都市緑地」とは、さまざまな働き、役割をもったものを総称する名称なのかな?と思えてきた。

 


札幌市の都市緑地めぐり⑧ 新川緑地 前編

2020-06-19 16:45:42 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 自転車で往復1.5時間、ウォーキングで往復4時間。現在の私の体力では十分すぎる負荷だった。川の両岸を往復する単調なウォーキングは気温が高かったこともあり、体力面だけでなく、精神的にもきつい新川緑地の探索だった。 

※ 写真が30枚を大きく超えそうなので、前・後編でレポートすることにしたい。

   

   ※ 新川河川敷の中でも最も木々が茂っていた散策路です。

      238,083㎡(ドーム約4.5個分)

  

  ※ 左端がスタート地点の「西陵橋」、右端が折り返し点の「第一新川橋」です。

 「新川」は明治時代に氾濫を繰り返す地域の治水対策のために掘削された人工の河川である。だから内陸から石狩湾に向かってほぼ真っすぐに掘られている。資料によると、新川は、琴似川と琴似発寒川が合流する地点から石狩湾までの約10kmを指すそうである。

 琴似川と琴似発寒川が合流する地点にはちょうど「西陵橋」が架かっている。私はこの橋をスタート地点と定め、自宅から自転車で「西陵橋」をめざした。自宅からの距離がどれくらいか正確にはわからないが、45分間かかって「西陵橋」の袂に着いた。

   

   ※ ①西陵橋

   

   ※ 「西陵橋」の上から撮ったもので、左側が琴似発寒川、右が琴似川、二つの川の合流点です。中島でのんびり釣りを楽しんでいる人が見えます。

 私は「西陵橋」から、最も石狩湾に近いところに架かる「第一新川橋」を目指して往路は左岸を歩き、袋には右岸を帰ってくるというコースを選定した。

 「新川緑地」は先に訪れた「中の川緑地」と同じく河岸が緑地として指定されている。「中の川緑地」は堤防上に散策路が設けられているが、こちら「新川緑地」は河川敷が広く堤防内に散策路が設けられていたので、私はそこを通って「第一新川橋」を目指した。

   

   ※ 西陵橋の袂、スタート地点にベンチが並んでいました。

 河岸は新川が完成されてから130年以上経っている(1887年完成?)こともあり、木々も大きく成長し、立派な緑地となっている。

 ただそのことがこの日(6月13日)のように気温が高い日には風が通らなく、蒸し暑さが堪えた。気持ち良くウォーキングするには堤防上を歩く方がずっと心地良かったはずだ。ランニングをする人は堤防を走っている人が多かったようだが、それでもこちらの散策路を走っている人も何人か見かけた。

   

   ※ 左上の堤防上を見ながら、河川敷の散策路を走るランナーです。

 新川は西区(厚別区)と北区を分ける境界線でもあるが、川に架かる橋の多さも際立った。数えてみると、7つの車道橋と1つの人道橋が架かっていた。

   

   ※ ②天狗橋

   

   ※ ③稲積橋

   

   ※ ④新川さくら並木橋(最も新しい橋)

   

   ※ ⑤新川中央橋

   

   ※ ⑥前田森林公園橋

   

   ※ ⑦前田ふれあい橋(人道橋) 橋の真下からの一枚です。

   

   ※ ⑧第一新川橋

 また、新川との間で水を出し入れする(というよりは排水機能かな?)樋門も結構目立った。小さな樋門の場合は散策路にも橋が架けられているのだが、大きな樋門になると流れも大きくなり橋が架かっておらず、堤防まで一度上がって通過しなければならない場合もあった。(往路で3度、復路で2度)

   

 ※ このように樋門が大小かなりありました。(数を数えず)こちらは橋が架かっています。

   

   ※ 樋門の水路の水たまりにカモが!おしどりなんですねぇ。

   

   ※ こちらの樋門の水路には橋が架かっていなく、堤防上に上がらされました。

   

   ※ 手稲区の市街地を流れる樽川の水が排出される樋門です。通行不可。

 また、過日探索した「中の川」が新川に注ぐところでは大きく迂回を強いられ、先日渡った中の川の人道橋「ゆたか橋」を再び渡ることになった。

   

  ※ 中の川が新川に合流する地点で迂回を強いられ人道橋「ゆたか橋」を再び渡りました。

   

   ※ 中の川(下側)が新川に合流するところです。

 大きな木々と高い堤防に囲まれ、見通しがきかない中でのウォーキングは単調で、疲れも倍加した。それでも散策路の脇には北海道の花であるハマナス(ちなみに札幌市の花はスズランです)が満開の時を迎え香しい匂いを放っていた。また、いくら河岸とはいえ100年以上も経つと木もここまで成長するのか、と思わせるくらい高くそびえる木にも時々出会うことができた。

   

   ※ 写真のように大木となった木もたくさんありました。

   

   ※ ハマナスの花がけっこう目立ちました。下のハマナスは違った品種?

   

 また、単調な散策路で変化を感じさせてくれたのが、堤防の法面(のりめん)を活用した子どもたちの原画によるタイル製の壁画だった。適度な間隔をおいて時々現れた。壁画には原画を描いた子どもの名前が記されていて、採用された子どもにとっては記念となる出来事だったに違いない。 

   

   ※ このような壁画が等間隔でなんどもお目見えしました。

 一つの気づきとして、左岸の方の堤防の法面はイタドリなどの雑草が繁茂しているのが目立った。一方、川越しに見える右岸の方は業者が刈り取りを終えて黄色く枯れた法面が目に入った。時期的な違いだろうが、あまり雑草が成長しないうちに除去してもらいたいものだ。

   

   ※ 堤防の法面を覆うイタドリの群落です。

 スタートから2時間、折り返し点の「第一新川橋」に到達した。その先散策路は造成されていなかった。ここまでの距離は約7.5キロ。辛さもあって、ゆっくりペースのウォーキングとなった。

   

 ※ 堤防上に建造物が見えたので確かめにのぼってみると、バーコラとベンチがありました。

   

   ※ その横には立派な園名板が設置されていました。

   

    ※ さらに横には新川緑地の案内図が設置されていました。

   

   ※ 堤防上にはゴムチップを固めた脚に優しい走路が続いていました。


倉本聰氏が語るコロナ騒動

2020-06-18 17:21:06 | 本・感想

 脚本家の倉本聰氏は言う。「これは明らかな戦争である」と…。コロナウィルスが我々人類に対して仕掛けてきた戦争であるが、彼らの云い分が何なのかさっぱり判らないという。倉本聰氏の言葉に耳を傾けた。

 またまた「都市緑地めぐり」の連載にサンドイッチするように、今私が気になっているエピソードを取り上げることにした。

 私は過去30数年にわたって月刊「文藝春秋」を愛読している。時宜を得た話題満載でいつも楽しませてもらっている。そして時には私の琴線を揺さぶるような論考に出会うこともある。先日発行された7月号において「コロナ大戦・考 抜けるような本物の空の蒼に」と題して倉本聰氏が一文を寄せていた。その一文を読ませていただき、「ガッテン!」との思いを強くし、ブログの話題として取り上げてみようと思った。

            

 倉本氏はコロナウィルスが人類を攻撃する理由を知りたいと語る。しかし、倉本氏はその理由を十分に分かっていながら、そう言っている節がある。氏は「もしかしたら」と断りながら、「近頃ひんぱんに起こる異常気象や洪水や旱魃、地球高温化や山火事や地震、あれらが彼らの我々に対する警告の意思表示だったのかも知れない」と推測する。

           

 倉本氏は今から43年も前になるが、脚本家として華々しく活躍されていた最中に東京から富良野の田舎に移り住んでいる。その理由は、経済一辺倒で動いてゆく東京から離れることで精神的なバランスを得ることが理由の一つだったと伺った。そしてあの名作「北の国から」を産み出した。

 同じころ倉本氏は富良野において劇団「富良野塾」を主宰している。その「富良野塾」の塾生が演ずる「谷は眠っていた」という演劇の中で、倉本氏は次のように観客に問いかけた。

   あなたは 文明に麻痺していませんか。

 

   車と足はどっちが大事ですか。

   石油と水はどっちが大事ですか。

   知識と知恵はどっちが大事ですか。

   理屈と行動はどっちが大事ですか。

   批評と創造はどっちが大事ですか。

 

   あなたは感動を忘れていませんか。

   あなたは結局何のかのと云いながら、

   わが世の春を謳歌していませんか。

 

 この問いかけは1993年のことである。私はこの問いかけに強く心をゆすぶられたことを憶えている。

 つまり倉本氏はずーっと以前から、文明に麻痺し、何の疑いも抱かずに享楽に堕する人類に対して警告を発し続けていたのである。

 今回の論考において倉本氏はコロナとの戦いに勝つために「孫氏の兵法」を例に挙げてその戦い方を提言しているが、本心はそこにないと私は見る。

 倉本氏の中では、人類が経済至上主義に走り、アマゾンやアフリカの奥地まで踏み入り、コロナの生息地に土足で踏み入るような真似をしたことのしっぺ返しを受けているのだと主張しているように思えるのだ。

 倉本氏は最後に、コロナ騒動で経済活動がストップしたことによって、富良野の空が何十年ぶりに抜けるような本物の空の蒼さを見たという。倉本氏の最後の言葉「経済活動の止った空は、久方ぶりのなつかしい空の色だった」の一言に倉本氏の思いが溢れていると思った。

 何のかのと云いながらわが世の春を謳歌している(?)自分自身を反省しながら…。

 


札幌市の都市緑地めぐり⑦ 石山緑地

2020-06-17 16:28:46 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 特異な形状をもった「石山緑地」は、訪れた者が異空間に誘い込まれたような錯覚に陥る。特にネガティブマウンドと称する「石の広場」はまるでヨーロッパの古代遺跡に迷い込んだようにさえ感ずる。石山緑地は、間違いなく札幌市を代表する公園と言って良いだろう。

   

   ※ 「石山緑地」を代表するネガティブマウンド(野外ステージ)です。

      118,810㎡(ドーム2個分強)

   

 「石山緑地」の場所を説明するのは難しい。これまで何度も行ったことのある私でも今回訪れた時には迷ってしまったほどである。ここでは札幌市南区の石山地区にあるとだけ説明しておこう。

 「石山緑地」の指定は1993年と比較的早くから指定されている都市緑地である。辺り一帯は「札幌軟石」が産出された場所で、明治年間から昭和初期にかけて盛んに発掘された跡である。緑地は中央に道路が走り、大きく北と南のブロックに分かれる。(緑地マップ参照のこと)異空間に誘い込まれたような錯覚に陥るのは南ブロックの方である。

 南ブロックは、札幌軟石の石切り場跡に5人の彫刻家たちが札幌軟石を活用した彫刻やさまざまなテーマの広場を形成した緑地である。

   

 「石山緑地」と刻まれた園名板(石)のところから中に入ると、「芝生広場」、「水の広場」と続く。水の広場には「スパイラルスプリング」という大きな彫刻があり、夏は水が通っているのだが、コロナ禍ということもあり水は通されていなかった。

   

   ※ 緑地に入った直後にあった「手つなぎ石」と題する彫刻です。

   

   ※ 通常はこのスパイラルスプリングの塔の上から水が溢れ出しているのですが…。

   

   ※ そうしたその水がこのスパイラルな水路に流れ込むはずなのですが…。

 続いて、沈黙の森、オブジェ「赤い空の箱」の前を通り「石の広場」に出る。ここに「ネガティブマウンド」と称する野外ステージがある。札幌軟石を用いて円形状に階段席を設けたところなどは中世ヨーロッパの野外劇場を彷彿とさせる。また広場の背景は切り出されずに残った札幌軟石が広場を覆うように見上げるほどの崖状に聳え立っている。

   

  ※ 南ブロックはこうした切り出されずに残った札幌軟石があちこちに顔を出しています。

   

   ※ 東屋風の建物も他とはちょっと違った雰囲気です。

   

   ※ 東屋風の中にあったテーブルです。これは札幌軟石ではないように思われますが…。

   

   ※ 灰色一色の空間の中で、まったく異色、異質なオブジェが目を惹きます。

   

   ※ 「石山緑地」のシンボル、ネガティブマウンドです。高いところから撮るとなおその素晴らしさが伝わるのですが…。

   

 最奥部は「彫刻広場」と称されたところだが、そこにあった彫刻は直線状の同じような形のものばかりでやや期待を削がれた思いがしたのは残念だった。

   

   ※ 彫刻広場です。私が見逃していることも考えられますが、ちょっと寂しい。

   

   ※ この背景が異空間的雰囲気を醸し出しています。

 さらに一帯に配されたベンチなどもオリジナルな形状のベンチが目を引いた。

   

   ※ 緑地内に配されたベンチも磨きこまれた石が鎮座していました。

   

   ※ 緑地内の街灯の基部にも石が嵌め込まれて…。

 続いて北ブロックであるが、こちらはこれまで訪れた緑地と大同小異という感じで、ゲートボール場、テニスコート、コンビネーション遊具などが配された都市公園風の造りとなっていた。

   

 ※ 早くに公園化されたところにはこうした使われなくなったゲートボール場が目立ちます。

   

   ※ テニスコートは崖下にあり、崖のところに札幌軟石の切り出し跡が…。

    

   ※ 子どもたちのためのコンビネーション遊具も備えられて…。 

 「石山緑地」の特に南ブロックは、これまでの私の緑地観を覆すほどのものだった。その土地の特徴を最大限に生かし、異空間とも思える緑地を創り出したことは一札幌市民としても誇らしい思いだ。札幌の歴史を、そして産業を伝える公園として広くPRして良い緑地だと感じた。

   

   ※ 北ブロックにはこのような森の中を散策する通路もありました。

   

   ※ 北ブロックで唯一、南ブロックとの共通点となるモニュメント(?)がありました。

                  


札幌市の都市緑地めぐり⑥ 小金湯さくらの森緑地

2020-06-16 15:47:40 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 文字通り「さくらの森」づくりを目ざしている緑地である。目ざしているというように桜の名所となるにはまだまだ時間が必要である。しかし、緑地全体は気持ちの良いほど整備され、人々が寛ぐには絶好の緑地である。

   

   ※ 緑地内にはこうしたさくらの幼木が等間隔に植えられていました。

 小金湯さくらの森緑地    123,567㎡(ドーム約2.5個分)

   

   ※ さくらの森案内図です。図の左側が定山渓に向かう国道です。

 「小金湯さくらの森緑地」は、札幌市内から定山渓を目ざし国道を走っていると、小金湯という小さな温泉場があるが、そちらとは道路の反対側に広がる緑地である。

   

   ※ 国道のすぐ横に立派な園名石が鎮座していました。

 緑地のビジターセンターにあった資料によると、以前は札幌市の農業センターがあったところだという。平成7年に農業センターが移転となり跡地活用が話題となった際に商工会議所などから「桜の名所づくり」が提唱され、現在に至っているという。

   

   ※ 駐車場も最近できた施設として広々と取られていました。

   

 ※ ビジターセンターです。内部は休憩室とトイレ、事務所(ふだんは不在?)などがありました。

 緑地は国道から小高い丘に向かって長方形の形で広がっていた。訪れたのがさくらの花の季節ではなかったので、さくらの幼木が緑地の中にたくさん植わっていた。資料によると11種、約900本の桜の木が植樹されているという。緑地として指定されたのが2016年で、それから植樹が始まったということなので植わっている木々はまだまだ小さかった。私は2年前のさくらの花の季節に訪れたことがあったが、まださくらの花を愛でるという段階ではなく、おそらく見頃を迎えるにはまだ少し時間が必要に思われる。

   

   ※ 幼木の下部が覆われているのはシカの食害から免れるためでしょうか?(低すぎる?)

   

   ※ こちらもまだまだ幼木ですね。この辺りの芝生はイマイチですが全体は素晴らしい!

   

   ※ このようにさくらの種についての説明板も完備していました。

 さくらの木より驚かされることがあった。それはさくらの木の周りである。芝生がびっしりと敷き詰められ、それがきれいに刈り揃えられて、とても気持ちの良い空間となっているのだ。これだとさくらの花を愛でることはできなくとも、天気の良い日などはピクニック気分で寛げる素晴らしい空間となっていた。

   

   ※ ビジターセンターからさくらの森の中央を一直線に散策路が伸びていました。

   

   ※ その散策路の最終地点にはなぜか愛の鐘(?)が…。

   

   ※ 中央の散策路を反対にビジターセンター方向に撮ってみました。

 緑地内に植樹された木の葉の剪定をしていた女性の方に聞いてみた。すると常時緑地内の維持管理に従事する方が5~6名いるとのことだった。それだから芝生もきれいに管理されるはずだ。そう話している横を自動芝刈り機に乗った男性作業員が通り過ぎて行った。

   

   ※ このように専任でさくらの森を維持管理する方々が5~6人いるとのことでした。

 緑地の奥の丘の上には立派な東屋風の休憩所があり、さらに奥には近くの八剣山も望める展望台も備えられていた。

   

   ※ 森の奥の方にもこのような東屋風の休憩所が…。

   

   ※ さくらの森の最奥部にあった展望台です。

   

 ※ その展望台からは八剣山の特異な姿と、田植えを終えたばかりの水田が目に入りました。

 多種多様なさくらの花を市民が愛でられるようになるには、しばらくの時間が必要だが、現在でも十分に市民の憩いの広場として楽しむことができる「小金湯さくらの森緑地」だと思われた。

 

 


初体験!オンライン中国語講座

2020-06-15 16:15:36 | 講演・講義・フォーラム等

 你好(ニーハオ)、謝謝(シェイシェイ)、くらいしか知らない中国語だが、この度中国語会話の体験講座をオンラインで受講する機会を得た。遠距離のため講師の発音が聞きづらい場合もあったが、中国人の発音を聞きながらの講座はなかなか興味深かった。

       

 道民カレッジの事務局から「中国語教室の体験講座を実施するから受講しないか?」というお誘いがあった。中国語に格別の興味があったわけではないが、コロナ禍で各種講座が軒並み中止となっていた中で、久しぶりの講座ということで参加してみることにした。(回数は当初3回ということだった)

 今日、会場のかでる2・7(道立市民活動センター)に行くと、受講者は8名程度で、各人にパソコンが用意されていた。

 準備されていた資料を見ると、中国の大連にある中国最大のソフトウェア開発企業の一部門である「大連東軟信息学院」というところが今回の講座を用意してくれたという。

 「大連東軟信息学院」はかなり大規模に国際交流や国際協力事業を展開しているようで、会話教室に関しても相当なノウハウを蓄積しているらしい。

 学院側のスタッフは、直接講座を担当する中国語のみを話す女性講師、講座の中で必要に応じて日本語で解説する女性のスタッフ、そして通信機器を担当する男性スタッフという3人で対応してくれた。

 講座は授業用ソフトのZOOMを使って行われたが、まず子音、母音、声調の発音について講師の発音を真似るところから入った。中国語を発音する際に、日本語でひらがなをふるように英語表記がなされる。さらに声調と呼ばれる記号が付されることによって、かなりの発音が可能になるように思えた。

 続いて簡単な会話形式で中国語の単語を教わった。「你好」と「再会(ザイツェン)」、「謝々」と「別客気!」(どういたしまして)というように…。他にも2・3紹介されたが、悲しいかな記憶力が減退していて、聞いた傍から忘れていき、講師との初歩的な会話もままならない状態だった。

 それでも時に会話的なものが成立した時には、講師からOKの指サインが出されると年甲斐もなく嬉しいものである。

   

   ※ なぁ~んと、私は最前列の真ん中に座らされたのでした。密を避けるため隣の机が見えません。

 遠く大連とオンラインで結んでの講座は、設定に時間がかかったり、講座中にトラブルが発生したりと、対面式とは違った大変さもあるが、割合面白い方法だと感じることができた。ただ、詳細は不明なのだが当初3回講座と聞かされていたのだが、今回1回のみということをお聞きし、拍子抜けの感じがした。

 次回には講座中の写真なども添付してレポしようと考えていたのだが、それは不可能と分かり、あわてて私が使用したパソコンを写してお茶を濁すことにした。

 最後に女性スタッフの方が、講座中に受講生のそれぞれの名前の中国語の読み方を表記したものを提示してくれた。私の名前の呼び方はwán wei qing yiだそうだ。(ただし、weiのeとyiのiは正確な表記ではない)

 


札幌市の都市緑地めぐり⑤ 荒井山緑地

2020-06-14 19:12:11 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 緑地の入口に「関係者以外の車両の進入を禁止します」とあった。「えーっ!?市民には解放されていない緑地なの?」と思ったが、冷静に読むと車両の進入禁止である。私は車をそこに置き、そこから自分の足で荒井山緑地を巡った。

   

   ※ 荒井山緑地を象徴する一枚として、丸太階段を登る途中で撮影しました。

 荒井山緑地    88,281㎡(ドーム約1.5個分)

  

 「荒井山緑地」は少年少女向けのスキージャンプ台「荒井山シャンツェ」があるところとして知られている。場所は岩倉山小学校の隣、岩倉山ジャンプ競技場に向かう途中にあるのだが、私は傍を通ったことはあるものの辺りを巡ってみたことはなかった。

 幹線道路から荒井山緑地を目指す引き込み線に入って直ぐのところに、リード文に示すような看板があり、ゲート閉められていた。一瞬戸惑ったが、そこに車を置き、歩いて緑地内を巡ることにした。

   

   ※ この表示に最初は度肝を抜かれました。

 最初に「荒井山シャンツェ」に向かった。舗装道路をえっちらおっちら上った。車で行けたら楽なのだが…。しばらく行くと荒井山シャンツェの管理棟が建っていた。そしてその横には二つのジャンプ台が並んでいた。ミディアムヒル(K点55m、ヒルサイズ62m)とスモールヒル(K点25m、ヒルサイズ25m)だそうだ。二つのジャンプ台共に夏季も使用できるような設備が整ったジャンプ台だった。

   

   ※ このような急な舗装路をえっちらおっちら上りました。

   

   ※ その先にあったのがジャンプ台の管理棟(?)でした。「立入禁止」看板が!

   

   ※ この写真一枚撮るだけの間、ちっょと失礼しました。

 荒井山緑地は緑地マップでもお分かりのように緑地の真ん中にジャンプ台があるだけで、他は何にもない。しかし、子細に見ると別方向に「丸太階段」、「休憩所」とある。私は一度坂を下り、入口の所まで戻って、ジャンプ台とは反対方向を目指した。

 この丸太階段がきつかった。ぐいぐいと高度を増していく。たちまち向かい側に見える岩倉山小学校の校舎が眼下に見えるようになった。

   

   ※ 丸太階段とその横には舗装の坂道も…。私は舗装路を登りました。

   

   ※ 上る途中で見た二つのジャンプ台です。

 途中には「荒井山展望台」があり、そこからは眼下の大倉山小学校、そして遠くには札幌市街地を見渡すことができた。

   

   ※ 荒井山はもともとは市民スキー場だったのですね。

   

   ※ 「荒井山展望台」から見た光景です。

 坂はまだまだ続いた。そしてマップにある休憩所に着いた。休憩所といってもベンチがあるわけでなく、ただのちょっとした広場といった感じである。当初はベンチもあったのかもしれないが、利用者が多いとはとても思えず、朽ち果ててしまったのかもしれない。ただ「大倉山競技場」と書かれた案内板がポツンと立っていた。その方向には確かに森林の中へ向かう細い道が続いていたが、とても踏み込む勇気は持てなかった。「札幌50峰」の一つである荒井山を登られた函館市在住のsakagさんによると、その先に荒井山の山頂標識があるとのことだったが…。

   

   ※ さらに丸太階段は続きました。写真の印象よりずっーと急な坂でした。

   

  ※ 着いた休憩所というところです。大倉山競技場は写真のようなやぶ漕ぎのようです。

 「荒井山緑地」を訪れてみて、緑地が完全に荒井山シャンツェのためにだけに存在しているような印象をおぼえた。ジャンプ場関係者にとっては望ましい形なのだとは思われるが、いかにももったいない思いがした。ジャンプ台の下部の方にマップでは薄く通路のようなものが見えるが、実際には深い雑草に覆われたままだった。ここらあたりを整備して市民向けの散策路を造成するなどすることで有効利用を図っては?と思うのだが…。ただ、二つのジャンプ台のためだけにドーム1.5個分を占有するのはどうなのだろう?緑地の目的そのものからは逸脱はしていないのだが…。

   

 ※ 「荒井山緑地」の下部はごらんのような状況で、とても散策できる環境ではありません。

 そう思いながら緑地を後にしようとしたら、入口で女子中高生のグループに出会った。聞くとジャンプのトレーニングに訪れた、ということだった。未来のオリンピック選手?


防綿毛ネットを取り付ける

2020-06-13 15:51:09 | ボランティア

 ポプラの綿毛が舞い散る季節となった。数日前から「あゝ、今年も綿毛が舞い始めたなぁ」と思っていたところ、昨日には本格的に雪のように舞い始めた。私たちは慌てて毎年のようにART文字のところに防綿毛ネットを取り付けた。

   

   ※ 取り付けを終えた防綿毛ネットです。(手前に綿毛が舞い散っています)

 「札幌市緑地めぐり」ばかりでは食傷気味ではと思われるので、ちょっと違った話題をサンドイッチすることにした。

 私たちが勝手に清掃ボランティアをしている道立近代美術館前の歩道のところにポプラの大木が茂っている。そのポプラが毎年大量の綿毛を辺りに振り撒くのである。そのポプラの木のちょうど真下にあるのが私たちが維持管理しているクサツゲで象ったART文字のところなのである。綿毛がクサツゲの細かな葉に絡みつき、それを取り除くのに毎年難儀していた。(それがどれくらい酷い状態なのか、2016年6月30日付の拙ブログでレポしているのでそれを参照願いたい。⇒https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/e/9b822abb44369a09e23cf4d089bcb028

 そこである会員の発案で2016年からは防綿毛ネット(園芸用不織布)を購入して、ART文字全体を覆うことにしたのである。

   

   ※ 防綿毛ネットを取り付ける前のART文字です。

 今日は通常の活動日ではなかったが、ちょうど例年のようにマンション前の街路樹枡の花壇に花苗を定植する作業を予定していたので、その作業を終えてから急遽、防綿毛ネットを取り付けたのである。

   

   ※ 花苗の定植を終えた街路樹枡の一つです。(花の種類はロベリアです)

 取り付けそのものは、近年はさまざまな便利な園芸用品が発売されていて、ネットを抑える用具で簡単に取り付けることができた。

 これから約一か月、綿毛が舞い散るのが収まるまでART文字を綿毛から護ってもらおうと思っている。


札幌市の都市緑地めぐり④ 天神山緑地

2020-06-12 18:31:18 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 「天神山緑地」は、ある意味で都市緑地の典型的な姿を具現している緑地なのかもしれない。緑深い小さな山には展望広場あり、芝生広場あり、遊戯広場ありとさまざまな設備が整えられているうえ、文化を醸成するための施設、地域の歴史を伝える碑が立てられているなど、満載の緑地である。

   

   ※ 緑濃い散策路が印象的な「天神山緑地」です。

 天神山緑地    64,178㎡(ドーム約1個分)

   

   ※ 天神山緑地のマップです。緑地に囲まれた白い部分は民有地のようです。その中に「天神藤」があります。

 「天神山緑地」は、地下鉄「南平岸駅」から徒歩で15分程度で行くことのできる都市の真ん中にある小さな天神山(標高89m)全体が緑地として指定されているところである。

   

   ※ 立派な園名板(石)が鎮座していました。

 緑地全体は緑がしっかりと保存され、大きな木々に囲まれた中に散策路が張り巡らされている。(緑地マップを参照のこと)

 天神山緑地を特徴づけるのは「天神山国際ハウス」だった。“だった”と記したのは、天神山国際ハウスは国際交流が目的で訪れた外国人が調査・研究・会議などのために宿泊する施設として建てられたのだが利用者減に伴い2008年に閉館となった。その後、同施設の再活用のため国内外のアーティストの活動場所として「さっぽろ天神山アートスタジオ」として2014年にリニューアルオープンしている。国際ハウスだった時代の名残として近くには小さな日本庭園がある。

   

   ※ 「さっぽろ天神山アートスタジオ」(元天神山国際ハウス)の建物です。

   

   ※ 元天神山国際ハウスの傍にある小ぶりの日本庭園です。(下の写真も)

   

 さて、肝心の緑地としての施設だが、国道453号線沿いの駐車場のところから緑地に入ると、大きな木々に囲まれた中に、展望広場、芝生広場、遊戯広場、自由広場(ゲートボール場)などが点在しており、市民が寛ぐ場所として絶好のシチュエーションではないだろうか。

   

   ※ わずかに高くなった展望広場から市内を見渡せます。 

   

   ※ 子どもの遊具を備えた遊戯広場です。

   

   ※ 今やプレーする人が稀なゲートボール場(自由広場)です。

 さらに緑地の一角には「平岸開基120年記念碑」「久保栄文学碑」「平岸林檎記念歌碑(石川啄木)」など、地域の歴史を伝える石碑が立てられている。ちなみに久保栄は平岸の林檎園を題材とした「林檎園日記」を著したことを顕彰されたのだろう。また、石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」という歌を詠んだというが、歌そのものは恋人のことを詠んだ歌なのだが、平岸の林檎のある風景を詠んだことで記念歌碑として採用されたのだと思われる。

        

         ※ 「平岸開基120年記念碑」です。

   

   ※ 久保栄文学碑です。「林檎園日記」と読めます。

   

   ※ 「平岸林檎園記念歌碑」です。歌の部分は経年劣化で読めませんでした。

 また、「天神山緑地」の敷地には入っていないが、緑地に囲まれるようにして「天神藤」という藤園がある。当初は個人の藤園だったようだが、2016年に札幌市に寄贈され現在は札幌市が管理している。今年はコロナ禍のために入園はできなかったようだが、私は2年前の満開時に訪れた経験がある。それは見事な藤色の花が藤棚から溢れんばかりに垂れ下がっている光景に目が癒された経験がある。

   

   ※ 「天神藤」が札幌市の管理下になったことを示しています。

   

   ※ コロナ禍のため入園不可でしたが、望遠で藤棚を撮りました。

 「天神山緑地」は面積がドーム約1個分強と比較的小さな緑地だが、近隣住民が憩うには十分な機能が揃っている。はたしてこの「天神山緑地」が理想的な緑地なのかどうかはまだ判断できないが、リード文でも記したようにある意味で典型的な緑地の一つなのではないか、と今のところ思ってはいるのだが…。

   

   ※ 「天神山緑地」の一角です。

   

   ※ 各所にベンチや東屋、水飲み場などが配置されていました。


札幌市の都市緑地めぐり③ 中の川緑地

2020-06-11 17:06:12 | 札幌市の公園・緑地・緑道

 長~い、長~い「中の川緑地」だった。「中の川緑地」は新川に合流する河口から上流に向かう堤防上を散策路として整備された約4キロにわたる長~く、細~く伸びる緑地だった。

   

   ※ 「中の川緑地」の一つの風景だが、川側は写真のように枡の中で樹を育成していた。

 中の川緑地   126,001㎡(ドーム約2.5個分)

   

 「中の川」は、私が緑道めぐりで訪れた「西野緑道」の山中に端を発し、札幌市の西区、手稲区を横切り、「新川」に合流する所謂「新川水系」に属する2級河川だそうだ。

   

   ※ 中の川(手前)が新川(向こう側)に合流するところです。

 緑地は新川と合流する地点から、上流に約4キロほどの両岸が緑地として指定されているようだ。(正確な情報ではないが)

 私は往路は左岸を、復路は右岸を歩こうと計画したが、JR鉄橋を越すところが左岸の場合大回りしなくてはならなかったため、一部を右岸に移って鉄橋や車道橋(「虎杖橋」と「追分橋」)の下を潜る通路を通ったために、往路が完全に左岸だけとはならなかった。

   

   ※ 「虎杖橋」、「JR鉄橋」、「追分橋」が三本並行で走っているところです。

   

   ※ その三本の橋の下を潜るために橋脚の下へ降りる階段です。

   

   ※ 三本の橋の下を一気に潜って通過するトンネルです。

 私は新川との合流地点から上流に向けて「中の川」左岸のウォーキングを開始した。するととても目立ったのが、すれ違う人の多さだった。老若男女思い思いに散策、あるいはウォーキングに励んでいる人が多かった。周りが住宅地に囲まれている証拠の一つかもしれないが、緑地が住民によく利用されていることがうかがわれた。

    

   ※ 何人もの方に花の名を伺ったのですが、どの方も知らなかった。緑地で目立った。

 そしてもう一つ目立ったのが「人道橋」の多さだった。私が歩いた約4キロの間に実に5つもの「人道橋」が架かっていた。もともと札幌市の市街地を縦断する「中の川」だから橋そのものは当然多くなる。数えてみると「車道橋」は8つ架かっていた。車道橋は当然人も渡ることができるので、両岸の人たちは合計13の橋で結ばれていることになる。この「人道橋」の多さは、緑地造成の際に両岸の人たちが一帯となることを願って造成されたのではないかと私は想像した。

 ちなみに、記録として5つの「人道橋」の橋の名を記しておくことにする。①「ゆたか橋」、②「のぞみ公園橋」、③「望の橋」、④「日時計橋」、⑤「宮富橋」の5つである。ユニークだったのは「日時計橋」である。橋の中央に棒状のものが立ててあり、底面には時刻が刻まれていて時刻が分かるようになっていた。この日はやや薄日だったが、私が通過した午後3時ころには、確かに3時の方向を影が差していた。

   

   ※ 人道橋1号「ゆたか橋」です。

   

   ※ 「のぞみ公園橋」です。

   

   ※ 「望の橋」です。

   

   ※ 「日時計橋」です。

   

   ※ 「日時計橋」の中央に設えられた日時計です。影は3時を差している?

   

   ※ 「宮富橋」です。

 驚いたのは先に示した「緑地マップ」には掲載されていない2つの「車道橋」が存在したことだった。一つは「共栄橋」のすぐ近くにあった「新発寒稲積橋」、そしてもう一つは「追分橋」、鉄道橋と平行して造られた「虎杖橋(いたどりばし)である。「中の川緑地」の告知年が1995年だから、その後になって交通量の多くなり新たな橋が造成されたのだろうか?(調べたところ「新発寒稲積橋」は2015年に、「虎杖橋」は2010年竣工となっていた)

   

   ※ 「虎杖橋」と共に緑地告知年の1995年以降に建設された「新発寒稲積橋」です。

 緑地の施設としては、堤防上であるから大きな造成物は特になく、東屋とベンチが適度に配置されているだけだった。

   

   ※ このような東屋が緑地の各所に立てられていました。

   

   ※ 普通のベンチのほかに、このようなも樹木枡を利用したベンチもありました。

   

  ※ 緑地内の散策路は全てではありませんが、こうしたレンガ色に舗装された通路でした。

 最近、体力の衰えを自覚している私にとっては長い長い往復約8キロのウォーキングだった。(まだまだ長い「新川緑地」が待っているのだが…)

   

   ※ 国道5号線が通る「追分橋」の上はさすがに交通量が多いですね。

   

  ※ 折り返し点となった「上富丘橋」です。これより上流には散策路がありませんでした。