鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ゆゆしき事態、広瀬川!

2015-06-24 15:26:15 | 広瀬川

 

 改めて23日の沖縄慰霊の日で詠まれた平和の詩「平和でしょうか」を読んでみようではないですか。

「みるく世(ゆ)がやゆら」

知念 捷

 

みるく世がやゆら

平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)ど宝」

七〇年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる

七〇年目の慰霊の日

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を

夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

みるく世がやゆら

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉

九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する

一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死

南部の戦跡へと 礎(いしじ)へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった

彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石

戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

軍人節の歌に込め 何十回 何百回と

次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声

無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく

七〇年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう

蒼天に飛び立つ鳩を 平和の象徴というのなら

彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る

みるく世がやゆら

彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が

刻まれた礎に 私は問う

みるく世がやゆら

頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい

六月二十三日の世界に 私は問う

みるく世がやゆら

戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う

気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい

しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを

伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを

みるく世がやゆら

せみよ 大きく鳴け 思うがままに

クワディーサーよ 大きく育て 燦燦(さんさん)と注ぐ光を浴びて

古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ

今が平和で これからも平和であり続けるために

みるく世がやゆら

潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める

みるく世の素晴らしさを 未来へと繋ぐ

 

 きのう仙台うみの杜水族館のマスコミ向けの内覧会がありました。 正式な開館は7月1日です。そうです、みちのくの鮎釣り解禁日です。 先に応募した年間チケットの申し込みが当選していれば、27日か28日には先行して入れたのですが・・・・。

            

 まあこれで暇を持て余すようなことがあったら”水族館”へ!ということになりそうです。 何回も見に行きたいと思わせるような展示内容になっているといいのですが。 何か特色というか特化したものがあればいいのですが、まずは1回見に行ってからですね、話しは。

 

 みちのくの鮎釣りの解禁までようやく、やっとあと1週間となりました。 それで再度牛越橋から澱橋までの広瀬川の区間を歩いて見ようと思いました。 川の様子、川底の様子はどうなっているのか、先のときと変わりはないのかどうか確認したかったわけです。

 スリムウエダーを履いて、完全武装で、もちろん瀬渡杖も持って行ったのですが、途中からなんだこれは!?となってしまいました。

 

         

 何としたことでしょうか?! 広瀬川が濁っているのです。 ほとんど雨らしい雨も降らず、乾ききった感じの仙台周辺です。当然川の水量も増えるどころか減少傾向にあります。 それなのに、この時期川が濁るとは一体どういうことか?

 

 (少し深くなると、川底がまったく見えません。)

 牛越橋の上流の方も濁っています。 上流部で何かがあった、土砂崩れか?河川工事か? ただ三居沢水力発電所から弱々しく流れてくる流れを見ると濁ってはいません。 水力発電用に取水しているのは上流の北堰でしたでしょうか?

                  

                           上の写真の右手前は砂底となっています。

 

 それが正しければ生瀬橋から下流域で河川に関して何かがあったということになります。なんにしてもこの時期に水量の少ない時期に濁るなんて!由々しき次第です。

                

 上の写真の右上の部分が発電所からの流れで、左下半分が本流の濁りと言いたかったのですが、いい写真ではなかったようですみません。

                       

 いつもとは逆の流れとなってしまいましたが、当然分流の流れも濁っています。

         

       

           少ない水量、トンビが舞う晴れた東空。

 

 写真のように夏を思わせる暑い一日でした。 暑いときは爽やかな滝なんかどうでしょうか。マイナスイオンに満ち溢れていた山形県の滝 「玉簾の滝」 です。 撮影は19日です。

      

 幅5メートル、長さ63メートルの清冽な滝です。

  

         

 改めて上から三分割してみるとこうなります。

  

 

 

 『雲ゐより落くる瀧の水かみはそらにながるるあまの川かも』

 『山川のへなでざりせばししにきて見るべきものをこれの瀧つせを』

                       白井千代梅(天保9年 23歳のときの歌)

 この流れは下流にいくと日向川になるというのです。 日向川、月光川は雨が降ってもすぐに濁りや増水は治まり、鮎釣りの穴場ということは聞いています。 1回も行ったことはないですが。 


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