今日新米の「あきたこまち」が20キロ届きました。千葉県柏市の従兄弟からです。毎年送られてきて、重宝しています。
あきたこまちではありますが、秋田県産ではありません。茨城県産のあきたこまちです。あきたこまちは母親がコシヒカリだそうです。秋田県農業試験場の人たちが10年の歳月をかけて交配を繰り返し、あきたこまちを作ったそうです。
茨城県産のあきたこまちが千葉県から送られてきたということです。 「水よし土よし米どころ茨城県。豊かな自然に育まれた大地の恵みたっぷりのお米」と銘打っています。
ここ何年になるでしょうか。釣友の斡旋で東北各地の米を玄米で5袋くらい購入し、その都度食べるぶんだけ精米して食べるようになりました。ありがたいことです。贅沢なこととも思っています。食料を、基本中の基本の食料を備蓄していると思うと安心でもあります。
去年は、福島県産のコシヒカリとあきたこまちを食べてきました。その前は山形県産の何とか、更にその前は本場秋田県産のこしひかりでした。
今年の宮城県産の米の作況指数はやや不漁ならぬ不良ですか、何時から米の豊作が歓迎されなくなってしまったのでしょうか。全くもっておかしな話です。「豊作貧乏」なんて嫌な言葉が出てきましたし、これは明らかに国の、農林省(当時の)の失政ですよ。減反が大きな仕事だなんて、本末転倒もいいところです。
カロリーベースで自給率は40%。こんなことでいいのでしょうか。だれも危機意識を、危機感をもたないのでしょうか。自衛隊を軍隊にしろ、憲法を改正して戦争のできる国にしろとか言ってる輩は、農業を一体何と心得ているのでしょうか。
農業がきちんと国の、国民の基礎、基盤としてしっかりと確立されてこそ、国家というものが成り立っていくのではないでしょうか。 農業を犠牲にして、自動車等を筆頭に工業製品を輸出している、極論すれば、自動車のために農業を犠牲にしているのが現状ではないでしょうか。
抜本的な構造改革をいうのであれば、まず何を差し置いても農業をきちんとすべきです。農業をきちんとしていくということは、自ずと自然環境もきちんとしていく、守っていく、そうせざるをえないと思うのですが。
小泉が憧れてやまない国、魂を売り飛ばしてしまった国、アメリカは巨大な軍事国家、工業国ではありますが、また巨大な農業国でもあります。そういう点ではバランスがとれています。
ヨーロッパ諸国も農業を大切にしています。先進国では日本だけが極めて危なっかしいアンバランスな状態にいるわけです。
日本の農業製品がここまで芸術作品になってしまったのは、消費者である我々の要求、見方、考え方、生活思考のいびつさも一因だと思います。見た目が優先して、市場で値段がついていく。
例えば、きゅうりは極力真直ぐなきゅうりが求められる。曲がりきゅうりでなんら問題はないのに。味には関係ないし、安く買えたりして、私にとっては嬉しいのですが。家庭ではいいとしても、学校給食センターとかでは機会で大量のきゅうりを切ったりしなければならないために、真直ぐなきゅうりが求められるとかいうこともあって、なかなか一筋縄ではいかないのが現状ですが。
でも、そうではあっても、これでいいのだとは絶対にいえないと思います。古い考えかもしれませんが、農業製品は基本的にはレディメイドでいいというのが私の考えです。オーダーメイドは要らない。
これもひとより多く儲けたいと考える人にとっては、到底受け入れられないことでしょうが、農業をあまりに市場化することは止めるべきだと思います。
何か話しが大きくなってしまいました。本当は、今年の新米が届きました、という程度にとどめておくつもりだったのに。