鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

地元での開催なのに、・・・

2015-03-31 21:27:58 | お知らせ

 何でしょうね、この大久保監督の采配、勝ちに行くのを諦めたのかとしか考えられない投手の交代、折角塩見が好投していたというのに・・・・・・・・・。こういう固定的な観念に囚われて自由な発想ができない、柔軟に対応ができない指揮官ではこの先思い知らされます。

   

 はっきり言います、馬鹿じゃないかと。 救援陣が充実しすぎて使ってやらないと困るというくらいなら納得できますが、日本ハム戦でも中継ぎは当てにならないということがはっきりしていたのに・・・・・・・。勝てそうな試合を逃してしまいました。

   

 今年初の地元での第一戦だったのに、それなりにいい試合をしていたのに、ガッカリです。

          

   

 本当の意味での東北楽天ゴールデンイーグルスのファンではないから、こんなことを言えるのだということは重々承知しています。承知していますが、それでも言わなければならない、言わずにいられないということです。 誠に勝手であるということも承知しています。

    

 (澱橋の橋脚の補強工事はきょう3月31日までなのですが、午前中まだ生コンの注入をしていました。)

            

 機械的に投手を交代していくだけならだれにでもできることです。(星野監督時代にも腹がたつ機械的な投手交代がいっぱいあったなあ) 好投している投手を替える時ではあるがもっともつのではないか、この調子なら次の回までもつだろう、信頼して任せてみよう、そういうぎりぎりの期待と選択、そういう監督の苦悩と熱き思いが伝わるような投手交代を見せてほしいなあ、なんて無理な注文をしたりして、なんとお気楽なファン?であることか。 自覚しています。

    

 きょうも午前中の散歩を延長して、広瀬川の上流の方に歩いて見ました。 広瀬川の水量は雪解け水のためでしょうか、結構な流量となっています。 今年の冬は極端な渇水にはなりませんでした。

 だから三居沢発電所からの排水が半ば止まっているとは知りませんでした。

       ①  

 いつもならこの排水口からこの付近の流量の半分近くの水量が流れ出してくるのですが、きょうは静止しているかのような流れとなっていました。

   ②は、①の牛越橋を挟んだ上流側の流れです

  ② 

 ②から道路を挟んで上流側の流れは③のとおりで、4月の桜の開花が待たれるところです。

  ③ 

 この先には水力発電所と三居沢不動尊があります。 三居沢の滝の水量はいつもの感じです。多くも少なくもなっていません。

    

               

  

 さらに上流を目指すと仙台市の施設がありますが、その前に咲いていた花です。

  

                  

 

 沖縄は一体どうなってしまうのでしょうか? 沖縄に対する独裁政権の態度はまさにいじめに他なりません。 独裁政権に逆らえばどうなるか、よく見ておけと言わんばかりの独裁政権のやり方、みなさんはどう思いますか。どう感じますか。 

 いま統一地方選挙が行なわれていますが、知事選等への恫喝に他なりません。 地方分権、地方創生などと言っていてもいかにいい加減なものであるか、あったか分かるというものです。

 県知事や県議会等に、時の政権に従順でなければしっぺ返しを食うという不安や心配がないのでしょうか、これでいいのかという批判や反発は起きないのでしょうか。 沖縄だけの問題だという考えなのでしょうか。

 そうだとしたらとってもゆゆしい問題です。 沖縄の痛みを自分の県の痛みとして感じることができないのでしょうか、想像することは無理なのでしょうか。 あまりに沖縄のことに無関心すぎる、これでいいのかと思いませんか。

 沖縄のことよりも、沖縄に住む日本人のことよりもアメリカを優先している現政権のやり方はこれでいいのですか。 沖縄を見捨てるのでしょうか。 平成の琉球処分となってしまうのでしょうか。

 


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春、万歳!

2015-03-30 16:18:44 | お知らせ

 朝から春霞というか靄(もや)がかかっているかのような、雲のない暖かい一日ですね。 風は少しあったけど、暖かさにはちょうどいいかもというくらい。

 (きのうですか、独裁者の奥方が石巻を訪問して、大川小学校に立ち寄ったそうです。奥方の言動には少しは、ほんの少しは希望があるのですが・・・。悲惨極まりない惨事の原因究明の力になってくれるといいのですが。)

         

 自然界ではタンポポが咲き、モクレンももうすぐ咲きそうです。 朝市ではスイカも出回り、タケノコも、まだ細いですけれど出ています。 もちろん九州産のようですが。

  

    

 今例によってラジオを聞いています。 平日の午後4時からはNHKFM放送を聞いています。 懐かしい音楽を流してくれます。きょう月曜日は邦楽、日本の懐メロ(というには早すぎるかも)を流しているので嬉しくなってきます。

          

 

 あした火曜日は洋楽です。 一番面白いのは土曜日の男女のパーソナリティの掛け合い漫才?が聞かれる番組です。 思い出しました、「ラジオマンジャック」といいます。この番組は掛け値なしで面白い、最高傑作の番組です。

  

 きょうはあまりの天気の良さに誘われるように澱橋を渡って国際センター(SIRA)から西公園方面まで足を延ばしてきました。

   

     (澱橋から中洲と分流方面を眺めたもの)

 国際センターの展示棟の旗の掲揚塔には何も見られません。 かって(そんなに前ではないですが)ここには仙台市旗、日本国旗のほかに国連の旗も掲げられていました。 あの時の喧噪とも言っていいような世界的規模での賑わいは一体何だったのでしょうか、と思わせるくらい今は閑静なところとなっています。

              

 仙台城の隅櫓も落ち着きを取り戻しています。

  

 大橋を渡ると左側に西公園があります。かって天文台があったところは地下鉄東西線の駅(の出入り口)となっています。

 そこに桜の木があります。 愛姫(めごひめ)桜です。 伊達政宗の正室です。

   

                           

 

 ここからは広瀬川を挟んで仙台城の大広間があった場所が見えます。今はそこに伊達政宗の騎馬像が建っています。

                

 西公園では4月からのお花見に備えておおきなテント小屋を準備中でした。

   

              

 この花は梅です。臥龍梅です。 

   

                        

  

              

 

 やっぱり今独裁者が強硬に、がむしゃらに成立させようとしている安全保障関係の整備は何のことはない、アメリカの筋書きの通りに進んでいるということがはっきりしました。

 今までも毎年年次報告という形で宗主国アメリカから諸々の要求を突き付けられていたわけですが、その流れに乗った安全保障法制をさも独自の独裁者の見解であるかのように装って強行突破しようとしようとしていたわけです。

 いかにも51番目の州らしい、属国にならんとしている ”売国奴” の輩のやりそうなことです。 愛国者として独裁者の権力乱用は許せません。 無責任な、したい放題の権力乱用だからこそ、日本を独立国家にするのではなく、よりによって日本をアメリカに売り渡すような軍事力増強や海外派兵を目指す今のやり方は見逃せません。

 自衛隊員のみなさんだって、アメリカ海兵隊の先兵たらんとしていることに賛成なのですか?!真の独立国家の専守防衛路線を目指し、堅持していたからこそ自衛隊員になったのではないかと思います。

 ああそれなのに、 虚しさばかりが漂います。 これではいけないのですが。独裁者の思うつぼなのですが。 自衛隊員だけではなく、日本の勤労者までもバラバラにしてアメリカに習わせようとしているのですが、大きな反対の声は起こらず、一体どうなってしまったのでしょうか、日本国民は。 生意気なことを言っていますが、アジアの一員なのに日本の財産すべてをアメリカに売り渡そうとしている現実をどうみたらいいのでしょうか。 もう身も心もすっかり奴隷根性に染まってしまったということでしょうか。 それではあまりに悲しすぎます。 日本国および日本国民の行く末を心配している天皇陛下に申し訳ないではないですか。

 


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もうタイヤ交換してもいい!?

2015-03-29 20:56:24 | お知らせ

 予報どおりというか、確かに午前中は風もなく陽射しもあって申し分のない天気でしたが、お昼過ぎからは打って変わって曇ってきまして、西空は黒い雲も。 その分にはすぐには雨が降り出さず、3時頃からかパラパラと間欠ワイパーを動かすくらいに雨が降ってきたものの、長くは続かず、夕方から夜となりました。

 今まで撮ったことにないアングルからの写真です。 天気が良かったから撮れたのですが、どうでしょうか?!

 ① 

 澱橋下流、すぐ橋のそば左岸に咲いていた水仙があり、その水仙と市街地のビル群がいっしょに撮れないものかと思い、挑戦したものです。

 咲き誇っている水仙と、広瀬川のトロの流れ、そしてビル群、白い雲の形に自分で撮って自分で驚いてしまった次第です。

 ② 

 ①の方がいいと思います。水仙は中央に映っていない方が少しは奥床しさが感じられ、その分川の流れやビルの存在感が増すかのように感じます。

 

 こちらは毎度毎度のお馴染みの風景。 きょうは11時50分頃の撮影です。

   

 水仙は①のところの水仙で、これから膨らんだつぼみとなって咲こうとしているものが結構あります。

                

         

 

 水仙もここまでくればもう少しです。

            

         

                      咲きはじめました。

                  

  

                   もう自信満々の咲き姿です。

                 

        

 広瀬川流れる岸辺、あの鮎の手応えは消えず、早瀬踊る流れに今年こそ今年こそ、竿を撓(しな)らせ鮎釣り師を、引きずりまわすことを冀(こいねが)う。

  

 河原では若い人たちがたくさん思い思いの遊びに打ち興じていました。 いいものです。

       

 午前中子どもがタイヤの交換をしていました。もう大丈夫かとは思いますが、みなさんはもう終わりましたか。まだノーマルタイヤで走っている人は少ないですが、来週の土日曜日当たりはタイヤ交換ラッシュとなることでしょう。

 それはいいのですが、一体独裁者はどう判断するのでしょうか、アジアインフラ投資銀行A I I Bへの参加問題です。 

 いよいよ残るは日米のみとなってきました。 まあアメリカの属国としてはアメリカの言うなり、従うより他ないのでしょうね。 そもそも独自の判断なんてないのですから。 宗主国に嬉々として従うしかないのですから。 アメリカと心中するつもりでしょうか。心中できるのなら本望だなんて思っているのかも。 

 独裁者の脳みそは、AIIBよりもアメリカでの演説、どれだけ媚を売ろうかと演説内容のことで頭は一杯なのでしょう。

 日本は乗り遅れるだけならまだしも、もしかしてアメリカは日本の頭越しに”参加を表明する”かもしれませんよ。 ニクソンの訪中のときのように。 アメリカは日本が思うほど日本のことを思ってはいません。日本の涙ぐましいくらいの片思いが通じる相手ではないですから。自国の国益については冷徹に計算しているでしょうから。 いつ梯子を外されるかわからないのでますます媚を売り御追従を繰り返えさざるをえない悲しさ。

 やはり所詮日本はいまだにアメリカの占領下にある主体性のない51番目の州であるということなのでしょうね。 独立国というのなら、いまだにこれだけのアメリカ軍の基地があり、思いやり予算まで貢いでいるということをどう考えますか。

 


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終わってしまった、マッサン

2015-03-28 14:10:09 | お知らせ

 終わってしまいましたね、NHK朝ドラ”マッサン”。 ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻リタ(テレビではエリー)との国籍を超えたウヰスキー造りに掛けた愛情物語。

              

 最初は夫婦で見ていたのですが、いつしかnewoneひとりで見るようになっていました。

 

                 

 余市のニシン漁に従事していた熊虎たちの会津魂も出てきて、なおのこと興味を持ったりしたのですが、やはりニッカ(テレビではドウカ DOUKAH?でしたっけ)ウヰスキーは余市のほかに地元宮城県旧宮城町(現仙台市)にもウヰスキーの工場を持っていたからです。

 (ニッカウヰスキー工場は26日の撮影です。)

 

      

 

          

 40年以上も前の話になりますが、当時のウヰスキーといえば断トツでサントリーでした。サントリーの角もそうですが、何よりもオールドですか、確かダルマという愛称で言われていたウヰスキーがありました。

 

 あまりの売れ行きに、当時からオールドには醸造用アルコールがたくさん使われているのではないか、でなければあんなに出荷販売できるはずがないとまで言われていました。

      

 そういうこともあり、ウイスキーを飲むときには極力サントリーではなくニッカウヰスキーにしていたものです。鮎同様天邪鬼ですから。 せいぜいブラックニッカだったかな。たまにスーパーニッカも飲んだことがあったりして・・・。

                           

 でもその当時のあこがれはジョニーウオーカーだったかな。ジョニ赤とジョニ黒がありましたね。半分以上は税金だったようですが、ジョニ赤のほうが安かったかな。高嶺の花の輸入ウイスキーでした。

      

 きょうで放映は終了したのですが、最後の台詞は、『この手、離すなよ』でした。 終わりの言葉としてはなかなか味わいのある言葉と感じました。 その二日前だっかな、いよいよエリーが御臨終のときの言葉 『死ぬことも新しい冒険』 、これもいい言葉ですね。終活を考え始めている身としてはよくよく味わっておかなければならない言葉のように感じました。

                             

 振りかえればエリーの好きな言葉とでもいうか、よく発する言葉に 『大丈夫、大丈夫』という言葉がありました。 将来に不安や心配があっても、臆することなく前に進みなさい、何とかいい方向に行きますという励ましの言葉でしょうか。

      

 

 何という天気でしょうか!!部屋の中が暑いくらいに感じます。22度くらいあるかな。 予報では19度とかで、きのうの18.7度よりも暖かくなるということでした。

   

 広瀬川分流の流れは”春の小川”と言った感じです。

   

 草や木々の目は今か今かと満を持して待っているようです。

          

  

 水は透き通り、陽射しを浴びてキラキラと照り返し、早く魚が集まってくるのを待っているかのようです。

    

     

 きょうも飛行機雲がたくさん見られました。 みなさん、意識して空を見上げていますか?やはり、上を向いて生きること、笑顔を絶やさないこと、大切なことですね。

 

 飛行機を見ると、無性に乗ってみたくなります。 どこか遠くに行きたい!とううことの表れなのでしょうか。

             

  

            

 


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外で昼寝したいくらい、

2015-03-27 15:14:56 | 思いつくまま

 いやあ、きょうの天気最高です。 全国的に暖かいようですが、これだけいい陽気だと気分まで本当に明るくなります。 浮遊感に満たされます。

   

  雲ひとつない青空。 よくよく見ると長い雲は飛行機雲。 青空に映るは飛行機雲のみ。 

   

 風もそよ風。 午前中から堤防のベンチでは寝ている若者もいました。 河畔では尺八の音色も聞こえます。 

           

 

 きのうは居なくなったなあと書いたばかりなのに、広瀬川分流にはカモがいました。 単独に2羽のカモ。 仲良くできなかったのでしょうか。

         

  トンビは我が物顔で飛び回り、好きなところで止まります。 

   

 こんなときは河原に寝転んで思う存分雲と戯れる!なんて最高でしょうね。 またベンチに座ってビールを飲むというのも堪えられません。 きょうの陽気はそれほど素晴らしかったということです。 3月27日金曜日、万歳!万々歳!! 近くの学校の土手群れてに咲いていました。 こういう時期なのですね。

             

  あまりにも素晴らしい陽気のきょう27日なので、このブログを書きながら缶ビールを飲んでいます。 正確には発泡酒ですが。 

  

 今3時25分、まだまだ暖かい陽気が部屋の中まで入ってきます。 そしてきょうはプロ野球の開幕日です。 この調子で夜のプロ野球、楽天VS日本ハム、楽天が則本の好投で勝ったりしたらもう申し分のないきょう3月27日ということになります。

  

 このような陽気が続くのであれば、川に入りたくなります。 広瀬川の年券を買って、毛鉤の流し釣りでもしようかなとまじに思った次第です。

 天気のお蔭か、午後の役員会もすんなり終了しました。

 

  花粉症さえなければ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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痴呆の進行を遅らせるために、

2015-03-26 16:31:26 | お知らせ

 いい天気です。 花粉がなければもっといいのですが。 ドライブ日和でもあります。 でも河原で遊ぶ子どもたちの姿が見えない。 午前9時30前後のことですが。

 そうそうきょうの前にきのうのことです。 いいことがありました。 当たりです。

          

 この写真のお蔭でしょうか? プロ野球楽天の試合の招待チケットが当たりました。

       青葉区民招待  

 市政だよりに載っていたので、妻が応募したのですがまさか当選するなんて!!私はこういう類のものには応募はしないのですが、たまたま運がよかったのか、応募する人が少なかったのか、何にしても こいつは春から縁起がいいや ということです。

 二人分ですので当日は観戦してみるつもりですが、ナイター観戦はもとより、そもそも楽天の試合を見に行くのが初めてのこととなります。 4月10日金曜日 

 この日は午前は会計監査か、午後一番は定例会がありますが、夕方から夜は空いているので丁度良かったです。 でも寒いでしょうね。 二重三重に寒さ対策をしていかないと。

 きょうのいつもの決まりきった写真はサイズが小さいです。 なぜか? 何だとおもいますか? どういう訳かピンボケだったのです。いつもはこんなことはなかったのですが・・・。だから小さくして、ボケが分かりにくくしました。 (タイトルのぼけとは異なります。)

              

   

 天気はいいし、水量もちょうどいいくらいあり、しかも川底が洗われきれいになっていますので、とっても気持ちがいいです。

          

 残念なのは小魚が見られないということです。 それとカモたちはもう飛び立って行ったのでしょうか。 このところ全く見られないようなのですが・・・。 ちょっとさびしいですね。

          

  

     

 そうそうどうしたのでしょうか、きょうは木曜日というのに澱橋橋脚の補強工事は休みの様でした。 余裕があるのかな。 3月31日前に工事は完了ということなのでしょうか。

 

 またきょうは雲がきれいでした。 東の空には雲は見られなかったのですが、西側や西北方面には変わった雲が見られました。

  

      

 

 きのうも引用したのですが、どの新聞にもあるんでしょうが、川柳です。この場合は「朝日川柳」ですが。 毎日7句掲載されます。 そしてとっても簡単な選者の解説がつきます。

 どういう風に利用しているかというと、まず自分で7句を読んで何を言わんとしてるのか、社会や政治の何を風刺しているのか、揶揄しているのかを想像するわけです。 それから解説を見てみるという流れです。

 これはどれだけ社会で来ている事柄に対して興味があるか、知ろうとしているかその尺度にしようとしているということです。 ゆくゆくは選ばれた人以上の優れた”川柳”を作りたいなとは思っていますが、まあ当分は無理でしょう。

 きょうの7句はこんな感じです。

 ①「積極的解釈してたまでのこと」 (神奈川県・東  親佑さん)

 ②「菅笠に表情隠して威嚇する」  (徳島県・三原 茂雄さん)

 ③「耐え難きにキレれて沖縄打って出る」 (大阪府・宮本 一夫さん)

 ④「海の底の『武蔵』見つめる辺野古沖」 (長崎県・前田 一笑さん)

 ⑤「我が軍と言われて照れる自衛隊」 (埼玉県・吉村恵巳子さん)

 ⑥「戦争を桜で飾る愚か者」 (神奈川県・高斎 誠さん)

 ⑦「桜より一足早く舞う黄砂」 (東京都・長峯 雄平さん)

 こんな具合で、安倍首相の解釈改憲や我が軍発言、いつも冷酷と言っていい感じで記者会見に出ている菅官房長、安倍以上に隙がないだけに怖い存在です。レイテ沖で発見された戦艦武蔵(日本人による発見ではないのですね)、艦と共に運命を共にした英霊はどう思っているでしょうか。桜好きな日本人の性癖を改めなければならないのかもしれません。それにしても⑤の川柳は傑作ではないですか。災害時の救助のためということで入隊した人たちは辞めるのかどうか、入隊希望者も減ってくるのかどうか注目です。

 情けないことに全く何を言っているのかと思うような川柳もあり、自分の勉強不足を思い知らされたりしています。


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本音が出ました!

2015-03-25 14:22:58 | お知らせ

 陽射しがあり、空は青く、白雲が浮いているのに、風は強いです。 ガラスで風を遮るととっても暖かい。

   

  

 強いと言えば、今年は何が何でも強くなってもらわなくてはいけないのは、そうです、東北楽天ゴールデンイーグルスです。 きのう戦の神様、大崎八幡宮にユニフォーム姿でお参りしました。

       

 お参りは恒例となっていますが、ユニフォーム姿でのお参りは去年についで2回目?かな。果たして今年の楽天はリーグ一、日本一を目指して暴れまくってくれるかどうか。

 去年が最下位でもう怖いものはなにもないはずですから、徹底的にがむしゃらに戦ってくれることを祈るばかりです。 上品さなんていりません。 不格好でいい、田舎者でいい、ひたすら刃向っていって欲しいですね。

           

 きょうから学校は春休みのようです。きのうの午後帰ってきた子どもに話しかけたら、嬉しそうに答えてくれました。 小学生は河原に出て思いっきり駆け回って欲しい、動き回って欲しいですが、午前11時過ぎに河原に行ったときは子どもたちの姿は見かけませんでした。

  

 行こう行こうとは思いつつも寒さ?が邪魔をして行けませんでしたが、きょう午前本屋に行って来ました。 そろそろ鮎関係の雑誌が出ているのではないかと思ったのですが、「鮎マスターズ28」以外は見つかりませんでした。 あったけど去年出版の雑誌でした。

     

 私は4年併記の家計簿ならぬ支出内訳簿みたいなものを、B5版の大学ノートを利用して線を引いて使っているのですが、今丁度4年目なので前3年分の支払い一覧が分かるので面白いです。

 それによると、一番早く発行される雑誌は例年「ダイワ鮎マスターズ」です。今年は3がち13日に購入しましたが、去年は9日の購入となっています。 そして2012年の3月18日には「アユの友釣り最先端」を、2013年の18日は「最先端の友釣り」という雑誌を買っています。

 

 2012年の23日は「鮎友釣り秘伝」を、同年26日は「鮎釣り2012」を買っています。こやってみると去年は例年と比べて販売というか発行が遅くなっていますね。 ま、楽しみはとっておくということになりますか。

 その代りに買ってきたのは、新年度を迎えるということで気分も新たに、NHKのラジオ講座のテキストです。 今年に入ってから語学講座を真面目には聞いていなくて、これじゃよくないなと反省しているところです。

   ①    ② 

 ラジオ英会話と英会話トライアングルは、まあ何とか聞いてはいるにですが、こちらは再放送ということもあって真面目さに欠けていました。

   ③    ④ 

 4月からは新しいテキストを使うようなので、こんどこそまじめなnewoneらしく毎日聞いて行こうかなんて思っている次第です。 ものにしようなんて思ってはいません。耳になれて置く、ハングルも中国語もnewoneにとっては””親しみのある言語””であるということになっていけばそれでいいのです。 (そのうちいつしか日本語は使用禁止になっているかもしれませんよ?!)

 ①と②の英会話は聞いているとなるほどなあとその合理性等に感心することしきりですが、頭には入ってはいないのですね、これが。 うまいこと表現するものだと頷くことが多いのですが、ということは学校英語の表現とは異なるということでしょうが、それが面白いのです。

 

 ここからが本妻ならぬ本題です。 (SとDは配列が隣り合わせなのです)

 きのうの新聞に小さく載っていました。きょうも載っていました。

 20日の参議院予算委員会で、維新の党の真山勇一氏が自衛隊と他国との訓練の回数を訪ねた時の答弁で、長州の安倍は(こともあろうに) 『わが軍の透明性を上げていくことにおいて、大きな成果を上げている』 と語り(語るに落ちた?)、直後は 『自衛隊は規律がしっかりしている』 と続けた、そうです。

 いままで自民党は自衛隊は軍隊ではない、だから憲法違反ではないのだという立場をずーととってきたわけですが、第二次安倍独裁内閣においては怖いものなしですからついつい気が緩んで本音が出てしまったのでしょう。 

 なにを言っても許されるから、正しくは許されないのですが、どんなことを言ってもお得意の詭弁強弁はぐらかし誑かしで追及をかわし続け、およそ誠意のかけらもない一方的な言動で乗り切ろうとする、およそ知性の感じられない傲慢不遜な態度からくる気のゆるみが言わせたのでしょうか。

 もしかしてわざと間違った、本音を言ってしまったかのように見せかけて周囲の国民の反応を見ているのかもしれません。知性はみじんも感じられませんが、そういう策略には長けているのは確かですから(取り巻き連中の入れ知恵かも)。

 ここまでくると、防衛庁 から 防衛省 へ、そして 国防省 へ、陸上自衛隊は陸軍、海上自衛隊は海軍、航空自衛隊は空軍へ、つまり国防軍と名称も変更していくことになるのでしょう。

 3月22日ですか、防衛大学校の卒業式の内閣総理大臣の「訓示」を読みましたか?新聞では報じられていなかったようですが、首相官邸のHPで検索できます。 結構長いのです。内容があって長いのであれば読む意義もあるのですが、はっきり言ってつまらない内容です、でも読んでみました。

 内容云々はそのうちにとはおもっているのですが、そのなかで自分は偉いのだということを、誇らしげに3回も言っていました。

 『自衛隊の最高指揮官として、大変頼もしく、大いに誇りに思います。』 『最高指揮官として、常に、心に刻んでいます。』  『自衛隊の最高指揮官として、感謝に堪えません。』 ⇒ 国防軍の最高司令官として、となるのはいつか?

 訓示を読んで思い出したことがあります。 10年くらい前かな、こういう総理大臣がいました、小説の中ですが。 総理大臣になってやりたかったこと、それは70余年前明治神宮外苑で行われた雨の中での学徒兵の出陣式で、何とかしてそういう場面を作ってそこで出陣する学徒兵を閲兵したい、そのために無謀な政治的な策略を用いてついに念願かなって壮行式を実現するという物語。 光文社のカッパブックスだったかな。

 戦後の日本を否定し、戦前に戻ろうとする長州の安倍にしてみれば、全くあり得ないことではない、と思ってしまうことが恐ろしいことです。 でもそれを吊るして、いや許しているのが国民だから、何とも言えません。

 まあそうではあっても、まだこういう人がいるうちはましなのかもしれません。 朝日川柳からです。

 『この私「我が軍」最高司令官』 (千葉県・村上 健さん)

 『「我が軍」はまさにしっかり粛々と』 (東京都・酒井 武利さん)


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陽射しはあるのですが、

2015-03-24 15:55:40 | お知らせ

 空気は冷たいです。 時折小雪ならぬ、小雨が降ったりもしました。

    

                 (午前8時20分過ぎはこうでした。)

                         

 

                            

   

 午後1時20分に東北楽天ゴールデンイーグルスが大崎八幡宮に必勝祈願をするという情報が入り、少しだけ行ってみようかなという気にはなりましたが結局は行きませんでした。仕事がてらある市民センターへ行くことにしました。

    (川底もきれいです。)  

              

 

 まあ、今年の東北楽天は再開は脱出することでしょうと思っていますから。どんなことがあってももう最下位は御免ですね、本当に。

        

 

 深夜か、早朝か、降った雪は周りの屋根瓦を白くしていました。 そういう中荘厳な朝日が周囲を照らしながら登ってきます。

                     (6時20分頃)

               

 そのためいつもより少し早く河原の散歩に行ったのですが、河原の雪はほとんど消えていました。 残念です。

 

 きょう釣具店からシモツケの鮎のカタログが届きました。

             

 興味があったシモツケの竿はこれです。 BLACK VERSION POWER+ です。

 【ブラックバージョンを越える獰猛なパワー。盛期の大鮎急流河川専用ロッド。】

     

 ブラック バージョン SP 90 ; 下野メインフィールドテスター橋祐次が盛期のトーナメントをより効率よく闘う為にブラックバージョンを独自の試合経験を元にさらにパワフルチューニング。一般的なトーナメントロッドでは太刀打ち出来ない押しの強い流れをテンポよく攻略する為に誕生した。

 8本つなぎ、標準自重260g 先径1.8&2.0 定価230,000円

 重さは260gと、今どきの竿にしては軽くはありませんが、個人的には軽さだけを追求した竿は好きではありません。今使っている竿の平均的な自重は280g前後ですから、それから言えば軽い方です。

 それと穂先が2本付いていることがいいですね。この頃はダイワやシマノは穂先は1本しかついていないのが多いようなので、2本付いているというのが現代では光っています。

        

 対談、いや鼎談の中で言っています。 『 バット重視の目方っていうのは、自重をみたら重いんやけど、実際使ってもらうと、・・・・。手元が重いというのはすごい使いやすい。 楽だよ、楽だよ  しゃんとしている。 』 

 まあnewoneとしてはこの竿で”振り子抜き”をマスターできればなあなんて考えてはいるのですが・・・。   どうなりますことやら・・・・・・


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見たか、薩摩!

2015-03-23 15:48:49 | 思いつくまま

 はじめにお知らせです。 去年の11月から旧市立病院でも数週間にわたり撮影されたテレビドラマ「松本清張 黒い画集ー草ー」が3月25日水曜日に放送されます。

 もっとも仙台では見られません。そのうち在仙の民放テレビで放送してくれることを待ち望むだけです。 テレビ東京開局50周年記念 を飾る最後のテレビドラマです。

 丁度仙台市立病院が新しいところへ引っ越したばかりで、使われなくなった旧市立病院を借り切っての撮影はそれなりに楽しかったですね。外は寒かったけど、中は暖房が効いていたし。

 3月25日の午後9時からの放送です。 視聴が可能な方はぜひご覧ください。剛力彩芽、村上弘明等が出演しています。

 県内で撮影されたフジテレビのドラマ「女医 倉石祥子4」はいつ放送されるのでしょうか。こちらは県内でも見られる(仙台放送か)ので楽しみです。片平なぎさ、小池鉄平等がでています。

 でも一番”トラ”として出て見て楽しかったのはやはり去年の夏の「海街ダイアリー」ですね。美人ばかり揃いましたから。 綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、成瀬すずだったか。

    

                          

     

 寒いです。きのうまではもう春本番も間近かなとさえ思えたのに、一気に冬に逆戻りです。 これが三寒四温でしょうか。 暖かい天気と寒い天気が交互にやってきて、暖かさが勝ち、桜が咲き、そして夏になる。 ちょっと気が早いか。

          

  

 午前中の河原は風が冷たく、マフラーが欲しいくらいでした。そして午後になると何となんとナント雪が舞いはじまるではないですか。 一時止んだかなと思ったのですが、外を見ると屋根瓦はすでに白くなっているじゃありませんか。

  

 タイヤ交換はまだ早いと天気予報で何度か言っていましたが、やはりその通りのようです。もう少しの辛抱ですね。

   

 

 春の選抜高校野球、予想通り仙台育英学園は勝ちました。 相手はあの薩摩の神村学園です。何ともすごい恐れ多いような名前の学校ですが、そういう地名があるのでしょうか。 

 しかもその得点、何となんとナント12点です。 よくもまあ取りに取ったりです。 そこまでしなくてもと思わないでもないくらいです。 しかも神村学園は無得点です。結局は完封してしまいました。 育英のピッチャーは結構荒れていたのですが、何とか投げ切ったようです。

 神村学園には恨みつらみは全くございません。ございませんが、薩摩と聞けば絶対に負けられない!と思わずにいられません。 だから勝ってよかった。 大差で勝ってよかった。 完膚なきまでに打ち勝ってよかった。 完封して勝ってよかった。

 みちのくの人間として、奥羽越列藩同盟にすむ人間として薩長には負けるわけには行かないのです。 こういう機会をとらえて、ことあらばギャフンと言わせなければならないのです。  積年の恨みつらみを晴らさなければなりません。

 この拙いブログの愛読者ならばnewoneが薩長に対してどう思っているか、どんな言動を繰り出してきているかお分かりかと思います。 似非官軍に賊軍とされ、その後も薩長の思うがままに振り回されてきた、虐げられてきた恨みは晴らさでおくべきか! みちのくの人間としてたかだか150年前の屈辱を忘れるわけにはいきません。

 歳と共にこういう感情は強くなってきました。みちのく人としての血が流れているのだなとしみじみ思います。 そう強く思わせるように仕向けたのは他ならぬ長州の安倍ですが。

 今読んでいる本で気付かされたことがあります。newoneのこの薩長に対する感情というものはこういうものかと、ハタと納得した本があります。    (敬称:略)

       「日本戦後史論」です。① 

 この若手政治学者白井聡の本を読んだことがありますか。 今どきこんな若手の政治学者が出てきたことに敬意を表する次第です。 頭が切れる、よく戦後を分析したなと思わせてくれたのはこの本です。

      ②  ””全国民必読””の本です。

 今の日本の政治状況、社会状況から日米関係についてこれでいいのか?このままでいいのか?と真剣に考えている人は是非とも読むべき本です。 1700円+8%でちょっと高いかなと思うかもしれませんが、内容は遥かにそれを上回っています。 太田出版です。

 ちょっと話がずれてしまいました。 白井聡について書こうとしているのではありません。①の相棒の内田樹です。 内田が①の本の中で面白いことを言っていたのです。彼の本を読むようになったのは、この本を読んでからですね。

  ③  この本を手にとってから興味が出てきました。

 次に読んだのがこれです。

    ④   出版は④のほうが先ですが。

 ①の「日本戦後史論」のなかで内田は白井を相手に縦横無尽に語っていますが、その中でこんなことを言っていました。

 『戊辰戦争から敗戦まで、帝国政府は東北のコントロールに失敗してきました。今でも失敗し続けている。僕(=内田)は四代前が庄内藩、三代前が会津藩という濃密に東北人の血筋ですから、家族の中に流れていた反権力・反中央の暗い情念は実感としてわかるのんです。父や伯父たちに取り憑いていた「東北の人間はこの世の中では決して浮かび上がれない」という虚無感僕の世代まで無言のうちに伝わっていましたから。でも、そのルサンチマンが戦争を駆動していったという仮説はうかつには口に出せない。そんなことを言ったら、東北人に対する国民の憎しみを掻き立てることになるし、明治維新以来の中央政府による東北差別を逆に正当化することにもなりかねない。現に、戦後も福島原発事故処理に至るまで、東北はつねに中央から見捨てられ続けてくるわけです。』 (P 47-48)

 『(藩の意識は)東北が強いですよ。敗軍のルサンチマンは深いですよ。自分たちは賊軍の末裔だから、どんなに努力しても社会的上昇の機会が制約されているのだということは、東北人のベースにあるのです。原敬が奥羽越列藩同盟の藩士の最初の宰相ですけれど、彼の号は「一山」です。「白河以北一山百文」という東北の無価値を侮った俗諺からから採ったのです。原がついに爵位を受けずに「平民宰相」と言われたのは、別にデモクラティックな立場からそうしたのではなく、薩長政府からの爵位など受け取れるかという敗軍の意地だったのです。』 (P 54)

 そのほかにも一杯発言していますが、とっても面白い発想です。私のうやむやなものがはっきりとなってくるような、そうなのか、そうなのだと納得できる発言なのです。

 

 やはり本は読まなければだめですね。ハウツー本もいいけれど、反知性主義の蔓延る現代だからこそきちんとした本を発見し読んでいかないと。発見するためには時の権力に迎合するようでは最初からアウトです。 政治権力と一体となっている、政府広報と化しているような新聞やテレビを見ているようでは問題外です。 権力は隠します。嘘をつきます、そう思うことが前提です。

 政治権力やマスコミの力に一方的に従うのではなく、まずは疑ってみる。本当にそうなのか??何か隠していないか??常日頃からそういう批判精神を養っておかなければなりません。 でもこれは難しいです。 忍耐力が必要です。 常にアンテナを張っていないといけないし、情報に流されるのではなく、いわば時代と孤独な格闘をするつもりの覚悟が必要なのかもしれません。情報があり過ぎるというのは、逆にある意味恐いことですよね。

 そのようには思うのですが、実際はなかなかそのようには行っていないのが偽らない現状です、正直に言えば。  お恥ずかしい次第です。 偉そうなことは言えません。

 

 いつしか雪は止み、屋根瓦の雪も消えているようです。


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春ですねえ~

2015-03-22 15:09:26 | 広瀬川

 きょうも風もなく暖かい陽気となっています。 その割には河原で子どもたちの走り回る元気な叫び声はあまり聞かれません。 午前10時頃ではまだ早かったのかも。

 

 (20日だったかな、若い人が紙飛行機を一度にたくさん飛ばそうとしていたことがあります。一度に5,6機くらいをまとめて風上に飛ばしていましたが、うまく飛んでくれることはなかったです(見ていた範囲では)。)

             

    

 その代り堤防をランニングする人たちは結構多いです。 若い人が圧倒的ですが、中にはゼエゼエいいながら、本当に苦しそうに走る中年過ぎの人もいて、なんでそんなに無理して走る必要があるのかと逆に心配となります。

          

  

 何が何でも健康志向が一番ということなのでしょうか。 若くはないのだから程々にしないと何のために走っているのか分からなくなります。

       

 私は走りません。走ったらすぐに足がもつれます。だから歩くだけです。歩くのは割と自信があります。大股で早歩きが好きです。 長時間は無理ですが。

             (また出現しました。 広瀬川の賽の河原)

  

 調子のいい時には、かわらの広いところで””逆歩き””をしたりもします。逆歩き、つまり後ろ向きに歩くのですが、普段使わない足の筋肉を使うので効果がありそうです。 それに光景が遠ざかりつつなるのを見ながら歩くのは面白いです。

 

 きょうは澱橋橋脚補強工事は休みです。

 

                              

 

 川の水は止まりませんね。 常に入ってきます。 排水作業も休めません。

            

 

 堤防の下の手入れがされていない花壇に咲いていました。

     

              フリージアとクロッカスでしょうか。 

    

 咲いている花もあれば、枯れたままのものもあります。

         

 夕方ころ開始のJ1 仙台 VS 湘南、どうなるでしょうか? この試合を勝てばベガルタ仙台は本物と言ってもいいのかも・・・・。 この梅の花のようになってくれればいいのですが。

              


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春分の日です。

2015-03-21 14:46:01 | 思いつくまま

 きのうきょうととってもいい天気です。 心も体もウキウキするようではありますが、花粉症だけは困ります。

              (午後2時頃)

 

 春分の日、お彼岸の中日ですので、家族全員でお墓参りに行きました。 小雨模様の19日にも母の月命日だったのでお墓参りは夫婦でしてきましたが、私はお墓が好きですので、何回行ってもいいものです。 心が洗われるようになります。

                         

    

 今のお墓はむかし昔とは打って変わって明るい雰囲気になっていますが、大袈裟に言えば、昔はお化けでも出るかと思われるくらい暗い陰気なお墓でした。

          

 そうではあっても基本的にお墓は好きで、とくに線香の煙と臭い、煙がたなびく風景がいいですね。 変でしょうか?

  

     

 お彼岸と言えばこれです、おはぎです。 この前テレビでも45分くらいだったかなドキュメンタリーとして放送されたので、売り上げはさらに増えていることでしょう。 そうです、これです。

  

 秋保の佐市のおはぎ。 あんこ・ごま・きなこの三種類を買ってきました。 買ったのは地元のデパートですが。

    (あんこ)

               (ごま)  

   (きなこ)

 それぞれ2個ずつ入っていますが、さてこのうちnewoneは幾つ食べたでしょうか?

 答えは、あんこは2個、ごまときなこは各1個ずつの計4個です。 食べる気になれば、6個は食べられないことはないですが、食べ過ぎないように注意したわけです。

   

 そしてきょう21日は「卵の日」だそうです。 お墓参りに行くときにラジオで知りました。 この頃は玄米食にしてるためもあって、卵かけごはんはあまり食べてないですが、卵かけごはんは大好きですね。

           (きょうの午後2時過ぎ)

 

         (きのうの午前中の様子です。小学生たちのようです。)

      

 子どもの頃は朝ご飯に卵を食べられたときはもう ”ごちそう” でした。 でも卵は値段があまり上がらない模範的な食料品となっていますが、昔々はそうは食べられませんでした。 

         

 今思い出しますと、卵1個を琺瑯(ほうろう)びきの大き目の容器に入れて、よくかき混ぜ、さらに醤油を一杯かけて食べたものです。 何しろ当時は8人家族でしたから、そうしないと量が増えません。 どちらかと言ったら”醤油かけごはん”が正しいかもしれません。

        (きのうの午前中。トンビが低空をゆったりと舞っていました。)

   

 今の時代からは想像もできないでしょうが、ごはんも麦ごはんだったし、貧しかったから仕方がなかったし、とくに朝食に不満もありませんでした。 不満と言えば、姉たちにスプーンで多く卵を掬われてしまった時でしょうか。

 その琺瑯びきの容器はいまは使ってはいませんが、大切にとっておいてあります。貧しかった時代、少ない食べ物をみんなで分け合って食べたということを忘れないためです。

  

         (今月の花。 ウサギの耳のような花と言っていました。)

                    

 そして残念なこともありました。と書くと、すぐに、あっまたか、安倍晋三の悪口か、軍事大国への批判かと思う方が多いと思いますが、そうではありません。

 人間国宝の桂米朝さんが亡くなったことです。 19日に肺炎で亡くなりました。89歳でした。 あの柔らかな関西弁をもう直接聞くことができなくなりました。 新聞ではかなり大きく取り上げていましたがそのくらいの存在価値のある、貴重な落語家でした。

 家にある桂米朝さんの本は5冊ですか。

          

 

 「米朝よもやま噺」は、2007年12月が初版で、この本は2008年1月の第2刷で、朝日新聞社の発行です。

 「桂米朝集成 第一巻から第四巻」はいずれも初版本で、2004年11月から2005年2月にかけて、岩波書店から発行されました。 この集成は傘寿記念の出版です。

 新聞記事を読んでいていろいろ思い出しました。 またまたむかし昔のお話しになります。(この頃昔話が多くなってきました。今のうちにわすれないように自分の子供たち向けに書いておこうという無意識の考えがそうさせるのかもしれません。)

 その昔、newoneが関西に住んでいた時のこと、詳しくは西宮の阪神甲子園球場のすぐそばです。そうそう阪神甲子園といえば、きょうから春の選抜大会が開幕しましたね。なんでも地元の育英学園は優勝候補のひとつとか。準優勝まで行ったことはありますが、ゆうしょうはありません。是非とも白河をこえて優勝旗がみちのくに錦を飾るように祈っています。似非官軍にどうだ見たか!といってやりたい!!

 また話しが外れてしまいました。阪神電車の特急にも久しく乗ってないなあ・・・・・

 もう45年くらい前になりますか、大阪はミナミの教会、島の内という教会で、イエスキリストの教会ですよ、その教会で上方落語を何とか盛り上げようという動きが始動胎動しました。  「島の内寄席」 といいました。

 なんかいくらい通ったか、仕事が終わってから通いました。平日の夜に開催されていたと思います。 会社が本町だったからすぐ近くとなります。 

 今思うと本当にそうそうたるメンバーが出演していたのです。今は大家大御所となっている落語家も、昔は駆け出しもいいところでした。 大御所は桂文枝(桂小文枝から文枝になったのかな)。笑福亭松鶴、そして桂米朝の3人でした。

 小さい教会でしたから、あまり多くの人は入れません。150人くらいがせいぜいのところからと思います。 前座から始まってトリを務める大御所まで、飽きませんでしたね。何しろすぐ目の前でしゃべるのですから。

 いまから45年以上も前ですから、米朝さんも40代の前半ということになります。 でも新聞の記事の「桂米朝さんの歩み」によると、1966年(41歳)は初めての独演会「桂米朝スポットショー」を開いたり、桂米朝落語研究会を始めるとあります。

 また1971年(46歳)には、大阪サンケイホールでの独演会をスタートさせ、1972年には第1回上方お笑い大賞を受賞したということです。 ということで 『島の内寄席』 という言葉は出てきません。 

 個人的にはこの「島の内寄席」が大きなターニングポイントになったものと思っています。だって、落語を教会で開いた、教会で開かなければならなかったのですよ。資料がどこかにあるはずなので見つかったらお知らせします。

 愛弟子の桂枝雀も自殺してしまったし、本当に惜しい人でした。英語の落語に挑戦したりして、八面六臂の活躍をしていたのですが、あまりに生き急ぎすぎました。真面目に取り組みすぎました。 枝雀のCDを4枚くらい持っているのですが、なんともすごいお笑いの才能の持ち主であったことか!!

 いい人はみんな死んでしまう。残るのは早く消えてほしい者ばかり。 世の中うまくいきません。

                        ご冥福をお祈りいたします。    合掌


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送別会、・・・

2015-03-20 22:14:35 | お知らせ

 いやあ、きょうの天気は最高。  風もなく、ドライブ日和。  窓を開けて走ってもいい気持ちでした。

 いい気持ちと言えば、今夜はあるサークルの送別会があり、飲んできました。 いつもはビールなのですが、ビールのほかに日本酒も冷酒で飲んでしまいました。

 だからすっかり酔っています。もう眠いです。 よくバスで帰ってきたものだと思っています。

 という訳で、きょうはこれまでとさせていただきます。

 申し訳ありません。 悪しからずご了承ください。

 眠ります


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送別会、・・・

2015-03-20 22:14:35 | お知らせ

 いやあ、きょうの天気は最高。  風もなく、ドライブ日和。  窓を開けて走ってもいい気持ちでした。

 いい気持ちと言えば、今夜はあるサークルの送別会があり、飲んできました。 いつもはビールなのですが、ビールのほかに日本酒も冷酒で飲んでしまいました。

 だからすっかり酔っています。もう眠いです。 よくバスで帰ってきたものだと思っています。

 という訳で、きょうはこれまでとさせていただきます。

 申し訳ありません。 悪しからずご了承ください。

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いろんなものが終わる時期で、

2015-03-19 15:15:50 | お知らせ

 昨夜から雨となっています。 きょうになってからは小雨となっていますが、風はなくきのうまでとは打って変わって用心しなければならない天気となっています。

                (午後2時40分頃)

    

 雨は大したことないと思っていたのですが、広瀬川を見てみると結構な濁りの入った増水となっています。 上流の山山からの雪解け水も増えているのでしょう。

                        

 それにしてもこの天気はどういうことでしょうか? 14日から18日までの第3回国連防災世界会議の開会期間中の天気は全く申し分なく推移したのに、会議が終わったとなったら一気に雨、待ってましたといわんばかりの雨模様とは。

  

 密かに個人的に心配していたことがありましたがそれは全くの杞憂となりました。多分世界会議に携わった人々はみな多かれ少なかれ心配したことだと思います、地震を。 つい2週間くらい前まではそれなりに揺れていたのですが、ぴったりと止みました。

          

 この会議で、地震を経験したことにない国民の代表者にも地震を経験してもらうというのもそれなりの効果はあったかもしれませんが、程々の地震である保証は全くないわけで、それを思うとやはり地震はなかったにこしたことはないといえるでしょう。

  

 きょうの朝日新聞の地方版によると、五日間でシンポジウㇺや展示等に行った市民は述べ15万人にのぼったとか。 見積もりでは4万人以上ということでしたので、その4倍近くの人々が参加したことになります。

        

 街中どこに行っても普段見慣れない人々が一杯いたという経験はこれまた貴重なものかと思います。

  

 行動枠組みを話し合う全体会議には186か国が参加し、約20か国の首脳と100人以上の閣僚を含む数千人が出席する大規模な会合となりました。 それだけに行動枠組みを採択する会議はなかなかまとまりませんでしたが。

            

 (水溜りとなっているところは、数十年前にゲートボール場として整備されたものですが、今はだれもする人はいません。高齢者は多くなっているのに。画面下の二人の子ども(小学校の低学年のよう)ですが、水溜りを間に挟んでサッカーボールを蹴って遊んでいました。)

 また、国内外の人が自由に参加できるパブリックフォーラムが350以上もあったといいます。 以下にすごい盛り上がりだったかということの証明でしょう。

 大規模なお祭り騒ぎが去った後の市内は元に戻ったというよりは、平穏ではありますが一気に寂しくなったような感じがしないでもありません。

 そんな中午後になって夫婦でお墓参りに行って来ました。 お彼岸ですし。雨ということもあるでしょうが、ほんとうに街中は静寂なのです。お彼岸らしくていいのかも。

 

 終わりと言えば、午前中は近くのキリスト教関係の小学校の卒業式に出席してきました。 卒業生は31名という小規模なものでしたが、キリスト教の学校らしい厳かな雰囲気の中で卒業式が執り行われました。

                 

 一人一人に校長先生から卒業証書が手渡されましたし、神父さんからひとり一人「祝福」してもらうのです。 神父さんの前に行って手を合わせ、神父は子どもの頭の上に手をかざし、神の加護があるようにと言いながら十字を切ります。

 

 この小学校では何と言っても合唱が素晴らしいのです。 聞き惚れてしまいます。 「卒業」という卒業の歌や校歌、それに聖歌「神ともにいました」を歌いましたが、実にきれいなハーモニーです。 ここまでうまくなれば教える方としても教え甲斐があるというものです。

              

 きょうは県内の半分以上の小学校で卒業式がおこなわれたようです。 中学校、高等学校、大学と健康で前向きに生きて行ってほしいものです。 祝辞を述べた人が言っていました。 『笑顔』と『感謝』、この二つを常に心がけて生きて行ってほしいと。

  (水滴がい)いじゃないですか

 これは何歳になっても必要なことですね。周りの人を幸せにしますし、ということは自分をも幸せにするということに繋がりますから。

 

 これは学区の公立小学校の卒業特集のチラシに掲載されていたものです。なかなかいいアイディアだと感心しました。

 

 修学旅行は3泊4日で東京へ行ったとか? 我々の頃は1泊二日で会津若松地方と決まっていたのに。 4年前の東日本大震災の津波による福島第一原発の爆発により福島県が敬遠されるようになったからでしょうか。

 55年前と比較すること自体が間違っているのでしょうね。何しろ当時は米穀通帳が生きていた時代で、自分たちの食べるコメを持参して行ったのですから。 東京に行ったのは中学校の修学旅行でしたし。

                  

 教室が一番好きだということは羨ましいかぎりです。 勉強が楽しいということでしょうから。先生も好きということになるのでしょう。

 

 給食で「あげパン」というのは私にはちょっと考えられません。あげパンは大好きですが、中学校時代腹が減った時に学校前にあった店から買って食べたあげパンの味は忘れられません。

 給食は私が1年生のとき(途中からかも)からありました。 給食センター方式ではなく、自校の給食室で作っていましたから。 最初というか記憶に残っている一番最古の?給食は「うどん」だったような気がします。

                    

 これは多すぎてカットです。


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成果は?国連防災世界会議 18日

2015-03-18 15:28:43 | お知らせ

 今午後3時30分です。 14日から開催された第3回国連防災世界会議もきょうでお仕舞です。

       

 5日間の開催日を挟んで仙台市はずいぶんとにぎわいました。 こんなことはもう二度とないのではないでしょうか。 少なくとも私が生きている間はないでしょう。

            (午前9時頃)

 

 本当にいろんな会場で、いろんな人たちを集めて、いろいろな問題課題を話し合ってきたようです。

                      

 同じ会場の同じ日でも2,3時間ごとに内容が異なることを話し合ったりして、分厚いプログラムを見る度によくもまあこれだけのものを、これだけのことを企画したものだ、そして本当にいろいろな課題があり、それらの解決に向けてたくさんの老若男女が動き出しているということが伝わってきます。

  

 ただ議論がどこまで突っ込んだものとなったかについては???ということもありそうです。言葉や時間の制約もあります。 とくに原発事故についてはまだまだ掘り下げて検証していく必要がありそうです。

          

 私が参加した4つの総合フォーラムでいうと、パネルディスカッションについては不満が残ります。まあこれは今まで経験してきた国内だけのパネルディスカッションでもいつも思ってきたことです。 

  

 時間の制約が一番大きいのでしょうが、ディスカッションになっていない、なりにくいとうことがあります。 最初にコーディネーターが話しをして、次に各パネラーがひとりずつ体験談や考えを述べていきます。 会場からの質問があれば5点前後受け付けて、それぞれ専門的でありそうなパネラーから答えてもらいます。

       

 そしてコーディネーターが全体をまとめるような形で自分の意見も述べて、「まだまだ言いたいことや議論したいことがあるのですが、時間ですので」ということでパネルディスカッションは大体終わってしまいます。

 

 何を言いたいかというと、パネラー同士での意見の交換、つまりは議論がなされていないということです。 そこが不満足ですし、何といっても素晴らしい人が集まっているのにそこで議論が展開しないというのは何とももったいないことです。

 もっとパネラー同士で質問をしたり、自分の意見を言ったりして聞いている聴衆をうならせるくらいの白熱した議論が欲しいところです。 そうなるためにはパネラーの人選もあるでしょうし、意識的に主催者が避けているのかもしれません。

 質疑応答はパネラーと聴衆との間で交わされればいい、そこに他のパネラーが補足意見を言ったりすればいいということなのでしょうか。 何にしてももったいないと思います。折角いろんな分野の専門家が一堂に会しているというのに、パネラー同士の議論等がない、少ないのは残念です。

 でも会場によっては盛んに議論がなされたところも当然あるのだろうと思います。 少なくとも若い人たちがいろんなところで積極的に意見を発表したりしていましたので、その点は成功だったのではないでしょうか。 やはり若者に前向きに取り組んでもらわないと世の中はうまくいきませんし、よくなりません。 若い人たちがまず動いて、高齢者を大人を真子混んでいくという形がいたるところでたくさん出てきたらいいなと思います。

 

 第3回国連防災世界会議に合わせて東北大学付属図書館でも、展示会を開いていました。総合フォーラムの会場(萩ホール)の向かいに付属図書館がありますので、時間調整で入ってみました。 こういう珍しいものを展示していました。

 普段は写真撮影はできないと思うのですが、その日はフラッシュをたかなければ撮影OKでしたので、これは嬉しいやりかたです。

 

 Karl Marx の署名入りです。

                    

 

                      

 カール・マルクスといえば何と言っても「共産党宣言」が有名ですが、45年以上も前の学生時代に、初めて接したドイツ語で、ドイツ語の共産党宣言を読みおえたときは本当にヤッタ~と思いましたね。嬉しかったです。

 

 これは何だと思いますか?

 

 ロビンソンクルーソーです。 ロビンソン漂流記です。 安政4年に出ているのですね。

                  

 

 

 ではこれは何でしょうか?

          

 

 嘉永7年といえば家のお墓が建てられた年かな。

               

 

 これはあまりにも有名ですね。

 

 解体新書 です。

           

  

 その他のものはいずれご覧に入れたいと思っています。


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