鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

女性は産む機械

2007-01-31 23:03:06 | 提案・要望

 昨日の写真は、広瀬川の河川敷に立てられている看板です。

 河川敷は国有地なので、使用はまかりならん、即刻原状に回復せよというものです。

 

 というのも、この付近の河川敷は畑になっているからです。付近の人やバイク等で通ってきて、耕作する人もいます。本当によく耕しています。お陰で草茫々となることなく、綺麗に整地とはいえませんが耕されています。写真のとおりです。

 かって長男が保育所に通っていた頃、父母の会で畑を作って野菜を栽培しようと2年位か、この辺の空いている土地を耕して、畝をつくり、野菜を栽培したことがありました。長続きはしませんでしたが、子どもたちが土に触れ、土に親しむことは望ましいことで、父母の会としても精を出したのですが・・・。

 

 この写真は29日に撮影したものですが、一日経ったら様子が変わっていました。それは後ほど紹介します。

 

 「女性は産む機械」という柳沢厚生労働大臣の講演があり、大きな社会問題となっていますが、全く愚かとしか言いようがありません。人口問題・保険・保健・福祉・労働を担当する大臣の言葉ですから、単なる一大臣の失言、方言では済まされません。

 男を何だと思っているのでしょうか。所詮男は孫悟空、お釈迦様の手の中の孫悟空にすぎません。ここでいうお釈迦様は女性です。

 

 おとといくらいの朝日新聞の記事をご覧になったでしょうか。「老後に夫と同居⇒妻死亡リスク2倍」「日常生活の依存高く、存在負担に」という見出しの記事です。

 愛媛県の藤本弘一郎という医者が、5年以上にわたって追跡調査した結果です。

 「夫が日常生活の多くを妻に依存している高齢者が多く、肉体的のも精神的にも妻には夫の存在が負担になっている。」というのです。『存在していることが負担になっている。』のですよ。『いなければいい』ということに他なりません。

 「女性は夫がいる方が、いない場合に比べて死亡リスクが2.02倍に高まった。一方、だんせいは妻がいる場合、いない場合に比べて0.46倍に下がっていた。」

 

 ここで思い出すのは、もうかなり前になりますが、これも誰かがいっていたことですが、平均寿命というか平均余命というべきか、妻は夫が先に死んでくれると、その後15年くらい元気に生きていくが、夫は妻に先立たれると2から3年くらいで死んでしまう、という話しです。

 この話と全く表裏をなしているのではないでしょうか。

 男が長生きしていくためにはどうしても妻が必要ですが、妻は夫がいない方が長生きができるし、かつ余生を十分楽しめるということになります。

 結論は、夫と妻との共生ですね。それしかない。男は料理・洗濯・掃除をひととり覚えて、独立してひとりでも生きていけるように努力していかないと、置いていかれます。吐き捨てられてしまいます。

 

 ご同輩!!釣りばかりではダメ!!ということ。

 釣ったら、魚を料理して食べさせ、ゴミも綺麗に片付けて、食べ終わったら後片付けも進んで行う。努力目標です。

 

 

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kyoumo ///.

2007-01-30 23:14:21 | 提案・要望

 今日は夫婦で酔っ払って帰って来ました。1月最後の新年会で、楽しくビールや冷酒を飲んできました。

 そのため今は酔っ払っています。アルコールを飲んだら酔わないなんてナンセンスですよね。酔うために飲むのですから。

 いやあ、すっかり酔っ払ってしまった。でも、どんなに酔っ払っても家には帰られんですよね。この帰趨本能がすごいものです。

 いつの間にか帰宅していて、布団の中にいるという不思議な経験はお酒を嗜む人には分かっていただけると思います。

 という訳で、今日はこれにて失礼させていただきます。


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ウグイ様様

2007-01-29 23:29:30 | 提案・要望

 写真は例によって毎週月曜日、定点観測?している広瀬川です。澱橋の上流の岩盤の瀬です。またまた、減水となっています。濁りはないです。

 まあ、今の時点としてはそれなりの水量で、山の方にはすくないなりに雪があるようですので、目下のところは夏の水量については心配はしていませんが・・・。

 

 鮎釣りをしている皆さんは、多い少ないの差はあれ、鮎釣りをしていてウグイがかかってしまったことがあると思います。トロ場に限らず、瀬でもかかります。

 しかもなかなか釣れなくて、ようやくハリ掛かりして喜んだときに限ってハヤ(ウグイ)がかかったりして、がっかりしたことがあると推察いたします。

 ハヤがかかったときは、ハヤ特有の動きがあり、なぜかグルングルンと身を捩じらせて、仕掛けをパーマにすることもあります。

 

 大会なんかのときは本当に頭に来るものです。何年も前のことですが、報知オーナーカップの全国大会の時のことはまだ覚えていて、悔しさがにじみ出てきます。

 山形県の寒河江川での地方大会を運がよくて勝ち上がり、ブロック大会もなくすぐに全国大会へ。場所は、岐阜県飛騨川、地元では益田川として親しまれている川で、下流にダム等があるために鮎は完全放流鮎のみです。

 釣り友と二人で行きましたが、仙台空港まではマイカーで、飛行機で名古屋へ、そこからレンタカーで益田川の大会会場付近の旅館へ行きました。贅沢な釣行といえばいえます。

 抽選では、村田満、小倉吉弘等の名手と同じ組となりました。相手としては申し分なし。でも、第一試合で予選落ちとなってしまいました。

 釣れたのです。魚は、鮎ではなかったですが。もちろん鮎も釣れましたが、ハヤも3匹位も釣れてしまいました。鮎とハヤを足せば予選は通過することができたのですが・・・。

 試合中は、ハヤであってもきちんと引き抜きで受け止めて、放流はせずに曳舟に入れておいたのですが、如何せん、ハヤが鮎に変身することはありませんでした。

 

 前書きが例によって長くなってしまいました。言いたいことは、今日の地元の新聞の記事です。

 

 「ウグイ ブルーギル繁殖抑制」「川底の卵を捕食」という見出し。それによると、ウグイ(ハヤ)は産卵されたブルーギルの卵を食べてくれるというではありませんか。今後とも健闘を祈ります。

 しかし、我々鮎釣り師にとってはもっと嬉しいことがあります。鮎の成長を助ける役割も果たしているというのです。実験ですが、「ウグイを放したプールでは、水生昆虫の数が著しく減る一方で、藻は増加。ウグイが虫を食べることで間接的にアユの成長が助けられた。」というものです。

 藻類は、水生昆虫にとっても餌であり、その水生昆虫をウグイが食べてくれるから、その分アユが藻を食べられるということです。

 であれば、これからはウグイ(ハヤ)に感謝しながら釣りをしなければなりません。予想に反してハヤがかかってきても、嫌な顔をするとこなく、アユのために働いていてくれたのかと、感謝して再放流することにしようではありませんか。

 アユとハヤはです。

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それにしても・・・

2007-01-28 23:03:27 | 提案・要望

6.1-△1.1

9.4-△0.3

6.2-3.2

6.6-△1.2

4.9-1.3

7.0-1.8

8.3-0.0

9.4-0.5

7.7-2.4

7.4-2.0

7.3-△1.8

8.0-1.0

11.5-3.6

9.8-1.0?

 

 上記の数値は、1月15日から28日までの2週間の、仙台市の最高気温と最低気温です。皮肉なことに大寒を過ぎてから暖かくなっています。

  昨日の最高気温は11.5度です。今日の日中も風がなかったので、外に出てもまったく寒さを感じませんでした。

 

 それにしてもこの天気は一体何なのでしょうか?これでいいのでしょうか?きのう、今日の暖かさは本当に3月下旬から、4月上旬の天気ということです。

 昨日の読売新聞では、「都内にいまだ初雪なし、2月11日で新記録」という見出しで、暖冬の東京のことを書いていました。

 東京都心ではまだ初雪すら観測していないとのことで、130年で一番遅くなる可能性も出てきたという。

 その理由として、北極付近の寒気が蓄積と放出を繰り返す「北極振動」の周期が、この冬は蓄積されている時期に入ってることと、エルニーニョ現象の発生により、日本の南東海上に高気圧が発達しやすくなり、寒気の南下を妨げる状態になっているためだということです。

 今日の朝日新聞では、エルニーニョ現象は春まで続くらしく、その間一時的に西高東低の冬型の気圧配置となっても、長続きはしないとのこと。

 

 やっぱりこれではよくない。冬は冬らしくないと夏も夏らしくならないのではないかと心配になってきます。

 このまま、夏らしい夏がこないまま、今年一年が過ぎ去ってしまうとしたら、ガーン何のためにここまで生きてきたのか、何を生き甲斐にすればいいのか分からなくなるではないですか。

 

 来月早々には、大阪でフィッシングショーが、その次の週は横浜でフィッシングショーが開催されます。F・Sが今年の鮎釣りのスタートといえます。

 各メーカーが一体どういう新製品を出してくるのか、値段はどのくらいか、大いに気になるところです。楽しみでもあります。

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兵隊やくざ

2007-01-27 22:56:35 | 提案・要望

 今日は嬉しいことがありました。前々からもう一度見てみたいなとずーと思っていたことなのですが、それが実現しつつあるのです。

 それもこれも、732ch「日本映画専門チャンネル」を見られるようになったためですが、この頃は古い映画ばかりではなく、割と新しい映画も放送するようになったので、この頃は707ch「釣りテレビジョン」の次に見る機会が多くなってきました。

 

 その映画は何あろう「兵隊やくざ」シリーズです。

 もちろん皆さんご存知のように、勝新太郎と田村高廣が繰り広げる日本陸軍の位の低い兵隊の物語です。田村高廣が上等兵、勝新太郎が二等兵で、この二人はなぜかうまが合い、知識・知恵を出す上等兵と、不正や理不尽なことには我慢がならなず、すぐ手を出してしまう(体が動いてしまう)勝新太郎扮する二等兵。このコンビがとってもいい。

 

 脱獄等を繰り返して、満州の最前線に送られてしまい、運命の8月9日を迎えてロシア軍が条約を破棄して攻め入って来たため逃げるというところで終わったのが「兵隊やくざ・脱獄」ですか。

 これは見てしまいましたが、後は3倍速で録画しています。

 

 今日の3時から放送が開始されました。放送順番は次のとおりです。

 ・兵隊やくざ

 ・続兵隊やくざ

 ・新兵隊やくざ

 ・兵隊やくざ 脱獄

 ・兵隊やくざ 大脱走

 ・兵隊やくざ 俺に任せろ

 ・兵隊やくざ 殴り込み

 ・兵隊やくざ 強奪

 ・新兵隊やくざ 火線

 が、今日から明日朝にかけて放送される兵隊やくざシリーズの映画です。

 今となっては、勝新太郎も田村高廣ももうすでに亡くなっています。

 映画は1965年前後辺りから製作上映されたもので、何と今から40年以上も前となります。だから、当然白黒というか黒白映画です。懐かしいです、何か落ち着いて安心して見られます。

 

 これと同じというか、似ている映画といえば「独立愚連隊」シリーズがあります。主人公は夏木勲?でしたか、この映画も中国大陸を舞台にしていました。この独立愚連隊シリーズも白黒映画で、何本か見ています。いい映画だと思います。

 昨日もテレビで満州の開拓団の興亡の映画「赤い月」をやっていました。ついつい見てしまいました。

 やっぱり映画はいいですよね。これからは、もっとまじめに見なければならないのかなと思ったりして・・・。

 

 写真は我が家に二鉢あるうちの二つ目のシクラメンです。

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大京都展

2007-01-26 22:22:41 | 提案・要望

 「京の味と技の老舗が一同に 第3回 大京都展」に、仕事の帰り寄ってきました。

 大九州展とは違うデパートの8階が会場でした。細長い会場に、64もの店が諸々の品物、食べ物を展示販売していました。 工芸品が21店、食品が43店です。

 

 大九州展と大きく違うのは、お楽しみ抽選会があることです。

 税込み3000円ごとに1回、京都ペア旅行券等が当たる抽選会です。

 食品の店には、必ず試食品が綺麗に飾られたりして置いてあります。ただ、変なはなしですが、何というかあまりに綺麗にきちんと置かれているために、私としてはなかなか手を出せませんでした。

 これも九州展とは異なる点ですか。なぜなのでしょうか。

 前にも書いたように、試食品には必ずといっていいほど手を出していたのですが。もっと乱雑とはいいませんが、少し崩して、幾分雑において置いてくれればよかったのかもしれません。

 

 足早にひととりぐるっと回ってみて、最終的に購入したものは「桜もち羊かん」と「わらびもち」です。店の名前は「京菓匠 七條甘春堂(本店)」です。三十三間堂前にあるそうです。

 

 写真はうちの奥さんが栽培(といえるかどうか?)しているポインセチアです。昨日のはシクラメンです。

 

 今映画「赤い月」を見ています。見ながら書いてきました。常盤貴子の演技を感心しながら見ています。作者は「なかにし礼」で、文庫本で上下2巻を読んでいました。一気に読ませる力量、迫力がありました。テレビ東京でドラマ化されたことがあったと思います。仙台ではテレビ東京の番組は見られませんでしたが。やはり常盤貴子が主人公でした。

『お国のために死ぬことがそんなに立派なことなのですか?』


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映画「華麗なる一族」

2007-01-25 23:58:38 | 提案・要望

 今11時45分。シンデレラにとって残された時間は15分のみ。

 実は、9時半に日本映画チャンネル(752ch)をみたところ、何と山本薩夫監督の映画「華麗なる一族」をやっていました。

 この映画は、8時から11時30分までの長い映画、途中休憩が1分30秒ありました。途中から二時間見させていただきました。

 

 結論を知りたくない人は、ここからは読まないでください。

 

 

 

 面白かったのは、大介役が佐分利信、鉄平役は仲代達矢、そして四々彦(よしひこ)役が、何と若かりし頃の北大路欣也なのです。

 TBSドラマでは、大介役が北大路欣也です。当然このことは知った上でのテレビでの配役だったのでしょうが。

 

 着工した高炉は爆発を起こしてしまいます。死傷者がでます。倒産して帝国製鉄に吸収されることになります。

 鉄平は、自分の父親がお爺さんと思ってしまいます。

 家族関係や阪神特殊製鋼の経営の行き詰まり等で、雪山で猟銃自殺してしまいます。

 

 その一方では、大介の思惑通り、大同銀行と阪神銀行が、阪神銀行が上位銀行を飲み込む形で合併し、東洋銀行ができますが、それも・・・・。


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臓器提供意思表示カード

2007-01-24 23:26:19 | 提案・要望

 21日の新聞記事ですが、昨年11月に行った内閣府の「臓器移植に関する世論調査」のことが載っていました。

 それによると、脳死判定後に臓器提供をしたいと思っている人は4割強で過去最高になったが、提供の意思を示す意思表示カードなどを持っている人は1割にも満たない(8%)、ということです。

 

 皆さんは意思表示カードを持っていますか?

 これには、「脳死」を死とするか、「心臓死」をもって死とするかという大きな問題が潜んでいると思います。

 

 私は脳死をもって死とすることには反対で、心臓死をもって死とするべきだと思っています。

 

 死というものに直面したのは、幸いにも父の姉の場合と父の場合の2回しかありませんが、しかも二人とも80歳を超えてからの死でした。もちろん心臓死でした。

 それと、これが肝心なのですが皆さんは臓器提供というものをどう考えますか。臓器提供ができるようになったということは、医学の進歩なのでしょうか。

 人の臓器を取り出して、他の人に委嘱する。当然そこには医療技術の進歩があり、高度な手術を行うことができるという技術が蓄積されているということになるのでしょうが、私はそういう医療技術を素晴らしいものとは思いません。

 

 理論的に説明することはできませんが、基本的には人間は臓器移植はするべきではないと考えています。人の臓器を使ってまでして治療(それが治療と言えるのかどうかも疑問ですが)し、生きようとする。それでいいのでしょうか。

 確かに人間には生への本能、欲望があるでしょう。生きようとすることは当然のことですし、生きている(生かされている)限り、精一杯生きるのが人間の務めだと思います。

 だから病気になれば、生きていくために支障となるので治そうとする。同じ生きるのであれば、少しでも元気で生きたい、生き続けたいと思うのは当たり前でしょうし、それで当然いいと思っています。

 

 しかし、自分の体や薬だけでは治せないので、他の人の臓器を提供してもらって生き続ける。それでいいのでしょうか。

 もちろん、人工の臓器や薬を使って生き続けることはいいと思います。そのうち科学技術、医学の進歩により、血管も血液も臓器もつくることができるようになるかとは思いますが、私はそれまで待つべきだと思います。

 だから、今現在臓器提供を渇望している人は間に合わないということになるでしょう。死ぬのを待つより他はないということになります。でも、それより他はない、それでいいのではないかと思いますし、みんなもそう思うべきではないかと思っています。

 

 別に運命論者と思っているわけではないですが、そういう運命のもとに生まれてきたのなら、それを甘受するより他はないと思うようにすべきではないでしょうか。苦しみ、悩み、そして受け入れる。苦しみ悩むときは、みんなで苦しみ悩む、それを共有する。悲しみを共有する。思う存分嘆き、悲しむ。そして乗り越えていく。その人のことは忘れないようにする。

 

 人にはその人の人生がある。それは長い人もいるでしょうが、短い人、とっても短い人もいる。場合によっては、これでは何のために生まれてきたのだと嘆くような場合もあるかとは思います。でも、それがその人の人生なのです。与えられた人生ではないでしょうか。与えられた人生の中で、精一杯生きる、それでいいのだと思います。私としては、その中には他人の臓器移植は含まれないと思っているわけです。

 

 当然賛否両論があるでしょうが、私のような意見はとんでもない暴論だ、家族にそういう人がいないからそんな気楽なことがいえるのだとかという意見が多数でしょう。容易に推測できます。

 だけど、そうやっていくことが人間らしいことなのでしょうか、一人の人間として生まれてきて、生まれてきた条件で生きていく、途中までしか生きられない人も出てくるでしょうし、100歳を超えても元気に生きている人もいることでしょう。それでいいのです。いろんな人がいて、いろんな生き方があるということではないでしょうか。

 

 意思表示カードから、話しは重くなってきました。私個人としては、「臓器提供意思表示カード」を持っています。妻の了解の下につくったのが、1998年11月2日です。8年と3ヶ月になりますか。傷んで来たので、新しくしたのが、2005年11月23日です。私の誕生日です。

 運転免許証の裏にも、シールを貼っています。

 でも、私はあくまでも心臓死の場合であって、脳死を認めていません。だから、カードの「②(2をまるで囲んで) 私は、心臓が停止した死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。」として、「腎臓」と「膵臓」をまるで囲んでいます。

 

 写真は、昨日から交換できるようになった、南極観測記念の500円硬貨です。カラフト犬の太郎と次郎だと思います。何十頭と南極に残された犬の中で、2匹だけが生き残っていたのですよね。裏(表)側は南極大陸となっています。

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宮崎県民に

2007-01-23 23:57:02 | 提案・要望

 今11時40分過ぎ。

 6時から10時半まで、あることで知り合った仲間と飲み、歌い、騒いできました。そんなには酔っていはいません。

 

 宮崎県の皆様!皆様はいい選択をしました。全国に誇れる選択です。正に今までの宮崎県に「洗濯」にぴったりです。

 あれだけの不祥事を起こしながら、次の県知事がまたもや、現役の官僚や元官僚だったら、もう最悪でした。何も改革はできませんでした。県民のあまりの保守性に(失礼ながら)全国の物笑いになるところでした。

 しかし皆様は不安はあるものの、何か今までの悪習に風穴を開けてくれるのではないかということで、そのまんま東に将来を託すことにしました。賢明な選択でした。

 ただ、心配なのは県議会です。オール野党のなかで、新知事は最初から悪戦苦闘するのは目に見えています。だから、選んだからには、応援してください。県議会や経済界の悪質な嫌がらせ等には常に目を光らせて、何かおかしいことがあったら、すかさずマスコミ等を活用して、抗議の声をあげてください。

 そして、新知事は何を置いても、情報公開に力を入れるべきです。ガラス張りの県政にして、いろんな情報を常に県民に知らせるようにすべきです。と同時に、県民からも情報をもらうようにすべきです。県民とともに歩む県政を遍く実施して欲しいと思います。

 全国民は注目しています。最初からうまくはいかないでしょうが、暖かく見守ってやってください!!!

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華麗なる一族

2007-01-22 22:01:59 | 提案・要望

 はらはらドキドキしながらテレビを見る。こんな気分ははじめてのことです。当然ビデオテープ(いまどき古いのかな?)をセットして。

  1月14日の1回目の次回予告の小さい画面をみて、思っていたよりも速い展開で、まさか11月26日の仙台ロケでの撮影分が2回目で放送されるとは思ってもみなかったので、驚きました。楽しみが、早くなくなってしまうという気もしましたが、それはそれとして、不安、心配、ドキドキ感を持って見たわけです。 でも考えてみると、仙台ロケから約2ヶ月も経っているのです。早いものです。

 

  2回目の放送のスタートは仙台でのロケから。スクラップや銑鉄をひとり見ている専務のキムタク、銑鉄を手にとって入る場面が映し出されましたが、この銑鉄は重いのです。片手では持ち上げられないくらいです。金の延べ棒のもっと大きいもの。

 

  ハンドマイクを持って我々従業員に演説する場面、とっても懐かしく感じられました。この場面を撮るのに何回テストを繰り返したか、あそこでキムタクはとちったんだよなとか思いながら見ていました。

  「専務、2年間とはどういう意味ですか?」と問い詰める(問いかける)従業員が若手の俳優(ヨシヒコ役)だったとは、そのときは思いませんでした。東京から来たエキストラ組から選ばれた人がしゃべってるのかなあと思っていたのですが。

 

 皆さんはどう思いましたか?広場に扇型に集まった形になっている専務の話しを聞いている我々労働者を、CG合成したものです。

 やっぱり何か不自然ですよね。どう見ても、5等分というか5つに区分されているのが分かりますよね。そうなのです、ブログでも書きましたがあの場面は、100余名のわれわれが5箇所で同じ演技を繰り返したものを合成したものです。1回ごとに青いパネルを立てての撮影です。

 エキストラの動きが激しいので、自分が写っているかどうかは全く分かりません。全体の画面構図が多かったし、部分的なアップは「ヨシヒコ」の周りだけでした。

 でもまあうまく処理したものだなあとも思います。感心します。

 

  で、キムタクの専務が600余人を前にして話しをしてから、次の場面が私にとっては肝心な場面でした。専務に経理担当の常務(西村雅彦)が「なんで2年後に高炉をつくるといったのか」と問い詰めるところ、二人の後ろには沢山の労働者が喜び勇んでついて歩くのですが、やはり、思ったとおり右側に写っていました。

 それを見て『やったあー!』と快哉を叫びました、心の中で。心臓の鼓動が早くなりました。

 よかった!いい記念になった、朝から夕方まで頑張った甲斐があったと思いました。率直に嬉しかったです。誰が何と言おうとも、ミーハーで結構、嬉しかった!の一言に尽きます。

 細かい動作等を書くと特定されます(そんなことはないのに、過剰反応)ので、これ以上は書きませんが、妻も確かに間違いなく私だと認めて?くれました。

 

 我ながら喜びを体全体で表現していた、素直でいい演技だ?と思います。隣の同じような年齢、同じような背格好のエキストラとうまく連携できました。

 実際、朝8時頃に始まった最初の演技は、演技とはいえないしろもので、固くて動きも少なくちぐはぐだったりしたのですが、それが何度もテストを繰り返すうちに、皆打ち解けてきて各自が何とかいい演技をしよう、いろんな形で喜びを表現しよう、しなければいけないと思うようになってきました。そう雰囲気が変わってきたのが分かりました。

 でも丸一日かけて撮影したのに、実際の放送はたったの数十秒のみ。沢山のスタッフがかかわって作り上げているということは身にしみて感じることができたわけですが、それにしてもこれで報われるのかなと気の毒に思ってしまいます。

 

  あと、45分後に再度仙台ロケの場面が流れました。

 くず鉄を積んで構内に入ってくる4台のトラック(トラックの荷台には確かに本物のスクラップが沢山ありましたが、よくできた張りぼてもあったのです。)を、沢山の労働者が走っていって迎えるという場面です。ヨシヒコのまわりで歓声をあげているところです。

 あの時は何回走っただろうか、4、5回は走らされたでしょう。私は左端を急がずに走りました。

 

 今日の放送の最初と終わりのほうで仙台ロケの部分が放送されたわけですが、二つをあわせても1分ちょっとでしょう。これがプロの仕事ということなのでしょうか。

 「せんだい・宮城フィルムコミッション」という名前が、エンドロールの割と先のほうで流れたときは嬉しかったです。関係者もそうだったろうと思います。

 

  何にしてもいい経験をさせていただきました。それもこれも、集団の中くらいの左側にいた私達中年を列の前の方に連れて出してくれたアシスタントディレクターor助監督さんに感謝しなければなりません。非常謝謝。

 

 (追伸)そうそう、専務に妹が会いに来て、ヨシヒコも入れて3人で、会社の食堂で従業員に混じって食事をするシーンがありました。傘を差していましたが、これは11月27日の撮影でしょう。27日の天気は朝から雨でした。26日の撮影終了中に、助監督から明日もエキストラとして参加してくれる人はいませんかという声がけがあり、一人が手を上げ、大層喜ばれました。26日の天気からまさか翌日が雨ということは全く想像もできませんでした。(どうでもいいことですが)

 

 写真は広瀬川の定点観測3回目です。濁りはなくなりましたが、水量は更に少なくなりました。

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また、大九州展

2007-01-21 20:36:16 | 提案・要望

 昨日も仕事の帰り、引きつけられるようにまた、近くのデパートの大九州展に顔を出してきました。

 昨日ほどうろうろはせずに、予め買おうと思っていた長崎県「岩崎本舗」の『角煮まんじゅう』に狙いを定め、やむを得ず並んで買いました。昨日も今日も並んでいます。絶大な人気を誇っている感じ。味見をしましたが、やはりうまいので、並んで買いました。冷凍物ですが、チンする前にきちんと解凍してから、40秒間チンすることと 繰り返し繰り返し根気よく説明していました。

 

 次は宮崎県「オーエヌフーズ」の『妻地鶏炭火焼』。私は鶏肉はあまり好きではありませんが、家族は大好きです。味見をしたところ、あまり鳥を意識しないでも食べられたので、1パック買って来ました。

 

 最後は、福岡県「相食」の『渡り蟹姿揚げ』。これも試食したら程よいかりかり感が気に入り、やきとりと蟹の揚げ物はビールにもよくあう感じなので買ってしまいました。

 

 今度は近くの別のデパートでは京都の物産展が始まります。京都では、食料品や酒というよりは、やはり和菓子や生菓子等が中心となりますか。西陣の織物とかも沢山並ぶでしょう。

 

 今年は積極的に出歩き、出向くようにしたいと思っています。何にでも興味を持って、常に刺激を与え、精神をリフレッシュして、呆け防止に努めたいと思います。

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カウラ日本人捕虜収容所

2007-01-20 23:51:37 | 提案・要望

 今日の朝日新聞、土曜日特集の紙面、日野原重明さんの「95歳私の証 あるがまゝ行く」シリーズで「日本人戦没者が眠る街」と題して、オーストラリアのカウラにある日本人捕虜収容所のことが書いてありました。このことは戦後本にもなり、私も持っています。どこにあるかは??ですが。

 

 太平洋戦争で日本軍はオーストラリアとも交戦しました。そのとき1000人以上の日本兵が捕虜となりました。おとなしく捕虜として生きていくことは考えられず、死を覚悟して集団脱走しました。案の定数百人の捕虜が射殺されました。

 なぜ無謀な集団脱走を図ったか、いうまでもありません、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓があったからです。それを兵隊になったときから叩き込まれていたからです。

 

 戦陣訓をつくった張本人がそれを守れず、それによって死ななくてもいい何十万人の兵隊を死に至らしめたか。病死・餓死・自決・・・。そこまで追い込んだ張本人を私は絶対に許すことはできません。ましてや、そんな最大の戦争犯罪人が、徴兵され死んだ(殺された)兵隊たちと同じところに祀られるなんて信じられませんし、私が遺族だったら絶対に許しません。

 

 映画「硫黄島からの手紙」でもまだ戦うことができるのに、陣地を守備できなかったということで、手榴弾で自決する場面がありました。負傷して動けなくなったというのならまだしも、まだ戦えるのに死を選ぶ、それが責任をとること、潔いことということで自決する、兵隊なら、手榴弾を持っているのなら、それを使って一人でも多くの敵兵を倒すというのが使命だと思うのですが。自暴自棄になりやすいのか、簡単に諦め死んでしまう。

 それは別としても、自決するのは捕虜になるのは恥だ、自分だけではなく、家族・親族までの恥だという「戦陣訓」に基づく考えでしょう。押し付けといってもいいでしょう。本人は死にたくなくても、周りが許さない、死ななければならない状況に追い込まれてしまう。

 硫黄島での戦闘に際して、司令官の栗林中将が命じたのはあくまでも生きて戦え、ゲリラとなって戦えというものでした。日本軍得意の、集団自決としかいいようのない万歳突撃は許さなかった。

 

 「敢闘の誓い」として、「我等は」の後に続く文言は、

一 全力を振るって守り抜かん。

ニ 爆薬を抱いて敵の戦車にぶつかり之を粉砕せん。

三 挺身敵中に斬り込み敵を鏖(みなごろ)しせん。

四 一発必中の射撃に依って敵を撃ちた仆(たお)さん。

五 敵十人を斃(たお)さざれば死すとも死せず。

六 最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん。

 

 というもので、勝つことはありえない状況下で、少しでもここでアメリカ軍を引き止めておけば、本土空襲が遅れる、遅れればそれだけ家族が何とか無事に生きられる、家族のためになるということで抵抗し続けたわけです。

 だけど、現実には2万余の兵隊がいるわけで、命令をきかない部隊もあったし、旧態依然とした万歳突撃して散っていった部隊もあったし、最後の一兵になるまで戦おうとした部隊も当然いたわけだし、戦闘部隊ではなくてもあくまでも投降はしなかった兵隊もいたわけです。

 

 「十七歳の硫黄島」の著者秋草鶴次さんは通信兵として最後まで投降はしませんでした。食べるものはもちろん飲み水までなくなるなか、「目覚めては蛆を食し、虱を食べて、またウトウトと寝る。」ということを繰り返すうち、意識を失い米軍に発見されて助かったような人もいます。ここまでくるともう何もいえません。

 

 「国の為重きつとめを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」という辞世の句を残した司令官は、アメリカの事情にも通じていて狂信的な精神論とは縁がなく、冷静沈着、行動は果敢な司令官でしたが、そうであれば、当然国際法にも通じていたと思います。

 ならば、「矢弾尽き果て」るまでは徹底抗戦して、決して自決せず、兵隊として戦闘行為が不可能になったのなら、投降してもいい、というか投降せよと言えなかったのかと思うのは、今更どうしようもないことは分かっていますが、それでも武器弾薬がなくなったら投降してもいいんだというようなことは言えなかったのかと、立派な軍人であればあるほどそう思ってしまうのですが・・・。(現実には投降した兵隊もいたし、自決できずに捕まってしまった兵隊も当然いたでしょう。)

 もちろんそうなったら本人は投降はできないでしょうが。責任を取って自決はやむをえないことと思います。前線で戦う将兵と、後方で指揮命令する最高指揮官では取扱に差をつけることは仕方がないのではないかと思うのですが。(やはり、なんか矛盾しているか)

 

 なんかとてもまとまりのない文章になってしまいました。

 ここまで付き合ってくれた人に、読んでいただいてありがとうございます。

 

 写真は、昨日ブログに書いた長浜らーめんです。

 


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大九州展

2007-01-19 22:31:11 | 提案・要望

 今日より地元のデパートで大九州展が開催されています。近くなもので、仕事帰りに寄って見ました。

 びっくりしました。すごい人出なもので。まあ、圧倒的に主婦層が多いですが、若いOLや私みたいな仕事帰りのサラリーマンも結構来ていました。

 

 7階フロアに所狭しと沖縄県と九州7県の物産が展示されています。食料品が多いですが、他のものも一杯あり、着物、服、アクセサリー、化粧品、包丁等の刃物、かばん類、日常生活品なども展示販売していました。

 個人的には、こういう物産展は好きな方で、いろいろみて歩くのはおもしろいものですし、試食品は積極的に食べるようにしています。

 今日は自転車ですので、一杯あったアルコール、焼酎等は一切試飲しませんでした。まじめです。今はそれくらい世の中がうるさくなっているわけです。まあ、何と焼酎の種類の多いことか。その代わり?ジュースは飲んできましたが。

 

 宮崎県の物産品は残念ながら少なかったです。圧倒的に福岡県産や熊本県産が多かった。宮崎県産や大分県産は少なかった。会場で見つけるのが大変なくらいでした。県別に場所が決まっているわけではなく、また焼酎なら焼酎が固まって一つのコーナーをつくっているのでもなく、どういう基準で場所を決めたのでしょうか。客のことを考えて配置を決めたとは思えません。

 宮崎県産品としては、3箇所にありました。「宮崎果汁」として果物のジュース類、「オーエヌフーズ」で妻地鶏炭火焼類、「浜田水産」でちゃんちりめん、山椒ちりめんを販売していました。

 

 今日はうまそうなとんこつラーメンでもあれば、うちの奥さんのために買っていこうかなと思っていました。その昔、博多で食べたとんこつラーメンのうまかったことが忘れられません。仙台にもとんこつラーメンの店があるのですが、食べてもやっぱり何かどこかが違います。納得も満足もできません。

 

 ラーメンといえば、長浜ラーメンですか、5食入りのお土産ラーメンを買おうとしたら、そばに何と宮崎のラーメンがあるではないですか。一個ずつ箱に入っている「日向拉麺・一心不乱」というなんともすごい名前のらーめんがありました。写真がそれです。

 結局、長浜ラーメンと日向拉麺を買ってきました。ほかにうまそうだったし、販売がうまいおばちゃんの口舌に乗せられて、福岡の博多てんぷらも買ってきました。めんたいこと生姜とはもの3種類です。

 

 帰宅して一心不乱の裏を見てがっかり。製造販売は福岡市の会社ではないですか。(有)一心不乱製。裏の確認をしなかったのは残念。

 早速夕食に食べた博多てんぷらはうまかったです。

コメント (2)
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阪神淡路大震災

2007-01-18 23:28:12 | 提案・要望

 きのう17日は丁度12年前にあの忌まわしい阪神淡路大震災があった日です。

 それによって防災とボランティアの日と制定されたのですか。地震なんか関係ないと思われていた阪神地区において、想定震度である震度5強をはるかに超える震度7の大地震、しかもまだ朝早く、周りが暗いときで、ほとんどの人が寝ているときの大地震。

 宮城県地方も地震が多い地区で、震度4、5くらいの地震は何度も経験していますが、慣れっこにはとてもなれません。その度に心臓の鼓動は早くなり、とても不安になります。これが夜中だと恐怖感も倍増し、その後はなかなか寝付かれません。本当に地震は怖いものです。

 それが一気に震度7の激震に襲われたら、一体何が起きたのか訳が分からないまま戸惑い、右往左往し、恐怖に戦いたことだろうと思います。トラウマとなって当然かと思います。これで終わりか、死んでしまうのかと思ったことだろうと思います。

 

 私もかって西宮に住んで、大阪の本町まで通勤していたことがあり、そのときの友達が何人も住んでいたので、テレビで炎を上げ真っ黒な煙に覆われた神戸を見たときには信じられませんでした。これは一体なんだ、何があったのだと、テレビ画面を見ながら怒りみたいなものがこみ上げてきたのを覚えています。

 西宮から神戸までは阪神電車ですぐの距離です。阪神甲子園駅から神戸三宮まで行って、三宮から元町までぶらぶら歩くこともありました。丁度三宮のそごうデパートから元町の三越デパートまでの距離となりますか。なんとかいう道路(思い出せませ鵜)があり、土曜日なんか、風呂上りに先輩と神戸に遊びに行ったりしたことがあります。

 

 そんなことがあったので、同僚や先輩が無事だったのかどうか、心配でした。電話をしても通じませんし。まあ数日後には通じて、知人は全員無事だったので安心はしたのですが、でもあの大地震で数千人の人々が命を落としていたのです。

 地震による家屋等の倒壊による死亡だけでなく、倒壊した後に逃げたくても逃げられないまま火事により焼け死んでしまった人たちも一杯いました。

 助かったというか生き延びた子どもたちにはいろんな形でトラウマが発生し、そういう子どもたちを支援するためにあしなが育英会とか何といったでしょうか・・ハウス(レインボウ ハウス?)が建てられました。少しですが義捐金を送らせていただきました。そしたら本が贈られてきました。

 すっかり忘れていましたが、そういうことが過去にありました。本当に人間は忘れる動物です。忘れてはならないことも忘れてしまいます。

 

 今朝日新聞で連載をしています。「ニッポン 人・脈・記」「震度7からの伝言⑨」今日の記事の終わりのほうに、「震災を『五千人が死んだ一つの事件』と考えるのは死者を冒涜してはいないか。1人が死んだ事件が5千件あり、5千通りの死があるはずだ。」という文言ありました。

 そういったのは、ビートたけしでした。

 統計の数字では伝えきれない、それぞれの死、ひとり一人の命を見つめるべきではないか、といっています。もっともなことだと改めて考えさせられました。

 

 今回のイラクでの戦争でも、アメリカ軍人の死者は3,000人を超えた、イラクの人民は5、6万人が死んでいると報じられていますが、死というものは何十、何百、何千、何万と一括りにして考えるのではなく、あくまでも個別具体の個人個人の死、そしてその死には何人もの家族がいるということを改めて考える、思いを馳せるということ、想像するということが絶対的に必要ではないかと思います。

 


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眠い。

2007-01-17 22:06:01 | 提案・要望
 眠くて眠くて・・・、寝ます。飲んではいません。

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