鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

神無月も終わりで

2014-10-31 13:20:45 | 広瀬川

             (午前6時30分頃の東空)

 

                   (以下は午前9時15分過ぎの撮影)

          

 

                       

 

                 ( 小魚の群れ、群れ、群れ )

             

 

             

     (お腹から叫び声?を出していました。健康法かも?)

 

       

 (上は澱橋の手前上流から、下は橋の下流から市街地のビル群)

 

 

       

               ( もう飛ぶことができない河原バッタ )

             

 

           ① (焼酎での渋抜き柿)  

   (①を切ったところ)

  ② (ドライアイスで渋抜きし、日が経ったため柔らかくなってしまった柿)

 (② をカットしたところ) 

 (スプーンですくって食べると最高です。)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月も終わりで、このブログも・・・

2014-10-30 16:11:24 | 思いつくまま

 神無月から霜月に移る時期です。 28日から11月1日までは旧歴で 「霜降 次候」 

                『霎時施(こさめときどきふる)』

 ””いまはとてわが身時雨にふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり””   小野小町

            

 

                

 

                

 

              

 

            

 

                             

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦前・戦中の学校日誌 その1

2014-10-29 14:59:24 | お知らせ

 冷え込みましたが、 きょうの日中は快晴ですね、少し風が強いですが。

  (午前6時15分頃の東空)

 

                   (午前10時15分頃)

          

   

 きょうはカモの親子の姿は見えませんでした。 老夫婦が分流を除きながら歩いていましたが、やはりサケがいつ遡上するのか、気にしていました。

    

       

  そうそう元タイ大使の岡崎久彦が26日に亡くなったそうです。 84才、長生きして老害をまき散らした輩です。 何といっても呆れて忘れられないテレビでの討論会がむかし昔ありました。 そのときに岡崎の言った言葉に衝撃を受けましたね。それ以来忘れられない名前となってしまいました。 何といったと思いますか、「アメリカの言うとおりにしていれば間違いない。アングロサクソンは戦争に負けないから」というようなことを堂々とテレビの討論会で言うのです。

 まあ、日本人のくせに何ということを言う輩か!と呆れかえってしまったことを覚えています。 新聞記事では「親米保守論客」なんて書いてますが、親米なんてものではない、アメリカに従属、隷属、奴隷根性の反動主義者とでも形容すべきでしょう。 こんな輩でも外務省に入って大使になれるのですから驚きです。

 

 ちょっと古くなりますが、18日から23日まで”宮城学院女子大学”で、「学校日誌にたどる 昭和の記録・戦争の記憶」と題する写真展が開催されました。

 

 宮城学院女子大学は3年前になりますか、「サントリー10000人の第九」の東北会場となり、ここで4回くらい練習したことがあります。そのときに総指揮者の”佐渡裕”先生も来て、我々を指導しました。

 いまでも忘れられない思い出となっていますが、途中先生はステージから降りてきて、私と私の友達の間に入ってきました。 びっくりするじゃないですか! 何しろ佐渡裕先生は縦も横も大きい人です。肩を組んで(身長差があり過ぎるのでうまくは組めませんでしたが)第九第4楽章411小節からの男声合唱による行進曲を歌ってしまいました。

 Laufet,Brüder,eure Bahn,freudig,wie ein Held zum Siegen, (兄弟よ、君たちの道を走れ、勝利に向かう雄姿のように楽しく)

 月日の経つのは本当に早いものです。(老化現象も早いものです)

 

 その展示場所がなかなかわからなくて、2,3人に学生に聞いて何とか「講義館6階の資料実習室」にたどり着けました。 私が行ったときには誰も中にはいませんでした、担当の先生以外は。 写真を撮っても大丈夫かと確認し、OKだったので遠慮なく撮らせていただきました。

 

 いろいろありますので、きょうは昭和20年7月9日と10日の日誌を紹介します。 仙台空襲を記録しています。 

① 

 ①は昭和20年7月9日の気仙沼市の松岩国民学校の日誌です。 「警戒警報発令午後9時30分、解除午後10時10分・・・・仙台空襲ヲウク

 ②は川崎町の川崎国民学校の9日の日誌です。 宿直の記事に 「警戒警報・・・・空襲警報十日午前零時三分頃発令  解除午前二時三十分  来襲敵機約七十機」とあり、学校長等が集まってきたようです。

 ② 

 ③は7月10日の柴田町の船岡国民学校中名生分教場の日誌です。こちらでは「B29約百機仙台二来襲市中心地帯二焼夷弾波状攻撃ヲ加へ電車環状線内側烏有二帰(白反)ス」

 ③ 

 ④は村田町の村田国民学校の7月27日日誌です。 仙台の罹災児童に慰問品を持参したようです。

 ④ 

 私としてはきちんと書かれた日誌もとっても興味があるものですが、それ以上に興味を持ったのは「御影皇室関係事項」です。(「御真影」と記憶していましたが、「御影」となっています。)

 ①では「御異状ヲ拝セズ」、④では「御異状ヲ認メズ」  学校によって少しだけ記帳方法が異なっているようです。 「認メズ」よりは「拝セズ」のほうがより敬意を表していることになるのでしょうか。

 そしてもう一つ。 ②の「宿直(?)」の欄の「巡視」です。 「奉安殿」を午前と午後の2回巡視しています。「午前五時五十分」と「午後九時三十分」の「二回」です。

 御真影は天皇・皇后の写真であり、奉安殿はその写真を安置して奉るところです。 先のアジア太平洋戦争で空襲を受け小学校の奉安殿が焼けて、御真影を守れなかったということで校長先生が自殺したというような文章を読んだことがあります。

 以下(不定期に?)続きます。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木枯らしか?

2014-10-28 15:04:29 | 広瀬川

 いやあ、寒いです。 嫌になるくらいです。

                   (朝6時15分くらいの東空)

        

 オマケに風が強く、まだ寒さに慣れていない老体にはまるで”木枯らし”が吹き荒ぶかのようです。

      (9時50分頃、研修会に行く途中の撮影。圧倒的な雲!)

 

 

 きのうの最高気温は23.7度ですか、きょうは午後2時で12度となっていました。ほぼきのうの半分の気温です。 参りますね。 これから先が思いやられます。

        (午後1時15分頃の様子です。)

 

 

 分流の上流側の撮影は逆光となっています。 魚はいます、サケはいません。

    

 また減水し始めています。

     

 丁度分流が哺乳に合流する前にいました。 いない、いないというと来てくれるのか?

                 

 

 でも警戒心が強いのです、とっても。 本当はもっと近づいていい表情のカモの写真を撮りたいのですが、肝心のカモが許してくれません。 すぐに飛び去ろうと身構え、その後ちょっとでもこちらが動けば、カモたちは飛び立っていきます。

 

 最初はバラバラに飛び立ったのですが、いつしかまとまってきます。上下の写真はたまたまうまく収まってくれました。

               

 この4羽の下流にも2羽のカモがいましたが、こちらも近付く前に一目散に逃げられてしまいます。 飛び去る方向は中洲の本流側を上流に向けて飛びます。

 

 

 本流はこんな流れとなってしまいました。

         

 

  こういう遊び心いいですね。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう落ち葉の季節で、

2014-10-27 16:06:01 | お知らせ

 きょうは変な天気でしたね。午前中小雨が降ったり、曇ったり、午後になると晴れ間が見えたりと変化に富む天気で、きのうとは打って変わった天気となっています。 今夜から明日にかけてかなり冷え込むようです。

                (午前11時10分頃)

 

                  (午前11時30分過ぎ)

          

     

 

 (いま広瀬川分流で元気なのは小魚ですね。もの凄い群れとなって分流の中央をゆっくりと泳いでいます。)

       

 そしていよいやってきました、冬を迎える準備の枯葉、落ち葉の季節が。 これから当分落ち葉掃きが続きます。

              

  (カモをはじめ鳥は姿を見せません。 カラスは飛んでいますが。 あとセキレイか)

  

 

 今朝の定期立哨の帰り、家の近くで見ました、何を? そうです、”雪虫”です。 カメラを持っていなかったので撮影はできませんでしたが、確かに”雪虫”です。 そのうち何とか写真に撮って、お見せいたします。

 

 こちらは見せたくても見せられません。 それは”分流のサケ”です。 確かに1匹生きていたサケがいたのですが、残念ながら写真は撮れませんでした。サケのために撮ってやれませんでした。折角ここまで遡上してきてくれたというのに。

 その代りといっては何ですが、サケの死骸を見てやってください。

 

 これは割と小さいサケです。分流のトロ場の右岸にひっそりと沈んでいます。

                         

 こちらは居ないだろうと思っていた分流の瀬の開きの様子です。大きいサケが沈んでいました。風と流れ、それと陽射しによりよく撮れてはいません。

 

 元気な(元気ではなくても)泳ぐ姿を見てやれなくて悔やまれます。

             

 攻めて哀悼の花を捧げます。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町内会主催 芋煮会 

2014-10-26 15:01:49 | お知らせ

 いやあ、何とも素晴らしいとしか言いようのない天気でした。全く文句のつけようがない秋晴れ、天晴です!!

 

   

           

 

 

 そんな中河原で町内会主催の芋煮会が行われました。 ついつい食べ過ぎるくらい食べて、3杯もお代わりしました。 今年の芋煮はなぜか殊の外美味く感じました。

             

 主役の大鍋です。ここにあるものは、すべて借りものです。 町内会としてもいざという時のために、こういう非常時用の炊き出し一式を持っていてもいいのですが、その財政的な余裕がまだないですね。 それと非常用の発電設備もほしいですね。

 芋煮には大きく分けて、醤油味で牛肉の山形風の芋煮と味噌ベースの豚肉の仙台風芋煮がありますが、毎年つくるのは仙台風芋煮です。

 ねぎ、しめじ、白菜、こんにゃくですが、これですべてではありません。

  

  

 ごぼう、芋煮の芋は”さといも”です。豚肉、ねぎ、とうふも入ります。

 下の写真は白菜を入れたところです。

                

 

 煮えてきたら、溶かした味噌を入れて、さらに豆腐を手でちぎって加えます。

              

 ここまでくるともういい匂いが漂い、食欲をそそります。

 

 そして最後にネギを入れて、ふたをして待ちます。

                

 

 11時30分頃から食べ始め、30分経過後いいよいよ子供会主催の”ビンゴゲーム”です。これもどうということはないゲームですが、誰が早くリーチとなり、ビンゴとなるか結構面白いものです。

 小学生たちがゲームを進行します。 リーチの人はその場で立つことになっているので、たくさんの人が立っています。ゲーム後半の一場面です。

 

 リーチの子どもたちがテーブルの前に集まって賑やかです。 もちろん景品は全員に当たるようになっています。

            

 秋日和の下、芋煮を食べながらの、楽しい河原での老若男女の集いでした。

 山形風の芋煮も食べてみたいなと想う newone でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうしたのでしょうか?

2014-10-25 16:20:23 | 広瀬川

 今日も朝から素晴らしい天気となっています。 朝方は冷え込みましたが、日中はほとんど雲がない真っ青な空、飛行機雲が2本見えました。

 

 きょうは子どもたちではなく、大人、親子連れ、高齢者の団体が多かったです。

         

 

 分流の様子ですが、水量が少し減ってきました。その分澄み切っていますが。

 でも肝心の今ごろの分流の主役は見えません。一体どうしたというのでしょうか?遡上するのに必要な水量は何とか確保されていると思います。 それでも遡上がほとんどないということは、やはり地震に伴う巨大津波が大きく影響しているということになるのでしょう。

 1匹は確かに目撃した(2回も)のですが、写真には撮り損ねてしまいました。黒い薄い影としか撮ってやれなかった・・・、残念です。 折角遡上してきたサケなのに、その証拠をきちんと残せてやれなかった。みなさんにお見せできなかった。

    

         

 何度も言っていますが、分流の写真、なかなかいいと思いませんか? 何とも趣のある牧歌的な景色に見えませんか?

 

                     

 でも分流には例年のように、どこからともなく小魚が集まってきていました。 上の写真は手前の左岸寄りにいたので何とかうまく撮れましたが、分流の中央を群れて泳いでいる小魚はあまりきれいには撮れません。

 

 でもたくさんの小魚が群れて泳いでいる様子はお分かりでしょう。数メートルにわたって蛇行して泳いでいます。 この群れのリーダーは大したものですね、(多分)。

 

 分流を探しても見つからないので、少し上流へ行ってみました。 巨大な鯉が群れていたところです。真鯉から錦鯉までが群れていましたが、きょう午前中行ってみたところでは、その手前に1匹いただけでした。

 いつも群れていたところは、先の増水ですっかり埋まってしまって、身を隠すような場所ではなくなっていました。

           

 最初この大きな魚を遠くから見たときはもしかしてサケか?と思ったのですが、鱗からしてサケではありません。鯉ですね。 まあ、悠然と泳いでいました。

 

 

 でも上の鯉が泳いでいた少し上流の左岸に、白い腹を見せていた大きな魚の死骸がありました。 これはサケですよね。 どうも今年のサケは生きているサケよりも、死んでいるサケを見る機会の方が多いようです。

           

 

 

 あしたは町内会主催の芋煮会があります。 朝から忙しい一日となりそうです。 まあ天気がいいのでその点はありがたいです。  ビールを一杯飲みたかったのですが、夜は第九合唱の練習が待ってますので、軽く1杯(缶ビール1本)くらいで止めておきます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検索キーワード

2014-10-24 14:21:18 | お知らせ

 きょうも素晴らしい天気ですね。こうやってパソコンに向かっていながら外を見ても青い空に白い雲、眩しい日差しが見えます。 ありがたいですね。

 

                  

 (今朝日新聞で夏目漱石の「こころ」の次の新聞小説として「三四郎」を掲載していますが、その中にこういう雲の文章がありました。 『青い空の静まり返った、上皮に、白い薄雲が刷毛先で掻き払った痕のように、筋違に長く浮いている。』 4日くらい前の新聞小説だったのですが、上手い表現だなあと感心したために覚えていたものです。 (暗記していたのではないですよ。そういう表現があったことを覚えていたものです。))

 

 

 もういつ消えてもいいかのような、盛り上がりに欠け、誰が見ても面白いとは言えない拙いこのブログですが、何とか少しでもアクセス数が増えるような努力をしていないことも原因かと思います。

 Googleとしても少しでもアクセス数を増やす手助けをしたいということでしょうか、無料で「アクセス解析」をしてくれています。 年に数回ですが。 この前は9月20日から29日までの10日間アクセス解析をしてくれました。

 具体的には、「検索キーワード」「ページごとの閲覧数」「閲覧元URL」「ブラウザリスト」の4項目です。 見ていて面白いなと感じるのは「検索キーワード」です。 具体的にどういうワードで検索されているか、自分のために書き出してみます。

 各日ごとの2PV以上の項目となります。

 (9月20日): 松本茂は松本亨の子?  広瀬川鮎釣り  吉本隆明  寒河江川・カヤック・チェリーランド

   

 (21日): 彼岸花・投網  広瀬川鮎釣り  2014・鮎・砂鉄川 

 

 (22日): 東北流友会・伊藤稔がダイワテスターを辞めた理由  広瀬川のあゆ  広瀬川・鮎釣り  芋煮会のビンゴの景品  コロガシ釣り・米代川

  

 (23日): マスタープロAZ903SR  タモ・手作り  

 (24日); 亘理・鳥の海・釣り  野島玉造  最上川鮎情報  最上川アユ・コロガシ  広瀬川鮎釣り  wist masterpro az903  MASTERPRO AZ 903 SR  

 (25日): 広瀬川鮎釣り

 

 (写真のマウンテンバイクの人は上流に向かっています。タイヤがバイクのような太いもので、面白い自転車があるものだと見ていたわけです。)

 (26日): 広瀬川水位  小国川鮎釣り  小国川の鮎はまだ釣れますか  鮎と戯れて  マスタープロAZ 903 SR  

 (27日): 餅つき縛不動・祭  広瀬川鮎釣り  鮎竿 MASTERPRO AZ 903 SR  

 (28日): 縛り不動尊  鮎寒河江川  小国川・鮎  

 (29日): 野島玉造  三島由紀夫・首  鮎投網いつまで

 

 以上ですが、まだ鮎釣りの気分というか雰囲気が残っていたので、「鮎」という文字が多くなっています。 まだ暑い日が続いていたのかなと思います。 何にしても検索してこのブログにたどり着いている人が、少ないけどいるというのはありがたいし嬉しいです。

 29日の「三島由紀夫の首」ですが、このブログとしてはほぼ毎日と言ってもいいくらいに閲覧されているものです。 三島由紀夫が自衛隊に決起を促した後自決したことを取り上げた”アサヒグラフ”(1970年12月11日号)の紹介の記事なのですが・・・・。

 興味を持たれた方は、2008年11月25日の当ブログをご覧ください。

 

 河原はやはり人や生き物を引き付けますね。 サケの姿は見つけられませんでした。残念!

 

                 

  

                       

 蝶が飛んで行ったと思ったら、すぐにハチがやってきました。

 

  

 やはり蝶々は花の周りをまわります。右回りですか。

    

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霜降り

2014-10-23 15:12:26 | 思いつくまま

 18日からきのう22日までは「寒露 末候」で、「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」(むかしは「こおろぎ」のことを「きりぎりす」(漢字では、螽斯です)といったそうです。)、そしてきょう23日から27日までは「霜降 初候」で、「霜始降」(しもはじめてふる)となっています。

 

 まだ家の周りでは辛うじて虫の音が聞こえますが、それももうすぐ終わるでしょう。

 ということからではないのでしょうが、宮城県の山間部では霜が降りました。仙台もきのうきょうと15度くらいの最高気温の日が続きます。11月下旬の頃の天気のようです。寒さもいよいよ本格的になってきますね。 覚悟してかからないと。

   (午前10時30分頃)

 

 ということはそろそろあの可愛い”雪虫”もみられるのでしょうか。 去年までは雪虫は雪がそろそろ降ってくるということを告げるために飛んでいるとかきいていたのですが、実際は一年中飛んでいるとかいいます。興ざめですね、そうなると。 でも晩秋以外は見た記憶はないです。

    

          

 

 (分流には何とかサケの姿が見られましたが、写真はひどいものです。一番撮りにくいところを泳いでいます。 一方ではまたしてもこういう姿が見受けられました。(下の写真))

             

 

   

 

 きのう午前中夫婦で掛かりつけの内科で、基本健康診査を受診してきました。 内診、身長・体重測定、臍回りの計測、血液検査、尿検査、血圧測定、心電図です。 

 いやあ、またしても身長が1センチ低くなりました。163センチです。自分では背中が丸くならないように十分注意してきているつもりなのですが、それでも縮みます。 体重は服を着たままで55.5キロ。 臍回り74センチ、血圧は別に緊張しているわけではないのですが、1回目はどうしても高めに出てしまいます。少し間をおいて再度計測の結果138-80か。

 あとで心電図の見方をネットで調べて少しわかったのですが、R波(QRS波)の高さが普通より高いなといわれました。 R波は、心臓が収縮するときの電気の流れで、心室の興奮をあらわし、R波が高いときは心肥大の疑いがあることを示すとか。 心電図で何か言われたのは初めてですね。 いい感じはしません。

 今年になって分かったり、なったりしたことは、右目の飛蚊症、背骨の軟骨のすり減りに加えて、左足ひざの軟骨もすり減っていること、ついでに検査した骨密度では年代の平均の70%と低いこと、そしてきのうの心電図の結果「要観察」になるかもしれません。 つまりは全体的にガタがきているのですね。

 

 (河北新報の写真です。石巻の大原側のサケです。早くこういう写真を撮りたいのですが・・・・)

 基本健康診査の最後は近くの眼科で眼底検査。右目から始めたのですが、すぐに何か異常というか、変な見え方がしていなかったかと言われました。眼科でこういうことをいわれたのは初めてのこと。

 何でも右目の下半分が出血しているといいます。眼底出血です。 そういわれればここ2週間くらいかそれ以上、本を読んでいるときもこちらの方言でいう”いずさ”を感じていました。右目の下の方が見えないことはないのですが、なんかしっくりこないのです。なんというか薄い膜のようなものが邪魔をしているかのようだといえなくもないです。 今すぐとは言われませんでしたが、早いうちに近くの眼科に行って調べてもらうようにと言われてしまいました。

 何と可哀そうな私の右目。 なんで右目だけがこんな目に合うのか。 

 飛蚊症で通った眼科へ午後から行きました。 またしてもいろんな検査をしました。右目の大きな写真をPCで見ながら説明を受けました。 何本か太い動脈があり、そのうちの2本に梗塞状態がみられ、その結果出血して見にくくなっているようです。

 治療としてはレーザーでひとつひとつつぶしていく方法とか目薬とか、投薬とかあるようですが、投薬で出血を抑え血の巡りをよくするようにしてみることになり、きのうから毎食後一日3回薬を飲むことにしています。

 いやあ今年は何という年なのでしょうか?! これからどうなっていくのでしょうか!? 何が待っているか全く視界不良ですので、この分では ”終活” を少し急いで真面目にやっていかなければいけないかなと、晩秋から(初冬に向けて)寒さを身近に感じながら思っているnewoneでありました。

 

                  

 きょうは我妻の誕生日でしたので、久しぶりにバラを中心にした花束を買ってきました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで梅雨寒、気分も冴えず

2014-10-22 16:42:26 | お知らせ

 朝から小雨模様の一日。薄暗いし、全く冴えない天気です。 気分まで滅入ってしまいます。

          (午後4時10分頃です。)

    

   

 (川は薄く濁っているし、薄暗くなったしで川の中は見ることができませんでした。)

            

 

      

 

 痛快なのは、自民党の女性閣僚が二人辞めざるを得なくなったということくらいですか。いい気味です。安倍が鳴り物入りで過去最多の5人の女性閣僚を登用したのも束の間、もろくも二人は撃沈されました。

 それにしてもあの松島みどりの横柄な人を見下したような態度、一体なんですか。国民の奉仕者ですか、これが。 自民党を象徴しているかのような人物です。 よくこんな人物を政治家にしたものだ。支持者の質の問題です。

 そもそも今回女性を今まで以上に登用したといっても、みなさん騙されてはいけません。これもすべては安倍の詭弁強弁はぐらかし誑かしのひとつに他なりません。 現閣僚にとどまらず、元閣僚や自民党の三役等を経験したことのある女性議員をみてみれば、彼女らが日本国民の半分以上を占める女性たちを代表していると思いますか?

 そう考える人がいるなら、よほどおめでたい人たちです。 有村治子、高市早苗、山谷えり子、松島みどり、稲田朋美、森雅子、片山さつき、小渕優子、野田聖子等の名前が浮かんできますが、私に言わせれば、極言すればの話ではありますが、小渕優子と野田聖子を除けば他の女性は果たして本当の女性の見方であるかどうか、いやもっときつく言うと女性として扱っていいものかどうか大いに疑問と言わざるを得ません。

 確かに生物学的には女性かもしれませんが、また服装等も女性の服装ではありますが、心は、精神は男以上に男であるのです。男勝りなんてものじゃない、男を駆り立ててがむしゃらに突き進む、いわば例えはよくないですが、右翼国粋主義のジャンヌダルクではないでしょうか?

 女性の人権、社会的な地位の向上を目指すなんてこれぽっちもありえない人たちです。それどころか安倍と同様に戦前の富国強兵路線を推進する勢力であり、そのために女は家庭に入って夫を助けるべきだとか、いわゆる戦前型の良妻賢母であるべきとか、今の性教育なんてとんでもないので純潔教育を目指すべきとか、まさに現在の女性の地位を脅かし、戦前のあり方に持っていこうとするような人たちです。

 女性の地位向上、人権尊重なんて不要という考えの人たちが集まって知恵を出そうとしたって無理な話しです。戦前の社会、大家族主義に戻そうとするような人たちですから。 そんな輩に減り続ける日本の人口を増やすにはどうしたらいいかなんて考えられません。

 なぜ世の女性たちはそれに気がつかないのでしょうか? それが私には不思議です。彼女らは、言ってみれば ”女性の敵” ですよ。 少なくとも、高市早苗や稲田朋美、山谷えり子らは政治の世界から失脚させなければ、本当の意味での女性の社会的地位の向上、女性が明るく前向きに働ける社会、家庭を築くことは不可能です。

 一縷の望みをつないできたのは、野田聖子や小渕優子でしたが、小渕優子についていえば群馬県の選挙に関しての後進性にはただただ呆れるばかりです。 後援会の責任者が責任をとって町長を辞めるのですか。 また、今どき有権者を花見遊山に連れて行くということも堂々と行われているのですね。 選挙意識としては、有権者にも大いに責任がありそうです。

 天気も憂鬱、気分も憂鬱に任せて、日頃思っている暴言をこの際とばかりに吐いてしまいました。

 

 お口直しというか気分転換にこういう明るく楽しいものをご覧ください。

 10月4日の保育園の運動会の万国旗に変わる子ども達の絵です。

 

           

 

          

  

        

     

                      


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いました、来てくれました、

2014-10-21 15:17:55 | 広瀬川

 午前中は何とか持ったのですが、午後から霧雨、小雨模様となりました。 予報どおりですか。 きのうきょうと冴えない天気です。

               (9時25分頃の写真です。)

   

       

 

 きのうの写真からご覧いただきます。

 ① 澱橋下流の左岸に釣り人がいました。 遠目には3本もの竿を立てているので、これは鯉釣りかなと思って、近付いたらその通りでした。 いろいろ話しをしたのですが、1週間に1回くらいの割合で来ているとか。 きょは暇でしょうがないと言っていました。

 釣れる時はすぐに釣れるそうですが、釣れないときは一日釣れないそうです。 鯉の回遊にうまくぶつかればいいのでしょうが、鯉にもいろいろと都合があるでしょうから、人間の都合とうまく一致するのは少ないでしょう。

 釣った鯉はどうするのかと聞いたら、逃がしてやる、引きを、鯉とのやり取りを楽しんでいるのだということです。 食べてもうまくないということもあるのでしょう。 こういう風景は寒河江市内を流れる最上川でも見られますね。

       

 

 ② 川底のこの不思議な道?は一体何か? ミミズみたいな物体が張って歩いたのか? この川辺に遊びに来た若者が棒で印をつけて遊んだ結果か?

           

 ③ 19日はこのブログでも紹介しましたが、澱橋上流左岸の河川敷は芋煮会のひとたちで賑わいました。その割にはきれいに後片付けはされていましたが、こういう忘れ物?置き去りのものがありました。 もう使わないから、使えないからということで置きっ放しということは前々からありましたが。

 

                

 ④ この上下の2枚の写真は澱橋のほぼ真下左岸の様子です。 上のような土砂崩れは前からあった(少し大きく広くなってきています。)のですが、舌のような土砂崩れというか陥没は初めてですね。 この原因は何かは分かりませんが、澱橋の橋脚補強工事のせいではないことを祈っています。

 

                             (以上きのうの澱橋上下流のようすでした。)

 

 きょうは国際反戦デーであり、去年のきょうはあの東北楽天ゴールデンイーグルスがパリーグのCSで日本シリーズ進出を決めた日だそうです。去年のことなのに、ずいぶんと昔の話しのような気がするのはどういうことでしょうか。 去年と今年の東北楽天が同一チームとは思えないからというのが正解なところかな。 あまりに劇的(悪い意味で)に、急転直下すぎ、天国から地獄への垂直降下、奈落の底への一直線のためでしょうか。

 国際反戦デーという言葉ももう今は完全に″死語”となってしまいましたね。今の若い人たちは知らないでしょう。 新宿等で、今の香港の学生による公道の占拠のようなことが現実に起きたのです。 現在の若者はとても信じられないことでしょう。 昭和は遠くなりにけりです。来年は終戦(敗戦)70年目の年になるのですが

  

 例によって分流を下りながら、川の様子をみていたところ、分流の右岸側に大きな魚影が薄く見えました。ちょっと川も濁りが入っている感じだったし、風で波風もたったりしていたのですが、確かに1匹のサケが悠然と右岸側を上流に向かって泳いでいました。

 慌ててデジカメを取り出し、大きく撮ろうとズームにしたのですが、なまじズームにするとカメラが泳いでいるサケに姿を捉えることができないのです。 そうこうするうちにサケはこういう草むらではない枝が突き出ているところに隠れこんでしまいました。 

 こういうところです。 

 確かにサケです。でも撮れなかった。少し時間を置いてからまた観察してみようと下って行ったら、大きな魚の死骸がありました。 これです。 もうお亡くなりになっていました。 どういうことなのでしょうか?

   40センチくらいかな

 しばらくして下流から歩いてきました。そしたら今度はサケは分流の中央付近を泳いでいました。 今度こそ何とか撮ってやろうとカメラを構えたのですが、動きが早くなかなかうまく撮れません。

 この下の写真の中央付近の細長い物体、これがサケの雄姿?だと思います。

         

 まあ、何にしても楽しみが増えました。 この分流にサケが戻ってきてくれたのです。 これからしばらくの間は、何とかしてサケのいい写真を撮ろうと思っています。記録しておこうと思っています。 それが生まれた川に戻ってきてくれたサケへのお礼です、感謝の気持ちです。

 

   

   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうなることやら

2014-10-20 16:27:05 | 思いつくまま

 きょうはあまりぱっとしない天気でしたが、午後からはいつ降ってもおかしくないような空模様となり、パラパラ降って来たり、何とも重苦しい午後となっています。

 

    

 

 きのうから12月20日(土)の本番に向けての第九合唱の練習がスタートしました。指揮者はこれまた素晴らしい経歴の持ち主で、飯守泰次郎先生です。 ネットでプロフィールを読むと恐れ入るくらいの人物のようです。

 

 「せんくら」こことはリセットしまして、まず最初に飯守先生指揮の第九合唱をみんなで聴きました。 去年の録音のようです。

 

 一番の関心事は何だと思いますか?みなさんは。 私は何といってもドイツ語の発音ですね。 つまり、ER を発音するときに、舌を巻くのか巻かないのかということです。 巻き舌を使うのか使わないのかということですね。

 今年で5年目になり、秋と年末と2回ずつ歌っていますが、巻き舌でなかったのは1回だけでした、確か。  ご存知のように第九合唱の歌詞は、シラーの ”An die Freude”(歓喜に寄す)です。

 schöner (美しい)  Götterfunken(神々の輝き)   Tochter(乙女)   Wir(我らは)   feuertrunken(火を飲む)   Zauber(魔力)   wieder(再び)   werden(になる)   Brüder(兄弟・同胞)   sanfter(やわらかい)  ・・・ etc  etc たくさんあります。

 耳を澄まして聴きました。基本的に巻き舌を使わないようですが、ところによっては巻いているようにも感じられ、どういう基準で巻くか巻かないか決めているのだろうか? 分かりません、はっきりしません。

 巻かないようにして歌うしかないかなと思っていますが、マエストロ稽古で何と言われるか、すべては指揮者(マエストロ)次第ですから。 プロフィールには「彼こそドイツ語で Kapellmeister(名指揮者)と呼ぶにふさわしい」とまで書かれています。

 約30分の第九第4楽章を聴きましたが、我々の合唱指導の先生は、できれば飯守先生のHP(ホームページ)を開いて、先生のメッセージを見てほしい、先生の考え方を知って欲しいと言われました。

 そして実際の練習では、543小節からの M(あの有名な歓喜の歌の旋律) を歌いながらそれぞれの発音についての様々な注意等がありました。 ただ先週は休みで、今週から再開ということだったためか、全体に声は出てはいなかったと自分自身についても言えることですが、感じました。

 最後には、このようなことを言われました。 ベートーベンのメッセージをどうやって伝えていくか?一人ひとり真剣に考えてほしいと。 子音をどう表現するか? 母音の色をどうするか? ここまで来ると私としてははたと困ってしまいます。 何回も言われてはいるのですが、今回はいつにも増して強く言われました。

 子音の発音? 母音の色??これだけでは確かに???ですが、例えば同じ言葉 Freude でもその出てくる場所によって変わるのではないか?と言われると確かに前後の歌詞や旋律によっても確かに変わってくるもの、変わってしかるべきもの、変わらなければおかしいものと言えないこともないなとその時は思ったりするのですが、ではいざ実際にどういう表現で歌うか、明るくとか、力強くとか、広くとか、各自それを考えてくるようにという宿題を出されてしまいました。

 歌詞を何度も読み返し、シラーやベートーベンがこの言葉で何を言いたかったのか、それを自分の血肉となるまで真剣に考えるようにということなのでしょう。 いわば真剣勝負ですね。

 ただ辛いのは、個人的にはこの歌詞(シラーの詩)は何というかすんなりと自分の中に入ってくるようなものではない、恥ずかしさというか恥じらいというかそういう気持ちがあるということですね。簡単に言えば馴染めない、馴染みにくいと言えます。 でもそんなことは言ってはいられないのですが。

 飯守先生のHPを開いて、去年の公演のときのメッセージ等を読ませていただきました。

 2013年12月7日の姫路第九では、「・・・・。8番目の交響曲を書き終えて、彼は、それまでの王侯貴族、進歩的な文化人・知識人のための音楽には何かが決定的に足りない、ということに突然気がついたのではないかと思います。 一番大切な民衆に向かって、世界中のすべての人に訴える音楽、という理念に到達した彼は、ついに交響曲の歴史において初めて、独唱と合唱、つまり人間の声を用いたのです。 第九は、西洋音楽の長い歴史における大改革であり、まさに『庶民のための交響曲』なのです。」とまで言っています。

 同年12月21日の川西市の第九では、「ベートーヴェンが何を考えて作曲をしたのか、ということを様々な例も交えながら皆さんにお伝えします。作曲家の意思を理解し、皆でこの第九の精神を表現する、ということが非常に重要だと思っています。」と言っています。

 

 奥が深いです。ますます迷ってしまいます。  ここまでお付き合いくださってありがとうございます。大半の人にとってはつまらなかったのではないかと思います・・・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

題名のない音楽会

2014-10-19 14:47:36 | 思いつくまま

 きょうはどういうわけか、風に乗って軍歌が聞こえてきます。 例によって黒塗りの大型バスに乗って、大音量で軍歌を流しつつ市内を走り回っているのでしょうか。 自民党の支持があるから大手を振って騒音をまき散らし、市民を威圧して悦に入っているのでしょう。 靖国神社の何とかいう行事のせいか。高市や有村が国会議員として、大臣として公式参拝したようですが、その関連かな。

 きょうも絶好の芋煮会日和。きのう以上に最適の日ですね。風はそよ風、強くない陽射しを浴び、せせらぎを聞きながら料理をして”芋煮”を食べる、ある意味贅沢なことです。

  

   

 きょうも午前中から澱橋上流でもたくさんの若者たちが芋煮会をしていました。 きょうははっきりといい匂いがしてきましたね。とってもうまそうな匂いでした。

 

 

 河原を汚さないで、きれいにしてお帰りください。

       

            (サケの姿はまだ見えません。)

 

 

 日曜日の午前の番組というと、私は聴ける・見られるときはいつも9時からの”題名のない音楽会”を見て・聴いています。 いろんなジャンルの音楽が楽しみながら聴けるのがとってもいいです。

 きょうの題名は”教科書から消えた名曲”と題して、山田和樹先生が指揮をし、東京混声合唱団が歌っていました。

 山田和樹先生というと、ついこの前先生の指揮で”せんくら”のグランドフィナーレ”第九合唱”を歌ったばかりなので親しみを感じてしまいますし、ついこの前なのですが、懐かしさも感じてしまいます。

 ”せんくら”のために5日の本番前に先生の指揮で2回合唱の指導を受けましたし、その時の指導の仕方、話し方、体全体で話しをするというか、表現するというか、それらが強烈なので否が応でも鮮烈に記憶してしまいます。

 話し方はストレートで、言いにくいことでもズバッと言いますし、それでも後腐れがなく納得してしまいます。また若いのに例えがとっても上手いなと感心したことを覚えています。そして何よりも驚いたのは、ピアノが上手だということ、2回目の指導の時ベートーベンの一見ふざけているような題名の曲を演奏してみせたのですが、それがものすごく速い曲でよくもまあ弾けるものだと心底から感心して、圧倒されて聴いていたこともありました。

 その先生の指揮で、東京混声合唱団がたくさんの名曲を歌いました。 「翼をください」 「埴生の宿」 「ローレライ」 「峠の我が家」 「金髪のジェニー」 「草競馬」 「ケンタッキーの我が家」 「おおスザンナ」 「夢見る人」 いずれの曲も私は小中学校で歌った記憶があります。そしていまでも覚えています。

 番組では、昭和35年の音楽の教科書と今年の教科書の比較をしていました。昭和35年の教科書では外国の曲の方が多かったのに正直驚きましたが、全体で比較すると約50年で曲数は三分の一にへっているのです。 とくに外国の曲が大幅に減少していました。

 この背景には”ゆとり教育”が大きく影響しているようなことを言っていました。

 総合司会の佐渡裕先生 (先生との思い出もついこの前のことのように思い出されます。3年前のことですが、先生と直接右肩を組んで一緒に第九合唱の第4楽章のマーチの部分を歌ったのです。Laufet Brüder,eure Bahn,freudig,wie ein Held zum Siegen, (兄弟よ、君たちの道を走れ、勝利に向かう勇士のように)) がこう言っていました。

 『両方の教科書に共通する曲がない。学校で教わるからこそ年代を超えて誰もが口ずさめる曲が、これから先失われてしまうのではないか。』

 荻久保和明東邦音楽大学特任教授は、『昭和35年版のように、外国の曲がこれだけたくさん載ってる教科書は他国にはないこと。 明治になって教科書に載せる曲が国内に少なかったために、外国の曲に訳詩をつけて掲載した。』 というようなことを言っていました。

 そう考えれば今の状況の方がよくなったのかとも言えますが、老若男女が一堂に会して歌える曲がないというのも淋しいですね。

 

 日本にもこういう文庫本がありました。今も手に入るのでしょうか? 数年前に大量に過去の本を処分したときでもこの本は残しておきました。

    

 懐かしさを感じませんか?岩波文庫で定価は星の数であらわしていたものです。私の頃は星1個50円でした。 だから上記の本はどちらも150円になります。

 日本童謡集(与田準一編)は、昭和32年12月20日第一刷発行で、この文庫本は昭和46年7月10日の第十五刷発行のものです。 日本唱歌集(堀内敬三・井上武士編)は、昭和33年12月20日第一刷発行、昭和42年7月30日第十四刷発行のものです。

 日本唱歌集は歌詞と曲の両方が掲載されていて歌いやすいようにできています。日本の学校・家庭で広く歌われてきたものを、その発表年代順に配列し、発表誌と発表年月を明記しています。

 中には、「戦友」(明治38年)も入っています。これは一番から十四番までもあるのですね。一番は「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下」で、十四番は「筆の運びはつたないが 行燈(あんど)のかげで親達の 読まるる心おもいやり 思わずおとす一雫」です。

 また、「電車唱歌」(明治38年)もあります。これは五十二番まであります。 「玉の宮井は丸の内 近き日比谷に集まれる 電車の道は十文字 まず上野へと遊ばんか」 ではじまり、「靖国神社に詣ずれば 大君のため国のため 身をつくしたるもののふの 御霊ぞ代代を護るなる」 で終わっています。

 どうでもいいことですが、両者の帯の後ろはこうなっています。全く同じです。 

               

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芋煮会日和です!

2014-10-18 15:56:39 | お知らせ

 きのうの夜の町内会の会合(お祭りの実行委員会の解散兼反省会)は、ついついビールを飲みすぎましてすっかり酔っぱらってしまいました。 8時半過ぎに帰宅して、コタツに入ったまま横になり、熟睡。よく眠りました。

 11時30分頃起きだして、お風呂には入らず、パジャマに着替えて正式に布団に入って寝ました。 その後もよく眠りました。

      

      

 ということがあったのですが、きょうはまたとってもいい天気で、まさに芋煮会日和ですね。こういう時に河原で熱い芋煮を食べ、ビールを飲むのはさぞかし美味いことでしょう。すぐに酔ってしまいそうですが。

    

 うちの町内会の芋煮会は来週の26日(日)に河原であります。 飲み食べるのはいいのですが、準備や後片付けが大変です。 26日は夜には第九合唱の練習が再開する日ですので、飲めませんが、缶ビール1本くらいは飲もうかなと今から思っています。

     

 第九合唱は5日の「せんくら」が終わって、12日は休みでした。 ということでいよいよ気を引き締めて12月20日の本番に向けての練習が始まります。 練習も厳しくなり、熱を帯びてきます。全体的に盛り上がってきます。 満員の会場で歌いたいですから。

 ましてやこれがnewoneの”最後の第九合唱”となる予定ですので、なおのこと私個人としても力が入ります。 でも、正直いうと自分が合唱団の中で一番下手である、ということは十分重々承知しています。

             

 だからこそ人一倍練習しなければならないのですが、高音部が出にくく(合唱団に入っていて、毎週でも声を出している人には叶いません。)なっていますし、シャッフルされた状態(合唱団がきれいに4つのパートに分かれて並んでの練習や本番ではなく、テンデンバラバラに散ってそこで責任をもって歌う状態)では責任をもって音がとれません。

 そういう甘えはもう許されない(S 席は6000円です。)ということも十分理解しているつもりなのですが、練習の時も一番前に陣取って、後ろから聞こえてくる音に合わせてうたうことで精一杯というのが本当のところです。

 自分なりにやればやるほど難しさにたじろいでしまう、大きな壁に突き当たってしまうといってもいいでしょうか。 最初の頃のがむしゃらさがなくなってきて、合唱の怖さというものが少しずつ分かってきたというところでしょうか。もちろん楽しさも味わってはいるのですが、恐さや難しさに押しつぶされそうになることがあるということです。

 でも、一方で明日からの練習も”待ち遠しい”とも思うのです。相矛盾している気持が同居しています。

 

 

 音楽と言えば、11月1日からですか、仙台市街の広場で変わった?音楽祭が開催されます。 東日本大震災で大きな被害を受けた東北の文化・精神の長期的な復興を目指して、去年からスタートしているとのこと(知りませんでした)。

 「ARK NOVA ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ2014 in 仙台」 です。

          ””新しい方舟””

 この会場が驚きます。移動式会場、移動式のバルーン式コンサートホールというそうです。 いやはや驚きです。 高さが19メートル、幅30メートル、長さ36メートルのまさに風船みたいなものです。 500人収容とか。この中に500人が入れるのですよ、信じられますか?

 スイスでの有名な音楽祭「ルツェルン音楽祭」の支援を受けての開催だそうです。 その形をご覧ください。 いろんな角度から撮ってみました。いままさに準備中です。

 

            

 

              

 面白いものを考える人がいるものです。

 

 最後は食べ物で。

 きょうも柿を剥いて干しました。 13日に焼酎で渋抜きした柿、そろそろたべごろではないかと思い、1個取り出しました。それがこれです。

             これに包丁をいれます。 

  そしておもむろに皮をむいて、

 どうですか?美味しそうですか? 

 さて、実際に口に入れてみると、・・・・・・ 渋い! まだ支部が、いや渋が抜け切っていないじゃないですか!? もちろん渋柿そのものの渋さとは比べ物になりませんが。 5日も経っているのにこれではいかん!ということで再度焼酎に付け直しました。 果たして・・・?


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雲は多かったけれど、

2014-10-17 15:49:13 | お知らせ

 13日から今日までは、七十二候でいう「寒露 次候」で、「菊花開(きくのはなひらく)」となっています。

            (午前10時10分頃)

     

              

      

 風物詩としては、十三夜・栗・枝豆について説明がありますが、きょう我が家では栗ごはんにしました。 もち米も加えての栗ごはんで、たくさんの栗が入っており、ささやかを超えて”豪華な栗ごはん”となりました。 もちろん美味かったです。

     

           

 (いい水量です。盛夏にいつもこのくらいの水量があったら・・・なんてどうしようもないことを思ったりしています。)

          

 

 今夜は町内会のお祭りの慰労会兼反省会があります。 久し振りに”ビール”が飲めるかな? 我が家ではいつも”発泡酒”ですから、たまに飲む本物のビールは美味いものです。飲み過ぎには注意しようかなとは思っていますが、果たしてどうなるか?

           

 

            

 午前中は雲が多かったですが、その後はいかにも秋らしい爽やかな天気となっています。申し分ない天気ですね。

             

 だからということもないのですが、きょう午前最後の渋柿を我的太太(=愛人)ともぎ取りました。もうかなり大きくなっています。実に立派なもので、我ながら惚れ惚れします。 何といっても貧弱な柿の木ですから。

              (これはきょうの収穫の半分くらいです。)

        

 なんで貧弱な木から、こんなに立派な実がなり続けるのか分かりません。分かりませんが、嬉しい限りです。 大きくないからこそ、梯子とかを使えば何とか大半の柿を採ることができるのです。 こんなことを書くと来年は全くならなかったりして・・・。

 

                 

 約100個は干し柿にしました。 残りは47度の焼酎で渋抜きをしていますが、きょうは初めてドライアイスを使っての渋抜きに挑戦しました。 焼酎がなくなったので、買ったついでにドライアイスをもらってきまして、それを使わせていただきました。

 

     


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする