きのうの最高気温は25.4度と夏日でしたが、きょうの最高は24.3度できのうより1度低かったようです。午後から、子どもたちの見守りと通学路の清掃活動に従事してきましたが、小学校に出かけるときのそよ風と言いたいところでしたが少し寒いかなと感じたくらいでした。
正午の風速は4メートルでした。まあ、私はひとよりは厚着の方です(=寒がり)ので、寒さの方には敏感です。このところ毎朝の河原の散歩のときは広瀬川本流の水に触れています。少し前は冷たいなと感じたものですが、この頃はおっあったかく感じるぞ!となってきています。
明日から6月です。和名で水無月です。広瀬川はその月の名の通り水が少ない、かなり少ないです。梅雨も終わり、水も涸れるということで「水無月」という説と、田んぼに水を張る「水張り月」や「水の月」という説があるそうです。私は梅雨はこれからですので、水張り月でつをとろうかな。
そして、みちのく以北の鮎釣り師たち以外にとっては、いよいよ待ちに待った鮎釣りの解禁日となります。みなさんのよくいく河川の水量や鮎の生育状況はどうなのでしょうか。そういう川ばかりではないでしょうし、たぶん明日は鮎釣り師の間で悲喜こもごもの感情が呼応することでしょうね。
(きのうの続きです。緑化仙台フェアの西公園南側会場のその2です。きのうはツリークライミングというのでしょうか、きょうはジップスライドというようです。どちらにしろ、勇気がなければできませんね。なかなか進めない子どもがいてもおかしくありません。)
年々鮎釣りの環境は厳しくなっていくでしょうし、それは自然環境だけではなく、人為的な環境もそうでしょう。昔のことを知っている身としては現状の鮎釣りの世界が見ていられません。可哀そうです。たまに郊外の釣具店へ行くと、まあ何と淋しいことか鮎釣りコーナーの場所が。
かっては夏の釣りと言えば鮎釣り、まさに夏の風物詩そのものだったのに、広瀬川を見ても解禁日でも私が解禁日に入る付近の広瀬川でさえもマスコミのみなさんがやってきません。昔々はテレビ、新聞の記者やクルーが結構やってきて、何回も記事にされたりテレビのニュースに出たりしたものです。
栄華盛衰、人生の悲哀?みたいなものを感じたり、空しさを味わったり、まさに夏の鮎釣りは人生を振り返る、振り変えさせる何かがあります。だって、解禁日なのに肝心の鮎が全く釣れなかったりするのですからね。
そして、鮎釣り師の数の少ないこと、少ないこと。場所取りなんかまったく気にすることがない、必要がないのですからね。昔々もうひとつ昔は解禁時間である午前4時の前に川に行って場所取りをしたものです。信じられませんねえ。
鮎釣りのことを振り返るとどうしても暗くなってしまいますね。我々のような高齢の鮎釣り師が大挙して亡くなってしまえばそれこそもう鮎鶴業界は風前の灯火でしょうね。そうそう、鮎釣り関係のメーカーのカタログ、これを見ていくだけでも盛衰が分かろういうものです。
(苦労して、怖さを克服して何とかたどり着いたこの少女、思わず拍手してしまいました。おかあさと一緒となりました。)
メーカーもいっぱいあって、いろんな竿が売り出されて、各メーカー主催の競技会が開催されてみんなで盛り上げていく、昔はまさに共存共栄という世界がありました。いやはやどうしても書きはじめると暗くなってしまいます。
ここは明るくいきたいものです。夏だけの風物詩を彩るひとりとなるのですから。明日解禁を迎えるみなさんも明るい新鮮な気持ちで入川してください。竿を伸ばしてください。ハナカンに鮎の鼻を通してください、手が震えるかも、そして気合を入れて狙う場所におとり鮎を送り出してください。
(この場所も、フェアでようやく脚光を浴びてきたようです。前からあったのですが。)
あとは強烈な掛かりを、引きを味わってください。引き抜きには慎重かつ大胆に当選しタモに飛ばしてください。数匹掛ければ心も落ち着くことでしょう。でも、でも、もしかして全く掛からないということもあるかもしれません・・・・。広瀬川みたいに。
生き物を相手にしているのですから、そういうこともあります。それも含めて鮎釣りです。鮎釣りの楽しみに加えるべきかとおもいます。 楽しむということ、これにつきますね!!!
(分流に少し小さい亀がいるのです。とっても敏感なのです。)