鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

年度の終わりに

2011-03-31 21:28:41 | 思いつくまま

 3月も今日でおしまい。ということは平成22年度も今日でおしまいで、明日からは平成23年度が始まるということです。

 でも、どうしても明日から新年度だとはどうしても思えない。その気にならない。去年までなら今日で旧年度は終わり、明日からは新年度だからと気分を入れ替えることができたのに、今年に限っては全く年度の区切りという感覚はありません。

 3月11日以来ずーと地震時間が続いている感じ。というか、今日で区切ってはいけない、区切るべきではない、継続しているものとして認識、実感し続けるべき、そうしなければいけないという気持ちでしょうか。

 あしたは4月1日、そうです、久しく忘れていたエイプリル・フールです。3月11日のことがエイプリル・フールであってくれれば、笑って済ませることができるのであればどんなにいいことか・・・。

 なかでもやるせないのは、悔やんでも悔やんでも悔やみきれないことは、石巻市の大川小学校です。

 児童108人のうち何と56人が亡くなり、18人が行方不明というのです。108人のうち74人、約70%の児童が津波にのみ込まれて亡くなっているのです。この数値、信じられますか。こんなことが許されていいのでしょうか。

 新聞記事によると、地震のあとすぐに裏山に逃げようとしたそうですが、木が倒れてきたので裏山は諦め、では校舎の屋上はどうかと思ったそうですが、それも無理と諦め、道路を歩いて逃げようとしたけれど、とき既に遅く、こんなにもたくさんの児童が死んでしまったようです。

 先生も13人のうち10人が死亡か行方不明といいます。

 この児童と先生の死亡者数の多さ。目を覆いたくなります。信じられません、信じたくもないです。なんでこんな悲劇が起きてしまったのか。せめてもう少し何とかならなかったのか。

 先生方のうちで誰かがリーダーシップをとって、強引にでも裏山に逃げるようにできなかったのか。一方では先生方のとっさの機転で先生も児童も全員無事だった学校もあったようですし、そうであればなおのことなんとかならなかったのか、と悔やまれます。

 一瞬のうちに津波にのみ込まれてしまったたくさんの児童たち、その時一体何を思ったのでしょうか、何が何だか分からないうちに泥の津波にのみ込まれ翻弄されて死亡してしまったのか。そういう風にして子どもを亡くしてしまった親は、両親は一体どういう気持ちで冷たくなった子ども達と対面したのか。そんな現実を受け入れられるのか。できない、私にはできない、認められない。親としてどうやったら正気を保つことができるのでしょうか。分かりません。

 せめて、人的な被害を受けなかった者としてはせめて、そのようなことがあったということをいつまでも記憶に留めておくべきかと考えます。それが亡くなった子どもたちへのせめてもの供養かと思います。

 だから、今年は年度は継続しています。

コメント (1)
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3月ももう終わりで、

2011-03-30 20:06:32 | お知らせ

 どうしたというのでしょうか、このところ花粉症の症状が激しくてたまりません。目はかゆいし、開けているのが辛いし、ショボショボして、鼻は詰まり、詰まっても鼻水は勝手に垂れてきて、いくら鼻をかんでもすっきりしない、もう鼻の下はヒリヒリする始末。どうしたらいいのでしょうか。病院に行かなければならないのか。こんなにもひどい花粉症の症状は初めてです。

 地震以来我家の生活は早寝早起き、夜は10時には布団に入るという生活です。徹底的にとまではいかないけれど、かなりの節電を心掛けています。早く寝てもぐっすり眠れるわけでもなく、朝は3時か4時には目が覚め、その後はうつらうつらするばかり。眠気を払拭するかのように余震が起きたり。

 もう3月も終わり。平成22年度も終わって、すぐに平成23年度となります。いつもなら人事異動等により、否が応でも年度の変わり目ということを強く意識したものですが、今年はいつの間にか年度末になってしまったかのようです。これでいいのか、いつものように月日が流れていいのかとさえ思ってしまいます。

 地震や津波の被害に会い、困っている人が一杯いるというのに、情けないことにこの頃思うことは、はやく都市ガスが復旧してくれないか、少しでも早く復旧して自宅のお風呂に入りたい、頭を髪を洗いたいといいうことです。お恥ずかしい、申し訳なく思いますが、悲しいかなこれが現実なのです。

 今日も写真特集です。広瀬川の河川敷の工事の模様です。撮影は27日(日)です。

 

    

          

               

       

 

      

 下のように大型のショベルカーが工事をしています。このようなショベルカーとかは大津波の被災地で活躍して欲しいものです。

                

 このキャタピラーつきのトラックは、澱橋下流の河川敷の工事のときも大いに活躍しました。

 

 このような重機の賃借料はどれくらいするものなのでしょうか。他人事ながら気になります。

                 

 


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広瀬川河川敷工事

2011-03-29 20:42:07 | 広瀬川

 ちょっと溜まっていた写真を見ていただきます。

 撮影は3月6日(日)です。まさかその5日後に巨大地震がやってこようとは全く予想だにせずです。

 これと関連する写真は10日のブログで前半部分を紹介していますので、10日の方もご覧ください。

 いずれも広瀬川で、西道路のトンネルが途切れているところの真下の左岸側の河川敷の工事の様子です。(「の」が6つもついて、悪文の見本です。)

 この付近は一昨年くらいに1回工事しているはずなのですが。石と砂に分けて、頭大の石を河原に敷き詰めたはず。すぐに土砂に埋まってしまいましたが。今回はその部分とさらに上流側の部分の工事となるようです。

 この付近はアユ釣りにはとってもいいポイントです。平瀬と早瀬が続き、しかも水量水深は申し分なく、川底の石もたまらなく見事なのです。直接川底には手をつけてはいませんが、今後どうなるのか、どうするのか心配です。

 

 

 

 

 

 

 上の写真の右側上流がいいポイントなのです。

 

 

 

 

 この稿は続きます。余震も続きます。

 

 

 


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今日もいろいろ、・・・

2011-03-28 19:54:36 | お知らせ

 今日は3月28日月曜日。穏やかな週の初めを迎えたかなと思っていた矢先、グラッグラッと大きな揺れが。どうしても自然は我々に落ち着きを、平安をお与えになるのが嫌なようです。まだまだ苦しみが足りないというのでしょうか。これも試練、ヨブのようにとことん耐え忍ばなければならないのでしょうか。

 そんな中、わがみちのくの希望”東北高校”、春の選抜で大垣日大と対戦しましたが、0対7の完封負け、完敗でした。ここまで押さえ込まれれば諦めもつこうというものです、悔しいけれど、勝負ですから。負けは負けです。

 本来なら、今日28日は夜、職場の送別会が開かれる予定でした。何事もなければ、あの11日の忌まわしい出来事がなければ、今頃は街中の飲み屋(料理屋)さんでワイワイガヤガヤ盛り上がっているところでした。それが地震後はお店とも連絡がつかないまま、送別会は中止となってしまいました。

 それでも人事異動はあります。先週内示がありました。人事の停滞は避けたいし、かといってこの非常時、大幅な異動は難しいし、人事担当部局は大いに悩んだことでしょう。4月を1ヶ月くらい繰り下げて実施する所もあるようですが、これだけの大きな被害を出しながらも、宮城県教育委員会は4月に異動を行うと強硬な姿勢だそうです。ま、それも一つの考えではあるでしょうが、今回に限ってはそこまで頑なにならなくてもいいのではないかと思うのですが。

 三居沢のお不動さんの滝の写真は何度も紹介してきました。凍りついた滝は見事としか言いようがないくらい素晴らしかったです。(そうじゃなかったですか?)以下の3枚の写真は、今日の午後遅くのものです。

            

 お不動さんはその名のとおり不動でした。小さいけれど貫禄があります。さすがお不動さんです。

 そばに控える者たちも顕在でした。

 

 しかし、滝の上の方はやはり落盤、崖崩れが起きたようです。大小の岩が転がっていました。

               

 最後の写真はお不動さんとは全く関係ないのですが、ひょんなところから出てきたので紹介します。11日の巨大地震で机の周りの書類や新聞の切り抜き、各種のコピー等が崩れ落ちまして、この前ようやく拾い集めました。

 そしたらその中から出てきた一枚が写真の新聞記事です。(今また揺れています。)写真をみて、あれっ記事が横向きになるべきではと思いませんでしたか?写真と記事があべこべでは?と。幹部職員が90度近くも頭を下げているからです。

           

 記事は2007年(平成19年)3月23日の朝日新聞のものです。ちょうど4年前です。東京電力福島第一原子力発電所3号機で、30年前の1978年定期点検中に5本もの制御棒が抜け落ち、7時間半も臨界状態に陥っていた(原子炉が制御不能だったということ)模様とのこと。まさに今渦中にある福島第一原発3号機のことです。

 しかし、この事故を教訓にすることはなく、その後も似たような事故が2年以内に、同じ福島第一原発2号機と5号機でも起きたとか。同じ発電所内でさえ情報が共有されていなかったようだと。

 どうしても事故を隠そうとする心理が強く働くようです。トラブル隠しの体質はその後も変わってはいないのではないでしょうか。東京電力の第一線の社員(といっても、実際は下請け、孫請けの人たちでしょうか)の皆さんは必死に作業をしているのでしょうが、現場と本社との意思の疎通等はどうなっているのでしょうか。東電の副社長の顔はよく見ますが、社長のお顔は存じ上げません。ご尊顔を拝し奉る機会はあったのでしょうか。東京電力といえば日本を代表するトップ企業でしょうが、このままでは原子力で足元を掬われて傾いてしまうのではないでしょうか。福島第一原発は早急に廃炉にすべきです。この際巨大なコンクリートの塊にしてしまうより他はないです。廃炉にせず、何とか再稼動させようとしたためにこのような非常事態を招いてしまったという話しも聞きましたが、果たして本当なのかどうか。

 日本の原発については学者でもはっきりと推進派と反対派に分かれているようで、原子力行政にも大いに問題がありそうです。


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3月27日(日)

2011-03-27 20:06:29 | お知らせ

 いい天気でしたが、陽射しはあったのですが、風は冷たかった一日でした。久し振りに一日休めましたが、昨日から妻の父親が入院したので、また忙しくなっています。長い入院とはならないようですが、歳が歳ですから予断は許しません。本当にこの頃はいろんなことが起こります。何が起きてもおかしくない状態です。

 広瀬川は陽気に誘われたのでしょうか、特に子どもたちの賑やかな声が一杯響き渡っていました。少年野球チームの練習、サッカーの少年たち、草野球の子どもたち、そして散歩の人々と犬、そうそうジョギングの人も。

 床屋に行って来ました、町内の。夫婦で。奥さんは散髪のみ。私は頭(髪)をきれいに洗って欲しかったのですが、どうせならと、きれいにカットしてもらい、加えてボカシも入れてもらいました。これで去年12月以来2回目となります。すっかり見違えり、若くなりました。やはり髪が少し黒くなると、ぐっと若返って見えますね。単純なので嬉しくなります。

 今週あたり都市ガスも使えるようになるのではないかと期待しているのですが、果たしてどうなるか。

 

 久し振りに広瀬川の分流を見てください。

                

 上流側から下流側の様子です。薄い笹にごりの感じです。

 

 流れとしてはいい流れです。

          

 一見すると内陸部は平和で、地震も津波も全く関係なかったかのようですが、街中を歩くと結構地震の爪あとがあります。ブロック塀に亀裂が走ったり、石を積み重ねた塀が倒れていたり、多分建物の内部もひびが入ったりしているのでしょう、ガラスや壁が壊れ落ちたり、・・・。

 今日を入れてあと5日で22年度も終わり、新年度23年度が始まるというのに、本当に始まるのでしょうか?時間の観念がおかしくなってしまった感じです。


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184人と885人

2011-03-26 20:22:21 | お知らせ

 今朝の朝日新聞によると、25日現在で東北地方太平洋沖地震で亡くなった人は10,066人、安否(行途)不明者19,743人ということです。合わせると約30,000人になります。この数値をどうとらえたらいいのでしょうか。誰もがよもや11日の午後2時46分にあんな巨大な地震、強烈な揺れが数分にもわたって続く地震が起きるとは思わなかったでしょう。今思い出してもぞっとします。もう絶対に経験したくないです。

 さっき30分くらい前ですか、町内会の全体役員会があったのですが、その時も立て続けに結構強い揺れが断続的に起こりました。日中はあまり余震を感じなかったので、今日こそは静かな夜を迎えさせてくれるかと思った矢先の地震です。1回起きると、2,3回連続して揺れるのが今回の地震の特徴といえるでしょうか。 地震が起きても新年度に向けて町内会の活動は始まりました。こういう時期だからこそ、全体役員会を開催したのだと会長はいいました。そのとおりかも。

 同じく今日の朝日新聞の社会面にとっても悲しい記事が載っていました。

「児童・生徒 184人死亡」 「宮城・岩手・福島 安否不明885人」

 3県で少なくとも小中高校の児童生徒184人が死亡し、885人が安否不明になっているということです。それでも未だに実態の把握は進んでいないと。同じく3県での教職員の死者は14人、不明者は56人に上るとのこと。何とも痛ましい限りです。何で若い子どもたちが、これからの日本の宝である子どもたちが死ななければならなかったのか。悲しいです、悔しいです、納得できません。認められません、許せません。このことをどのように理解したらいいのか、分かりません。あまりに理不尽、不条理です。

 街はいまだに復旧せず。ガソリンは一体どこに行ったのでしょうか。6時間待って21リットル、3時間待って12リットル入れられたとか。開店していないガソリンスタンドにもなぜか車の列。人が乗っていない車がズラーと並んでいます。今日がだめでも明日にかけるということでしょう。ガソリンは船から陸揚げされたり、タンクローリーが運んできているはずなのに、市中のスタンドにはいきわたらない。これもおかしい、どう考えてもおかしい。

 コンビニやスーパー、生協の店が明るいうちに閉まってしまうというのはもう慣れましたし、日常のことのようになっていますので驚きはしませんが、今日本当に久し振りに本屋に入りました。やはり本屋さんには1週間に1回は入らないと何となく落ち着きません。地震の前からですから2週間以上も行っていないことになります。おとといか、仕事の帰り寄って見たら、あしたは10時から5時の間開店しますという張り紙がありました。

 今日は職員がたまに早く帰ったらといってくれたので、その言に甘えて少し早く帰り、本屋さんに寄りました。そしたら予想以上にお客さんがいたのにはビックリしました。みんな本に、活字に飢えているのかと勝手に嬉しく思ったのですが、新聞広告に載っている新刊書籍が全くないのです。そのうち店内放送があり、只今宮城県では書籍や雑誌は流通しておりません。古いものですので、手にとって確かめてください、と。

 こんなことははじめての経験です。ガソリンは製油所等が壊れたりしているので仕方がない面がありますが、まさか書籍の流通も痛手を受け、2週間以上も経っているのに正常に戻っていないとは思っても見ませんでした。NHKの4月からのテキストブックもまったくなし!!せめて新刊に囲まれて、しばし地震を忘れようと思ったのですが、空しく?空振りとなりました。

 もう今頃は今年の夏に向けたアユ釣りの雑誌が出ているはずですよね。2,3冊は出ていてもいい勘定ではないかと思います。個人の趣味のことはいいとしても、新聞の新刊案内の本が全くないというのは淋しいものです。本当に日本から置いてきぼりを食らったかのような、悲しい気持ちになってしまいます。贅沢なといわれればそうかもしれません。でも、やはり新しい本に触ってみたいものです。

 都市ガスは周辺部から使えるようになってきています。中心部へは28日以降のようですが、果たして何時ガスの炎が燃えるのか。そしていつお風呂に入れるのか。これも被災者から見れば贅沢なことでしょうが、やはりゆっくりとお風呂に入りたいです。頭を洗いたいです。

 なんかとっても次元の低い話しとなってしまいました。申し訳なく思います。

 あしたは地震以来はじめてジックリ休めるかも。あっこれもこんなことを言ってはだめか、・・・。


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中くらいの卒業式

2011-03-25 20:17:31 | お知らせ

 早いもので11日の東北地方太平洋沖地震から丸2週間が経ちました。それなりにライフラインも復旧しつつあり、街中もオープンする店が増えているようですが、まだまだ制限時間があったり、品物が少なかったり、まだまだ正常化とは程遠い状況です。

 何といっても車が少ない。驚くほど少ない。ガソリンが手に入らないから乗らないわけです、乗れないのです。考えてみれば、「自動車」とはいいながら、自分からは動けません。動力源のガソリンがなければ動かないのです。ソーラーで自由に動けるようになれば「自動車」と名乗っても許せますが、今の状態では「自動車」という名称は返上すべきではないでしょうか。

 そんなことはどうでもいいのですが、丸々2週間経ってもガソリンの供給が全く不十分だということは、製油所の立地条件や、交通網に欠陥があるということにならないでしょうか。ややもすると、全ては想像を絶する、想定外の、巨大な規模の地震と大津波のせいといわれそうですが、それで逃げていてはまたいつの日か経済が壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。よく川の上流にダムを作る時に言われる言葉、「100年、200年先を見越した建設」ということば、これこそはこの世で一番手に負えない物質”原子力”にこそ当てはめて考えるべきでしょう。それこそ取り返しがつかないことのないように。

 

 昨日は小規模小学校の卒業式に出席してきましたが、今日は中規模の小学校の卒業式に出席してきました。昨日は19人、今日は94人の卒業生です。会場はつい最近まで指定避難所として使われてきた体育館です。ここの道路に面した窓ガラスや壁は地震で壊れました。ステージの奥は危険なので、式典はフロアで行いました。もともとは18日の予定だったのですが、結果として1週間延びてしまいました。

         

 ≪今午後8時37分、かなり強い揺れが起こりました。今日は揺れが少ないと喜んでいたのに。同じ揺れるのなら、仲間がたくさんいる日中にして欲しい。≫

 1組から順に入場してくるのですが、まあ身長のばらつきというか背の高さ、小さい子どもから160センチ以上の子どもまで、身長差はすごいものです。思えば私も卒業の時は138センチでした。よく覚えています。中学校のクラスでは前から3番目だったかな、小さかったです。その後急速に背は伸びましたが。

          

 式に先立って、全員で地震や津波で亡くなった人々の冥福を祈って黙祷しました。

 校長先生から一人一人卒業証書を受取り、来賓の前を通って、花束を受取り、保護者席の自分のお母さんやお父さんに感謝の花束を渡します。何度見てもいい光景です。目頭が熱くなります。

 在校生としては5年生が出席したのですが、ステージの前の階段に6年生が並び、5年生と向かい合う形での合唱、これがなかなかいいのです。ピアノの伴奏で歌いあいます。 #ありがとう# #さようなら#

 合唱については、去年からその素晴らしさに目覚め(何と遅い目覚めであることか)、すっかり好きになってしまったのですが、改めて人間の声のハーモニーの虜になりました。

 94人の卒業生、来月は中学生になるわけですが、これからも幾多の試練にあうことでしょうが、今回の巨大地震を乗り切ったことを源泉として、幾多の困難も乗り切っていくことを願っています。

 

 今回の地震と津波による死者と不明者をあわせると27,000人とか。何という巨大な数字でしょう。一瞬のうちに平穏な生活を打ち壊されてしまいました。さぞかし無念であったことでしょう。ご冥福を祈るより他はありませんが、今回の大惨事のことは生きている限り記憶し続けていきたい、生きたいと思っています。


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小さな卒業式

2011-03-24 20:07:17 | お知らせ

 今日は余震が少なかったなと思った矢先、また揺れました。

 それでも人々の生活は続きます。子ども達も成長しています。

 今日地域の小さな小学校での卒業式がありました。いつもなら来賓の数も多いのですが、さすがに大震災の後ということもあって、残念ながら少なかったのは寂しい限りです。

 でも19人の子どもたちは、仙台の、宮城県の、日本国の宝19人の子ども達は、保護者や在校生らに見送られて小学校を巣立ちました。

           

 本来なら十分な予行演習をし、子ども達に感動を一杯与えようと厳かな中にも思い出に残る楽しい企画を考えていたのでしょうが、地震のために、余震が全く収まらないために、一箇所にたくさんの人たちが永くいることは好ましくないということで、実際の卒業式は必要最小限の儀式のみとなってしまいました。

 式辞の中で、話が地震の被害者のことに及ぶと、校長先生は声を詰まらせていました。

 この小学校は第24回目の卒業式ということでしたので、開校して30年くらいということになりますか、そんなにも古くはないと思うのですが、校舎のあちこち、とくに階段の踊り場付近のつなぎ目は全てにひびが入っていました。

 そしてここ、2階の放送室の廊下側の壁は鉄筋がむき出しになっていました。よっぽど強い力が働いたのでしょうか。

  

 広い校庭が自慢だった(縦に100メートルとれる)のですが、校庭に亀裂が入り、日々拡大しているといいます。

 

 今回の大震災では、話しを聞けば聞くほど身近なところでの被害が一杯出ているようです。ややもすれば大津波の被害ばかりに目を奪われますが、それぞれの人が各家庭で大小の被害を被っています。でも、人的な被害ではないので、津波の被害と比べようもないので、人的な被害がなかっただけよかったとそっと心の中で思っているわけです。

 今回の地震は、東日本大震災、東北地方太平洋沖地震、東北関東大震災とかいろいろ言われていますが、一体人的な被害はどれだけになるのでしょうか。また経済的な被害は何兆円になるのでしょうか。9千人以上の死者がでているようですが、平気で9千人と一括りに言ってしまう感覚が恐ろしいです。それだけの人がほんの30分から1時間の間に亡くなってしまったのです。もっともっとそのことに思いを馳せ、想像力を働かせて一人一人の死について考えてみることが必要ではないでしょうか。感覚が麻痺しないようにしたいと思っています。


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いつまで続く、大きな余震

2011-03-23 19:46:44 | お知らせ

 夜中は余震がなかったように感じ、これはいいなと思ったのに、朝の7時前後から短くはあるがかなり強い地震(余震)が頻発しました。日中はあまり感じなかったのですが、夜になってまたまた大きく揺れ始めました。

 しょっちゅう余震が起きるもので、胡坐をかいたり、正座をしたりすると体が前後左右に揺れる感じで、地震なのか体が不安定で揺れているのか分からなくなります。常に揺れている、揺らされている、そういう中で生活しているのが現状です。

 ということで?少しは明るい期待の持てる話題にしたいので、最上川について写真を見てもらいましょう。撮影は昨日22日です。”ゆ~チェリー”の南側にあたるのでしょうか、そこを流れている最上川。

 最上川で私の一番好きなポイントです。トロあり、チャラ瀬から平瀬、急瀬、荒瀬、深瀬とすべてのポイントが揃っています。かなり安全に釣りが楽しめるところです。無理しなければ。

 雪解け水のせいでしょうか、最上川はかなりの増水でした。夏でもここまでの増水はなかなかないのではないでしょうか。ご覧ください。

 写真はいずれも上流から下流に向かって撮っています。

                 

          

 

 以上の3枚は高くなっている”ゆ~チェリー”の駐車場から撮ったものです。

 以下の4枚はぐっと近付いて川面を撮ったものです。如何に凄い水量かお分かりになるでしょう。本当に滔々と流れています。

 

 下の写真はやや右岸よりに岩盤が川の上下に露出していて、その手前は荒瀬になっているところです。それらがすっかり埋もれてしまっていて、岩盤も激流も窺い知れません。全てを覆い隠すかのように、それでいて何事もないかのように豊かな水量となって、静かに力強く流れています。

    

        

 ここから右にカーブして流れます。

              

 如何でしたでしょうか。最上川は何事もなかったかのように雪解け水を集めて流れています。

 今年の夏はどんな夏になることやら。釣れなくてもいいから穏やかな夏であって欲しいです。

 明日はまた冷えるようです。今日も風がとっても冷たく、事務室はさっぱり暖かくないもので、マフラーを首に巻いて厚手のコートを着たままで何とか一日を過ごしました。

 明日明後日と周辺の小学校の卒業式があります。何としても二つの小学校の卒業式に出席して、巣立つ子どもたちを励ましたいです。何といっても子どもたちはわれわれの、社会の宝ですから。

 


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さっぱり、すっきり

2011-03-22 20:31:10 | お知らせ

 義弟からガソリンを30リットル分けてもらった(ありがたいことです。)ので、少し遠出をして温泉に入ってきました。

 はじめは地元の作並温泉にしようかとも思ったのですが、10時からだし何人が並ぶのか、何分入れるのか分かりませんので、この際隣県まで手を伸ばして、温泉に浸かるだけではなく、あわよくばガソリンも入手して来たいと思って、我愛する山形県に行くことにしました。

 午前7時30分頃に家を出て、R48号線を西へ。びっくりしたことは何となんとナントあの東京は”警視庁”のパトカーが10台近くも山形方面から仙台に向かってきたのです。クラウンクラスの立派なパトカー、「多摩」や「足立」ナンバーの警視庁のパトカーです。何で今頃?、何で山形経由で?と思わないでもないですが、何となく頼もしいですね。そう感じます。

 そしてもう一つ。山形は神町駐屯地からでしょう、自衛隊のトラックやジープがひっきりなしに仙台方面に向かっていました。どこの被災地に向かうのかは分かりませんが、ジープはものすごく横長なのですね。いわば平べったいのです。自衛隊の車両は30台はあったでしょうか。一列縦隊ではなく、三々五々群れをなして走っています。これは警視庁のパトカーも同じです。

 やっぱりと思ったのは、山形もガソリンを求めて開いているGSにはものすごい長蛇の列でした。山形県もガソリンは手に入らないのです。何かおかしい。

 向かう先は、寒河江市の日帰り入浴施設”寒河江花咲か温泉”「ゆゆ~チェリー」です。ここは朝6時からやっていますし、大人一人300円と安いです。ここでゆっくりと温泉に浸かり、露天風呂にも入り、汗をかき、身体を隅々まで洗い、頭も何度もシャンプーしました。こんなにゆっくり入ったのも、丁寧に洗ったのもはじめてかも。

 入浴後はさっぱり、すっきり、申し分なし、文句なし、天国、極楽。

 あと1週間はお風呂に入らなくても我慢できます。

 皆様にお勧めします、「ゆ~チェリー」を。寒河江花咲く温泉を。安くて、きれい、広いし、一度に3つの温泉に入れます。

 

温泉の外の芝生には鴨が4匹います。これがとっても人懐っこいのです。寄って来るのです。餌をもらえると思っているのでしょう。逃げません。

                

 帰りの関山トンネルの手前の王滝でラーメンを食べましたが、そのとき駐車場の倉庫の上に1匹の猿がいたのです。ここでは夏はよくトイレ休憩をしますが、サルの姿を見かけたことはありません。

 ちょっと小さくて見にくいでしょうが画面の中央の小さい物置の上です。

 

 また恨み言です。なんでこうも余震が多い!!しかも結構強い!夕方の地震はかなり強かった!!まだまだエネルギーが余っているのか。いい加減にしてくれ!!もうたくさん。これだけ暴れたのだから、今度は平穏を与えて欲しいものです。


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ありがたいことです。

2011-03-21 20:20:48 | お知らせ

 今日は春分の日。お彼岸の中日です。いつもなら街中はお墓参りの人々で賑わうのですが、今年は異常も異常です。

 午前中市内のお寺に行ったのですが、途中の道の空いていること、空いていること。驚くばかりです。道行く人も少なく、車が渋滞しているかのように見えるのは、ガソリンスタンドでの給油を待つため。GSにある一角をグルッと取り囲むようにして並んでいます。そんなにして何時間も待って、どれだけ入れてくれるのか。満タンにはしてくれないでしょう。少しずつ多くの人にという考えで給油するでしょう。

 何かゴーストタウンみたい。全く街に活気がない。意気消沈している。ガソリンが、灯油が手に入りにくくなっているから、街の商店から商品が少なくなっているから。デパートもスーパーもコンビにも時間を区切っての開店。品物がなくなれば閉店。そのために生協やスーパーには朝から長蛇の列。皆おとなしく静かに待っています、立ち続けています。

 お寺も例年なら駐車するのにも大変なのに、我々が行った時は車は3台のみ。びっくりです。それにしても少ない。花が供えられているお墓もほんのわずかです。線香の匂いも、煙もほとんどありません。こんなお墓参りは初めてです。異様です。おまけに数百年も続いている木造の本堂の屋根瓦も大分落ちていました。とっても大きい本堂で、屋根瓦は何千枚あるのでしょうか。あとで檀家同士で負担しあうことになるのでしょう。

 今日は休みの日で、午前中墓参り、その後職場に顔を出すつもりでした。昨日の午後から給水の人が大分少なくなりましたが、今日もそうなっているのかどうか心配でした。昼を挟んで行って見ましたが、三々五々水汲みに来るだけで、心配は雨だけでした。そういう状況を見届けて帰宅しました。

 ほとんど手付かずだった自分の身の回りの整理、崩れ落ちたままの本や書類、新聞の切り抜きの整理整頓というか、この際今度こそは極力捨てるという考えで整理しようとマジに思っています。そしたら、珍しいものが出てきました。珍しいなんていったら失礼に当たるかもしれませんが、それは明日以降に紹介します。

 今日の午後ですが電話が来ました。妻が出て私に代わりました。どこからの何の電話だと思いますか。何と熊本県からでした。驚きました、熊本には知っている人はいないはずなのに。そしたら「川辺川を守りたい女性たちの会」の人からの電話でした。東北関東大地震のニュースを見て、東北からも数人の支援者がいるということで、調べて電話してくれたのです。ビックリすると同時に嬉しかったですね。はるばる九州から仙台の一個人の安否を心配してくれている、そう思うと本当に嬉しいです。やはり日本全国の人が東北のことを気に掛けていてくれるのだなと改めて思い。心からありがたく、深く感謝します。

 この前は伊丹市の会社員時代の先輩から電話が掛かってきました。ようやく繋がったとホッとして、あの津波の映像を何度も何度もみて心配で心配でたまらなかったと。今、なるべく車に乗らないようにしている、ガソリンの消費を抑えているとまで言ってくれました。やはり周りの人たちみんなが心配してくれています。

 岡山県の友人からは困ったことは何でも言ってくれ、欲しいものがあれば送るからとのありがたいメールをいただきました。

 また東京の岡野釣具店からもメールがすぐにきて、いろいろと心配してくれました。お得意様?だったからとしても、商売だからとしてもありがたいことです。

 関東地方にすむ友人知人からもメールや電話をいただきました。

 本当に全国の人たちが心配してくれているということが分かり、感激すると同時に宮城県民の一人として、みちのく人の一人として復興に立ちあがらなければならないと改めて思った次第です。

 宮城県人は負けません。藩祖政宗が何度も窮地を、死地を乗り越えて、大藩をつくりました。必ずや見事に復興してみせることでしょう、みせます。

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来ない春はない!

2011-03-20 20:20:36 | お知らせ

 今日で10日目ですか、巨大地震から。

 今日もよく揺れました。

 一体いつまで揺れるのか。

                  

 いつまで揺れれば、気がすむのか。

 午後になって嬉しいことがありました。

         

 職場周辺の町内で、

 水が出るところが多くなったのです。

    

 水道局の話しでは、31日迄かかるとか言っていたのですが。

 前倒しというのは、嬉しいものです。

           

 そのため、午後になると、

 水を求めに来る人の数が、

 驚くほど少なくなりました。

                   

 なんか、あっけないくらいに。

 でもいいことです、

 何といっても水が出ることは。

          

 生活に潤いを、潤滑を、滑らかさを、しっとり感を、

 何よりも安心感を与えてくれます。

  

 ガスの復旧は絶望的ですが、

 電気と水道が使えれば、

 それなりの生活ができます。

               

 ちょうど疲れが感じられるようになってきたところなので、

 本当にほっとしています。

        

 園庭の花壇には、去年植えた

 チューリップが、

 しっかりと芽を出していました。

                  

 雪が多く、寒かった冬でも、

 球根はしっかりと息づいていました。

 もうすぐ咲きます。

 いろんな花を咲かせます。

 楽しませてくれます。

           

 どんな花が立ち直った私たちを迎えてくれることでしょうか。

 (また、揺れました。不気味です。)

 去年のブログをご参照ください。

 2010年5月17日のブログを。


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夕日がとってもきれいでした。

2011-03-19 21:10:59 | お知らせ

 今日は3月19日土曜日です。午後9時15分。地震のお陰で、このところ毎日早く寝ています。昨日は10時前には布団に入っていました。節電ということも少しはありますが、疲れで眠くなるのと、眠れるうちに眠っておこうという気持ちが早く布団に入ってしまう原因でしょうか。人間らしい生活といえばいえるのでしょうか。早寝早起き

 早く寝たからといって熟睡できるわけではなく、必ず余震とかが、しかも深夜とか明け方に起きる感じで、安心してぐっすり眠れるわけではなく、浅い眠りとなるし、気分はよくはありません。1回だけ、19日だけは熟睡に近かった。

 こういう気持ちは県内の皆さんも同じだろうと思います。

 そんななか、地域の中学校の卒業式がありました。本当は、何事もなければ12日に実施予定だったのですが、あの忌まわしい大惨事で延びてしまいました。残念ながら出席できませんでした。去年のとっても感動的な卒業式のことをはっきりと覚えているので、是非とも今年も出たかったのですが。卒業生の皆さんには、未曾有の体験をしたけれども決して挫けることなく、前向きにみんなで力をあわせて前に進んでもらいたいものです。地道な努力を決して怠らないようにしてほしいと思います。

 家では(どこでもですが)ガスがきてないので、風呂には入れません。10日に入ったきり、まだ一度も入っていません。熱めのお風呂にどっぷりと浸かりたい!!でも休みがなかなかとれず、何時間も並んで銭湯に入ることも出来ないし、近くの温泉に入って身体を洗いたいとは思っても休めないし、車のガソリンの残量が少なくもったいなくて乗れません。幸い寒くはあっても暑くはないので汗はかかず助かっています。水は出るので下着の洗濯は出来ます。

 でも、やはり我慢できないので洗髪は15日と今日と2回妻に洗ってもらいました。気持ちがいいです。洗髪後のヘアトニックの爽快感、堪りません。

 今日は午前中はとってもいい天気でした。路面は凍っていても、水道の蛇口は凍ってはいませんでした。ほっとしました。

 久し振りの、見上げたくなるような青空。空だけを見れば、長閑(のどか)な平和な穏やかな一日といいたいのですが、人々の水汲みの苦労はなくなりません。今月一杯かかるとか、水道の全面復旧には。まだ約2週間、毎日、日に数回水を汲み続けなければなりません。天気がよければいいのですが、ずーと一日いい天気とはいかないようで、今日も午後からは強風が吹き荒れました。ペットボトルを帽子を看板を倒します。風と聞くとどの方向の風か、風向きはどこかということが気になります。南からは吹いてもらいたくない。福島原発があるから。自然はお構いなしでしょうが。

 そして明日。午後から雨模様とか。つくづくついていません。寒さに震えるよりはいいかもしれませんが、やはり雨は御免被りたいです。降らないことを願いつつ帰途につきました。

 そしたらふと見上げた西空の太陽、夕日の美しかったこと。全く眩しくなく柔らかい表情で西の山に隠れようとしていました。厳かな夕日といっていいです。神々しくさえありました。であれば、そういう太陽は快晴をもたらして欲しい、人間の勝手な願いですが、そう思ってしまいました。


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自然はこんなに美しいのに

2011-03-18 20:44:16 | 広瀬川

 3月18日金曜日。悪夢の日から早1週間経過。あっというまの7日間。一昨日昨日と真冬並みの天気。最低気温も-4.1度。積雪。

 今朝の広瀬川の様子。朝日が昇りつつある午前7時前。

 何事もなかったかのように今日も太陽は東から眩い輝きを放つ。

         

 雪の日の朝。まるでクリスマスのよう。何と平安、のどかな風景。

         

 分流が見えます。いつものように。

 

                   下の写真は分流の上流域

               

    これは分流の下流域の雪景色

 

         少し高いところからの分流の下流域の様子

           

 連日、どこのテレビでもラジオでも、東日本大震災や福島原発のニュースをやっています。どこの県の死者、行方不明者は何人と報道しています。死者の数は阪神・淡路大震災の死者数を上回ったとか。

 死んだ人はどうなるか。検死のあと火葬にふされます。今日親を病気で亡くした人から聞きました。圧倒的な数の死者数のため葬儀社との連絡もつきにくく、通夜や告別式の日取りも決められない、死体の安置場所を探すのに悩み、火葬するにも何時になるか分からない。仙台市の火葬場でも市外や県外からも申込が殺到し、順番待ち、葬祭会館の2階は病死者、1階は津波による死者、三陸海岸沿いの町や市では火葬場がなくなったりしたため、火葬できず、やむを得ず土葬にするとか、そもそも棺が足りなくて困っている、等々。

 

 そして、水。予想通り外部の水道は凍結しましたが、破裂はせず、暖めたりして何とかすぐに復旧しました。相変わらずの水を求める人の列。見慣れた顔に混じって、新顔の人も。聞きつけて水を求めてやってきます。今日は空気は少し冷たかったものの陽射しもあり、それだけで気持ちは明るくなります、少しは嬉しくなります。仙台市の発表では、この地区の水道の完全復旧は31日になるとか。あと2週間。まだまだ長期戦となります。せめていい天気が続いて欲しいものです。


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白い悪魔

2011-03-17 20:14:50 | お知らせ

 休みでしたが、外科に行って薬をもらってから出勤。平日の出勤時間帯なのに、この車の少なさは何?一体何があったのか?とビックリするくらいでした。異様なのは、歩道に面した車線側の車の大渋滞というか大縦帯です。ガソリンスタンドにははるか遠くから車が並んでいます。

 そして生協やスーパー等の店頭の人の列。黙々と並んで、ジッと開店を待っています。外国人がよくこれで暴動が起きないものだと感心する光景です。

 

 外の水道の凍結が心配で、どうか凍っていませんように、水道管の破裂などないようにと祈っていました。朝方2,3センチの積雪

 結果的に、凍結はしたものの暖めて解凍できたし、そのまま少しして流れ出したりと、3つの蛇口からは水が勢いよくでてくれたそうです。それを聞いて少しは安心しました。

 午前中の前半は大した雪降りではなかったのですが、後半からかなり強く降り出したり、お昼頃にはちょっと止みそうになったので喜んだのも束の間、その後は猛烈に降り出しました。

 まさに白い悪魔。なんでこの時にこんなに寒く、真冬並みの気温となり、吹雪模様の天気となるのか。なんでそこまで厳しい試練を与えるのか、神は。

 同じ降るなら、東京電力福島第一原子力発電所に降ればいいのに・・・

 

 写真はいずれも今日夕方近くのものです。水汲みも一段落したところです。

 何事もなければ、何とも風情のある名残り雪と言えないこともないのですが、今日この頃は悪魔、白い悪魔です。人間の身勝手さそのものですが。

 下の写真の右側は何だと思いますか。そうです、玄関先のチェーン雨どいです。ガチガチに凍っているのがお分かりかと思います。

           

 このように寒い中でも、人々は水を求めて遠いところからでもやってくるのです。水がなければ人間は生きていけません。男女も貧富も関係ありません。大型ベンツに乗っている人も、BMWのスポーツカーの人も雪の中、水を求めにやってきます。

 水とトイレ、絶対欠くことのできないものです。 改めて水を自然に、当然のこととして飲んできた、飲めてきた環境に感謝しなければなりません。あまりに便利すぎてきた、便利さだけを追求してきた現在のわれわれの生き方そのものを見直すいい機会としたいです。

 あわせて原発です。不便になってもいいから、こんなに恐ろしいものは、制御できないものは要りません。もっと不便な生活に戻ろうじゃないですか。今の生活が、生き方が人間らしいとはどうしても思えません。どこかおかしい、これでいいはずがないと、多分多数の皆さんは何となく感じてきたことと思います。

 コンビニは24時間営業しなくてもいいじゃないですか。テレビは時間を区切ってもいいじゃないですか。かなり前に石油ショックのときでしたか、テレビは夜の12時までと規制(自主規制?)されたはずです。それでいいではないですか。その方がはるかに人間らしい生き方、自然とともに、自然のなかの人間という生物として相応しいのではないですか。

 こう書きつつも地面は揺れています。何度か揺れました。なんか常に揺れている感じがします。ちょっと振り向いただけでもクラクラとめまいのように感じたり、三半規管がおかしくなっています。耳鳴りは消えないし、困ったものです。

 地震のお陰?で懐かしい子ども時代の同級生から電話がかかってきました。同じ年なのに、もう孫が9人もいるのです。羨ましい!!私も孫と一緒に川に行きたい、一緒に釣りをしたい、できれば、ものです。

 


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