朝方の冷え込みが一段と厳しくなるにつれ、こちらの動きは鈍く、緩慢になります。 それではよくないとは知りつつも、外に出るのが億劫になってしまいます。
丁度12時頃の写真です。
というのもますます寒さに敏感となり、もう冷気を感じると体が震えてきます。 自分でもちょっと異常ではないか?とさえ思ってしまいます。 もしもですよ、変な想像ですけれど戦前にタイムスリップして、旧満州でソ連に降伏しシベリアへ連れて行かれたとしたら、まず真っ先に凍死してしまうことでしょう。いやその前に輸送列車の中で衰弱死かな・・・・。
(広瀬川本流の右岸の岸壁はこのように凍結しています。)
(下の写真の左側あたりでは大昔橇で遊んだ記憶があります。当時は子どもは風の子でした。)
ということでこの頃は体は細身なのですが、着ぶくれになりつつあります。 まあこれも冬が過ぎ去るまで、寒ければ寒かったほど春の喜びが増すというものです。 昔の人々はよくぞ冬の寒さに耐えたものです。偉いです。(こんなことをいうとは本当に馬鹿ですねえ)
そんな寒い中でもカモたちは元気でした。 見ていると元気なカモというか、若いカモなのか、流れに乗って下ったりして遊んでいるのですね。
今朝、NHKBS1「ヒロシマ 世界を変えたあの日」 と 「武士の娘」 を見てしまいました。ともに再放送かな。 「ヒロシマ・・・」の方はいろいろと初めて知ることが一杯ありました。
アメリカではいまでも主流となっている考え方でしょうが、原爆投下が戦争を早く終結させた、100万人のアメリカ兵の命が救われたという考えですが、それは原爆担当責任者だったグローブ少将が、自分の責任を問われかねない窮地に追い込まれつつあった時に考え出した二者択一の論理で原爆投下を正当化したものだと言います。つまり、100万人のアメリカ兵の犠牲か、もしくは原爆かという二者択一です。(何か小泉とか安倍の論理を思い出します)
とくに絶句してしまったのが原爆孤児たちに関する証言です。 いつの戦争でも犠牲となるのは子どもです。疎開している間に原爆で両親を亡くしてしまった孤児は3000人くらいいたとか。 それでも最初のころは周辺の農家等の炊き出しで飢えを凌げたものの、冬になるともう駄目、飢え死にです。一番悲惨な状況です。
それでも女の子はよかったとのこと、といっても飢え死にしなかった、しにくかったというだけですが、暴力団に一応は庇護されて、その後大きくなってから花街に売られていったといいます。どっちにしても悲惨この上ないです。
炊き出しがあっても小さいこの順番になるともう食べるものが見当たらなくなり、そういう時どうしていたか、炊き出しの空っぽとなった鍋の底に自分のハンカチを浸したり、ハンカチで鍋の底を拭ってそれを吸っていたと言っていました。
さらにもっとびっくりしたのは、落ちている石を舐めるのだそうです。ひもじいから、なにか口の中に入っていないと不安で不安でしょうがない、だから石ころでも口の中に入っていれば安心できるのだということです。(江戸時代の大飢饉のときは農民は土を食べたということを思い出しました。土の方が石ころよりもましかも・・・)
これがほんの70年前の出来事です。 亡くなってしまった野坂昭如の一番恐れていたこと、心配していたこと 『飢えた子どもの顔は見たくない』 というゆるぎのない信念で、戦後70年を生きてきてたくさんの傑作、貴重な小説や童話を書き残してくれました。でもまたしても歴史は繰り返そうとしているのかもと思われて仕方がありません。
そうそうきのうの夜の立川談志のドラマ、正確には立川談春なのかな、またしても 嵐 の二宮和也が出ていました。 「母と暮らせば」という映画を見たばかりなので、ついつい興味をもってパソコンをいじりながらですが、見てしまいました。 結論から言うと見て良かったですね。
まあよくもあの落語の口上を憶えたものです。 古典落語を一気呵成にまくしたてる、カムこともなく(撮影過程でカムことはあったでしょうし、何回もテストや本番を繰り返した結果でしょうが)聞く人を、見る人を引き付けるような演技を見せてくれました。 何かますます二宮が好きになってしまったようです。 これからは歌よりも演技の方に注目してみましょう。
演劇というか役者はいいなあと思いますね。 実は、もう一年以上も前になりますが、私も劇団に入ってみようかなと思ったのです。 というのも、第九合唱の方を丸5年で一応卒業して、次は何をしたいかと考えた結果、こんどは演劇に挑戦してみようかなと思った次第です。
それで在仙の劇団に照会したところ、まず直接練習の現場を見てくださいと言われていました。そのつもりでいたのですが、練習日のことやいろんな団体に所属してボランティアをやる羽目になってしまったために、会議や打ち合わせがいつ入るか分からないし、劇団員の人に迷惑をかけることになるなあと結局は見学もしませんでした。
劇団ならなにも役者ばかりでなく、裏方さんもたくさん必要ですし、事務方も必要かもしれません。いろんな人たちが集まっての劇団であり、公演なのですが、なんにしても合唱よりもひとり一人の責任が重くなりそうに感じ、ついつい躊躇してしまいました。
でも、ネットで見つけた早口言葉の練習は、大したことはないのですがやっています。みなさnご存知ですか、『外郎(うゐらう)売り』 です。まあ読んでみると、読んでみるだけでもとっても面白いです。読んだ結果滑舌がよくなればこんなにいいことはありません。
二代目 市川団十郎みたいになりたいですね、できれば。 以下に掲載しますので、興味のある方は是非とも挑戦してみてください。 ちょっと長いです。
【うゐらう売り】
拙者親方と申すは、お立ち合いの中に、ご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原、一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、円斎と名のりまする。
元朝より大晦日(おおつごまり)まで、お手に入れまする此の薬は、昔、陳の国の唐人、外郎という人、わが朝へ来たり、帝へ参内の折から、此の薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒(いちりゅう)ずつ、冠(かんむり)のすき間より取り出す。
依って其の名を帝より「頂透香」と賜る。即ち文字には、「いただき・すく・香(におい)」と書いて、「とうちんこう」と申す。
只今は此の薬、殊の外世上に弘まり、ほうぼうに似看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、色々に申せども、平仮名を以て「うゐらう」と記せしは、親方円斎ばかり。
もしやお立ち合いの中に、熱海か塔の沢へ湯治においでなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門ちがいなされまするな、お登りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、おもてが三つ棟玉堂造り、破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免有って、系図正しき薬でござる。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知ない方には、正身(しょうしん)の胡椒の丸呑み、白河夜船、さらば一粒食べかけて、其の気味合いをお目にかけましょう。先ずこの薬を、かように一粒舌の上にのせまして腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝がすこやかに成りて、薫風喉(のんど)より来たり、口中微涼を生ずるが如し、魚・鳥・きのこ・麺類の喰い合わせ、其の外、万病速効あること神の如し。
さて、この薬、第一の奇妙には、舌のまわることが銭ごまがはだしで逃げる。ひょっと舌が廻り出すと、矢も楯もたまらぬじゃ。そりゃそりゃ、そらそりゃ、まわって来たわ、まわって来るわ、アワヤ喉、サタラナ舌に、カ牙、サ歯音、ハマの二つは唇の軽重、開口さわやかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
一つへぎ、へぎに、へぎ干し、はじかみ。盆豆・盆米・盆ごぼう。摘み蓼・つみ豆・つみ山椒、書写山の社僧正。小米の生噛み、こん小米のこなまがみ。繻子・ひじゅす・繻子・繻珍。親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい。古栗の木の古切口。
雨がっぱか、番合羽か。貴様のきゃはんも皮脚絆。我等がきゃはんも皮脚絆。しっかわ袴のしっぽころびを、三針はりながにちょっと縫うて、縫うて、ちょっとぶんだぜ。かわら撫子・野石竹。のら如来、三のら如来に六のら如来。一寸さきのお小仏に、おけつまずきゃるな。細溝(ほそどぶ)にどじょにょろり。
京の生鱈、奈良、生まな学(まな)鰹、ちょっと四五貫目。お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ、茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ。
来るわ来るわ、何が来る、高野の山のおこけら小僧。狸百匹、箸百ぜん、天目百ぱい、棒八百本。
武具・馬具・ぶぐ・ばぐ・三ぶくばぐ、合わせて武具・馬具・六ぶぐばぐ。菊・栗・きく・くり・三きくくり、合わせて菊・栗・六きくくり。麦・ごみ・むぎ・ごみ・三むぎごみ、合わせて麦・ごみ・六むぎごみ。
あのなげしの長なぎなたは、誰が長薙刀ぞ。向こうのごまがらは、荏(え)の胡麻殻か、真ごまがらか、あれこそ、ほんの真胡麻殻。
がらぴい、がらぴい、風車。おきゃがれこぼし、おきゃがれ、ゆんべもこぼして、又こぼした。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ。たっぽたっぽ一丁だこ、落ちたら煮て喰お。煮ても焼いても喰われぬ物は、五徳・鉄きゅう、金熊どうじに、石熊・石持・虎熊・虎きす。中にも、東寺の羅生門には、茨木童子が、うで栗五合(ごんごう)つかんでおむしゃる。かの頼光のひざ元去らず。
鮒・きんかん・椎茸・定めてごたんな、そば切り・そうめん・うどんか愚鈍な小新発知(こしんぼち)、小棚のこ下の小桶に、こ味噌がこ有るぞ、こ杓子こもって、こすくってこよこせ。おっと合点だ、心得たんぼの、川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、やいとを擦りむく、三里ばかりか、藤沢、平塚、おおいそがしや、小磯の宿(しゅく)を七つ起きして、早天そうそう相州小田原とうちん香。
隠れござらぬ貴賤群衆(ぐんじゅ)の、花のお江戸の花うゐらう。あれ、あの花を見てお心をおやわらぎゃっという。産子・這う子に至るまで、このうゐらうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角だせ、棒だせ、ぼうぼうまゆに、うす・杵・すりばち・ばちばちぐゎらぐゎらぐゎらと、羽目を外して今日おいでの何れも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っぱり、東方世界の薬の元締、薬師如来も上覧(しょうらん)あれと、ホホ、敬って、うゐらうはいらっしゃりませぬか。