いやあ、寒かった、布団の中でも冷気を感じました。足元には湯たんぽまであるというのに・・・。トホホです、何をかいわんやです。毎度毎度の寒さに対する嘆きのオンパレード。今年の冬は平年よりも低い気温が続くようです。猛暑の夏の次は暖かい冬、暖冬と言われてきたような・・・。
しかしながら、自然は厳しい。ニンゲンに自然の厳しさを味あわせようと虎視眈々と狙っているのかも。まあ、夏は夏らしくならば冬は冬らしくということでしょうか。それなら秋は秋らしく、春は春らしく、四季の移り変わりを肌身で実感できるようにしてほしいものです。
きょうの最高気温は6.3℃で、最低気温はマイナス(△)2.3℃でした。午前中が冷えていましたね。午前3時は△1.1℃、6時は△2.0℃、9時は△0.3℃となっています。
3時間ごとの天気では午前中はずーとマイナス(△)ということでした。正午は4.6℃、きのうの正午は6.3℃、結果としての最高気温はきのうと同じの6.3℃でした。
今朝の新聞の一面のトップはホンダと日産の経営統合に関する記事でした。おとといあたりから騒がれてはきましたが、みなさんはどう思いますか。まじめに考えるといろんなことが思い出されます。
ホンダよりは日産自が多いかな。今の日産になったのは昔々私が予備校時代頃かなあ、日産が当時存在していた『プリンス自動車』を吸収合併してからですよね。ほぼ60年前くらいか、古い話です。
なぜそんなことを予備校時代に知ったのか?予備校に行っていた時に誰かの新聞だったかなあ、新聞「赤旗」かなんかで読んだ気がします。当時プリンス自動車は労働組合が強く、何とか組合活動をつぶそうとした経営層が日産に話を持ち掛けたのかな。
それで、プリンス自動車は日産に吸収されてしまい、日産自はそれだけ大きくなりました。記憶によると、当時はトヨタ自と日産自が大きかった自動車会社で、他にも乗用車を生産していたのは、いすゞ自や日野自も存在していました。
車の名前も覚えています。いすゞ自の”フローリアン”、日野自の”コンテッサ”だったかなあ、個性的な車が走っていました。私が教習所で乗った車は何あろういすゞフローリアンでした。前のシートにも3人乗れたかなあ、後部座席と同じような座席でした。
プリンス自の話しでした。当時プリンスが生産していた車は、グロリアであり、スカイラインでした。それらの車が日産傘下に入ってしまったわけです。それで合併後の日産自はセドリックとグロリア、ブルーバードとスカイラインを生産することになったわけです。
日産自といては、セドリック・ブルーバード・サニーという車のラインアップでしたね。そこに何んとも個性的なスタイルのグロリアが加わり、スカイラインも加わったわけです。ちなみに、冬至んトヨタ自はクラウン・コロナ・カローラというラインナップでしたね。
面白いことに、昔のトヨタ自の名称には「C」が入っていたものです。クラウン・コロナ・カローラまさに「C」からはじまります。後で加わったセンチュリーも「C」がつくか。センチュリーに匹敵する日産自の車はプレジデントでしたか。
コロナの少し上級の車としてマークⅡが作られましたが、これだって最初は「コロナマークⅡ」でした。セリカもそうかも。日産となったスカイラインはその後売れに売れましたね。なにしろカッコよかった!!新しく生まれ変わるたびに精悍さを増し、機能も充実しました。””愛のスカイライン””なんて知らない人がいないくらいでした。
その後の日産自の作る車の酷いこと、なんともカッコ悪い車をつくるのです、一体どういう感覚なのか、デザイナーもそれを承認する役員たちも。ヒット商品が少なく、スカイラインなんてでぶっちょのまったく見る影もないひどい恰好の車となってしまいました。
カルロスゴーンの悪影響のためなのかどうか分かりません。でもあんなひどい輩を責任者にもってくる、もってこざるを得なかった日産自には救いようがなかった。利益を上げるために、何のことはない人員整理で人件費を浮かせただけ、利益を上げたかのように見せて自分への報酬を呆れるくらい高額なものにし、ついには国外逃亡へ。
その後の日産自は電気自動車に活路を目指しましたが、パッとしません。そんな日産自と経営統合して「ホンダ」はどうる気なのでしょうか。私がホンダの株主であったならば反対しますよね。不良債務を抱えに行ったかのようなものです。本田宗一郎が草葉の陰から泣いています。
書くのを忘れていましたが、私と日産自との付き合いはもうかなり古くなりますが、2ボックスカーが出始めたころとなります。いわゆる乗用車というのは3ボックスカーともいいますよね。2ボックスカーのはしりの車””プレーリー””でした。
3列シートで、前に二人、中が3人で後が二人だったかなあ。ファミリーカーというか大家族向けの車でした。2000CCか。この車自体はいいも悪いもありませんが、呆れたことがあって日産自から離れました。
車検かそれに近い検査のためだったか、いろいろチェックをしてもらったわけですが、戻ってきた車を夜に走らせたら、左右のライトの位置が違うのです。普通だったらライトは下向きにセットされているかともうのですが、その時は片方が下向き、もう一方が上向き(並行)にセットされていました。いやあ、これにはびっくりしましたねえ。まさになんじゃこれは!!??です。それ以来日産自とは縁がありません。
それにしても、プレーリーという車、2ボックスカーで3列シート、7~8人乗り、とっても斬新な発想で、設計だったかと思うのですが、作った日産自に先を見通す力がなかったのか、後塵を拝したほかのメーカーたちに追い越されてしまったということもありました。
長くなってしまいました。むかし話です。思い出話です。お付き合いくださった皆様ありがとうございます。認知症初期の老人には昔のことを思い出すという行為がすこしは効果があるとか言いますので書かせてもらいました、思い出すままに。