(午前9時前)
良く晴れ渡っていたし、陽射しもあり、濡れ縁で柿の皮むきをしていた時は風がないもので暑さを感じたくらいでしたが、陽が陰ると空気の冷たさを実感するという一日でした。
(水がありません)
今日の最低気温は8.8度で、最高気温も14.9度のようで、えっそんなに低いの?と思うくらいでした。 まあ如何も明日から11月・霜月をむかえるというのには相応しいというべきでしょうか。その覚悟をしておけということかも。あと霜月と師走の二カ月を残すのみですね。
もう少しで忘年会のシーズンか。その前にきょうはハローウインですか、仮装して集団で”暴れてもいい日”なのですかね? 若者が暴れたくなる気持ちは分からなくはないですが、そうであれば何も変装しなくても日々平日の生活の中で、時の権力に対してNON!とう気持ちを表し続けてくれればいいのに・・・・。
力の強いもの、権力を握っているものに対して立ち向かっていくのであれば、何も必ずしも行動で示さなければならないというものでもなく、少なくとも心では立ち向かっていくという気持ちを持ち続けていってほしいと思うのですが、 無理でしょうね。
いろいろ批判のしようはあると思うのですが、”造反有理”という言葉や、”連帯を求めて孤立を恐れず”という言葉、私は好きです。いい歳をしてと嘲笑されるのは重々承知・覚悟の上です。 ニンゲンは本質的に保守的だからこそ、精神的には革新的であるべきではないか、そうしてはじめて均衡が保てるのではないかと思っています。
しかしながら現実は精神的に優位に立てるからでしょう、権力者側に立って弱い立場の者をやっつける言動を得意になって繰り返す悲しい輩が多すぎます。権力に利用されているだけなのに、権力と一体的なものとして、反対するものを攻撃する、それで満足し喜んでいる。何と悲しい現実でしょうか。
(カモと一緒にいました。)
安田純平さんに対する自己責任論ですか。誰に安田さんの行動を否定できるのですか。彼こそまさに日本・日本人という井戸を飛び越えた世界に比する行動のひとと私は称賛します。こういう日本人がいてくれて嬉しいです。
彼の行動は、ちょっと変な言い方ですが大同小異ということから言えば、褒められることでこそあれ、決して批判、ましては非難されるようなことではない。世界に誇れる日本人であると言っていいと思っています。国に迷惑をかけた、3億円以上の身代金を支払った、それが何だっていうのですか、それでいいじゃないですか。
国民全員が国の言うとおりにしか行動できなかったら、そんな社会はまっぴら御免です。従う人もいれば従わない人もいていろいろな人がいて丁度いいのです。大体国の言うことを信じる方がおかしいと考えたことはないのでしょうか。考えてもみないのでしょうか。平気でうそをつき、ごまかしているじゃないですか。何とおめでたいことか。
(サギもいました)
3億円なんか安田さんの功績からしたら安いものです。官房機密費があるでしょう、そこから出してやりなさい。どうでもいいような政治家を養うために税金を使うなら、彼のような人のためにこそ使うべきでしょう。
またここにきて貴ノ岩ですか、裁判を取り下げたとか。それも貴ノ岩のモンゴルに住む親族が一大バッシングを受けているからだとか。日馬富士は責任をとって横綱を辞めたのだからそれで十分に責任をとっている、それなのに下位のものが最高位のものを訴えるということ、しかも2000万円の賠償金を請求しているということが耐えられないかのようです。
加害者側に立って被害者をやっつけるという構図はまるで日本社会の構図そのもの。一部のものがSNS等でバッシングを煽っているというのですから気が滅入ってしまいます。モンゴルよ、お前もか。
そもそも問題の発端は日馬富士の理不尽な暴力行為(暴行傷害)です。誰であっても傷害事件はあってはならない行為なのに、ましてや大相撲の横綱の地位にあるものが引き起こした傷害事件で、まさに横綱にあるまじき行為そのものなのです。抵抗のできない状況下での傷害です。
貴乃花親方の不可解な行動等もありましたが、それなのにいつしか被害者の方が批判・非難されるような状況になってしまうなんてどう考えても理不尽極まりないことです。名実ともに充実した横綱であれば、バッシングのような行為を率先して止める側に回るべきじゃないですか。 力のあるものが弱い者をいじめる構図、嫌ですねえ。
何か話しがまったく違った方向に逸れてしまいました。これでまたまたアクセス数は減少することでしょうね。それはそれで仕方のないことです。これこそ自己責任です。残り少ない人生、折角ブログをやっているのですから言いたことを言いたいと思います。
(この精神で)
きのうのNHK朝ドラ「まんぷく」で、久し振りに出会った世良が的を得た厳しいことを言っていました。敗戦直後の闇市ですが、『ええも、悪いもない、あるのは不公平だけや』 もしかして、今まさに73年前の時代に戻りつつあるのではないでしょうか。
(打倒、薩長史観!です)