鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大晦日はやっぱりこれ、第九

2020-12-31 14:15:58 | 思いつくまま

 

いやあとっても寒い大晦日を迎えています。今午後2時過ぎですが、目下の最高気温はマイナス(=△)0.3度です。午前10時53分の記録です。最低気温は午前6時16分の△3.1度です。ということは目下のところ真冬日ということですか。

 

でも、午後からは日が差してきて、外気を遮断すればとってもあったかいのです。この分では辛うじて氷点下の最高気温は免れるのではないでしょうか。

 

(いいですねえ、こういう元気な男の子がいて)

きょうは2020年の最後の日。あと10時間余で今年もお仕舞です。ということもありまして、今第九を聞きながら書いています。いまきいているCDは、カラヤン指揮の第九です。間もなく第3楽章も終わって、いよいよ第4楽章が始まるところです。

 

もう一枚の第九のCDはダニエル・バレンボイム指揮の第九です。こちらは第九の合唱団に入っていたころは本当にお世話になりました。

 

そして、朝日新聞に連載されていた面白い記事もきょうでお仕舞となりました。「やっぱり第九が歌いたい」という連載物で、12月15日から計11回シリーズとなりました。

 

第1回の表題は、『将棋のレジェンドも魅せられた  谷川元名人「今年もやるんだ」』・・・谷川浩司、山本直純、岡村克喬生

第2回は、『1万人「最後は人間がつなぐ」  リモート合唱 声で束に』

・・・山本直純、小澤征爾、佐渡裕

第3回は、『山下洋輔は語る「本質は即興」  第2楽章を自分の音楽に』

・・・山下洋輔

第4回は、『「ベートーベンも、僕も、弱い」  熊川哲也は挑み続ける』

・・・朝比奈隆、熊川哲也

第5回は、『突破口開いた 季節はずれの上演  合唱は30人 全員日帰り』

・・・山田和樹、藤倉大

第6回は、『3年前の「約束」 この冬果たす   死への意識 生きる力に』

・・・鈴木秀美、

第7回は、『「芸術が絶対に必要 証明する」   ヴァイグレは心を砕く』

・・・セバスティアン・ヴァイグ、

第8回は、『ベートーベンの理想に近いかも   ノット 超新機軸のタクト』

・・・ジョナサン・ノット、

第9回は、『多様な人 語り合うかのように   新譜で見せる かってない情景』

・・・パブロ・エラス・カサド

第10回は、『葛藤と不屈 ピアノで追体験   若手作曲家は「希望の種」まく』

・・・フリードリヒ・カルクブレンナー、広瀬悦子、冷水乃栄流

第11回は、『なるべくして日本の文化に   「国内初演」原動力は好奇心』

・・・榊保三郎、ヨーゼフ・ヨアヒム、松村昌

というものです。各回の内容はとても紹介しきれませんが、最終回はへえ~でした。記事によると、日本人の手で第九が初演されたのは1924年11月とされています。演奏は東京音楽学校の管弦楽団です。

 

しかし、それより10か月前の1924年1月に九州帝国大学の榊保三郎が自ら創設した大学のオーケストラで、お祝い用の歌詞を添えて福岡で第九を初演してやろうと自ら指揮台に立ったというのです。

 

そして最後の締めくくりは、自分たちの幸福のために、自分たちのやり方で歌う。好奇心一本で異なる文化を味わい尽くす。第九はなるべくして日本の文化になった、と。

 

 

これは私の最後の演奏会となった時の写真です。ポスターからとりました。2014年12月ですね。指揮は飯守泰次郎先生でした。いかにバス、テノールの男性陣が少ないかお分かりでしょう。でも、声は出ていたのですよ!

 

 

第九の連載が引き金になったのかどうかは分かりませんが、朝日新聞の声欄に投書が載りました。12月24日で、沖縄県の儀間さんという71歳の女性からの投書で、”「歓びの歌」いま心に響かせ”と表題がつけられていました。

 

彼女とベートーベンの出会いは何となんとナント、小学校6年生のときだったというのです。11歳か12歳ですか。卒業式で学年全員で「交響曲第9番」の「歓びの歌」を合唱し、響きわたる声に鳥肌が立った、とのこと。

 

小学校の卒業式の時に全員で”歓喜の歌”を歌うなんて、なんて素敵な学校だったのでしょう! 沖縄県内の学校かどこかは分かりませんが、どこの学校としても「蛍の光」や「仰げば尊し」が全盛だった時に第九です。素晴らしい先生がいたものです。

 

そして最後が素晴らしい。71歳というのに、「生誕250年の暮れに、彼がモデルといわれるロマン・ロラン作「ジャン・クリストフ」を読み、数々の名曲を堪能したいと思っている。」というのです。

 

またしても懐かしい名前が出てきました。ロマン・ロランです。そして「ジャン・クリストフ」です。ロマン・ロランはフランスの小説家で、日本のこともよく知っていたようです。私が最初の彼のことを知ったのは、高校の現代国語の教科書でした。3年生だったかな、ジャン・クリストフの一部が教科書に載っていました。

 

彼は別にベートーベンの生涯というような本も書いていたように記憶します。私も若かりし頃、その二つを読み、さらに「魅せられたる魂」というこれまた大部の小説を読みましたが、こちらの方は正直あまり面白くはなかったです。

 

平和主義者のロマン・ロラン、今誰も彼の名前を口にしなくなっています。平和主義者で、日本についても詳しい彼の存在はもっと知れ渡ってもいいと思うのですが。

 

今年一年お付き合いくださいましてありがとうございます。何とか今年も一日も欠かさずこのブログを書き続けることができました。いつまで続くか分かりませんが、元気なうちは、どんなに拙くても書き続ける気持ちでいます。

お気に沿わないとこころも多々あるかとおもいますが、こういう高齢者もいるのだと、いてもいいじゃないかと受け入れていただければありがたいです。

本当にありがとうございました。

よいお年をお迎えください。


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準備終了ですか?

2020-12-30 15:32:26 | 思いつくまま

 

いやあ、2020年もきょうとあしたでお仕舞です。令和2年ですか。令和天皇の出番は極端に少なくなりましたが、今度新年のビデオメッセージを贈られるとか。

 

ビデオメッセージというと、天皇陛下には失礼かもしれませんが、さんまのテレビのビデオレターを思い出してしまいます。時々ほろりとさせられたり、笑わされたりと面白かったですね。

 

きょう30日にお正月を迎える用意をしました。お昼前に玄関飾りをセットしたのですが、雪が降ってきたのでしばらく様子見のあと、午後になって松飾も外構に飾ってきました。

         

来年2021年・令和3年、少なくとも今年よりはいい年であってほしいですね。そうなるでしょうと言えないところが辛いですね。何と言っても新型コロナウイルスですが、その変異体が今後どう拡大変化していくのか、まさに神のみぞ知るでしょう。

 

今外は雪。お昼前後は大粒のみぞれ模様からボタン雪だったのですが、今は細かい雪となっています。ということは、そうです、それだけ気温が下がっているということです。天気予報通り年末年始はとっても厳しい寒波に襲われそうです。

 

午後3時過ぎの気温です。最高気温は夜中の午前3時38分の8.5度で、最低気温は午後3時の0.3度です。いやあ、時間の経過とともに気温は低くなり、お昼には1.7度、2時は0.7度で3時は0.3度という状況です。

 

これからどこまで下がっていくのでしょうか。ほどほどにしてほしいものですが、この頃の天気気象は極端ですから、油断はできませんね。楽観視は禁物のようです。

 

     

 広瀬川、今年は散々な目にあいました。まあ自然が相手ですからいろいろあるのは仕方がありませんが、それにしても鮎釣りに関してはひどかった。

 

 ひどすぎました。来年はこれ以上悪くなるようなことはないのではないかと思います。そもそも本当に鮎を放流しているのか?そこから疑ってしまうような有様はあまりに不幸です。

     

 カワウですね、カワウの被害はどのくらいなものなのか?何とかして知りたいものですね。カワウ1羽はシーズン中にどれだけの鮎をたべるのか?何しろ見ていると潜りの時間がかなり長いのです。

潜って水中をかなり移動するのですね。そこだけの魚を食べるのではなく、いったん潜ったら周囲数メートルの範囲の魚を貪り食うのでしょうからね。サギとかカモの被害は大したことはないとおもうのですが。

同じ鳥でもカワウばかり悪者扱いしています。カワウにとっては理不尽そのものでしょうね。カワウはカワウの本来の生き方に従って生きているということでしょうから。

 きのうの新聞です。何じゃこれは?とびっくりです。一面全面広告ですから。

       

ここにはびっしりと細かい字で職業が書かれています。職業と職業につかれている人たちですね。最初は、「医療従事者のみなさん、医師のみなさん、看護師のみなさん、看護助手のみなさん、助産師のみなさん、校医のみなさん、医療研究者のみなさん、医療技師のみなさん、・・・・・

そして、「・・・・・、お母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、おばさん、おじさん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、妹、弟、娘、息子、姪っ子、甥っ子、恋人、パートナー、あなた」で終わります。

ざっと数えたら、49行で、一行に大体平均10人分の職業についている人が書かれているので、500人前後の職業及びその職業についているみなさんに感謝の言葉を述べています。

『 すべての仕事が必要不可欠で、あなたの存在は、必ず誰かの支えになっていた。だから、ありがとう 』


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仙台門松

2020-12-29 13:52:48 | 提案・要望

 

           

 

きょうは12月29日火曜日ですね。早いですねえ、あと30日31日、そしてお正月1月1日がやってきます。何ということはないのですが、やはり気ぜわしくなります。

 

もうみなさんのところは門松等お正月の飾りつけは終わりましたか。なんか今日は飾ったりしては良くないとか。28日までに飾るべきらしいですね。でも明日30日は飾り付けOKのようです。我が家ではいつも30日ですね、飾っているのは。

 

きのう写真を撮ってきました。近くの中島丁公園の杜の館の前に飾られました。その名も仙台門松です。変わっていますね。でもなかなかかっこいいです。さすが伊達者(物)です。ご覧ください。

 

以下は、青葉神社に飾った仙台門松の説明です。高さは3.5メートル、幅は5メートルといいますが、この杜の館の仙台門松はそこまでは大きくはないようです。

 

 栗の木が使われる左右の心柱に松と笹竹を飾り、根元をクヌギの鬼打木(おにうちぎ)で固定します。

 

 

 

ケンダイと呼ばれるしめ飾りには、昆布などの縁起物が使われる、ということです。

(昆布はどこ?)

 

 

以下の写真は広瀬川分流の様子です。小鳥の写真は26日の分流での撮影です。

 

 

          

    

 

 

        

        

 

 

     

 

 お断り;きのう今日に続くと書きましたが、不都合が生じまして明日にさせていただきます。スミマセン。


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暖かかったのに、今にも降り出しそう

2020-12-28 14:22:39 | 思いつくまま

 

           

 

午前中はまあそれなりにいい天気だったと思うのですが、また結構暖かかったのですが、午後になって曇ってきました。今にも降り出しような感じです。降り出すのは雪か雨か・・・・。

 

気温ですが、午前9時までは2,7度とか低い感じでしたが、10時には一気に5.3度まで上がりまして、その後は8度台や9度台まで上がりましたね。ちなみに目下の最高気温は午後0時25分の9.4度です。最低は6時53分の1.3度です。

 

あしたまではまあ暖かいのですが、あさってからは一気にまたしても厳しい寒波に見舞われるようですね。まあもうすでに一度経験していますが、最高気温も氷点下ということもあり得るようです。

 

雪はどうなるのでしょうね。雪かきをするとすぐに腰に来てしまうので嫌ですね。雪ベラで雪を持ち上げないようにして、押しやるだけならまだ少しはいいのですが、それだけというわけにもいきませんし。

 

きのうきょうと分流にはあまり変化なしでした。きょうはまたいなくなりましたが、きのうは三日ぶりに下水の排水口に小魚の群れが戻ってきました。でも量的には半分以下かな。不思議ですね。

 

一体全体小魚の群れはどういうルールで動いているのでしょうか?何が働いて群れたり、どこかにいなくなったりするのでしょうか。確かに群れを見ていると、群れのトップにたつリーダー格の魚はいるようです。

 

それが動くと、みんな後に続きます。水族館のイワシの群れの動きと同じか。魚のリーダーとしての条件はいったいどういうものなのでしょうかね。知れれば知りたいものです。

 

それはカモの群れについてもそうですね。リーダー格のカモがいて、不審者が近づくとグワァグワァと鳴いて危険を知らせるようなのは経験的に分かりました。どういう時に飛び立つのか?それも知りたいものです。

 

 また広瀬川は少しずつ減水してきました。

 

今朝の澱橋のすぐ上流右岸ヘチにはシラサギとカモたちが群れていました。そこにアオサギも飛んできて、1羽のうちは良かったのですが、なぜかアオサギが2羽になって、けんかを始めました。

 

初めて見ましたね、アオサギ同士のけんかです。一羽は、左岸の大木に逃げてきたのかな、止まりました。もう1羽は右岸にいて、すぐに上流へ飛び立ち、かと思うとまた下流にやってきたり、右岸にそびえたつ大木に止まったり・・・。

 

鳥たちの間で、とは言ってもカモたちは平和なものでしたが、激しい動きがありました。

 

 

 逆光ゆえのシルエットもいい感じかな。

これは右岸の大木

         

 こちらは左岸の大木

 

 

 

 続きます。

 

 

 

 

 


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さすが、村上春樹

2020-12-27 14:06:10 | 思いつくまま

 

午前中は気温が上がりませんでしたが、お昼過ぎからはきのう以上に気温も上がり、明るくまぶしくなってきました。

 

眩しいといえば、これですね。きのうのフィギュアスケート全日本選手権です。ショートでは103.53でトップ通過、きのうのフリーではまさに圧巻の長州(笑)ならぬ聴衆観客を圧倒するかのような演技でした。

 

あれで4分ですか。こちらとしてはとっても長く感じられました。失敗するはずがないとは思いつつも、ジャンプが成功するたびに早く終わってくれ、失敗無いままに早く終わってほしいと願いながら見ていました。

 

なにがサルコ―でなにがループ、アクセルかは分かりませんが、すべてのジャンプがとってもきれいでした。流れるような一連の動きには感心を通り越してうっとりとして見ていました。

     

そしてフリーでは断トツの200点越えの215.83です。合計で何となんとナント 319.36点です。まさに独壇場でした。宇野昌磨も鍵山某も敵ではありません。まさに向かうところ敵なしの孤高に立つ一輪の輝ける星、希望の星です。

 

おめでとう、羽生結弦選手!!まだまだいけます。健康管理に十分注意してもっともっと高みを目指してほしいですね。でも、楽しむことも忘れずに!

 

 

そうそう、きのうのBSフジ夜7時からの「辻井伸行 世界音楽紀行」をご覧になりましたか?最初の方は見られなかったのですが、1時間後から見られまして、9時以降の分は録画してきょう見ました。

 

数年前にも彼のことをやった記憶がありまして、そのときもすごいなあと感心しながら見ていたのですが、ここまでくるとすごいなんてものじゃないですね。その意気を超えています。まさに神業に近いといっていいのでしょうか。

 

最後がベトナムの訪問でした。ハノイでか、民族楽器を伝承していく音楽院のみなさんと交流していたのですが、その時に彼らが民族楽器で辻井さんが作曲した「それでも、生きてゆく」を演奏してくれました。

 

それを聞いて感動した彼はピアノで同じ曲を演奏し始めると、途中から民族楽器のみなさんが合わせてくるのです。そして見事な合奏です。曲も素晴らしいし、音楽を通しての交流も素晴らしい。

 

その場面を見ていて、音楽を聴いていて、なぜか自然と涙が流れてきました。いい番組でした。

 

ダイアモンド・オンラインでの村上春樹さんの発言抜粋です。たくさんのみなさにも読んでほしくて、引用させていただきます。

『 僕は学者だとか芸術家だとかいった仕事をする人は、どちらかというと浮世離れしていなければならないと思っています。片足は地面に着いているけれど、もう一方の足はどこか別の所に突っ込んでいる。それぐらいじゃないと、そもそも学者や芸術家にはなれません。

そしてこういう人の意見は、世の中にとっても大事なのだと思っています。「一歩、向こう側」に足を置いている人の意見がね。なぜならそういう人の意見は必ず、「固まった意見」に風を吹き込むのですから。つまり、政治家のような人が発する、世の中の「ある種の総体としての意見」を崩すわけです。

だからそれを「総体の意見とは違うから」とか、「現実離れしているから」とか言ってどんどん排除していくと、世の中が固まってしまいます。

・・・・・・

だからとんでもないことを言う人が発言権を奪われ、排除されてしまうというのは、大変まずいことだと思う。学術会議に総体の意見とは異なる何らかの問題があっても、むしろ問題があるからこそ大事にしなければいけない。

・・・・・

まず一つ大きいのは、政治の質が問われているということです。コロナのような事態は初めてのことですから、政治家が何をやっても、間違ったり、展望を見誤ったりすることは避けられません。そういう失敗を、各国の政治家がどのように処理したかを見比べたら、日本の政治家が最悪だったと思います。

・・・・・

自分の言葉で語ることができなかった。政治家自身のメッセージを発することができなかった。それが最悪だったと思います。

こんな混乱ですから、人が間違ってしまうのは当然のこと。ならば、「アベノマスクなんて配ったのはばかげたことでした」「Go Toを今やるのは間違っていました」ときちんと言葉で認めればよいのです。国民も「間違うことは仕方がないよ、これからちゃんとやってくれればいいよ」と思うはずです。

それなのに多くの政治家は、間違いを認めずに言い逃れするじゃないですか。だから余計に政治に対する不信が広がっていくのです。そういう、日本の政治家の根本的な欠陥がコロナではあらわになった気がします。

・・・・・・

日本人であれば、田中角栄さんは話がうまかった。どこまでが本心か、よく分からないところがありましたが。

こういう人たちと比べると、今の多くの日本の政治家はどう見ても、自分の言葉で語ることが下手です。今の総理大臣だって、紙に書いたことを読んでいるだけではないでしょうか?

元々日本人には、周囲を見ながら話をして、全体から外れるようだとたたかれてしまう面があります。こういう中でどう発言や表現をするのか。これは政治家の問題でもありますし、同時に、表現を仕事とするいわゆる芸術家の問題でもあるのです。 』


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眩しく明るいのですが、外は

2020-12-26 14:03:48 | 思いつくまま

 

 目を逸らしましたが、睨まれて 

 

この猫もいつもの2階のベランダではないところにいました。

  散歩の帰りの写真

 

今午後2時を過ぎたところです。ほんと外は明るくまぶしく、気温も上がっているのだろうなあと思うのですが、思った以上に気温は上がりません。空気が何とも冷たいのです。

 

午後2時の気温は5.2度です。午後になって少しずつ上がってきたようです。目下のところの最高気温は午後0時24分の5.3度で、最低は2時29分のマイナス(△)1.1度です。

  

 

きのうはクリスマス。我が家でもケーキを買ってきました。くるまで泉区のケーキ専門店まで行って買ってきました。テレビでもやっていたので、これは美味そうと思い夫婦で買いに行ってきました。初めてのところなので、帰りはかなり遠回りしてしまいました。

 

ろーえうケーキを買ってきました。3,800円?とか。クリームは甘すぎることなく、これならいくらでも食べられるかなとさえ思いました。結局3人で全部食べてしまいました。

     

 

残念なことがありました。作詞家で直木賞作家でもあった”なかにし礼”さんが亡くなりました。野坂昭如、永六輔、大橋巨泉が先に亡くなり、そしてまたなかにし礼が亡くなりました。昭和時代の証人が次々に亡くなります。

前にも書いた記憶がありますが、徹子の部屋に出た時だったかな、弘田三枝子が歌った人形の家という歌、これが何と満州からの引き上げの状況下を表現した歌詞だったというのをきいてショックでしたね。

   

関東軍に裏切られ、国に裏切られ旧満州に渡った開拓団の人たちは、それこそ生き地獄のなかを多大な犠牲者を出しながらなんとか帰国しました。その時感じた怨念を歌にしたというのですから。

    

きょうのYahoo JAPANのニュースで知ったのですが、なかにし礼は天才落語家の立川談志の弟子だったというのです。芸名は立川礼談房(れいだんぼう)です。ユーモアがあり、諧謔でもあり、洒落っ気もあったと毒蝮三太夫が言っていました。一回彼の落語を聞いてみたかったですね。 (合掌)

 

 

きのうおとといとこんなにもたくさんの小魚がいた分流上流側の下水の排水口です。それが、今日はこのような状態でした。

  

 まったく1匹もいません。どこに行ってしまったのでしょうか。分流の上流の方へ行ってしまったのかと思っていってみたのですが、1匹もいませんでした。どこに行った?どこに隠れた?鳥に食べつくされたということは考えにくいですし。

 

9時半頃の河川敷の散歩ですので、気温は3度くらいですか。水温は何度だったのか?分流にいた5羽のカモたち、分流の右岸ヘチに丸くなってじっとしていました。なんかこんなことは初めてでした。

 

       

 

 

ああ、嗚呼、それにしても、それにしても、きのうの独裁者安倍の記者会見や国会での発言。これが日本国という国の総理大臣に長いこと君臨していた輩の発言かと思うとガッカリです。

 

せめて最後くらい堂々と正直に発言してほしかったと思うのですが、こう書きながら書いている自分が恥ずかしくなります。そう思う自分が馬鹿なのだと。期待する方が根本的に間違っているということです。まともな人間だと思うから腹が立つのです。

 

岸から佐藤と続き安倍で頂点に達した長州の売国奴家系、来年の選挙でも楽々当選するようではもう長州はお仕舞ですね。そこまで行くのなら長州を一段と米軍の拠点化、何でもありの米軍の要塞地としたらどうでしょうか。

 

「間違った説明をしていた」「事実に反するものがあった」「知らなかった」これで通るのですから、権力者はやめられませんよね。検察もせめて韓国の検察の爪の垢でも煎じて飲む覚悟を持ってほしいのですが・・・。

 

広瀬川は雪解け水のためでしょうか、5センチくらい増水しています。

 

 

 

 

 


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ホワイトクリスマス? 小魚大群?

2020-12-25 16:00:15 | 思いつくまま

    

 

きのうの夕方の天気予報の中で気象予報士が言っていました。ホワイトクリスマスとはどういうことを言うのか?と。みなさんはどう考えますか?

 

アメリカやカナダだったかな、どちらがどちらかとは忘れましたが、ホワイトクリスマスというのは、12月25日の天気で雪で積雪が2.5センチ以上ある場合のことをいう国と積雪に関係なく25日に雪が降ればホワイトクリスマスという国があるそうです。日本では定義はありませんとも。

 

今日の天気は変です。午後になって雪がぱらついてきたりして、このくらいの雪の舞でホワイトクリスマスと言っていいものか甚だ疑問ですね。日本人にはある意味どうでもいいように感じますが、・・・。

 

しかも、天気もこれまたおかしいのです。変なのです。最高気温は深夜0時36分の9.2度なのです。そして時間の経過とともに徐々に気温は下がり始めています。これはきのうの天気予報通りかな。最低気温は午後4時の2.9度となっています。

 

午前5時で4.7度、7時は5.0度、10時で6.8度でした。それ以降は下がり始めています。きのうの14.4度はいったい何だったんでしょうか。こういう気温の大きな変動が身体にはこたえるのです。下ズボンをはくべきかどうか、迷います。

 

なるべくなら履かないで過ごしたいとは思うのですが、朝の見守り等の時は履いていきます。きょうは月曜日ではなかったのですが、あしたから小学校は休みということで見守りに立つことにしました。

 

同じ町内の小学校低学年の女の子と仲良くなりまして、途中一緒に話しながら歩いて信号機のある交差点まで行きます。向こうの方からいろいろとしゃべってくれるのです。家庭であったことや学校のことなど。

 

今朝はサンタクロースのプレゼントの話しが中心でした。朝目が覚めたら布団のそばにサンタさんからのプレゼントがあったこと、それが、壊れてほしかった大小の水筒と鬼滅の刃のボールペンや三角定規等の文房具だったこと、とっても嬉しかったと喜んでいました。

 

私にとっては小中学生全員が孫みたいなものです。孫と思って接しています。孫たちに感謝です。こうして嬉しいことや楽しいことを与えてもらえるのですから。子どもが二人とも男なものですから、女の子は特に可愛いと感じます。

 

私と同学年の人には、もう成人式を迎える孫がいる人さえいます。こっちは孫どころか子どもは未婚です。どうしたらいいのでしょうか?もうどうしようもありません。そういう現実を受け入れないといけません。

 

 (これは分流の上流の方の下水等の排水口です。ここにきのうから小魚の大群がいるのです。写真はきのうの撮影です。)

 

そこいくと女は強いですね。うちの妻さんは淡々としています。現実を受け入れてその中でやれることをやる、それでいいのだということなのでしょうか。達観しています。自分には無理ですね。

 

小学校はきょうから冬休みとなりましたが、中学校はきのうから休みとなっています。だから先ほどの女の子は中学のお姉ちゃんがいるとのことで、きょうから陸上競技の部活があるとか言っていたな。小学校の時から短距離走が早かったそうです。自慢のお姉ちゃんのようです。

 

そして小学校はきょうまで三日間は給食がなく弁当持参でした。子どもたちは各々いろんなバックにお弁当を入れて大切そうに持っていました。たまにバックを持っていない子もいるのですが、そういう子はランドセルに入っているとのこと。

 

お弁当は作る方は大変かもしれませんが、食べる方としてはとっても嬉しいようです。みんなが仲良くおいしく楽しく食べられればいいのですが、仲間外れの子ども等はいないことを祈っています。

 

半袖シャツに半ズボンの小学生はふたり、目撃しました。二人とも元気そのもので、一緒に登校する友だちは防寒具を着ているのにかれは半そでシャツ、不思議な取り合わせです。

 

この頃は分流の上流域で見られなくなりました。以前は上流域のブロックの間に群れていたものですが・・・。きのうきょうと下水の排水口に大群となって群れていました。


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あったかいので、暖かい日は、

2020-12-24 21:02:58 | 思いつくまま

     玄関わきで

  2階のベランダで 

 

今日は午前中からいろいろありまして、夜まで思いがけないことがあったりして、自分としては大変でした。それで、ブログが遅くなったという言い訳にしたりして、また内容も手を抜いたりして、ということはないようにしているつもりではあるのですが・・・。

 

何しろ今日は一日暖かかった、文句なしにあったかかった! 午前10時から10度を超え、午後5時になっても12.2度でした。最高気温は14.4度で午後1時54分んの記録。最低は深夜1時14分の4.2度です。

 

ということで?きょうはいつもと趣を変えまして、たまにこのブログでやっています英語の勉強を一緒にしたいと思った次第です。ラジオでは聞けるときはキチンと聞いています。ラジオ英会話ではなく、英会話タイムトライアルでの勉強です。

 

今日本では何かというと SNS という言葉が飛び交っていますが、このSNSでは外国人にはなかなか通用しないということをご存じでしたか? 和製英語みたいなものなのでしょうか。じゃあ、英語では何というのか?

 

SNS ⇒ social media ということです。

「何らかののSNSを使っていますか?」を英訳すると、Are you on any social media? となります。

 

また、よく アプリ、アプリ と言いますが、これは アプリケーション から来ているのでしょうが、英語ではもっと短く app (アップ)で済みます。お恥ずかしながら、自分は”アプリ”なるものをよく理解していません。一応スマホは持っていますが、使うのは電話・Eメール・Sメールでほとんどです。

 

「このアプリを使う人は増えています。」を英訳すると、More and more people use this app. となります。ついでに「eメールを使う人は減っています。」は、Less and less people use email. となります。

 

オンラインでのやり取りには3つの動詞があります。「送信する」=send 「受信する」=get 「返信する」=reply です。

 

「連絡を取り合おう}は、Let's keep in touch.   初めて連絡を取り合う場合なら get in touch  で、「どうやってあなたと連絡をとればいいのですか?」は、How can I get in touch with you? となります。

 

もうひとつの「連絡」としては、let me know があります。「分かったら連絡します。」は When I know, I'll let you know. 「ご連絡ください」は Just let me know. 「分かったらご連絡いただけますか?」は When you know,would you let me know?

 

 

眠い、もう目がしょぼしょぼです。最後にこれは何でしょうか?

      

 そうです、この雪ダルマだったのです。(逆に遡ります)

 

 一番最初の形 

 

 

 


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10度を超えました!カワセミ

2020-12-23 14:50:15 | 思いつくまま

 

きのうもあったかかったのですが、きょうはもっとあったかかったです。まだ午後3時前だから過去形で言っていいのかどうか、でもたぶんいいでしょうね。午前5時以降の気温を見ていくとマイナス(△)の気温はありません。

 

先週の大雪で積もっていた雪も、固くなっていた道路の踏み固められた雪もほとんど解けています。いやあ、嬉しくなりますが、ラジオの気象予報士は言っていました。来週から正月3が日にかけてはまたしても強烈な寒波がやってくると。

 

まあ、そうなると仕事も休みになっているので、親としては心配事が少し減るので助かります。今午後3時前ですが、最高気温は11.4度です。午後1時8分の記録です。最低気温は0.3度で、7時15分の記録です。

 

 

あ~あ残念無念、予想はされていましたが、検察の腰砕けにはガッカリです。韓国の検察を見習え!と言っているのに。韓国みたいに、総理の座から降りたら逮捕されるというルートができたら面白いとおもいませんか。

結局、独裁者は細かいことは全くあずかり知らんということで、みんな秘書とかの責任にして、本人は逃げ去るのでしょうね。事情聴取して、そのまま逮捕とかになったら検察の快挙に国民は拍手喝采だったでしょうに。

お偉方は何があっても責任をとらず部下にかぶせるというのは佐賀県警察にもありましたね。本部長はマスコミの前に出てきても、ほとんど決まったことしかしゃべらず、あとは部長連中に任せっぱなし。杉内由美子佐賀県警本部長 50歳

九州で初の女性の本部長ということで、部長以下の連中は本部長の経歴に傷をつけてはいけないということで、二重三重に見えない防御壁を構築してマスコミに対応していました。無傷のまま本省に戻すというのが至上命令なのでしょうね。

 

愚かにも今朝がた気がつきました。いかに普段ものがよく見えていないかということですね。見ているようでいて、実は何も見ていない。見たつもりになっているだけのようです。

 

一段下の河川敷に大きな雪の塊がありました。そして、ふたつとも鎌倉にしようと穴を掘っていました。

 

こっちの方が大きいです。河川緑地の雪は下のようになっています。部分的にはまだ雪が残っていますが。

 

 

分流の上流域の左岸側、ブロックの陰には小魚がたくさんいたものですが、なぜかパッと見には全く魚の姿が見えません。どうしたのでしょうか?どこかに隠れるにしても、あれだけの数があれば難しいとおもうのですが。

 

 サギたちに食われた?としてもカワウほど食わないでしょうし、・・・・。意外とそのうちどこかから出てくるのでしょうね、そうあってほしいです。

         

 カモも小魚を食べるのかな。食べるでしょうね、たぶん。寒くなったら分流にカモがたくさん集まってくるようになりました。きょうも3つくらいのグループに分かれて合計10羽ほどが憩っていました。

 

 そして、その鳥たちの中に吾らが象徴の鳥 ”カワセミ” もいたのです。この写真は22日のものです。

 何か咥えています。魚のようです。このカワセミはこ、下流側から上流側へ飛んでいきました。

        

ということは、下流で小魚を咥えて上流へ飛び去ったということですか。なんか得意満面という感じがしませんか!!飲み込むにしては、魚が逆向きです。やはり頭の方から飲み込まないと大変ですよね。カワセミの体に比して魚は結構大きいようですし。

 

こういう写真も望遠がついているから撮れるのです。距離としては40から50メートル離れているかも。大特価品のカメラでも何とか撮れます。

もう丸4年使っています。この頃は日付け機能が勝手に動いたり、ケーブルではパソコンに取り込めなくなったり、いろいろガタが来ています。新しいカメラを買おうかどうか迷っています。財源は、もちろん例の10万円です。鮎竿はもう買いません!

 

 

 


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気温が上がりました!

2020-12-22 13:52:06 | 思いつくまま

 

今NHKFM(歌謡スクランブル)を聞いています。午後1時半からは今年亡くなった弘田三枝子特集を放送しています。とっても懐かしい限りです。「バケーション」、「砂に消えた涙」、「夢見るシャンソン人形」、「人形の家」、等々。

 

あのパンチのある歌声、迫力満点の発声力、よかったですねえ。懐かしいです。思いっきり懐かしさに浸っています。なんでも小さいころからお母さんとともにジャズを聴きうたい鍛えていたようです。整形手術もしたのでしたね。

 

あのパンチの利いた歌声は、その後の朱里エイコもそうでしたね。朱里エイコの方が先に亡くなってしまった。今放送は終わりました。今年の7月21日に73歳で亡くなっています。ということは同じ年齢じゃないですか。同世代とは思っていましたが。

 

 

今日は気温が上がりました。嬉しいです。午前10時で5.8度で、お昼は8.6度まで上がったのです。午後2時では9.3度です。午後2時半過ぎの時点では、最高気温は午後1時32分記録の9.8度です。最低気温はマイナス0.9度(4時55分)です。

 

きのうは冬至でした。当時カボチャを食べましたか。私はかぼちゃも好きですし、何といってもあんこが大好きなもので、冬至カボチャは大好きですね。きょうの夜も食べるくらい多めに作ってあります。

 

夕方のNHKの天気予報ではこんな面白いことを言っていました。冬至には”湯治”をかけたと。今は寒い冬の時期、寒くても体が融通利くようにとの思いから湯治をかけたと言っていました。温泉で体を温めれば体も動くようになりますよね。

 

きのう冬至の朝は月曜日につき朝の見守りにつきました。ちょうど道路の右側の信号待ちのところは、冬場は日が当たらず雪が踏み固められていて、特に下りの人が注意を必要とします。

 

子どもの中には面白い子もいて、何を持っているのかと見てみたら、凍結した平べったい雪の塊でした。たいして珍しくないのではと思うのですが、彼にはそうではなったのでしょうね。

 

また、長いつららを後生大事そうに抱えている子もいました。こういうことをするのは決まって男の子ですね。こういうことをするから女子にバカにされたりするのでしょうが、そこが可愛いともいえます。

 

半袖半ズボンの子はいつもは二人いるのですが、きのうはひとりしか見ませんでした。何事もなければいいのですが。そういえば、白人の親子も見なかったな。気にかけている中学生の姿も見ていなかったような気がします。

 

そうそういつも8時5分過ぎにやって来る女子の3人組、きのうは8時15分近くになっていたので、どうして遅くなったのかと聞いたら、出がけにお母さんから小言を言われたら遅くなってしまう、とのことでした。

 

 

msnニュースのデイリースポーツの記事です。慶応大学名誉教授の金子勝が、自民党を評して面白いことを言っていました。「人材が払底した自民党は終わりがちかい」と。そしてその理由として「危機管理能力がゼロで、コロナがボロボロで、未来の展望を描けない頭がスカスカでは寿命は短い」と。

 

(サギの大きさが違うのでもしかして親子かなと思ったのですが、シラサギには小さいサギもいるようですので、たぶん小シラサギかと思います。)

確かに、今の自民党は派閥は存在するようですが、良くも悪くも、かっての派閥のように派閥同士でしのぎを削るような、政策論争が全く起きません。今の首相が倒れても、すぐに次の首相が出てくるだけの器量や政策がともなう大物の議員がいました。

  

(実はこの付近にアオサギもいたのですが、飛び去ってから気がつきました。)

 

今は議員も人事権(選挙の公認)を握られているからでしょうか、忖度するだけ、反対するなんてとんでもない状況では尻すぼみするだけで未来は全くないです。大体政党内部で議論が活発に起こらないなんて政党ではないです。(野党は分裂するための論争が好きなようで困ったものです。)

 

まあ私としては早く消え去ってほしい政党なので、早く内部崩壊してくれと願っているのですが、不思議なことにどん底まで落ちるとこの政党はまた這い上がってくるのですね、悔しいけれど。しぶといのですが、その背景には経済界がついているだろうし、何といってもアメリカ(米軍)がついていますからね。

    

 

 


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昼前から暖かく、

2020-12-21 14:22:48 | 思いつくまま

若い女性が作った、干支の牛の雪だるま、なぜか倒されていました。

     

 

きのうは本当に空気の冷たい一日でしたが、今日は早朝は冷え込んだものの、午前10時頃からはプラスに転じ、10時で1.8度、お昼が3.7度で、午後2時も同じ気温です。しかも、2階から見る外の風景は眩しいくらいに明るいです。

 

これで日陰に固まった氷のようになった雪も少しは解け始めるでしょう。本当にお日様の光はありがたいものです。太陽が当たるところと当たらないところとでは雲泥の差がつきます。

 

凍り付いた地面は歩くのにどうしても慎重になります。もしも転んだら、転び方にもよりますが、骨折をする確率が高くなるからです。骨折をして入院したりしたら、たちどころにボケ(認知症)の症状が出てくるのではないかとそれを恐れます。

 

それでなくても、俳優等の名前が出てこなくなって久しいのですから。食べ物の名前さえ出てきません。その都度家族には「これはやばいぞ」とはっきりと言ってはあるのですが、どのように受け止めているのかなんともいえません。

 

きょうの分流で見たのはたくさんのカモたちです。上空を飛ぶシロサギ、アオサギを見ました。カモたちを見ていると平気で潜ったりしています。全く寒さを感じさせません。年がら年中同じ服装(?)なのにすごいですね。猫や犬にも言えますが。

 

    (上の大きい足跡はサギでしょう。下のはセキレイでしょうか)

     

そこ行くと何とニンゲンはか弱い動物生き物なのでしょうね。過保護なのでしょうか。お化粧はする、いろんな服を着る、それも四季に合わせて。歩くのに靴を履かなければいけなくなってしまっているし。

 

 

ちょっと前になりますが、朝日新聞の声欄の記事です。「日記62年175冊 ネッ末ごとに悩む」と題して、20歳から約62年間書き続けてきた大学ノート175冊分の日記が、いつも年末の大掃除で「押入れの無用の長物」扱いされるからとのこと。

 

以前、自分史にまとめて、その分は処分したらと言われ、自分史を作ったそうです。しかしながら、自分の生きてきた証し、毎日の生活をつづった大学ノートをそう簡単に捨てる気持ちにはなれず、なんとか言い訳をしては年を越してきたと。

 

そうそう投稿者は82歳です。「60年以上書き続けてきた自分を自分でほめたい。でも高齢になって人生の最終章とする時期、処分方法の難しさが待っていたとは。」とまた悩むのです。

 

その気持ちがよく分かります。私も全くと言っていいほど同じ境遇だからです。私は73歳になったばかりですのでまだ日記なるものを書き始めてから62年にはなっていません。60年にもなっていません。

 

最初の日記と言える代物は、高校1年生の3学期からかな。旺文社か学習研究社だったか、毎月大学受験雑誌が発行されていましたが、その付録として一年間の手帳の大きいものと言ってもいいような日記帳がついていました。それが人生初の日記となります。その後も一年分1冊として2,3年間は過ごしました。

         

浪人生となってからは、大学ノートにして書きたいだけ書くようにしました。浪人中や大学時代は毎日いっぱい溢れんばかりの思いを書き連ねたものです。それこそ人生の何たるかは全く実感していなかったはずなのに、若気の至りでいろいろと書きました。

 

それは社会人となってからも続き、現役を退職してからも続きました。夏にはそのほかに釣行記も書いていましたね。そして”日記”としての役目は2016年・平成28年に終わりました。

          

でも、その後何も書かなかったのかというとそういうことはなく、変わって「雑記」という形で日々の記録を書き始めました。何か書いていないと落ち着かないのですね、たぶん。最後の方の日記と雑記は2年近く併用しています。両方書いていました。

 

それでどのくらいの量の日記を書いてきたのか、知りたいでしょうね。2016年9月までで、何となんとナント 675冊 です。B5版30Pのノートです。このノートの日記が1階と2階のあちこちに隠されています。ほぼ10冊嫌いずつ茶封筒に入れてあります。

 

自分でも呆れるくらいのすごい量です。いつかは車でごみ焼却場へもっていって、お金を払って処分することになると思っています。全部洗いざらい処分するのではなく、記念日前後のものはとっておこうかなとは思っています。

 

大学紛争、結婚前後とか子どもの誕生前後とか、肉親の死亡の前後、現役退職前後、東日本大震災前後等々・・・・以前家族に聞いたことがあります、日記は後で読む気があるかと聞いたら誰も興味を示しませんでした。第一何が書いてあるのか読めないから、これが一番大きい理由かも。

そんなものなのでしょうね。いくら親とは言え、600冊以上もの日記を読み返す時期があるとは考えられないでしょう。ましてや歴史的な価値があるものでもないし。たぶんその内えいやっということで全部廃棄することになるでしょう。

日記に変わって「雑記」を毎日書いていますが、こちらは書くのと貼るのと半々くらいかな。貼るというのは新聞のスクラップみたいなものですね。ブログ用の記事になるかもと言ったものも雑記に張り付けています。

この雑記だけでも、いまや69冊にもなっています。たまるのは早いものです。このブログの記事も量としたらかなりのものになるのでしょうね。何しろブログ開設以来5407日にもなるのですから。だから一時期は、日記も書き、雑記も書いて、ブログも書く、夏には釣行記も書くという時期もあったことになります。

       

 

もうこれは強迫観念以外の何ものでもない!ということかもしれません。継続は力なりですが、続けるということは怖いことでもあります。やめられなくなってしまいますから。


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真冬日か?

2020-12-20 16:00:09 | 思いつくまま

この写真、ちょっと珍しくないですか!?

 

これは9時30分頃撮ったものです。ちょうど堤防に上がろうとするところの手前にいました。もうお互いに顔見知りになっているから?逃げません。下の写真はちょっと通り過ぎてから撮りました。

    

なんかとっても喜んでいるように見えませんか?体が熱くてたまらないので、冷たい雪の感触がたまらないというところですか。人間の気持ちでは。

(こういうつかいかたができるのですね、「たまらない」という言葉は。最初の”たまらない”は、我慢できないという感じの、どちらかというと悪いイメージの使い方で、後者の使い方は嬉しくて”たまらない”、という使い方でプラスのいいイメージだと思います。)

  

寒いです。ますます寒くなってきます。空気の冷たいこと。でも、喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、寒さは冷たさにも少しは耐えられるようになってきたように感じます。耐寒性、耐冷性ができてきたということですか。

 

今日は午後に一時日が差してきたりもしたのですが、このブログを書くために気象台の毎正時の気温をチェックしました。その結果自分自身で「嘘だろう」と言ってしまいました。なんかずらーとマイナス表示が並ぶのです。

 

マイナス(ここでは△)は午後3時まで続いていました。午前5時で△2.4度、7時は△2.4度、10時で△1.2度、お昼でも△1.6度です。そして、午後2時が△0.2度と少し上がり、3時になって△0.7度とまた少し下がりました。

 

だから、きょうは最高気温もマイナス(△)かなと思って、最高と最低気温の表を見たら、最高気温は0.0度で最低気温は△2.6度となっていました。記録した時間は、最高が午後1時42分、最低は午前7時29分です。

 

0.0度はどう判断するか。真冬日は最高気温が0.0度以下の日を指すのか、0.0度未満を指すのか。⇒0度未満の日を真冬日とするようです。よって、きょうは真冬日とは言わないことになります。最低気温が0度未満のため、きょうは冬日ということですか。どうでもいいことですが、なんかちょっと損したようなそんな感じです。

   

きょうも分流では、カワセミの華麗なジェット機のような飛翔を見ることができましたが、それだけでとてもカメラを向ける時間の余裕はありませんでした。中州の木の枝から分流に飛び込んでもいました。気付きたいのですが、ほぼ無理ですね。

カモ類は多い時は10羽ほどもいたでしょうか。たくさんのカモが2,3のグループに分かれて憩っています。でもニンゲンが近づくと、見張り役?がグエッグエッと啼いて仲間に知らせるようです。

 

今朝の新聞の朝日歌壇にこういう歌が載っていました。札幌市の伊藤さんです。

『電線にオブジェの如く止まりたる鴉(からす)へ静かに雪降りつづく』

電線と木の枝の違いはありますが。こういう写真はどうですか。

         

 

 

 

きょう12月20日は、1960年に南ベトナム民族解放戦線が結成された日だそうです。いわゆる別称ならぬ蔑称ではベトコンですね。北ベトナムの援助を受けていたとはいえ、ベトコンは強かった。フランスからの独立戦争では、降参した旧日本軍の兵士も多数参加したようです。

 

そして、その10年後の1970年のきょう、沖縄のコザ市で沖縄県民の蜂起があった日です。ちょうど50年目ということです。そのためですか、新聞の一面にも掲載されていました。

 

騒動とか暴動という言葉でくくってしまうのは沖縄県民に失礼かと思います。敗戦後のアメリカの支配下で好き勝手なことをされ、殺されても泣き寝入りという積もり積もった状況に堪忍袋の緒も切れたということだと思っています。

 

コザ市はなんでも18年間だけ存在した都市で、今は沖縄市となっています。この前読了した真藤順丈さんの「宝島」という本(小説)にも最後の方で”コザ蜂起”が出てきます。

 

「大変なことになるぞ、国吉さんも声をわななかせている。米兵事件のなかでも無罪になりやすいのが轢殺事件だ。突発性な犯罪なぶん、軍司令部の法廷は証拠不十分の裁きをためらわない。そうでなくてもここは、女子供が姦(おか)され、塵捨て場に棄てられ、B52が墜落し、毒ガスに大気を汚染されてきた街だった。

そう、ここはコザだーーー

基地から吹き荒れる人災に公正な裁きがくだされないことに、住民たちはとっくに忍耐の限界を迎えている。路上で叫んでいるものが望んでいるのは逮捕でも裁判でもなかった。」(P483,P484)

「だれもが、なにかを、償わせようとしている。われらが沖縄人は、世界の終わりにたどりついていた。グスクの視界に飛びこんでくるのはそういう空間だった。コザの中心部で起こった騒動が刻一刻とその震度を深めている。(われら語り部が神かけて断言しよう、震源地となった交差点はあたかも垂直方向のオボツカグラと水平方向のニライカナイが交わるところ。この島がつむいできた壮烈な歴史の、めくるめくウチナーの叙事詩の到達点といってまちがいなかった。」(P486) ・・・以下略

ぜひとも「宝島」をご一読ください。

 


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まだまだ寒い日が、

2020-12-19 14:12:02 | 思いつくまま

 

今日はきのうよりも寒いですね。今午後2時15分くらいですが、また雪が舞ってきました。2階から見ると雪は斜めに舞っているので、風があるという証拠でしょうか。

 

朝の河原の散歩のときは本当に寒かったです。ちゃんと防寒対策をして行ったのにもかかわらず寒かった。フードがついていたので助かりましたが、腕の袖がしまっていないのでそこから冷気が入ってきました。

 

午前5時の気温は1.3度、7時は0.0度、お昼で2.5度(きのうは4.3度)を記録し、目下のところの最高気温は午後0時20分に記録した3.1度でした。最低気温はマイナス(△)0.1度です。

 

午前9時過ぎの河原には一組の親子連れと中学生女子の4人組が来ていました。まだまだ少ない人出です。もっと集まってにぎやかに走り回ってほしいくらいです。今頃は親子連れが多くなっているのではないかと思いますが。

 

 

いつもの範囲内での河原にはたくさんの雪の塊がありましたが、きちんと丁寧に作られているものは少なかったですね。作っては壊すというのもまた楽しいものです。鎌倉を作る気なら作れたのになあなんて勝手に残念がってみたり、勝手なものです。

 (後ろから失礼) 

きのう紹介した来年の干支である牛の雪だるまは健在でした。目が落ちたり、手足がなくなったりはしていましたが、全体としては残されていました。作った人の気持ちが表れているから、壊そうと思っても躊躇してしまうのでしょう。

 

 

おとといですか、貴重な写真を撮ることができました。ばっちりと写っているわけではないのですが、なかなか撮りにくい相手にしてはまあよく撮れたと思っています。カワセミです。冬のカワセミ、雪の積もる枝に止まったカワセミの姿もいいものです。

           

まあ、実は今朝も広瀬川の分流でカワセミを見ました。分流に降りていったら、上流から1羽のカワセミが水面ぎりぎりを飛んで下流へ。右岸の笹?に止まったなと思ったら、すぐにまた上流へ向かって飛びたちました。

 

しかも、その時にそこにもう1羽別のカワセミが止まっていたのですね。そしてそのカワセミは後を追うように上流へ飛び去り、中州を超えて本流の方へ飛んで行ってしまいました。だから2羽のカワセミを見たのですが、写真を撮るどころではなかったです。

  

たぶん、これは番(つがい)かな。そうであればいいですね。そして子どもが生まれて分流で大きくなってくれたりしたら最高です。

折角ですので、子どもたち(たぶん)が作った雪の塊をご覧ください。

 

 (これが一番大きいものでした。これくらい集められれば、鎌倉もできないことはないかな)

 

 

               

先ほどカワセミを紹介しましたが、こういう小鳥もいました。3日くらい前の写真です。

 

            

 

 

寒い日が続きます。これから冬本番ですか。21日は冬至です。小豆とカボチャを食べて冬を乗り切りましょう。

  

このカモのカップル、とっても寒そう縮こまっています。そう見えます。ほほえましいくらいです。ほかのカモたちは元気なのですが。

 

 

 


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干支の雪だるま

2020-12-18 15:15:12 | 思いつくまま

(今日の日)

なんでもきょうは日本が国連に加盟した日のようです。1956年です。そして、戦後初の国産旅客機YS11が完成した日でもあります。1962年です。YS11には一回は乗ってみたいのですが、仙台空港では運行している会社が発着しないようですし。

 

YS11はその後も何とかうまくいったのに、戦後初の国産のジェット旅客機はいったいどうしたのでしょうか。どこを迷走中なのでしょうか?一時アメリカの空も飛行していますよね。

 

三菱重工業、あまりに情けないじゃないですか。恥ずかしいじゃないですか。三菱重工の名前が泣きますよ。たぶんもう無理なのでしょうね。やはり、敗戦により飛行機を作る技術がシャットダウンされたために、YS11も大変でしたが、ジェット機となるともっともっと大変だったんでしょうね。

 

技術の積み上げ、積み重ねと継承がうまくいってないと、開発は不可能に近くなってしまうという証拠でしょうか。こう書くと思い出すのは、原子力ですね、やはり。原子力産業。日本の原発を全廃してしまったら、技術が継承されずに廃れてしまう。

 

そうなってしまっては日本の陰の悲願?である原爆や水爆を研究し保有することができなくなる。ICBM等に積載することが不可能となってしまう。それは何としても避けたい、そういう思いが日本の保守政界や経済界(軍事産業を中心に)の下層意識に根強くあるからではないのでしょうか。日本のロケット技術は素晴らしいですからね。

 

そして”99代目”に限らず、日本学術会議をなんとかして軍産複合体というか軍事研究にも積極的に関わらせようという流れは続いているようですからね。なんか話がおかしい方向に行ってしまいました。

 

今朝方の冷え込みは厳しかったです、きのう同様。道路の雪は踏み固められ、ガチンガチンのアイスバーン?です。いやあ、河原まで歩くのにも一苦労です。すっかり氷の道路と化していました。日が当たるところと当たらないところの差の大きさを感じますね。

 

でも、日差しがあり、明るい朝方でした。時間の経過とともに薄曇りになってきましたね。まあ、気温は上がりましたので、道路の張りつめられた氷も解け始めてきました。

           

そして、今朝は可愛いものを見せていただきました。最初は何を作っているのか、単なる積もった雪を使った雪だるまかなとばかり思っていました。その割には製作者は一生懸命でした。そう見えました。

 

雪の上に座ったりもして熱心に製作中でしたから。こんなに早い朝でも勤めに行かなくてもいいのかなと、余計なことですが、思ったりもしたのです。最初は女子高校生くらいかなと思いましたが。

           

何にしても、最後にまた雪だるまのそばを通ったのですが、そのときははっきりと分かりました、そうか、干支、来年の干支の牛の雪だるまかと。何とも可愛い雪だるまでした。写真をとりに近づいた時少し話もしました。

 

何しろ牛の目玉や鼻を表わすのに、下の川にまで行って水の中から黒っぽい石を拾い集めてきたのです。さぞかし冷たかったことだろうと思います。上の写真はまだ完成うではなく、胴体に木の手足がつきます。

 

お昼過ぎに小学校から帰ってきたときにはまだちゃんとしてありました。子どもたちが帰ってきたらどうなっているか?付け足されるか、壊されるか、あしたの朝までのお楽しみです。

 

きょう午前、小学校で会議があり行ってきました。4年生と5年生の授業も参観してきました。学校というところは寒いところなので、特に老化ならぬ廊下は長いし、冷え冷えとしています、下ズボンを履いていきました。

 

2,3年生の時は感じなかったのですが、何か教室がとっても狭く感じられました。といっても我々の時のような60人学級ではないんです。35人です。35人前後が縦7列になって座っています。

 

隣同士はかなりの密着度のようでしたが、一応は80センチは話しているという話でした。でも、とっても狭く感じましたが、これは子どもたちの体格が大きくなっているからそう感じたのでしょうか。

 

その割には教室の後ろの方が空いているのです。あとで先生に聞いたら、給食の配膳等のために空けているのだとか。教室の大きさも我々の頃とは違うのかな。昔は二人で一つの机でしたね。

 

男女一緒に座っていましたが、机はもともと二人分の長さがあり、机の中にものを入れたりするときは、蓋になっている机の表面の板を上にあげる方式でした。今はひとり一人に机といすが割り当てられています。

 

そんな昔々の若かりし頃のことを思い出しました。今会いたいとすれば、小学校時代の仲間、同級生ですね。みんなどうしているのか?73歳と72歳か。どれだけのひとがもう鬼籍に入っているのか? 60年から61年前の話しとなります。

 

そういえば今朝の新聞の一面トップは、「小学校の35人学級」というものでした。文科省と財務省の交渉で、来年度から1学年ずつ35人学級にしていくというものです。もともと今は1年生は35人以下の学級になっていて、2年生以上が40人以下の学級となっています。

 

文科省としては、小中併せて30人学級を要求していたようですが、私はその要求を支持します、財務省には生徒数を減らしたからと言ってどれだけ教育効果があるのかという意見が強く、交渉の結果、小学校だけが順次35人学級にしていくことになったようです。

 

こういうときこそ、”99代目”が強く出てきて、文科省の言い分を通せばいいものを、もはや99代目にはそれは無理というものでしょう。”99代目”の頭の中にあるのは、経済をいかに回すかということだけでしょうから。

私は、経済は不況だからこそ教育に力を入れ、先生方を厚遇し、先生方の数を増やし、少人数での初等教育から充実させ、基礎学力をこそ身に着けてもらうようにすべきかと思っています。小学校の前から、幼稚園や保育園の充実も必須で、保育士さん等の厚遇も当たり前のこととすべきです。

少子化と言われ、このままでは日本がなくなるかもしれないとまで言われているのに、人口増につながるような方策は生まれてこないし、若い女性の自殺が増えてきているし、子どもの数が少ないのに子どもたちの貧困が問題化するなど、このままでは子どもたちが健全に育成されるかどうか、・・・・。

もう、やはり日本には将来がない!消え去るのみということなのでしょうか。いやはや何ということか・・・・。

      

これは今年の我が家の渋柿です。右側は焼酎で支部を抜いたままの柿、左側はそうです、干し柿です。こんなに大きい柿が干し柿にしたらこうなりました。日本の近未来の象徴?ですか。

干し柿も、いわゆる干し柿の部類を過ぎて干し干し柿となっています。ここまで凝縮されます。固くなっています。でも噛み応えがあるし、うまいものです。この干し干し柿もきのうでなくなりました。

いやあ、なぜか久しぶりに長くなってしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。

 


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真冬日か?

2020-12-17 14:00:04 | 思いつくまま

 

 堤防の人が歩く所もすっかり雪の覆われていました。

 

いやあ、よく降ります、雪が。午前中1回夫婦で雪かきをしましたが、間もなく2回目の雪かきをしなければならないようです。とは言ってもこの辺の目測では、積雪は15センチ行くか行かないかくらいかな、目下のところ。

 

気温が低いのです。気象庁の仙台地方の毎正時の気温をさっき見たところ、午後1時までは常にマイナス(△)でした。間もなく午後2時の気温が発表されますので、果たしてどうなっているのか・・・・。

 

午前7時でマイナス(=△)1.8度、10時で同じく△1.8度、お昼でも△0.2度で、午後1時は△0.1度となっています。果たして午後2時は・・・。分かりました、0.4度でした。プラスですので、真冬日とはなりませんでした。

 

12日の午後2時の気温は10.5度、13日では6.9度だったのです。14日(2.3度)から一気に冷え込んできました。あしたは5度くらいまで上がるとか。であれば雪も解けるかも。

 

きょうの小学校での休み時間の様子はどうだったのでしょうかね。雪の積もった校庭で雪合戦や雪だるま作りに励んでいたのかなあ。体育の授業は校庭でサッカーをしたりしていないのか。まあ、我々の時代とは変わっていますので、汚れるようなことはあまりしないのかもしれません。

 

私が小学5年、6年の時の雪降りの体育はサッカーと決まっていた感じでした。担任の先生がサッカーが好きだったからです。みんなで長靴を履いてのサッカーは面白いというか、ただボールを追っかけているだけというか、でもそれだけでも楽しかったような気がします。今どうしているのか?もうとっくになくなっているでしょうね。

 

男の先生で、軍隊上がりの先生でした。軍隊上がりの先生にしてはまあ優しかったかな。陸軍か海軍かは忘れましたが、航空隊にいたことは覚えています。戦闘機乗りではなかったようですが。中学校の時の軍隊上がりの先生は怖かったな。

 

不良っぽい生徒には容赦なくビンタが飛びました。廊下で歩きながら説教しながらビンタしていたこともありましたね。今だったら即刻懲戒免職かな。

 

 

雪が降る中、雪をものともせず厚着して傘をさしてカメラを持って河原へ行きました。きょうは平日ですからほとんどだれも歩いてはいない河原を歩けます。これがいいのですね。自分が最初に足跡をつけるのが気持ちいいのです。どうでもいいことなのに、変な優越感を感じたりするのです。

 

そして、苦労して河原へ行けば、行っただけ何かいいことがあるのものです。強い雨が降っていた李、雪が強かったりすると、普段着られない広瀬川の様子が毎間みられます。それが楽しみでもあります。

 

【今ラジオの速報があり、今日の東京都の新型コロナの感染者は800人以上になるとのこと。今までの最高じゃないですか。GOTOトラベル、28日からでいいのですか。まあどっちみち遅れに遅れてしまったのですから、どうでもいいか!?】

 

水中の魚?を捕らえたようです。

       

本当はこの付近にアオサギもいたのです。先に飛び立ってしまって初めて分かった次第です。いるかもしれないと思いつつ分流を下流の方に歩いたのですがねえ。子のサギも本流の少し下流に移動しました。

 

子のサギはさらに下流に飛び去りました。

    

 上記の写真をPCに取り込んでみて始めて分かりました。ウミアイサーというかもがいたことを。いままではっきりと見たことがなかったのでさみしかったのです。

     

 

 最後、どうですか!この広瀬川の雪景色!!

 


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