はじめにお断りです。「華麗なる一族」の撮影の内情を知りたくない人は、読まないでください。(といっても仙台ロケのほんの一部分だけですが)
昨日のことを書いていきます。長くなります、悪しからず。
5時起床。ご飯を食べて、妻と車で家を出たのは6時15分。暖かいコーヒーをポットに入れ、お茶のペットボトルも持ち、マフラーや膝掛けも用意しました。結果的に早く出てよかった。何ということか、場所を間違っていたというか、勘違いしていたのだ。東仙台から岩切を通って行けば、陸前高砂駅に着くとばかり思っていた。しかし、七北田川に架かっていた橋は、福田橋ではなく、岩切橋であった。
やばい、間違ったと思ったのは遅い。近くに止まっていた市営バスの運転手に高砂駅までの道順を聞いたが、かなり面倒くさくて、かつ結構時間もかかるようなのだ。時間は6時40分。ヤバイ、自分で運転しては7時までにはとても着けないと思った。そこで、タクシーで行こうと考えたが、とてもタクシーは捕まりそうもない。でも、岩切駅前に丁度いい具合に個人タクシーが止まっていたので、車は妻に頼み、タクシーに乗り込む。
10分くらい走ったか、料金は1440円かかった。結構な距離である。タクシーが捕まってよかった。
高砂駅前に止まっていたマイクロバスに乗り込んだが、その前に担当のの女性に名前を告げる。
高砂駅前から仙台新港までも結構距離がある。門から入ってすぐ左手にある事務所の前で仙台市関係のエキストラチームが全員揃うのを待って、事務所に入って、今日のエキストラ用の服装に着替えました。
ヘルメット・上着・ズボン・タオル・軍手・編み上げ靴が用意されていて、各人が自分の寸法に合うものを選べるようになっていた。
上着はM,ズボンはL,編み上げ靴は26.5センチのものを選ぶ。今日は寒かったが中に一杯着込んだので、ズボンを脱いで、またセーターも脱いで、用意された上着とズボンに着替えようと思ったが、他の人はみんな自分のズボンや上着の上から、与えられた服を着ていたので、私もそうする。うまい具合に、そのままはけたり、着ることができたのだ。カーキ色の作業服は厚手でかなり大き目ということか。
着替えて、すぐに歩いて撮影現場へ向かう。事務所から岸壁の方に歩くこと10分(かそれ以上)。荷物は事務所内に置いたまま。
今日のエキストラは、仙台チームは30余人か、そのほかに東京チームがあり、二つをあわせて130人前後が集合する。
何でも、東京チームは今日の深夜1時に集合してマイクロバスで仙台にやってきたとのこと。信じられますか、この情熱、ヤル気!圧倒されます。そのためでしょうか、エキストラの中で常に一番前の中心にいる作業員役やせりふのある人は東京チームの人たちでした。
撮影場所は、いろいろな種類の大きさのスクラップが山積みされているところ(スクラップヤードとでもいうのかも)の比較的広くなっているところで行われました。5列横隊に並ばされて、ディレクター?の指示(指示を出す人は一杯いるのだ。指揮命令系統は複雑である。去年の映画のときもそうでしたが)でテストを繰り返し、本番を迎えるということの繰り返し。8時前からスタートする。
というのも、集まったのは130人前後だが、実際には600人くらいの作業員を想定しているとのことで、130人が塊となって、5箇所くらいで同じような演技を繰り返したわけ。いわば、扇でいうと、まず最初は扇の一番遠いところから撮影を開始し、次に少し前に並んでの撮影、更には一番前に並んでの撮影、それで終わらずに、扇の左右に分かれても撮影をする。同じことを5回繰り返したわけだが、指示により、そこは少しずつ演技の内容を変えていった(つもり)。左隣りの人と嬉しくなってのハグがあったり、今度は右隣りの人とハグしたり、3人だったり、4人とだったり、いろいろ変化をつけて迷演技?をしました。
最初は知らない人同士ということもあり、なかなか自然によろこびあうということはなかった。どうしても硬くなりがち。せいぜいが隣の人と肩を叩き合ったりのしぐさであったが、テストの回数を重ねるうちに声も大きくなり、動作も大胆になってきました。我々エキストラの中に、同じ服装をしたディレクター?が混じって、いろいろ演技の指示をして、テストを繰り返しました。
はじめて分かったこと。130人が600人分を演技するわけだから、CGを使う。5回に分けて、同じことをやったが、それをCGで合成する。そのときに合成しやすいように、バックに青い板を並べるのだ。そうすると合成しやすいのだとか。
青い板の大きさは、高さは2.5メートル以上あるか、横は1.8メートルくらいの板を弧を描くように10枚以上並べるのだ。足りない部分には、青い布を使用していた。
この作業を、場所が変わるたびに繰り返すわけだ。小(大)道具さんは大変である。
5回のうち、主人公の「木村拓哉」が出てきて話をするのは3回だったか(エキストラが扇の左右に分かれての撮影の場面では、一人、人のいない正面を向いて話しをしていました)。エキストラが前の方に近付いてきてからの出番となった。本番ではジープに乗って、自分で運転して、颯爽と我々の前に現れてきます。
やっぱり、木村拓哉は格好いい。細い、スマート。馴れ馴れしい顔つきはしないで、あくまでも撮影用の仕事上の顔つきであった。決まっています。カメラチェックのときに1回タバコを吸っていたか。学校の校庭にあるような縁台(木製の古臭いもの)に上がって、ハンドマイクを使って、従業員に話しをするという設定。
話しの内容は「商品には信用があり、引き合いが一杯あるが、原材料が入らなくなっている。そこで、2年後に高炉を建設することになった。それまで頑張ってくれ」というようなもの。(結構長いせりふとなるためか、言いにくい表現があったためか、何回かとちってしまう、かんでしまった。「努めて欲しい」の「努めて」がなかなかスムーズに出てこなかった。確かに発言しにくい言葉となっていた。)
その話しを聞いて、あいづちを打ったり、何だそれは?とざわざわしたり、最後には我々従業員は大喜びし、更なるやる気を起こす、その喜びを体で表すというもの。
午前中の前半までは寒さを感じたが、後半からは気温も上昇し寒さは全く感じなくなった。岸壁というのに、何といっても風がなかったのがよかったです。何しろ保温できる下着を着たし、着て行った服の上に重ね着をしたものだから、暑いくらいのときもありました。
待つのも仕事、ヒマを潰しているときもいっぱいあり、そんな時上空を見上げると、青い空に飛行機雲が一杯錯綜している。5つか6つくらいもあったか。こんなにたくさんの飛行機雲を見るのも久し振りのこと。
上記のシーンの撮影が終わった後は、専務(キムタク)のあとを従業員が喜び勇んで集団で歩くという場面の撮影。最初は先の撮影のときと同じく、集団の中にいたのだが、何回かテストを繰り返すうち、ディレクター?が年寄りというかベテランの社員を前に出すということで、私やほかの年配の人が前に出された。(若い人たちだけが社員ではない!)
つまり、そうなることによって、いつしかキムタクのすぐ後ろに位置することになったわけだ。ということは何を意味するか?カメラに入る、写るということだ。同じくらいの年配の人と肩を組んで、喜びの表情をしてキムタクの後を歩くというシーンは、バッチリ写ったと思う。いい年をして、この喜び、ミーハーですが、それでいいのです。
実際の動きは、我々の後から常務か誰かが(俳優は西村雅彦)割って入ってきて、専務(キムタク)と並んで、文句を言う場面でもあるのだ。「なぜ、高炉の話しをしたのか」と専務を問い詰める場面である。その言い合いがすぐ目の前で行われたわけです。
実は、その場面はなかなかOKがでなかった。というのも、肝心のキムタクがとちってばかりだったから。お陰で何回も楽しむことができたが。そのたびにキムタクは我々の方を向いて「すみません」と謝っていました。
それが終わったのは午後1時ころ。荷物を置いたところとは別のところで昼食となる。ようやく座ることができた。ずーと立ち通しは辛かった。 ロケ弁当はうまくなかった、ひどい内容。去年の映画のときと比べると雲泥の差がある。450円前後の安い弁当の感じ。まあ、文句は言えないが。それと缶入りのお茶も。
食べる前にうがいをしたかったのだが、水飲み場がなく、撮影場所は鉄くずのスクラップを炉に持っていく前の巨大な磁石のついたクレーンで掬い上げて、専用の投入口に投入するという作業を延々と続けているところのすぐ前で行われていて、細かいホコリ等が一杯舞って来るのです。撮影スタッフの何人かは防塵マスクをつけていました。だから思いっきりうがいをしたかったのですが、それはかなわず、お茶を飲み込みました。
食事休憩は約30分、1時45分から後半の撮影開始。すっかり疲れてしまったし、午前中にバッチリと撮影された(多分そう思う)ので、もうあとはいいやという気持ちになってしまった。
午後の撮影は、走ることが多くなって更に疲れたこともあります。高炉ができた2年後のことになる(もしかして違っているかも?というのもディレクター?たちはハンドマイクを使わずに(台数がそもそも少なかった)説明するので、全員が理解するのは無理でした)。トラックが原材料をつんで工場に入ってくるのを、大喜びで出迎えるという場面。
トラックは3台。ボンネット式の古いトラックをよくも動かしているものだ。本物の鉄くずと張りぼての鉄管等を積んでいました。何といっても涙が出るくらい懐かしかったのはウインカーです。その昔々のウインカーは飛び出し式(収納式)でしたよね。バスなんかも右折なら右側のウインカーがピョコンと出るというものでした。(他にも旧式のトヨペットクラウンやコロナマークⅡもあり、しばし懐かしさに浸りました。)
出迎えるときに40メートルから50メートルを走ることになるのだが、これが結構きつい。手を振りながら、喜びを体で表して走らなければならない。何回走ったか、5~6回ではきかない。
これを、前からと後ろから撮影した、何度も何度も。
終わったのは、3時半頃か。しかし、それだけでは終わらなかった。こんどは夕方なのに事務所前で、仙台チームが二手に分かれて、専務のジープの到着を迎えたりするシーンを二通り撮影しました。私は三人で後姿で歩いていく役。
全てが終了したのは4時20分くらいか。
長かった。腰が痛い、重苦しい。でも、達成感?はあったといえます。充実した?一日でした。
スタッフの皆さんは黙々と自分の持分をこなしていましたが、全部で40人から50人近くもいましたか。ご苦労なことですが、みんな楽しんでいるようでした。カメラは2台から3台が動いていました。
そうそう映画「ええじゃないか日本・気仙沼伝説」は、完成したものの配給方法等がまとまらずに、上映されずにいるということです。
今日は一日雨降り。昨日の天気からは全く予想も出来なかった。仙台ロケは26日から3日間続くということでしたが、今日は無事撮影できたのか?他人事ながら心配です。 謝謝。