鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

米代川釣行記・その6

2007-08-31 23:23:47 | その他河川

 今回の秋田県米代川への1泊2日の釣行記も今日で最終章です(その予定です)。

 今までは全て楽しい、いい思い出となることばかりでしたが、今回は不平不満、苦情を述べさせていただきます。

 

 米代川は全長が136キロで、東北地方では5番目の長さを誇ります。長さは、北上川249キロ、阿武隈川239キロ、最上川229キロ、馬渕川142キロに次ぎます。

 136キロの河川に何と漁業協同組合は8つもあります。①鹿角市河川漁協、②比内町漁協、③大館市漁協、④田代町漁協、⑤鷹巣町漁協、⑥阿仁川漁協、⑦粕毛漁協、⑧能代市常盤川漁協です。

 

 1漁協あたりの河川の長さは単純計算で17キロとなります。計算してみてビックリしました。こんなに短いのか、計算間違いではないかと。でもきれいに割り切れます。

 1漁協の河川の占有長さは(単純計算で)たったの17キロなのです。信じられない長さ、短さです。改めて呆れてしまいます。

 だから米代川に入るときは、どの地区に入るかを決め、次にその地区の漁協はどこかを調べなければなりません。面倒なのです。おまけに川や川にはいる場所に管轄の漁協名の立て看板があるわけではありません。つまり漁協同士の境界線が分かりません。今時こんな不親切な河川がありますか。おまけに釣りマップがどこにでも置いてあるわけではありません。

 下手すれば、釣りのときよく歩き回る人なら、二つの漁協を跨っていることも十分考えられます。

 

 このことでは我々青葉カワセミ会としても不愉快な思いを経験しています。最初は田代町漁協管内で釣っていたのですが、少し下ってみようということで、下流に移動して(車で)入川したら、先に竿を出していた地元の人が漁協に知らせたのでしょうか、組合員がやってきて河川敷から我々に向かって何やら騒ぐのです。入漁証を買え!といっているようでした。

 どこに漁協管内が変わるということが表示されているのか、余りに不親切ではないか、それで金を取るのかというようなことを言って食い下がりましたが、結局は入漁証を買いました。

 

 このことに関しては、インターネットをみるといたるところで不評を買っているようですが当たり前です。そういうこともあって、上流域の3漁協(上記でいうと①②③の漁協)が共通の入漁証を発行したことがありましたが、それも止めてしまったとか。

 水利権や漁業権については昔からの権利なのでしょうが、それにしてもあまりにひどすぎるではないでしょうか。せめて2~3くらいの漁協で十分です。阿仁川はそのままで、米代川は二つの漁協でいいのではないですか。

 ちなみに仙台では広瀬川と名取川で一つの漁協です。

 

 米代川釣行記・その2では釣りのことしか書きませんでしたが、実はあるトラブルがあったのです。

 

 大巻地区での釣りでは、写真にもあったとおり鳥居のあるところに駐車しました。ところがここは私有地なのです。でも青森ナンバーの車が数台止まっていたし、川の近くにまで車で行けるようになっていますので、また13年前もここに駐車しましたし、何も問題はないと思って駐車したわけです。

 そしたらここで製材所を経営しているオヤジさんがやってきて、改めてここは私有地だから本当は止められないが、止めることは黙認しているようなことを言い、最後に、ここに車を止める釣り人は、自分のところからオトリや入漁証を買っているのだとのたもうたのです。

 そこまで言われれば、あとは低姿勢で、おべんちゃらを言うのみです。昼食を摂ってから川に入ったことは(その2)のとおりです。

 

 私としては予想外に釣れて20匹となったところで納竿しようと思い、午後5時過ぎに竿を畳みました。周りの人達は我々よりも少し早く上がり始めていました。

 私ともう一人が上がってきたときに、例のオヤジさんが待っていて、文句を言い始めました。「5時までに上がってくれないと困る」「いつまで川に入っているんだ、5時までなんだ」というようなことを言うわけです。

 

 これは我々にとっては初耳でした、それなら昼のときにちゃんと行ってくれればよかったのにと思いました。夏の5時はまだまだ明るいのです。遠征釣り師にとっては少しでも多く川に入っていたいものです。

 口で言わないのなら、「ここは私有地」とかの看板を立てているのだから、あわせて”駐車した場合は5時には上がること”ということも表示しておけばいいのにと思わずにはいられません。

 仲間の一人が行方不明?になったため、なおのことオヤジさんに気を使い、不愉快な気持ちになったわけです。

 

 まあこんなトラブルはよくあることで、トラブルには属しないといえなくもない(でも、そのことはいいことではないですよね)のですが、二つともに共通することは『きちんと表示してくれない』ということです。分かりやすく、明確に、至る所に?注意書きを表示してくれれば、つまらないトラブルは減少し、いい思い出だけが残り、また是が非でも来ようというリピーターが一杯生まれるのに・・・。

 

 写真は、田代町漁協と比内町漁協の日釣り券です。比内町漁協の日釣り券はいとも簡単にコピーできそうな、ちゃちなものです。これにはびっくりしましたが。でも、素朴さがあっていいのかも。

 

 長い釣行記となりました。随分と引っ張ってきましたが、付き合って読んでくれた皆様ありがとうございます。心からお礼申し上げます。

 

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米代川釣行記・その5

2007-08-30 23:27:46 | その他河川

 昨日と同じ写真を使わせていただきます。昨日はまだ何も説明していませんでしたので。

 

 昨日の続きです。10時10分頃待望の大アユが1匹かかりました。その大アユをオトリに使うことは考えられませんでした。そのようなハナカン周りの仕掛けは持っていません。

 そこで2匹のオトリを交互に使うより他はなかったのです。それが効率的だし。

 

 2匹目は10時20分頃ですか。1回目から少し下の瀬でかかりました。1回目と全く同じで、右岸側に寄せようといくら頑張っても少ししか寄ってきません。今回も釣り下りながら、少しでもいい態勢で引き抜くことを考えました。

 

 瀬での大アユの割にはそんなに釣り下ることはありませんでした。せいぜい5,6メートルくらいですか、その範囲で2匹目が掛ったわけですが、引き抜けたのは鮎が近寄ってこなかったからこそではないかと思います。

 これがあまりに近くに寄ってくるといくら竿を天に上げても抜けないでしょう。竿1本分以上離れているからこそ、抜けて飛んでくることが出来たのでしょう。キャッチは、タモの下のほうは水中に入っています。そうやって辛うじてキャッチできたわけです。

 全く同じクラスの鮎です。こうして1時間ちょっとの間に4匹掛って4匹とも引き抜きました。この間動いたのは全部で20メートルくらいでしょうか。

 

 再度瀬の上のほうに移動して釣り下ろうとしていたとき、右岸上流から鮎釣り師が二人やってきました。私は彼らを見たとき、てっきり仲間だと思い、左手で”4”をつくって、見せていました。それが結果的に彼らとの心理的な距離を縮めたのかもしれません。彼らから気安く話しかけてきました。

 

 それから半ば雑談しながら竿を出していたのですが、何とその間も当りがあったのです。「あっ来た!」といって、竿をため立てます。と同時に釣り下ります。彼は「下れ!」と叫びましたが、私は釣り下りながらも竿を絞り、左手にタモをもちました。そしたら、彼は「抜くのか?」とビックリした様子。

 もう既に4本抜いているし、今回も、別にカッコいいところを見せようというのではなく、引き抜くつもりでした。何とか水面すれすれで受けることが出来ました。これで5匹目です。

 

 タモに入った二匹の鮎を彼らに見せました。なんと大きさの違うことか。全体としてオトリの4倍以上は大きいのではないかと思います。

 そしたら彼曰く「前にこういう大きな鮎にハナカンを通して流れに入れたことがある。」と。やってみたかったとのこと。掛ったけど、それっきりだったとのことです。当たり前でしょう。

 

 他にもここで鮎釣りをするなら、元気のいいオトリ鮎を10匹は必要だとも。確かにそうです。20センチ前後の元気なオトリ鮎が一杯いれば、もっと掛ったでしょう。

 事実、その後弱ったオトリで泳がせていた?ときに、ガリガリという針がこすれる感触があり、あっまた来たかと喜んだのですが、今回はハリ掛りはしませんでした。

 

 私としても、この巨大な鮎をオトリにして釣ってみたいと考えなかったわけではないのです。でも、ハナカン仕掛けの全長は26~27センチしかないこと、これをオトリにして、掛ったら絶対に抜けないことを考えて実験というか試行はして見ませんでしたが、もしもまた来年米代川に来ることが出来て、巨鮎が掛ったら、その時こそ更に太い仕掛けを用意して試してみようかなと思います。

 

 何でも、球磨川では尺鮎で尺鮎を掛けるらしいですから、それに倣ってみようかなと・・・、捕らぬたぬきの皮算用ではないですが、来年以降の楽しみが出来ました。

 米代川に限らず、今年できるのなら、最上川で納竿前にやってみたいと思います。最上川で獲れた一番大きい鮎をオトリにしてやってみたい!!

 先の短い人生、人生何でも挑戦、同じ後悔するならやらなくてするより、やってしようと思います。

 

 でも、凄いだろうなと、丸々と肥え太った巨鮎をオトリにして、同じくらいの巨鮎が掛ったら、一体どんな引きになることやら。想像するだけでワクワクしてきます。その時は何十メートルでも下って引き寄せて取り込むつもりですが。

 

 写真はいづれも上記の瀬で掛けた大アユです。27センチ前後の大きさです。これだけではどれだけ大きいかはわかりませんが、使用したオトリと比べると本当にその違いに驚きます。まるで”ニシンみたいな鮎”です。

 

 26日の夜、大アユを1匹食べましたが、拙くはなかったです。焼くときに、はらわたを取ってぶつ切りにして焼きました。ぶつ切りにすると、とても鮎には見えません。

 

 今思ってもよく引き抜けたものだと改めて感心します、よくやったと自分を褒めたくなります。それにしても、ダイワの「硬派”剛”95」は丈夫な竿だとつくづく思います。”剛”に改めて感謝です。「引き抜き荒瀬」ではなく、「早瀬」と軟らかい竿だから、糸との相性もよく、結果としてよかったのかなとも思います。

 (その6)に続きます。


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米代川釣行記・その4

2007-08-29 23:28:13 | その他河川

 26日(日)に入ります。

 個人的には久し振りにぐっすりと眠れました。5時前には目を覚ましましたが、疲れはとれていました。

 朝食は7時からということですが、6時30分過ぎに1階の食堂に行き、朝食としました。朝食もよかったと思います。夕食と朝食を食べた感じでは、やはり全体的に味は濃いというかしょっぱい感じがしました。私は、薄味に慣らされてきましたので。本当は濃い味付けが好きなのですが。

 

 出発前にオヤジさんにいろいろ聞いて、情報の収集です。26日は、午後2時には帰途に着くと決めていましたので、実質的に釣りができるのは午前中ということになります。

 昨日は各人そこそこ釣れたので、今日は米代川といえば”大アユ”、数は少なくても大アユに挑戦してみようということで、上流域に入ることにしたのですが、入るとしてもどこがいいのか貴重な情報が必要です。

 オヤジさん曰く、ここから二つ上の橋がいいのではないかと。投網でいつも大アユが捕れるところがあり、それが二つ目の橋のところだとのこと。

 

 コンビニにて昼食を確保してから、上流に向かいました。

 昨日の夜、宿にあった米代川の釣りマップを見た釣り友が言うには、特養のあるところの川が、いい川相をしている、トロあり、瀬ありでいいのではないかとのことで、そこに向かう。

 大館市立の十二所体育館のところに車を止め、着替えました。丁度26日は大館市の学区民?の運動会がある日でした。

 

 ここの川相は上流のほうに階段状の堰堤があり、その下は深い瀬、トロ瀬が続き、どこから見ても大アユが棲みつく場所と思います。

 ここでとりあえず竿を出しました。

 

 竿はダイワの「硬派”剛”95引き抜き早瀬」、水中糸は昨日より太い仕掛けにして、ホクエツの「尺鮎0.3号」で、上の付け糸は0.6号、下の付け糸は0.5号でした。ハリは8号の4本イカリで、ハリスは2号です。

 

 瀬から瀬尻の平瀬までのところに並んで竿を出しました。しかし掛りません。

 上流にいた釣り友が下りました。広い緩やかな平瀬に入りました。そこで掛ったのです。大きい鮎のようで、かなり釣り下りながら右岸の浅瀬の方に寄せようとしています。

 遠目には確保したかなと思ったのですが、後一歩というところでばれてしまったということでした。鮎の頭部にハリがかりしたのですが、掛かりが浅かったようです。因みに二本チラシとのことでした。

 

 でも、大アユはいるということがはっきりしたので、ヤル気が出てきました。鮎釣り師はいずこも同じでしょうが、釣れるところに引き寄せられます。私も上流から彼の下流に向かいました。でも、そうは問屋が卸しません。掛りません。しかし、彼にはまた掛りました。しかし、痛恨の親子丼でした。

 

 平瀬の100mほど下流に瀬が見えました。ダメもとで行ってみることにしました。いい瀬です。右岸からも左岸からも竿を出せます。私は右岸から下っていったので、右岸から竿を出しました。

 時に10時10分くらいですか、竿を出してから1時間余経っていますが、ググッといういい当たり。来たあ、何としても捕ってやるという覚悟で竿をため、立てていきます。そして出来るだけ右岸に寄せて引き抜こうとしたのですが、浮いてきません。オトリ鮎さえ出てきません。

 何だこれは、そんなに大きいいのか?!必死になって態勢を立て直し、少しでも浅いところに寄せようとするのですが、寄ってきません。竿は満月のように曲がっています。これは下手をすると折れるかもしれないと思いました。

 

 寄って来なければ引き抜くまでだ!と覚悟を決め、何としても抜いてやる、竿が折れるならばそれもいいだろうという気持ちで竿を立てます。ようやくオトリ鮎が顔を出しました、しかし、掛り鮎は見えません。なにくそっと渾身の力をこめて抜きの態勢に入りました。顔を出しました。でかい!!何としても捕ってやる!!辛うじて水面ぎりぎりを飛んできて、何とかキャッチしました。

 

 ヤッタアー!!思わず叫びました。それだけ大きかったのです。これぞ米代川の大アユ、巨鮎です。27cm以上あるかも、もしかして尺鮎かもと思うくらい大きい鮎でした。

 心臓はバクバクでした。居たあ~、居るのだ!やったあ~。天にも昇る気持ちでした。その鮎は片手では持てません。引き船に入れるのにどうしたか?引き船を体の前に持ってきて、巨鮎を両手で掴んで慎重に引き船に入れました。ほっとしました。

 

 オトリ鮎は2匹でした。これを交互に使うことにしました。引き抜くのに時間はかかりましたが、何十メートルも下ることもなかったので、結果的にオトリ鮎は弱りにくかったのかもしれません。

 

 以下、(その5)に続きます。

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米代川釣行記・その3

2007-08-28 22:51:11 | その他河川

 8月25日(土)の宿は、大滝温泉郷の「リトル大滝温泉」ということはおとといのブログで書きましたが、大巻から戻る(上流に向かって)時に、暗くなってきたこともあって、ナビがあるのに、半ば道に迷い、到着が7時半くらいとなってしまいました。

 

 時間は前後しますが、25日の釣りは5人のうち4人は5時半頃には納竿したのですが、一人がどこで釣りをしているのか鳥居のところからは全く見えず、何かあったのではないかと4人で大いに心配し、探し回りました。

 彼は中洲の左岸側のずーと下流域にいて、チャラ瀬で竿を出していました。竿が見えたときは本当にほっとしました。まさか流されたりしたとは思いませんでしたが、少々無茶なこともやりかねないし、過去に流された?実績もあるので心配したわけです。

 やはりグループでの釣行の場合、最初にきちんと何時には上がるとかいうことをきちんと決めておかなければならないと、改めて思いました。教訓です。

 このときに鳥居のところであることがあったのですが、それは後でまとめて報告します。

 

 「リトル大滝温泉」ですが、主に東北地方の鮎キチたちで一杯でした。玄関の前の駐車スペースは満員で、第2駐車場の方に止めました。

 明日のために生きのいいオトリを二つのオトリ缶に17匹確保しておきましたので、それを宿の前の生簀へ。ここの生簀は長さが4メートル弱の細長い生簀で、川の水を引いてきてつねに流しているので、新鮮で弱ったオトリも翌日には元気になっているとか。

 先客がオトリ缶を寝せて上に重石を載せていたので、我々もそうしましたが、宿のオヤジさんいわく、本当は浮かせておいた方がいいのだと。なぜなら表面のほうに流れがあるからと。言われてみればそのとおりかなと思います。

 

 すぐにご飯にしてもよかったのですが、体も冷えてきたりして、まずは温泉で温まろうということで、温泉に入りました。温泉というと掛け流しというイメージがありますが、湯船はどちらかというと民宿のお風呂の大きい奴という感じ。でも、温泉は温泉、やはり体は温まります。温泉はいいです。

 それからおもむろに食堂にて遅い夕食となりました。何十人くらいいたでしょうか。50人前後はいたでしょうか。

 4,5人のグループの人たちが多かったようです。それぞれのテーブルでは、今日の鮎談義に花が咲いています。広い米代川のいろんなところで竿を出してきた人たちです。皆同じ鮎釣り仲間と思うと、ただそれだけでなんというかいい気分というか、おなじ趣味を共有しているのだなと嬉しくなってきます。一種のオーラが漂っているといってもいいのではないでしょうか。

 

 我々青葉カワセミ会としても、10年以上振りの米代川遠征釣行です。遠征しようしようといいながらもなかなか実現できなかっただけに、今回の遠征釣行は、嬉しさもひとしおで、乾杯の生ビールのうまかったこと!!会を作ってよかった、皆で来れてよかったと、ビールを飲みながらしみじみと思いました。仲間に感謝です。改めて皆さんありがとう!!

 

 この宿は一泊二食つきで、6500円とか。料理も結構よかったです。個人的には料理はそこそこでいいのですが、この値段ではいい方かなと思います。

 びっくりしたというか、おもしろいと思ったのは、ご飯がカレーライスだったことです。初めての経験ですが、こういうのもいいかもと思いました。甘辛のカレーでした。もちろん食べ放題です。

 そして最後のほうでは、1月23日につくったというどぶろくをご馳走になりました。1月23日はオヤジさんの誕生日とのこと。つくってから7ヶ月経っているためか、かなり発酵して、すっぱいどぶろくでした。甘いものと思っていたのに。

 あっというまに時間は経ってしまいました。心地よい疲れと酔い心地で、私はパタンキュウとのことでした。

 

 写真は、宿泊した部屋”欅”の窓を開けて撮ったものです。宿の目の前が川、米代川なのです。下流域の写真です。

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②米代川釣行記・その2

2007-08-27 22:13:01 | その他河川

 写真は大巻地区にある由緒ありそうな神社です。

 画面をクリックしてもらうと拡大しますので、そうすると分かると思いますが、川向こうの左岸側に神社があります。でも右岸側にも年代ものの鳥居があります。鳥居の中に神社が見えます。

 鳥居の前にある案内板には「大巻の船場跡」と書いてあります。船で左岸側の神社と行き来していたのか、米代川の下流域と行き来していたのかは分かりません。

 ここの川の状況は昨日の写真の左側(上流側)は何メートルあるのか分からないような深いトロになっています。中洲の手前は荒瀬になっていますが。船がなければ絶対に対岸には行けません。

 

 この鳥居の左右に釣り人の車を止めます。先行者が結構いて、車も(全部四駆、青森ナンバーが多かった)4,5台ありました。

 腹が減っては釣りができないので、まずコンビニの弁当を食べました。その前に、青森から来ていた人と話しをする機会があり、この辺の地形、釣り場に詳しいようなのでいろいろ話を聞きました。

 一昨日は増水でとても竿を出せる状態ではなかったということです。上流側の中州の右岸側の荒瀬はいいポイントで、大アユが居ついている。下流では竿は出しにくいが、右岸側から竿を出すといい鮎が釣れる、釣れるけど取り込みが大変ということ。下流側の中洲には瀬の鏡を渡れば行けること等等・・・。

 

 我々も腹ごしらえを終えて、いざ出陣。オトリを2匹ずつ分けて、各々のポイントに入りました。

 上流に一人、下流右岸に二人、下流中州の手前に一人、私は下流中州の左岸の分流に入りました。

 

 竿は、ダイワの「硬派”剛”早瀬抜き95」です。水中糸は、例によってホクエツの「尺鮎0.25号」です。上の付け糸が0.5号、下の付け糸は0.4号です。ハナカンは径が6.5のワンタッチハナカン。ハリは最初は7.5号(ハリスは1.2号)、下流の荒瀬のときは8.0号(ハリスは2.0号)でした。水温は22.5度。

 

 先行者が一人いて、話を聞いたら、ポツポツ掛るとのこと。彼の下流に入り、オトリを泳がせました。すぐにでも掛りそうでしたが、そうは甘くはなく(小さいカジカが掛りましたが)、釣り下る中、10分後にようやく掛りました。時に13:08。型は21センチくらいですか、まあまあの型で、よしこれからと勇んだのも束の間、流れてきた大きなゴミがこともあろうに下の付け糸の当りに絡まり、瀬だったこともありあれよあれよの間に、プッツンです。

 せっかく捕ったばかりの鮎がぱあ~。他の人もいっていましたが、草やその他のゴミが一杯流れてくるのです。これには参りました。がっかりです。

 気を取り直して、再度養殖のオトリに頑張ってもらうことになりましたが、掛りません。中洲をグルッと回る形で本流の方に下流域から出ました。

 

 本流の左岸には二人、右岸にも二人の釣り人が居ましたが、何とか二人の下流域に入らせてもらいました。多分彼にとってはおもしろくなかったことだろうと思います。まさか下流から上がってくるなんて思ってなかったでしょうから。

 でもそこは折角来た大アユの川”米代川”です、少々?厚かましく本流の荒瀬(急瀬というべきかも)に入らせてもらいました。

 しかし、弱ってきたオトリでは掛りません。それ以上に底に入ってくれません。背バリでは無理なので、オモリを使いました。オモリは苦手なのですが、ここで使わなければ使うところがありません。3号くらいの大き目のオモリです。

 

 そうこうしている間にも。上流側の人は掛けています。やはりオモリを使い、その場を動かずに引き抜いています。オモリはかなり大きく感じました。

 おまけに向かい側の人も、この人は地元の人のようですが、休み休み竿を出しても、いい型の鮎を掛けているのです。

 14:00過ぎ、ようやくガリガリというハリがかりの当りが手元に伝わってきて、よし、ようやく来たかと喜んだのも束の間、ハリがかりはしませんでした。

 

 ハリが軽いのかもと思い、ここからハリスが2号で8号のハリを使いました。時に14:20頃、ようやくいい当りがあり、硬派”剛”が弓なりに曲がりました。ぐっと堪えて溜め、竿を立てて下りながら(鮎に引っ張られて)少しでも浅いほうに寄せて引き抜きました。待望の1匹です。真っ黄黄の20センチくらいの鮎でした。

 それから15:00までに4匹掛け、計5匹となりました、ようやく。

 その後は、先行者二人も居なくなったので(邪魔をした格好になってしまったかなあ)、この本流の荒瀬を中心に往復して17:20まで竿を出しました。丁度20匹で納竿しました。

 型は小さめのも交じり、17センチから22センチくらいでしょうか。型はいまいちでも、荒瀬のため引きは強烈で、これぞ鮎釣りというものを実感しながら釣り下り、また釣り上がるということを繰り返したわけです。

 すっかり足腰がくたくたです。でも心地よい疲れでもあります。

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①今日の広瀬川

2007-08-27 21:12:51 | 広瀬川

 雨が降りません。全く降らないわけではないのですが、量が少ない。今日だって午後あたりから雨の確率が高かったのですが、雨らしい雨は降りませんでした。

 

 写真を見ていただければ分かりますようにますます広瀬川の水量は減り続けています。

 へたすればこのまま仙台地方の鮎釣りは終了してしまうのではないかと恐れます。

 

 まとまった雨が降って欲しいと切に思います。

 9月には雨ばかり降っていたりして・・・。


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米代川釣行記・その1

2007-08-26 22:17:54 | その他河川

 青葉カワセミ会10年余ぶりの秋田県米代川釣行。5人で、三菱デリカで行って来ました。

 

 仙台を7時頃に出発し、東北自動車道で一回休憩して、25日の宿泊先である”リトル大滝温泉”に着いたのは10時半過ぎですか。最初宿泊先の名前を聞いて、???と思いました。大滝温泉なのにリトルとはこれ如何に。わざとそうしたのかとも思いますが、その方が対外的にはインパクトがあると思います。

 

 ここでお世話になる旨挨拶し、情報を仕入れたわけです。

 扇田堰堤の上は数が少ない、一日に3から5匹、多くて8匹も釣れればいいくらい、ただ型は大きいということ。大滝温泉は扇田堰堤の上流にあります。

 初日でもあり、数が多く釣れる下流域に向かうことにし、感じのいい親父さんからオトリを購入しました。下流域は人が多いと言われました。

 値段を聞いて、正直ビックリしました。1匹600円というのです。高い!!仙台の数少ないオトリ屋の値段と同じではないか。天下に名を馳せた米代川なので、3匹で1000円くらいかなと思っていたのですが(勝手に?)。

 

 話し合って、とりあえず向かい先は「田代町役場」裏の米代川に行くことにする。

 我々青葉カワセミ会にとって、田代町役場裏の米代川は、思い出の多い、かつ深い場所です。

 15年位前始めて米代川に遠征したとき、竿を出したのは、①扇田堰堤下、②田代町役場裏、でした。このときは3人で、テントを持っての釣行で、河原でのリバーサイドホテル。

 扇田堰堤下では釣れたのですが、引きは強かったが、型はそう大きくはなかった。でも、田代町役場裏の鮎は大きかった。さすが米代川の鮎という感じでした。これが強烈な印象となってしまったわけです。

 

 途中コンビニに寄って昼食を確保し、薬局にもよってエアサロンパスも購入。虻(あぶ)には何といってもエアサロンパスというブログの記事があったからです。なんか皮肉ですね、虫に虫除けスプレーではないということが。

 

 しかし、田代町役場裏の流れは大きく変わっていました。釣り人は数人いましたが、釣れそうもないのでもっと下流を目指しました。

 24日のブログで紹介した写真を撮った場所です。地名は”大巻”です。国道から狭い橋を渡っていくことになるのですが、その手前にオトリを売っている店があったので、話を聞き、ここで日釣り券を購入し、竿を出すことにしました。

 

 写真は、駐車した場所から下流域を撮ったものです。(以下続く。長い?シリーズものになるかも?)

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明日、米代川に行ってきます。

2007-08-24 23:50:44 | お知らせ

 今日は夜会議があったのと、明日の準備と、日本テレビの「私は貝になりたい」を見たため、今からブログに取り掛かったわけですが・・・。

 「私は貝になりたい」というとどうしてもフランキー堺主演の映画を思い出しますが、今日のドラマもよかったです。

 ジャイアンツTVと揶揄している日本テレビですが、この前と今日となかなかいいものをやります。

 とにかく、何が何でも日本が再び戦争をするような国にはしたくありません。とりあえずの目標は、打倒安倍です。

 

 写真は何と13年前の青葉カワセミ会員の釣行写真です。懐かしいです。といっても、いつも部屋に飾っていますので、随分前のことだったのだなあと改めて思った次第です。

 額は私の手作りです。結構うまく出来たなあと、今でも思っています。

 写真の裏を見ると、「1994年8月27,28日 早口川漁協大巻地区 異常渇水」と書いてありました。

 みんな若かったですが、今から見るとかなりダサい格好です。これがその頃の青葉カワセミ会の制服、ユニホームでした。今はてんでんバラバラですが・・・。

 当時は宿泊はリバーサイドホテル、川にテントでした。

 

 で、本当に久し振りに、明日会員の内5人で米代川に行ってきます。幸い天気は良さそうだし、釣れれば嬉しいけど、釣れなくても皆で釣行、それも遠征しての釣行が出来るということが嬉しいです。しかも、温泉に泊まるかも・・・。

 当時の米代川は全国に名を馳せた、大アユの川だったのですが、現在は数釣りの川となってしまいました。

 去年ですか、村田満が束釣りをしています。一昨年だったか。

 今日も後残すところ10分くらい。とにかく明日秋田県に行ってきます。米代川の他に桧木内川か玉川にも行くかもしれません。もしかして北上川にも・・・。

 という訳で、明日のブログはたぶんお休みとなるでしょう。悪しからずご了承ください。

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今日のこと。

2007-08-23 23:14:22 | 思いつくまま

① 楽天VSロッテ。何ですか、あの試合は。折角9回の表に憲史のツーランホームランで、3対3の同点になったというのに・・・。

 しかも楽天は、当然勝つつもりで抑えの小山を投入したというのに・・・。

 二塁手渡辺の一塁への暴投で、サヨナラ負けとは。

 9回になまじ?同点に追いついただけに悔しさもひとしおな訳です。

 まあ、そうはいっても楽天は強くなった。逞しく、粘り強くなった。

 4,5点取られていても諦めることはなく、その内同点とし、逆転するかもしれないと思わせてくれるようになったことに感謝しないと。野村監督、奥様は好きではないけど、監督のお陰です。感謝します。

 

 ②去年も一度だけあった事で、そのことをブログに書きましたが、今日もありました。

 何が?自転車での職場までの通勤がノンストップだったのです。距離にして、3キロくらいあるかどうか。街の真ん中にあるので、信号は至る所にあります。

 自転車だからそこは融通無碍と行きたいところですが、きちんと信号は守っています。ただ、自転車はありがたいことに歩道も走れますので、その点は自動車やバイクより有利ではあります。

 勤務場所は自宅から東南の方向にあるので、十字路で南進が赤なら、そのまま東に向かったりして、そこは融通がききます。

 そんな訳で10余ある信号で、一度も止まらずに、自転車を漕ぎ続けて職場に着きました。

 嬉しかったです。何とか一年ぶり以上で再度達成しました。

 どうでもいいことといってしまえば、そのとおりなのですが、毎日の生活の中で、できれば毎日何かしら新しいもの、珍しいものを見つけたり、感動したり、経験したりすることはとっても貴重かつありがたいことだと思っています。

 どんな些細なことでも構わないと思います。皆さんも日常の中の非日常(そんなに大袈裟なものではないですが)を見つけてみてはどうですか。

 そして感動しましょう、喜びましょう。

 

 ③は宮城県立美術館の敷地内にある”彫刻”の写真です。

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湖沼の外来魚を肥料に

2007-08-22 23:35:29 | お知らせ

 佐賀北高校、夏の甲子園優勝おめでとう!!

 公立高校なのに、普通の県立高校が優勝してしまいました。あの引き分け再試合で勝ったことが自信に繋がったのでしょうか。

 佐賀県の野球の強い高校といえば佐賀商業高校しか知りませんが、今度佐賀北高校を覚えました。

 はっきり言って、佐賀県は九州地方で一番パッとしない県というイメージしかありませんが、これを機に元気な県になってほしいと思います。

 何にしても、優勝おめでとうございます。 

 

 

・今日のニュース速報によると、国土交通省は、湖沼の水環境の再生に向けて、外来魚などを採取した上で堆肥化し、流域内の農地で活用する取り組みを始めるそうです。

 試行という形をとりますが、茨城県の霞ヶ浦と千葉県の印旛沼でことしから実施するようです。

 これには当然、環境省や農水省の協力が必要ですが、二つの省の協力を得て、基礎データの収集や効果の検証をすすめ、来年度以降の事業化を目指すとのこと。

 

 この考えの元になったのは、昔は湖沼の魚介類や植物が周辺地域で食料や肥料として活用されていたという歴史的事実があります。

 この事業が軌道に乗って、ブラックバスやブルーギルという外来魚が捕獲、駆逐されるばかりではなく、肥料として再利用されるというのであれば、日本古来の生態系の回復と資源の有効活用という一挙両得になるのですが、果たしてそううまくいくかどうか。

 前にも書きましたが、ブラックバスを食べる習慣をつけることも必要かと思いますが、如何せん、棲んでいる所が汚いとしか言いようがなく、そこの魚を食べるのにはかなりの抵抗があることでしょう。やはり、日本では肥料にするのが一番なのでしょうか。

 何にしても実験がうまくいくことを祈ります。

 

・それと昨日も書きましたが、日本のほかの河川環境は昔と比べてどうなっているのでしょうか。

 よく行く山形県の河川環境はそんなに変わってはいないように感じるのですが。それよりも、よく管理されていると思います。

 広瀬川の河川敷や川の流れ、川底の砂地化、中洲の状況等を昔と比べてみると、総体としての河川環境は絶対に悪くなっています。

 

 昔はどこからでも川に近寄れた。川のどこでも遊ぶことができた。見通しがよかった。魚も多かった。大きな目標となる岩や石があった。荒瀬、早瀬、チャラ瀬があり、深い泳ぐことが出来る、飛込みができるトロもあった。本当に川が身近にあった。昔だって木や草はあった。

 それが今や川は人間を寄せ付けなくなってきているとしか言いようがありません。極端にいえば、河川環境はジャングル化しています。木が大きくなるのは仕方がありません。問題は草です。身の丈以上の草がはびこって、人間が入っていけない状況です。

 これを何とかしないと、ますますジャングル化し、とても”親水”なんてことは不可能になってしまいます。

 一回草や木を切ってしまっても、そのままにしておけばもっともっと草木は茂ってしまいます。その繁茂力は正に脅威といってもいいと思います。

 澱橋上流の左岸の河川敷、春までは市民菜園、市民農園として活用されていましたが、行政の暴力によりブルドーザーで地ならしされてしまいました。(もちろん法律上は違法です。)

 そのあとをどうするのか注目していましたが、全く何もせず、そのまま放置しています。その結果は草茫々の状態です。

 畑の時はそれなりにきちんと整地されていました。それなりに見晴らしもよかったです。このブログで春先に遡ってもらえればはっきり分かると思います。

 一体この先どうなるのか、どうすべきか真剣に考えていかなければなりません。


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第31回G杯鮎釣り選手権

2007-08-21 23:10:19 | その他河川

 何としたことか、折角入力が終わり”投稿”ボタンをクリックしたはずなのですが、UPされませんでした。がっくりです。何でか?何があったのか!?気力が戻りません。

 

 ”投稿”ではなく別のボタンをクリックしたのでしょうか?でもいつも右下にある四角い枠で囲まれた「投稿」をクリックしているのに・・・。

 

 こんなはずではなかったのに・・・。

 

 今年のG杯は、8月6日、栃木県那珂川での開催。釣り専門番組では、例年と変わって、過去に3回(第16回・27回・30回)優勝している”福田真也”選手を中心にレポートしています。

 しかし、今回はかれは準決勝でお仕舞い。決勝戦へは進めませんでした。

 予選の2回戦、準決勝でも苦戦の連続ながら、動き回って足で稼ぎました。最後まで諦めない、常に周囲に目を配り、少しでも釣れるところを捜して鮎を狙う。同じところには10から15分で、釣れなければ別の場所に移動する。この根性は大したものです。見習わなければ。村田 満に相通じるところがあります。

 

 決勝戦は、北村 守・福岡一己・金沢重臣の3人で争われ、結局1匹差で金沢さんが勝利しました。

 金沢さんは、63歳といいます。G杯史上最高齢での優勝者となりました。トーナメントが好きで、奥さんからも応援されている 西関東大会を勝ちあがってきた人で、是非とも連覇されんことを祈りたいです。

 

 去るというか一昨日の19日に小国川にてがまかつの南東北大会が開催されたはずですが、私は仕事でどうしても参加することが出来ませんでした。 

 

 以上、何とか気を取り直して、書いてきました。熱気がこもっていなくてすみません。


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(その2)夕方の広瀬川にて

2007-08-20 23:36:57 | 広瀬川

 性懲りもなくまた広瀬川に入りました。

 時間は3時40分から5時45分までの2時間強です。

 

 井筒屋にてオトリ購入。2匹です。この頃は大きいおとりを選んでいます。仕掛けも大アユ用になっていますので。

 

 今日はいつもと違う場所ということで、市民会館の下の岩盤の瀬と瀬頭を狙ってみようと思いました。

 ここはかっては(かなりの昔になりますが)鮎釣りの銀座と言ってもいいくらいのところでした。いい瀬が続き、しかも川に入るのも簡単でしたから老若の釣り人が集まってきたものです。

 川の右岸にある自動車の教習所まで歩いていく気力がありませんでしたので、奥さんに車でおくって頂きました。謝謝。

 

 しかし、今の広瀬川はいずこもそうですが、すごい草や木の繁茂。圧倒されます。本当にどこいに行っても草茫々です。雑草の力強さにただただ圧倒されるばかりですが、これはあまりに異常ではないかと思います。

 人間を排除しようとしているというか、寄せ付けないように川自体がしている結果かも・・・。

 

 堤防から降りて畑や草むら、藪を漕いで、流木を跨いで、歩いてようやく広瀬川の右岸にたどり着く有様。

 

 流れが変わったばかりではなく、全てが悪い方に変わっている気がしました。至る所で小石が流され、岩盤がむき出しになっています。

 水中の石も赤ぐされというか濁っている、曇っているし、でも少ないけれどハミ跡はありました。岩盤は全く滑りません。

 濁りが入っているのか、川底はなかなか見えません。ゴミが川底にたまっています。

 

 すっかり流れの変わった荒瀬の瀬頭からオトリを入れました。時に3時40分ですか。岩盤の瀬のたるみで泳がせていたところ、待望の当りが。瀬まで持っていかれないようにためて、耐えて何とか引き抜きました。

 約23センチくらいのいい型の鮎でした。10分後の3時50分のことです。しかし、その後が掛りません。全く続きません。下流の右岸左岸の瀬やもっと下って岩盤の瀬を攻めても、全く何の当りもなし。

 

 釣り場としてももういいところではなくなりました。市民会館下の瀬にはもう2度と来ることはないでしょう。見捨てました。

 

 帰りはどっちみち道路を歩くよりは、川の中を歩いた方が近いということもあり、さらに上流域の瀬を目指しました。

 典型的な藪漕ぎです。

 

 深い瀬も魅力的でしたが、瀬頭から竿を出してみようと思いました。深さは50センチもあるかないかというところ。

 元気な養殖おとりを入れたら、すぐにいい当りあり。そうなのです、広瀬川の鮎は居れば掛るのです。数が、絶対数が少ないから、群れ鮎になることが不可能なのです。潤沢な餌場があるので、生き残った鮎は大きくなります。たまに変な鮎が寄ってくると、突っかけてくるわけです。5時5分のことでした。

 でも、数が少ないから釣られたらおしまいです。

 

 その新しいおとりで縦横に泳がせましたが、掛りません。瀬に入れてもかかりません。往復しましたが、掛りません。40分後に止めました。

 

 それから川の中を、川見しながら遡上?し、帰途に着きました。あるところに凄いハミ跡がありました。5メートル四方くらいのところか。そこだけは他と違っていました。

 

 竿はダイワの銀影センサー???中硬硬95、糸は毎度のホクエツの複合ラインです。ハリは7.5号の4本イカリ。

 結局2時間5分で、2匹のみ。型は23センチでした。

 

 写真は宮城県美術館の屋外展示の彫刻です。明日は男性の彫刻になるでしょう。

 

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(その1)今日の広瀬川

2007-08-20 22:50:33 | 広瀬川

 昨日も雨が降ったりしましたが、焼け石に水そのものでした。虹まで出ました。

 一回水が出て、川底が綺麗になって、その後新しいコケがついてくれればいいのですが、そう都合よくはならないでしょう。

 

 そのうち仙台の鮎釣りは終わってしまいます。おとりの販売は大体8月一杯でおしまいになりますから。

 何とも短い、短すぎる宮城県の鮎の夏です。

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最後の夏祭り

2007-08-19 23:10:33 | 思いつくまま

 多分最後となる夏祭りに参加してきました。

 

 祭りの最後はやはり”花火”です。

 その花火の最後は”ナイヤガラ”でした。

 長さにして20メートル以上もありますか、点火すると順番に燃え広がり、最後は20箇所くらいから花火が下に燃え下り?、それこそ瀧です。瀧そのものとなります。

 

 ナイアガラというと、どうしても子どもの頃を思い出します。子どもの頃といっても、昭和20年代後半か30年の前半ですが、川向いにまだアメリカ進駐軍が進駐していた頃の話です。

 崖の上にアメリカ軍がいたわけですが(ここにはもともと日本陸軍第2師団の司令部等があったところです。)、夏になると決まって花火大会をしていました。

 

 アメリカの繁栄の象徴とまではいかないでしょうが、日本人に哀れみの気持ちを持ったというわけでもないでしょうが、花火大会を開催してくれ、それがとても楽しみでした。

 堤防に座って見ることができました。

 

 あれは、駐留連合国軍が日本を去ることになった年でしょうか、その年の花火大会はいつにもまして豪華でした。

 打ち上げ花火が一杯夜空を輝かせた後、最後を飾ったのが”ナイアガラ”でした。

 最後に確か文字が浮かび上がってきたのを覚えています。”Good By” ではなく、『さようなら』だったような気がします。

 

 そして、仙台のアメリカ進駐軍はいなくなり、横須賀に行ったのです。

 

 アメリカ進駐軍の思い出は結構あります。そのうち思いつくままに書いてみようかなと思いますが、果たしてどうなることやら・・・。

 

 写真は、宮城県美術館の敷地内にある彫刻です。女性ばかりではなく、そのうち出て来ますが男性も多いです。お楽しみに。


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いやあ、過ごしやすいです。

2007-08-18 23:05:49 | 思いつくまま

 今日の夕方の風の涼しいこと、すっかり秋です。秋本番という感じ。これでは残暑がなかったりするのではないかと、心配になります。

 やはり、残暑は厳しくあって欲しい、厳しい残暑がある程度は続いて欲しいと切に思います。切望します。哀願といってもいいです。

 

 今、「君がくれた夏 ガンと闘った息子の730日」を見ています。小児ガンがついに骨髄にまで転移してしまいました。

 父親と息子が約束どおり、山に向かいました。

 

 写真は、宮城県美術館の屋外の展示作品です。

 

 青葉カワセミ会員に皆様、25・26日の遠征釣行に行く予定の人は何人になるのでしょうか?

 私か。MIさんか、TTさんにメールしてください。

 YYさん、どこかの川に入ったのですか?釣果は予想を超過しましたか?

 

 テレビに専念します。


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