昨日に続き、分流左岸の樹木の伐採の状況です。
撮影はいずれも26日の午後です。
今時、樹木はチェーンソーでいともあっけなく切られてしまいます。
切るのは簡単。
しかし、樹木がここまで大きく成長するには何十年とかかるわけです。
幹の太さは30センチ以上もあるものもあります。
樹木は、単に樹木として単独で存在するものではなく、樹木が存在することによって、草木や動植物もその周りで生活し、大きくなります。
鳥類で言えば、トンビ、ウグイス、キジ、カラス、スズメ等がいました。
今年の春は、どんな鳥のさえずりが聞かれるのでしょうか????
一気に静寂が訪れるのではないかと危惧します。
ヘビなんかはどうしたのでしょうか。
今は笹竹なんかも刈り取られているので、中洲も河原も一見きれいですが、もうすでに笹竹が成長しています。
笹竹の成長はすごいもので、あっという間に大きく成長します。当然いろんな草も伸びてきます。
今河原はある意味危険な状態です。これは中洲も同じ状態なのですが、刈り取られた笹が伸びてきているのです。生きているから当たり前なことですが。
だけど、地表から2,3センチ、時に5センチくらいも伸びていると、危険です。底の厚い靴を履いていればいいですが、薄い靴なんかは何かの拍子に刺さらないとも限りません。
またそこで転んだりした場合は、思いっきり手を突いたりすれば、手も笹の切り株に刺さってしまうことも十分考えられることです。
一年に数回刈り取らないといけないようになってしまいます。
人が歩くところとそうでないところを分けて整備することが必要ではないかと考えます。
(つづく)
撮影はいずれも26日(月)です。
場所は、いつもこのブログで紹介している一番身近な広瀬川(澱橋上流の)分流の左岸です。
工事期間は2月の10日でしたか、あと残すところ2週間だけです。
この場所にはどういうわけか今年はサケがたくさん遡上して、生命の神秘というか、素晴らしさを実感させてくれたところです。
分流の左岸には何十年にもわたって成長してきた樹木が存在してきました。ウグイス等の格好の棲みかにもなってきました。
もう今になって、工事も終わりに近付いてきた今頃になって、なんで今まで成長してきた樹木を伐採しなければならないのでしょうか。
その必要性があるのでしょうか。
あるのであれば、教えて欲しいものです。
単にきれいさっぱりとした河原、樹木は数本でいいという河原の再生を目指しているのでしょうか。
なんでここまで伐採しなければならないのか、分かりません。
樹木の精は嘆き悲しんでいることでしょう。
樹木に代わって抗議します、厳重に抗議します。
2回目の地下鉄用の橋梁建設の様子です。
撮影は25日(日)の昼前後です。
あまり代わり映えはしません。
まあ、一週間でそんなに変化があるものとは思われませんが。
下の写真は、左岸側のものです。
左岸の写真を撮るために立っている所には、かって市民プールがあったのですが、今はすっかり更地になり、工事用の資材が置かれています。
私は結局は泳げないままになってしまいましたが、二人の子どもはここの市民プールで水に慣れ、その後スイミングスクールに行って完璧に?泳げるようになりました。
下の写真は右岸側の状態です。
清水の舞台に似ていませんか?
更に下の写真は、左岸部分の工事の状況が分かるように、近付いて撮ったものです。
昨日投票が行われた山形県知事選挙は、現職が敗れ、新人が当選しました。
現職の斉藤知事は結局は4年で知事の座を明け渡すことになったわけですが、後任となる吉村新知事は果たしてどのような県政運営を行うのか、目を離せません。
女性の視点からいろいろ見直すことのなるのでしょうが、果たして最上小国川ダムは今後どのような動きを見せるのか、大いに興味があるところです。
月山と最上川に代表される山形県の自然環境をどうするのか、山の緑を守るだけではなく、山があればそこを水源とする流れ、川があり、山の緑と川は一体といってもいいもので、いつまでも清らかな流れを守り続けて行って欲しいものです、その覚悟をもって県政運営にあたってもらいたいものです。
最上川本流を守り、今後も次世代に引き継いでいくこと、そのためには最上川に流れ込む沢山の支流の川を、清流として、流量も含めて維持しながら後世に残していくことが必要です。
そして何といっても、魚が住める、川の上流から下流域まで自由に行き来できる川、そういう川であってこそ「本当の川」というものです。
魚のいない川、魚に優しくない川は川ではありません。そういう川は人間にとってもいい川であるはずがありません。
川の主人公は、魚です!!!
また、話しは脱線していきましたが、そういうわけで今後の吉村新知事の一挙手一投足に、隣県の一市民として注目して行きたいと思っています。
ところで、投票結果ですが、吉村(新人):320,324票、斉藤(現職):309,612票で、その差は10,712票となっています。投票率は65.5%
市部では、全体の75%前後を占めているのですが、3,032票差で吉村候補の勝ちとなっており、郡部で現職は大きく負けたということになりますか、保守王国といわれている山形で。
最上郡ではどうなっているのか。
最上郡は4町3村で構成されていますが、小国川が流れる上流部の最上町と舟形町の選挙結果は下記のとおりです。
【最上町】
吉村:3,247票
斉藤:3,375票 で、現職が128票上回っています。
【舟形町】
吉村:2,267票
斉藤:1,732票 で、新人が535票上回りました。
「最上郡全体」では、17,333票対12,825票で、新人の方が4,508票も上回っています。
今後の県政、また最上小国川ダムの行く末に注目です。
やりましたね、朝青龍!
天下無敵の横綱、朝青龍!
白鵬との一戦では立ち合いを失敗して、押されて完敗の、朝青龍!
優勝決定戦では、気が楽になったのか、朝青龍!
一気に寄り切った、朝青龍!
さすがまわしを取ると強い、強すぎる、朝青龍!
勝ち進むほどに力を取り戻した、朝青龍!
2009年は、朝青龍!
朝青龍の年だ、朝青龍!
倣岸無礼、傲慢不遜で結構、朝青龍!
相撲界が、マスコミが、国民が何を言おうと、朝青龍!
突き進め、自分の思うように、朝青龍!
そして、粉砕せよ、朝青龍!!
24回目の優勝おめでとう、朝青龍!
そして、ありがとう、朝青龍!!!!
遅ればせながら、「おくりびと」を観て来ました、夫婦割引で。
結論から言えば、観て良かった!!観るべきでしょう。
主人公役の本木雅弘、とってもよかったです。それと名脇役、笹野高史の渋さ、山崎努のひょうひょう振りも。
生まれたからには死ななければならない命あるもの。
人生の最期、”死”を考えさせてくれます。
誰か偉いお坊さんが言っていたと思いますが、「生まれ生まれて生の初めに暗し、死に死んで死の終わりに暗し」と。また、「一人で生まれて一人で死んでいく」と。
確かにそうでしょうけれど、そこに儀式、葬儀告別式、そこに至るまでの納棺の儀式等の一連の儀式を行うことによって、亡くなった人を悼み、その場の人たちで思いを共有し、亡くなった人を見送り、その死を受け入れて、そしてやがて迎える死まで生きていく、それを親類縁者が繰り返していく、送る人がやがて送られる、それが平安なうちに行われればいいのかもしれませんが、いろいろな生き方があり、それだけいろいろな死に方もあるわけで、やはり人間は一人ではないのではないか、またいろいろな思いを残して死んでいくのでしょうが、決して暗くはないのではないか、死を美化するのはよくないけれど、やはり怖がるのもよくない、死を死として受け入れられればなあと思いながら観ていました。自分で何を言いたいのか分からなくなってしまいましたが、この映画を見て個人的にはまた改めて前向きに明るく、残された人生を生きていこうと思った次第です。
それよりも、映画の背景、ロケ地がよかった。
何といっても映画ロケ地のメッカ、山形県は庄内地方、酒田市や鶴岡市周辺でロケが行われ、冬や春先の月山がとても効果的に映し出されます。
雪で一面真っ白な月山、雪が溶け始めた月山をバックにした桜花、雪の吹雪と桜の花吹雪、きれいに対照的に背景を彩っています。
我々アユ釣り師にとって月山は、最上小国川から見ることが多いのですが、同じ月山でも東から見るのと西から見るのとでは大きく変わります。東(小国川)から見る月山は女性的、西から見る月山は男性的です。
あの川はどこの川でしょうか、最上川ではないし、赤川にしては小さいようだし、日光川?、月光川?
何にしても、山形はいいなあと思いながら観て来た次第です。
まだ観ぬ人は、是非ともご覧あれ。
バラク・フセイン・オバマ米国新大統領、
さっきのニュースでは「全面的にイスラエルを支持する」ようです。
あれだけ直接関係のないガザの一般市民が死んでいる、いや殺されているのに、パレスチナ人100人以上とイスラエル人1人が等価値とでもいうような価値観を肯定するようです。
これでは反米の国がなくなるはずはありません。
アメリカは常に狙われるでしょう。
常に嫌われ続けるでしょう。
超大国なんて諦めて、普通の国になってくれればいいのに・・・・
何という天気でしょう!
午前中は本降り、結構強く雨が降りました。
午後近くには、青空、白い雲、眩しい太陽
最高気温が13度以上とは、異常すぎます。
そして、明日は最高気温が3度とか。
この不安定な天気が曲者です。
やはり冬は冬らしく寒くなければ、
そして、夏は夏らしく熱く、暑くなければ・・・・
最後は、例によって大相撲
朝青龍、あんたは強すぎる
完璧、パーフェクト
最早、優勝は戴きました
おめでとう!!
Peace Change Love
朝青龍、12連勝
ますます強さが冴え渡る
本来の強さが蘇る
その先は、
優勝、
全勝優勝
朝青龍、おめでとう!!!!!
オバマ新大統領、正式就任おめでとう。
ブッシュよりひどくなることはないでしょう。
だけど、アメリカを政治・経済・軍事面、とくに軍事面で ”強い世界の指導者” にはして欲しくないな。
決して奢らず、協調をベースにして、謙虚な国づくりを改めて進めて欲しいものです。
だけど、彼のフルネームを聞いてビックリしました。
なんとナント何と、バラク・フセイン・オバマというんですね。
Barack Hussein Obama
いやあ、驚きました。
中東の平和・和平のために、それこそ尽力して欲しい。
決して武力では何事も解決はしません。
そして、朝青龍、11連勝おめでとう。
昨日の取り組みで左腕が心配だったけど、問題ないみたい。
ここまでくれば、全勝優勝あるのみ!!
今日の地元の新聞によると、山形県は最上小国川ダム計画で、小国川流域の環境保全を探るため、12人の専門家による協議会を発足させたということです。
「環境保全協議会」
小国川漁協も参加を求められたけれど、「推進を前提とする会合は一切受け入れられない」ということで、参加を拒否したようです。
協議事項としては;
1)流域に生息する動植物の保全策
2)環境モニタリング調査の項目 等で、年内をめどに結論をまとめて、県に報告する流れです。
行政に着々と事務手続を進められています。 このままではジリ貧になってしまいます。 皆で何とかいい知恵を出し合って、この流れを食い止めないといけません。
なんとかしないと・・・。
まずは現職の県知事を CHANGE しないと。 CHANGEすれば、変わる可能性が無きにしも非ずとはならないのか。
まずは小国川漁協を支援しないと、何とかして支援し続け、力を持たせないと。
このまま押し切られるのは、悔しい!!
やりました、またしても、完勝!!
強いです。
もう無敵の感じ。
白鵬が敗れ、全勝は朝青龍ただ一人。
優勝は戴きました。
ありがとうございます。
おめでとうございます。
今日の朝日新聞の声欄のトップの投書です。
「米追随の総括 小泉氏よ語れ」 川崎市の会社員の方です。
昨日のこのブログで言っていたことと重なる部分があります。
こうまで言っています。
「引退後はライフワークとして、イラクに行って大量破壊兵器が見つかるまで探されたらいかがでしょう。それがあなたの言う『自己責任』ではないですか。」
まさにそのとおりです。 うまいことをいいます。
引退後の売国奴は罪を償いつつイラクを行脚すべきです。
そんなことをいっても鉄面皮の売国奴は屁とも思わないでしょうが。
何しろ息子を跡継ぎにしようとしているのですから。
呆れて何も言えなくなります。
それでも、 I have a dream. Yes, We can. でいきましょう。
3日前の記児ですが(”kijidesuga”と入力して変換すると、こうなります。おかしくないですか?「記事」という漢字を入力するためには、”kiji”で一旦変換しなければなりません)、記事ですが、イギリスの外相の発言にはある種の感銘を受けました。
皆さんの中には当然読んでいる方もおられるかと思います。
1月16日の朝日新聞の記事です。
対テロ戦争という概念が逆効果であったことや軍事力ではテロをなくすことはできないことをのべ、そのうえで「法治主義地域協力、人種の推進などがテロへの回答でなければならない」と主張したそうです。
でも、こんなことはわれわれにとっては当たり前のことです。庶民感覚レベルの問題です。
アメリカは自ら撒いた種で苦労し、世界の反感を買い、国力を、経済を衰退させることになったわけで、CIA等自分たちが育成した軍事組織を敵に回して消耗戦を戦うことになってしまったわけです。全ては自業自得。
しかし、アングロサクソンではないのに真っ先にブッシュを支持したのは、他ならぬアメリカの犬・売国奴小泉です。
その小泉は次の総選挙には出馬しないとか。 そしてあろうことか売国奴の息子を後継者にしようと画策しているのです。
何と無責任な行動でしょうか。
あの猿面冠者ブッシュでさえも認めたイラクへの攻撃、それを諸手をあげて支持した売国奴小泉、自分の軽薄さ、軽率さを反省することもなく首相の権力を振り回した揚げ句、首相をを辞任し、あまつさえ議員も辞めるというのです。
そしてぶっ壊す対象であった自民党に、自分の息子を入れようとしているのですから。あきれて物が言えません。
国民の前に何ら謝罪することもなく。
国民に責任をまったく感じていないのでしょう。
アメリカのご機嫌をとるために自衛隊を海外に派兵できるようにまでしたのに。
この無責任さを放置してもいいのですか。
責任を問われる前に逃げようとする、正に敵前逃亡です。
本当に日本人はおめでたい。
熱しやすく冷めやすい。
すぐ忘れる。
これでは外国から信頼できる国にはなりえません。
横須賀市民はまたもや諸手をあげて売国奴の息子を支持し、当選させるのでしょう。
それならば横須賀をアメリカの飛び地にでもすればいい。
そして、思う存分アメリカのために隷属、隷従して、快感を味わえばいいのです。
I have a dream.
~~40余年の月日が経って~~
Yes,we can.
アメリカはどう変わるのか?!
最後に、朝青龍、9連勝おめでとう!!!
強いぞ、朝青龍!!
文句なし。 戦うほどに強くなる。
不敵な面構え、態度が増えてきた。
朝青龍本来の強さが蘇った!!
あっという間に、
いつの間にか、8連勝。
勝ち越しです。
場所前の下馬評?では、10勝すればまあ、横綱安泰でしょうとかだったのでは??
このまま行けば15連勝、そして優勝が現実味を帯びてきました。
さあ、明日も勝ちましょう!
勝ち続けましょう!!
この標識は澱橋と牛越橋の間の堤防に掲示されているものです。
しつこいくらいに沢山あります。
以前は丸い標識、道路交通法に定められている標識だけでした。
それが、いつの間にか「おねがい」の高札がセットになっていました。
ご丁寧にも両面にセットされています。
どちらから来ても分かるように。
青葉区役所・道路課が設置しました。
でも、個人的には自転車走行は止めません。
今さら何を言うか!!という気持ちです。
生活道路として、何十年にも渡って堤防を走ってきました。
走るとはいっても、当然ゆっくりです、周りを見ながらですから。
実に爽快でした。朝の広瀬川を見ながら、川の中の魚のことを思いながら出勤途中に堤防を走る。
眩しい川面は本当に綺麗なものです。
自然の織り成す美、川と木と草と、そして空。
それなのに、自転車で走るなという。(バイクで走っている人はいません。念のため)
禁止すべきは、自転車(高速運転は、もちろん危険につき絶対すべきではありません。)ではなく、付近の高校のクラブ活動のランニングです。
堤防の幅は、クッションが貼られているところで2メートル50センチくらいですか。そこを陸上やサッカー、野球部の選手が走ります。
集団でのランニング、時には100メートル位のダッシュもしています。
それが明るいうちならまだいいのです。
暗くなっても、走っているのです。もちろん反射板なんかは付けてはいません。 せめて堤防の下の広い河川敷を走るのならいいのですが。
暗くなってからまでの高校生のランニングは迷惑極まりないし危険です。
さらに静かに走るだけではなく、当然声を掛け合ったり、時に大声を出したり、これも付近の人たちにはうるさくて迷惑なものなのです。
ということで、折角区役所が「おねがい」しても、従いません。
いつもどおりゆっくりと周りの自然の景色を楽しみながら、また人々の様子を見ながら、生活道路として走らせていただきますので、悪しからず。
そうそう蛇足ながら、休みの日にはウオーキングもさせていただいております。
広瀬川のない生活は考えられません!!広瀬川、様様です。
広瀬川万歳!!朝青龍万歳!!
今年は、地元の広瀬川の状況報告の他に地下鉄東西線建設に伴う広瀬川にかかる地下鉄用の橋の建設の模様もおいおいお知らせしていこうと思っています。
長期戦になりますが、お付き合いください。
なお、個人的な立場では地下鉄東西線建設は反対です。仙台市を財政的に破綻させる以外の何ものでもありません。
1枚目の写真は、いつも掲示している澱橋の下流域にある仲の瀬橋です。この橋の下流150から200メートルのところに橋を建設しているわけです。
上の写真は、左岸側と右岸側の橋脚の建設の様子です。
これは左岸側の拡大写真。 土留めというのですか、川の水が入ってこないようにしているようですが、水は入っています。
これは右岸側の様子です。 目下のところは橋脚の土台づくり中というところですか。
嬉しいニュースです。
去年出版した天童荒太氏の「悼む人」が直木賞を受賞しました。
第140回直木賞です。
改めておめでとうを、心からおめでとうをいいたい。
彼は過去において3つの賞を受賞しています。
「白の家族」で野生時代新人文学賞(1986年)、
「家族狩り」で山本周五郎賞(1995年)
「永遠の仔」で日本推理作家協会賞(2000年)
そして、今回、
「悼む人」で第140回直木賞(2009年)
地元の河北新報でも、朝日新聞でも写真入りで紹介されていました。それを見て、おお、やったか!と喜びました。
『本当の意味で死が悼まれていないことへの怒りや悲しみの連鎖が悲劇を大きくしていると感じた。』
『傷ついた人の側で書き続ける。』(以上、河北新報)
『軽重をつけず人の死を悼めなければ、生きている人たちも公平には扱得ない。』 (・・・今ガザ地区では、イスラエルの無差別攻撃とも言っていい攻撃が、多数の国の反対表明にもかかわらず続けられています。イスラエル人一人はパレスチナ人100人以上の価値があるかのように、殺戮が継続しています。)
『何でも書ける作家であることはやめ、傷を受けた側に寄り添って物語を作る。』
『いい小説には、作家の意識を超えて同時代人の希望や碇が入っているはずです。』(以上朝日新聞)
選考委員の井上ひさし曰く、「『悼む人』は、文学は世界に対して何ができるかという問題にぶつかっている力作」と。
今時こういうことを真正面から取り上げて小説にする人は、本当に希少価値があるとしか言いようがありません。
飢えた人を前にして小説はどうあるべきか、これは永遠の問題でしょう。
小説ではないですが、数年前にアフリカの飢えた子どもの餓死を待っているハゲワシの写真が大きなセンセーションを巻き起こしました。 写真を撮るヒマがあたら、子どもを救うべきではないか云々。
それにしても、今の日本ではいわゆる文壇というものはどこかに行ってしまったのでしょうが、かってはいろんな文学論争が活発に行われていたのではなかったでしょうか。
政治と文学、国民文学論とか、文学者や評論家だけではなく、政治家や心理学者も巻き込んで喧々諤々と論争が続いていたように記憶しています。
活気がありました。本多秋伍、平野謙、殖谷雄高、加藤周一、竹内好、武田泰淳、高橋和巳、丸山真男、・・・・
力がなくなってきたということでしょうか。淋しい限りです。
話しはがらっと変わって、朝青龍、6連勝おめでとう!!!
このまま突き進め! そして白鵬を倒して、全勝優勝を!!
負けるな! 朝青龍!!勝ち進め、立ち向かってくるものをブン投げろ!!上手投げでぶちのめせ!!!
祝!優勝 朝青龍 ! (となってほしい)