日本の旧暦によると、今は「穀雨」の末候ということになります。穀雨の次はいよいよ「立夏」となります。日本の旧暦と七十二候によると、穀雨末候では、牡丹の花が咲く季節ですという紹介から始まります。
百花の王ともいわれる牡丹。それにふさわしく、富貴草(ふうきくさ)、深見草(ふかみぐさ)、二十日草(はつかくさ)、花王(かおう)など多くの異名で呼ばれるそうな。そうか、今分かりましたが、花王石鹸(いまは花王ですか)は牡丹からきているのですかね。
季節の風物詩としては、藤、山吹、茶摘みがあげられています。藤の花というのは、春から夏へ二つの季節にまたがって咲く花の代表というようです。山吹は古来春の終わりを彩る花として親しまれてきたとか。一重咲きと八重咲きがあります。
山吹というと、どうしても忘れられないというか、思い出してしまう戯れた短歌(和歌)があるのです。もう五十年以上前の話しになりますね。大学一年の時の学寮、大正時代に建てられた木造二階建ての寮ですが、それが廊下で六棟つながっているのです。昔言われた監獄の六角大学とは違いますね。
二階にいると、廊下を人が歩くと揺れたものです。最初は落ち着きませんでしたね。人が通るたびに揺れるのですから。まあそのうち慣れてきましたが。いくら若いとはいえ、12畳の和室に5人が住むのですから、大変でした。
きょうはそのことを書くのではなく、山吹です。山吹にちなむ名?迷?和歌の紹介です。トイレ、昔はそんなハイカラな言い方はしませんでしたよね、便所です。それも大便所の方です。
先輩が書いたのでしょう下、便器にまたがって前方を見ると、そこに墨で書かれた文字が見えるのです。それが傑作で、一回で覚えてしまいましたね。そして、今もって忘れません。
今に通じるものがあります。数年前に紹介したことがあるので、記憶されている方もいるかもしれません。ご容赦ください。こういう時に使う「かんにん」ということば、いいですね。今の朝ドラで「かんにん」ということばが何回か出てきています。
とっても大阪弁らしくて好きですね。とっても柔らかくて、相手をおもいやるというか、相手を傷つけないで断れるといういい言葉です。
それにしても、今の朝ドラ「おちょやん」、さっぱり朝ドラらしくないですね。だからダメといっているのではございません。このところずーと朝から深刻な場面の連続で、涙なくしては見られないと言ってもいいような展開が続きます。
主人公の杉咲さんですか、いやあ大したものです。毎回いい演技を見せてくれます。なんでも関西生まれでも、関西育ちでもないというじゃないですか。東京でしょう。それなのに、いかにも関西人らしく振舞い、しゃべる様子に感心しきりです。
なかなか話は本題に入りません。戻れません。 ⇒ いま戻りました。
(雀も可愛いですねえ)
和歌です。短歌です。場所は、大正時代に建てられた木造の大便所。5つくらいつながっていたかなあ。そんなことはどうでもいいのです。目の前に書かれていた短歌です、問題は。
『七重八重花は咲けども山吹の身の一つだになきぞ悲しき』というのが正当なヤマブキを歌った和歌でしょうか。それを、次のように捻っていました。
『七つ八つ音はすれどもからぶきの実の一つだに出ぬぞ悲しき』 これは人間にとって一生付きまとう真実でしょうね。下痢とか便秘とかで悩んだことがない人がいたら、もう羨ましい限りです。天然記念物的存在ですね。