鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

戦時国債と軍票 その2

2011-11-30 15:42:30 | お知らせ

 きのう大事なことを忘れていました。 心は忘年会の方に行っていたのかもしれません。 

 きのうはすっかり酔っ払い、まだ軽い二日酔いの状態です。

 忘れていたということは、それぞれの大きさです。それぞれ大きさがかなり異なります。

 

 戦時国債ですが、縦13センチ、横18.3センチです。

 

 この軍票は、縦4.5センチ、横9.4センチです。

 

 この10銭札は、縦5.1センチ、横10.0センチです。

 

 この1円札は、縦6.8センチ、横12.2センチです。

 因みに、現行の千円札は、縦7.6センチ、横14.9センチです。


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戦時国債と軍票他

2011-11-29 15:35:48 | お知らせ

 きょう夜、サークルの忘年会がありますので、今ブログを書いています。 酔っ払うと何を書くか分かりませんので、・・・。

 暮れの大掃除とまでは行きませんが、似たようなことをしたところ、面白いものが見つかりましたのでお知らせします。

  国庫債券 表

 これは、10円の大東亜戦争割引国庫債券です。 発行日は、昭和17年12月7日です。 太平洋戦争が開始されてから丁度満1年後となります。 発行価格は7円です。7円で10円の債権を買ったということですか。 償還期日は、昭和28年1月24日となっています。 10年もの国債というのでしょうか。

 大東亜戦争満1周年記念の債権で、郵便局売出となっています。

 まだ有効かなと思ったのですが、「第二 此債権ノ消滅時効ハ十箇年ヲ以テ完成ス」 とありますので、今となっては無効でしょうか。

 こういうことがあったからか、親父は生前「絶対に国債は買うな」と言っていました。 当時の10円は、親父にとってはかなりの負担だったのではないでしょうか。

  国庫債券 裏

  軍票 表

 次は、「軍票」です。壹銭の軍票。 軍票は占領地で発行された紙幣でしょう。 裏面を見ると、漢字ばかりで書かれているので、中国で発行した軍票でしょうか。 「大日本帝国政府軍用手票」が正式な名称のようです。

 日本銀行の発行ではなく、「大日本帝国内閣印刷局製造」となっています。 偽造したりしたら、重罰に処すということが書かれています。

  軍票 裏

  10銭 表

 3枚目は、日本銀行発行の拾銭紙幣です。 「印刷局製造」となっています。 これは戦前のものでしょうか、戦後でしょうか。 戦後すぐのものかもしれません。 鳩の図案となっていますので。

  10銭 裏

  1円 表

 この壱円は使ったことがあるような気がするのですが、思い過ごしでしょうか。

  1円 裏

 古いものといえば、和綴じの本も何冊かありますので、そのうちお知らせしたいと思っています。

コメント (3)
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雲と第九と、

2011-11-28 21:35:13 | お知らせ

 きのうの夕方近くの雲です。 例の護岸工事現場に行ってきての帰り、ふと空を見上げたら、なんだこりゃあというような雲の形と雲と空の対比というかコントラスト、ちょっと驚きでした。 西の空です。 まもなく夕陽が川内の山に沈もうとしているところでした。

 

 南側が雲、北側が青空となっていて、これを見上げていたら、ここに飛行機雲があればなあと思っていたら、

    

 そしたらうまくできているものです、飛行機雲が中央をよぎっていきました。

        

 Bruder! uberm Sternenzelt muβ  ein  lieber  Vater

 wohnen. (下線引きはウムラウト) 「兄弟よ!星の天蓋の上に、いとしき父(=神)はいません(=住んでいるに違いない)」

 Such' ihn uberm Sternenzelt !

 「星の天蓋の彼方に、創造主を求めよう!」

 星空にはまだ少し早かったですが、第九の第4楽章 An die Freude 「歓喜に寄せて」を歌っていると、どうしても Gott(神) や Gotterfunken(神々の火花) Vater(父=神) という言葉がたくさん出てきます。繰り返されます。

 第4楽章の合唱は Freude! (歓喜)に始まり、Gotterfunken! (神々の火花)で終わります。

 きのうも第九の合唱練習がありました。(こちらの練習は「サントリーの10000万人の第九」ではないほうです。) 12月の20日と21日の本番に向けて、練習も佳境に入ってきます。もう1ヶ月を切りました。 あと3回しか練習日はありません。

 指導の先生の練習にも熱がこもります。 今は歌詞の意味をよく考え、感じて、それを表情で、音で表現するように厳しく指導されています。 個人的にはキリスト教の神とかについて、自分の血肉とすることは不可能です。(我が家は代々親鸞の浄土真宗ですし、私は親鸞に非常に敬意を表しています。) そこは自分の信念とか大事な人のことを思って歌うようにはしています。

 単に旋律どおりに歌えばいいということではありません。 その時の表情がとっても大切だと何度も言われています。 心を込めて歌えば、それが表情にも自ずと表れてくるということでしょうか。 第4楽章での合唱はオーケストラの演奏と交互に、または一緒に、なんども出てきますが、その都度歌い終わったあとの表情も大切だと言われます。 口を閉じるのではなく、少しあけたままにして余韻を残すようにと。

 来た!来た!来た!という高揚感を持って歌いだすところや祈るように、囁くように歌うところ、喜びを声と表情で表わすところとか、行進曲風に歌うところとか、スピードと力強さを出すようにとか、本当にいろんな場面が用意されている曲なのです。

 とっても奥が深い、深すぎる音楽なのですね。

  日経プレミアシリーズ新書

 日経おとなのOFF 12月号 

 「日経おとなのOFF」の中綴じの歌詞ブックです。 佐渡裕さん監修の「一緒に歌える完全歌詞BOOK」です。

 

 最後に佐渡裕さんは言います。

 『歓びとは何か。ベートーヴェンは、その答えを、人の声に乗せるという驚きとともに、世界に提示しました。それは、全世界のすべての人が一つになるということ。ベートーヴェンは、誰でも覚えることができるメロディにメッセージを乗せました。』

 ””悲しみも苦しみも背負っている人こそ、フロイデと叫ぶことができる””

 それにしても宮城県や仙台市のコンサートホールは貧弱ですね。哀れなくらい情けないです。 最高でも1400席ですし、建物や設備は古い。サントリーホールは2006席、東京オペラシティコンサートホールは1632席、札幌コンサートホールKitaraは2020席、東京文化会館は2303席、NHKホールは3601席、横浜みなとみらいホールは2020席、ザ・シンフォニーホールは1704席、すみだトリフォニ-ホールは1801席、兵庫県立芸術文化センターは2001席だそうです。

 今は震災からの復旧・復興が先ですが、ゆくゆくは芸術の殿堂にもお金を掛けて欲しいものです。


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酒田市 本間美術館

2011-11-27 14:07:14 | お知らせ

 きょうは穏やかな日曜日となっています。 きょうも平穏に一日が終わってくれますように。 なんか宗教的な感じ。

 きのうは酒田市の三居倉庫をご紹介しましたが、きょうは庄内藩藩主酒井家よりも富を誇った本間家が築造した本間美術館の庭園と本館をご覧ください。

 美術館には本館と新館があり、本館は昔から伝わる木造、新館はコンクリートつくりですが、3月の地震では新館のほうに被害が出たそうです。 江戸時代からの建物に、明治末に一部二階建てに改装されたそうです。 写真は 本館「清遠閣」 と 庭園「鶴舞園」 です。

  

 いかにも歴史を感じさせる木造建築ですが、大正14年には東宮殿下(後の昭和天皇)が宿泊してからは、迎賓館として使われてきたところです。

 ガラス窓というかガラスは大正時代の手漉きガラスだそうで、今のガラスと異なり、ゆがんで見えます。 何とも味わいのあるガラスです。 子どもの頃のガラスには確かに周りがゆがんでいるガラスがあったように記憶しています。 ガラス1枚とっても由緒あるものとなっています。

 むかしは2階から見えるこの方向遠方に鳥海山が見えたそうです。いわゆる借景ですね。 しかし残念ながら今は見えません。 何とも白けてしまうカラオケの看板がよく見えるのです。 まったくここからの風景にはそぐわないのですが。 もったいないことです。

 以下の3枚の写真は庭園「鶴舞園」となります。 下の写真は本館の2階から撮ったものです。

  

 蓬莱嶋を中心とする回遊式庭園だそうで、島の、厚保に鶴が飛んできたことから、酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられました。

           

 灯篭がいろいろあるのですが、佐渡、伊予、京都などから綿積石(海神石)として北前船で運ばれた銘石と小豆島の御影石でつくったそうです。

  

 何とも贅沢な造りですが、華美ではないし豪華絢爛というものでもなく、しっくりした落ち着いた心が安らぐような庭園と建物です。

 こういう文化遺産は大事に後世に伝えていきたいものです。

  


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酒田市の山居倉庫

2011-11-26 21:56:49 | お知らせ

 浅田真央選手、優勝おめでとう!!フィギアスケートロシア大会で久し振りに(失礼)優勝を飾りました。 これを契機にジャンプに磨きをかけて、磐石な浅田真央体制を確立してくれれば嬉しいですね。

 羽生結弦選手はまだまだ若い16歳、逆転優勝したそうです。 やりました!!大したものです。 仙台の誇りですね。 これからの活躍に大いに期待しましょう。 というか、このままいけばもの凄い選手になってしまうのではないですか?!楽しみです。 

 ベガルタ仙台、惜しかった!!後半戦の後半も後半、必死に攻めて惜しいシュートが一杯ありました。 G大阪を相手によく戦いましたが、残念です。 せめて引き分けであってくれれば、・・・。

 それにしてもベガルタ仙台は強くなった!誰がここまでJ1で活躍すると予想したでしょうか?! J1で5位ですよ。 うまくいけば4位になるかもしれません。最終戦は何としても勝って欲しいですが、十分に闘ったからもういいと言いたいところですが、だめです!!次は何としても勝って、勝ち点3を獲得していただかないといけません。 強い時に、勝てる時に勝っておかないと!!!

 

 先週ですか、せんだい豊齢学園の修学旅行に行きました(お知らせ済み)。 10日くらいしか経っていないのに、随分と過去のことのように感じられるのはどういうことでしょうか。 やはり歳をとったということ、馬齢を重ねてきたということでしょうか。

 16日は鶴岡市、17日は酒田市を回りました。 酒田市といえば、山居倉庫と本間美術館です。 きょうは山居倉庫の写真を見ていただきます。 米倉です。 一部はJAが使用しています。 また一部は資料館となっています。 立派な木造の建物です。 NHKの朝ドラ「おしん」でも有名になりました。

 

 ケヤキ並木に守られています。防風防火とか。 駐車場についてからの散策コースは、裏側から写真の奥に歩き、右に曲がって行くようです。

         

 米の貯蔵に適した造りになっています。通気とかにも気を使っています。

 庇というのでしょうか、突き出た独特の形をしています。

 

          

 すぐそばには川が流れています。 名前は失念しました。 最上川ではありません。

 

 その川に架かっている橋を渡って、振り返って見た山居倉庫です。

           

 この周辺一体はとっても風情のある地域となっています。


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工事はまだまだ続きます、広瀬川

2011-11-25 21:49:59 | 広瀬川

 みなさん、きょうの朝日新聞、ご覧になりましたか? 見出しですが、『4万年前から、一本釣り? 東ティモール 最古の釣り針』

 記事によると、人類は42,000年ほど前から、高度な漁法でマグロやカツオを釣っていたらしいのです。 東海大学等の研究チームが、東ティモールのジェリマライ遺跡の出土品を調査したところ、42,000年前のマグロなど外洋魚の骨のほか、1万数千年以上前のものとみられる貝でできた最古の釣り針が見つかった、といいます。

 大昔の釣り針は獣の骨とかで作っていたということは知っていましたが、いつも疑問に思っていたことがあります。 それは何かというと;

 釣り糸です。 針ばかりがあっても魚は釣れません。 竿はまあ何でもいいとしても、竿と釣り針を結ぶ糸、釣り糸、ハリス、それは何で出来ていたのかということです。 木の繊維かとも思いますが、一体全体水中糸は何を使っていたのでしょうか!?(調べれば分かる?と言われそうです。)

 それはそうと、広瀬川では工事はまだまだ継続しそうです。

          

 上の看板では、10月25日から来年の3月23日まで河岸侵食防止工事を行うとなっています。施行場所は支倉町先外と。

 下の看板ではもっと詳しく記載していますが、工事期間は11月から来年の3月下旬となっています。 施行場所も支倉町と川内三十人町の河岸となっています。 工事内容は、土砂掘削とかご積み。

           

 とはいってもきのうきょう(に限りませんが)は工事は休工のようですが。 いままで実施してきた工事(支倉町)のほかに、今度は川内三十人町までの工事、ということは牛越橋下流右岸の河川敷にも(大幅に)工事が入るということで、そうなるとまたアユ釣りにいいポイントが潰れることになるのかもしれません。 逆に入りやすい流れになるのかもしれませんが(そうなればいいですね)。

 それとあわせて、毎月第3土曜日に河川敷の清掃活動をするとのこと。 牛越橋から澱橋の左岸、澱橋から仲の瀬橋の右岸の清掃を、11月から3月にかけて実施するようです。

     

 この写真の左岸の清掃ですが、いままでも何度も草刈とかは実施しています。これ以上何を、どうするのか? 何もしなくてもいいのではないか。そうすれば貴重な税金も墓に、ならぬ他に回せるのに、・・・と思ってしまいます。 何度も何度も同じようなことをしているとしか見えません。


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広瀬川のサケ 牛越橋と分流と

2011-11-24 21:31:17 | 広瀬川

 11月もあと1週間で終わります。

 あとどのくらいお知らせできるか分かりませんが、大震災に見舞われた宮城県仙台市を流れる広瀬川に遡上してきたサケについて、居なくなるまで継続してお知らせしたいと思っています。 お付き合いください。

 牛越橋直下下流のサケですが、まだ元気に泳いでいます。 元気度はそれぞれ異なりますが。 橋の上流の右岸側(芋煮会で賑わうところ)にもサケは群れていました。

 写真は牛越橋直下下流右岸のサケです。

   

 どうですか、ここまで変色というか、体が傷ついている、変わり果てたサケを見るのは初めてです。

 下の写真は既に死んでいるサケですが、このすぐ下流側にいました。上の写真のサケは、最初はてっきり死んでいるサケとばかり思いました。 何故か?全く動かなかったからです。 敵ながら?なんと天晴れな死に方であることか!!!身体を横たえないで死んでいるとは、切腹した武士がのけぞらないで、前に倒れるもののようです。

 普通なら人間が近付けばパッと逃げます。元気なサケは水しぶきを上げ、逆に人間をビックリさせることもあります。

       

 でもよくよく見ると、口が、下唇がかすかに動いているではありませんか。 生きていたのです。 息をしていました。 それが分かると、何とも健気なものです。 いとおしく感じます。 2枚の写真で見てもらいます。

 

 川の流れの光の反射により気持ち悪い、恐ろしいアナコンダの頭のように写ってしまいましたが、まごうかたなき一枚目の写真のサケです。

       

 これは下半身の様子です。

 他のサケは元気すぎて?写真は撮れませんでした。

 以下の写真は毎度おなじみの分流のサケです。 この前のようにきれいには撮れませんでした。

 

       

 

 今朝の地元の新聞にも、きのうの「1万人の第九」の練習風景の写真と記事が掲載されていました。 たった一日しか経過していないのに、何かかなり前の出来事のように感じたりしています。 


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10000人の第9、2回目の練習

2011-11-23 21:08:11 | お知らせ

 きょうは。「サントリー 10000人の第9 with  TOHOKU」の2回目の練習がありました。 2回目といってもこれが最後の練習ですが。

 きょうは宮城県だけでなく、岩手県や福島県からも参集し、200名が集まり、10000人の第9の総指揮者、あの情熱的な指揮者『佐渡 裕』先生が直接合唱指導をしてくれました。 いわゆるマエストロ稽古ということです。

 11時から12時30分の予定のところ、12時45分まで延びて、それはそれは最初から面白くためになる話しを織り交ぜながらの練習となりました。 時間の経つのが早いこと。 笑いに包まれる中で終わってしまったという感じです。

 少し早く練習会場に行ったこともあり、テノールの仲間が一番前、しかも一番中央に席を確保してくれていましたので、指揮台のすぐ目の前の椅子に座ることになりました。 距離にして1.5メートルくらいしか離れていません。

 11時になって佐渡先生が現れました。題名のない音楽会では見慣れた顔ですが、やはり大きな体つき、エネルギッシュの感じの人で、スニーカーをはいていました。 そういう人が指揮台に立つのですから、こちらは見上げるような格好になってしまいます。

 左手にワイヤレスマイク、右手に指揮棒をもっての練習指導。 そうそう仙台出身の歌手「森公美子」さんも合唱に参加しました。 こちらは凄い横幅の女性で、最初はアルトで参加しようと思ったのですが、難しいのでソプラノにするといって、ソプラノの一番前に陣取っての練習です。

 テレビカメラは3,4台入りました。ドイツのテレビ局も入りました。他にカメラマンも複数。

 

 いろんな示唆に富む話しを一杯したのですが、かなりのことは忘れています。 その中で記憶にあるものとしては;

 ① ベートーベンの第9はキリスト教や宗教を超えた音楽、曲である。

 ② 最初からGの部分までは、ビートのドラマで、少しずつ早いビートになって、Kusse gab sie uns ・・・への流れとなる。

 ③ 411小節からの男性3部合唱(行進曲)は、my way  である。

 ④ 655小節からの二重フーガのうち、テノールの685小節からのHeiligtum がHei~の部分で数小節に長く伸びるところは”笑い”である。

 ⑤ RのIhr sturzt nieder~からの部分はトンネルの中を模索している状況で、そこから明るく見えてきたものが、Bruderである。

 ⑥ 855小節からの最後は、まさに”人生の応援歌”である。

 

 面白かったのは、一番前にいた私と仲間の間に佐渡先生が入り、肩を組んで411小節からの男性3部合唱を一緒に歌ったことです。先生は大きいから私の右手は先生の肩に回らず、先生の脇腹を掴んでの合唱となりました。

 まるで応援歌を歌うような雰囲気ですね。 肩を組んで身体を左右にゆすりながらの合唱は楽しかった、いい経験でした。 まさか第9でこんなことをするとは・・・。

 Laufet , Bruder eure Bahn , freudig , wie ein Held zum Siegen ! (駆けよ、兄弟よ、御身らの軌道を、喜びに満ち、勝利に進む英雄の如く!)

 

 夕方のニュースではTBS系列で全国放送もされ、地元のテレビでも放送されました。 ばっちり写っていました。 いい記念となります。

 10000人の第9の本番は12月4日(日)14:30から第1部が始まり、第2部の「第9」は16:20からの演奏となります。17:55終了 

 第9「合唱」のほかに、「故郷」と「蛍の光」も歌うそうです。

 4日の本番が楽しみです。

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広瀬川分流のサケ

2011-11-22 15:21:32 | 広瀬川

 きょう11月22日は語呂合わせで、「いい夫婦の日」ですね。

 

 広瀬川のサケも番となって、いい感じで?一生を終わるサケもいれば、孤独のうちに朽ち果てていくのもいるようです。 ことしは死んだサケの写真は載せていませんが、4匹は死んでいます。

  

 とはいっても、寒くなりましたが、広瀬川分流のサケはまだまだ生きています。

 

 一頃の元気さというか、必死になって産卵床をつくる動きはなくなりました。

 

 もうすっかり産卵は終わったのでしょうか。 おとなしく群れをつくったり、あるいは単独で川の流れに身を任せています。

 

 20日ですか、割といい写真が撮れましたのでご覧ください。 見てやってください。 

 

 散歩がてら分流のサケの様子を見ていく人が多いように感じます。 夫婦で来たり、犬の散歩のとき立ち寄ったり、子どもと一緒に眺めたりしています。

 

 子どもにとっては、サケの稚魚を川に放流する経験よりは、サケの死に様を見る方がよほどいい勉強になるのではないかと思います。 もちろん両方経験すれば一番いいのでしょうが。

 この広瀬川分流からどれくらいのサケの稚魚が生まれて海に下っていくのでしょうか。


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メリークリスマス、ちょっと早いですが、・・・

2011-11-21 22:11:09 | お知らせ

 町内にあるカトリック系の学校(幼稚園・小学校・中学校・高校)に町内の人たちが招待されて、ちょっと早いクリスマスをしてきました。

 学校と地域との交流を深める一つの機会ということです。 この学校は去年ですか、新しく教会を建てまして去年招待されたのですが、その時はいけなかったもので、今年こそは是非とも行ってやろうと思っていたところでした。

 『ひと足早いクリスマス』ということで、夕方夫婦で行って来ました。 見ると実際に入ってみるとは大きな違いで、かなり広い教会でした。 廊下やロビーも広く取ってあり、雰囲気は紛れもなくキリスト教会です。

       

 どうです、すばらしい造りでしょう。 このマークからどういう学校かお分かりでしょう。 午後4時5分頃の撮影です。

 教会の中の中央は下の写真のようになっています。 この右下には聖母マリア像がありました。

 

 クリスマスということで、いろいろな歌のプログラムでした。 小学校の部の合唱クラブの歌声は素晴らしかった、本当にきれいで透き通るような高音、乱れることのない本物の合唱でした。

 歌ってくれたのは、クリスマスメドレー、四季のメドレー、「見上げてごらん夜の星を」と続きました。 小さい子どもから大きな子どもまで、男の子もいるのですが声変わりはしていないため、全員の高音部は本当にきれいでした。

 去年から一応合唱を少しは齧っている身としては、彼らのように澄み切った高音を出せたらどんなにいいかと思いながら聴いていました。

 きのうも”第九”の練習があったのですが、我々テノールの音程がよくないということで、別室で特訓させられました。 4,5人ずつで歌わされ、どこがよくないと注意され、何度も何度も歌わされました。

                   

 下の写真はお分かりのようにハンドベルによる演奏です。 ジックリ聞かせていただきましたが、ハンドベルは両手でもって動かすだけではなく、机にぶつける(もちろん優しくですが)ことや、机に置いたままで中の鐘のようなものをはじいたりしても音を出せるのですね。

 あまりにいい音色だったし、上手かったのでアンコールの声が出て、応えてもらいました。

  

 参加者も一緒に歌いました。 「月の砂漠」「里の秋」「もろびとこぞりて」「ジングル ベル」の4曲です。

 下の写真はごご5時10分くらいのステンドグラスです。 最初の写真と比べてください。 1時間余でこんなにも変わります。

        

 最後に幼稚園児からのクリスマスカード、手作りのマドレーヌ、花、まんじゅうまでいただきました。

 これは幼稚園児からいただいたクリスマスカードです。 『ばば じじ はたけ がんばてね 』 (”け”が左右反対文字) 何とも可愛らしいカードです。

 この子の祖父母は畑を作っているのですね。 普通なら「じじ ばば」という感じなのですが、この子は「ばば じじ」で、おばあさんに可愛がられていることが伺われます。

     

 家の町内とその付近には私立の学校が2校、県立の学校が2校あるのですが、その県立の高校は県内トップクラスの進学校なのですが、地域との交流は全くないのが残念です。

 公立なのに、税金で運営しているのに、地域には開かれた学校とはなっていないのです。 現代は勉強だけしていればいい、大学に入れればいいというものではないと思うのですが。


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11月も下旬ですね、工事も終わりでしょうか。

2011-11-20 15:42:45 | 広瀬川

 この前は護岸工事の様子をお知らせしました。 石と針金で護岸されたところには雨水(と思われる)大きな排水口があります。 いつ頃つくったのかは全くわかりません。 よく造ったものと感心しきりです。

 いずれも大きくて、その気になれば入っていけます。

 

 どことどのようにつながっているのか、普段はほとんど流れていませんので、緊急用に雨水等が流されているのかもしれません。

 

 排水口が二つあるのが二箇所、一個のものが一箇所です。 とても頑丈そうに造られています。

             

 こういう排水口を造るにはかなりの費用と時間が必要でしょう。 現在は下水道が普及したので、これらの排水口は活用されなくなったということでしょうか。

 

 何十年も広瀬川河畔に住んでいますが、排水口の工事の記憶はまったくありません。 かなり前に造られたものでしょうが、よく造ったものと感心します。

 この付近だけで4箇所もあることから推察すれば、市内にはもっともっとこのような排水口があるのではないかと思うのですが。

 

 仙台市は下水道の普及率は全国的にみても高い都市で、その点は誇れるのですが、このブログで何回かお知らせしています分流にある排水口はいけません。明らかに下水・汚水と思われるものが、雨水とともに流れてきます。ここが改善されれば素晴らしいことになるのに、その点は残念です。この分流はサケが遡上して産卵しているところでもありますので。

 

 午後遅く河原を散歩してきましたが、護岸工事は終了したようです。 普段は日曜日は工事をしないのに、トラックや軽トラックが事務所前に停まっていて、数人の工事関係者が下流の排水口あたりにいました。 軽トラックには移動式トイレが積まれていました。 現場事務所も撤去されるのでしょう。

 でも、このままで工事終了とは素人から見て不十分ではないかと感じられますので、今後ともこの場所を注視していきたい、動きがあれば記録に残しておこうと思っています。一住民として疑問に感じるところやこうした方がいいのではないかということがあればお知らせしていきたいと思っています。


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地底の森ミュージアム

2011-11-19 21:48:48 | お知らせ

 16日から18日までは冷え込みましたが、きょうは曇りから小雨となったもののそんなには寒いとは感じませんでした。 そうそうきのうは仙台で初霜だったとか。 朝方冷え込まないとありがたいものです。

 先週の金曜日、11日は太白区長町南にある「地底の森ミュージアム」(正確には「仙台市富沢遺跡保存館」です。)に行って来ました。 これも「せんだい豊齢学園」生活文化コース1年の課外授業の一環です。

 下の写真のように、氷河期の針葉樹林の木の根っこがたくさん眠っています。 もともとこの辺は水分の多い土地だったために2万年以上前の木々が腐らずに残っていたとのことです。 地名が”富沢”、沢が富んでいる、沢がたくさんある土地という意味です。 昔から続いている地名というものは、やはり大切にしなければだめですね。

 土の部分が白っぽく見えるのは薬品処理をしているからです。 木々を守るために、年中館内の湿度は80%、気温は20度に設定しているそうです。

    

 パンフレットでは、「世界中でここだけー2万年前の氷河期の世界がよみがえるー」とうたっています。 でもより正確には2万6千年前とか、説明ではいっていました。

 ただ樹木が一杯出てきたというだけではそれ程の価値はないとのことでした。 ここで新人類が生活していたという証拠が発見されたために一気に価値が出てきたとのこと。

 それは、焚き火の跡や石器等が発見されたからです。 下の写真の左側が焚き火跡、模擬側が石器が埋められていた跡です。

      

 その拡大写真ですが、ぶれています。すみません。 焚き火の跡です。

 

 下は石器を埋めた跡です。

          

 出口付近では鹿の家族がお見送りしてくれます。

 

 そうそう何故この遺跡が見つかったか??それはここに小学校を建設しようとして土を掘り起こしていったら、たまたま見つかったということです。 貴重な埋蔵文化財が発見されたため、小学校は別のところに建設されました。 なにがどうなるか、分からないものです。

 

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森は海の恋人、・・・生活と環境全国大会

2011-11-18 21:53:04 | お知らせ

 これまた少し古くなりますが、10月24日から26日にかけて、仙台国際センターを会場として「第55回 生活と環境全国大会」が開催されました。

     そのうち25日に大ホールで開催された”特別企画シンポジウム”に参加してきましたので、遅くなってしまいましたが、報告させていただきたいと思います。

    

 特別企画シンポジウムのテーマは、『環境と共生による持続可能な復興を考える』というもので、基調講演は””森は海の恋人~森川海の連環から考える震災復興への提言~””と題して、「特定非営利活動法人 森は海の恋人」理事長・畠山重篤さんでした。

 畠山さんの話が聞けるというので行って来ました。全国大会という割には参加者が少なかったのは淋しいし、残念です。 

 何でも畠山さんは京都大学でも学生に教えているとか、その活動は素晴らしい進化を遂げ、宮城県を超え、日本の、いまや世界的な?活動をしています。 話し振りも、話しの内容も学問的というか学術的にさえなってきたように感じました。 一つのことに集中して実践と研究を重ねればここまでこれるのだというひとつの立派な事例といっては失礼でしょうか。 今後のさらなる活動が期待されます。

 講演の内容

 3月の11日の巨大津波以来、1ヶ月間海から生物が消えたと言います。 フナムシもいなくなったし、鳥もいなくなった。 海は死んだと感じた。 

 しかし、1ヵ月後から日を追うごとに、カワセミも一杯飛ぶようになり、魚、カタクチイワシが多くなった。手で掬うこともできた。そのくらい多くなった。 今、海の中は魚で一杯だそうです。 サケの遡上も見られるようになった。

 漁師仲間では1年間漁をしないという不文律ができたとか。 でも、海は壊れなかった!!海は大丈夫だった。

 それは”森は海の恋人”だったから。 森は”魚つき保安林”だからといいます。

 なぜか? ロシアのアムール川の鉄が三陸にまで来ているというのです。アムール川のフルボ酸鉄が魚を蘇らせた。

 例として、東京湾の話しが入り、東京湾は湾に流れ込む川の数が多い。そのため2年で東京湾の水は入れ替わるらしいのです。 魚の数も多い。 鹿児島湾と比べてみると、鹿児島湾には流入する川がないため、東京湾の方が圧倒的に魚に恵まれているといいます。

 本来地球は”鉄の惑星”なのだが、現在海は鉄が少なく、貧血状態とのこと。

 沿岸部は植物により鉄分が多いのだそうです。 海は何も変わってはいないが、塩水だけではプランクトンは生まれない。 そこで川をしっかり守っていけば海は生き続ける。 川がしっかりしていれば海も生きているということです。

 川といえば川が流れる森です。森と川をいかに健全に保つか、保っていけるか、森と川とそこに住む人間、それが問題で、フルボサン鉄が海には必要なのです。 そのフルボ酸鉄は森と川によって生まれる。

 キーワードは山にある。 山にある『腐葉土』がないとフルボサン鉄はできないそうです。 杉林では腐葉土はできない。 

 そこで、山の”杉”を切り出すのです。建築材料として杉を使う。 杉で家を造る。 例として、茨城県の20万建の家が建つとか言っていましたが。

 そうすれば、川の流域まで経済が回る!! 山の木が売れないから限界集落が生まれる。 間伐が進めば海が豊かになっていく。 そういうモデルケースをこれから作ろうとしている。

 今言えることは、森を守るのは森を使うこと!!森を変えよう!!若者を山に連れて行き、未来を変えよう!! 森をどうするか?!今必死になって考えるべきこと!!そうすれば若者の雇用促進にもつながる。

 世界から注目を浴びているので、素晴らしい事例を世界に発表したいという言葉で講演は終了しました。 45分という短い時間でしたが、内容の濃い講演でした。

 

 そしたら、10月27日の朝日新聞 『創エネ 省エネ』という連載記事のなかで「木材の力 熱源に」という内容の記事が目につきました。

 木質バイオマスによる熱の利用として、日本の国土の7割を占める森林の利用、地域暖房や給湯などに利用すれば、林業の不況や電気偏重に一石を投じることができるのではないか、それがひいては東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の復興にもつながるのではないかといいます。 具体的には、津波でインフラを失った町の立て直しに、建材としてエネルギーとしてうってつけではないかと訴えています。

 

 さらに、11月3日の朝日新聞の記事。 見出しは 「森は未来のエネルギー  活用探るシンポ 静岡で」

 10月29日に「国民参加の森林づくり」シンポジウムが静岡県袋井市で開かれ、成熟した国内の森林資源を東日本大震災の復興にどう生かすか、話し合われたそうです。 森林を熱源に利用するとともに、適切な間伐と再造林という森林の健全な管理が必要であるということが話し合われました。 一人ひとりが木を使う生活を心掛けていけば、豊かな森の再生につながるのではないかとも。 森林は熱源であると同時に水源でもある。

 

 こう見てくると森・川・海は太いパイプでつながっていることが分かります。 森は海の恋人、川はその仲人 大事にしていきたいものです。


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行って来ました、鶴岡、酒田

2011-11-17 22:55:20 | お知らせ

 行って来ました、山形県鶴岡市と酒田市。 寒かったです。

 せんだい豊齢学園修学旅行。 ふるさと文化コースと総合生活コースの1,2年生、146名と事務局職員が4台の観光バスに分乗して行って来ました。

 東北道から山形道に入って走ると蔵王連峰が見えてきます。 奥羽山脈は雪景色。 笹谷トンネルを過ぎて山形県に入ると雪が目の前に広がりました。 山で目につくのは真っ白い帯、そうですスキー場、スキー場のゲレンデがやけに目立ちます。

 ゲレンデは木々がないため積雪が目立ちます。 こうなってみると蔵王連峰にはスキー場が多いのに改めて気がつきます。

 山形市に入って寒河江市を目指して進むと雪景色は消え、月山付近に近付くとまたしても雪景色、鶴岡市に近付くと庄内平野が広がり、田んぼに白鳥の姿も見えます。 

 雪、終盤の紅葉、平野、雪、紅葉、平野、市街地、こう見ると変化に富んだ眺めと言えます。

 16日は、庄内観光物産展で昼食、鶴岡市内探訪(致道博物館~鶴岡公園~大宝館~藩校致道館)、湯野浜温泉(亀や泊)

 17日は、酒田市内探訪(山居倉庫と本間美術館)、米の粉の滝ドライブインで昼食、仙台へ

 1泊2日の修学旅行ですが、いろいろありました。 おいおいこのブログでお知らせいたします。

 それにしてもビックリしたのは、湯野浜温泉です。 十数年前に一度来たことがあるのですが、3月11日を経験したものとしてはビックリしました。 これでいいのか!!と心配にさえなりました。 いくら太平洋側ではなく、日本海側とはいえ、日本海側でも過去に地震による津波が発生しているのです!!

    

 上の写真は16日の夕方の様子。 下は17日の様子。風もあり、波は荒波です。

 

 でも砂浜にホテルが建っているのです。 形だけの砂による防波堤はあるのですが、そんなもの津波が来たらあっという間に乗り越えられる砂防堤です。

 3月11日のあの巨大な黒い悪魔、津波を見ればとても砂浜に建つホテルに泊ることは考えられません。 駐車場も砂浜にあるのですが、車は一杯ありました。

 われわれが泊ったホテルは二つ目の防波堤の上にあり、しかも階は9階でしたので、何があっても大丈夫だろうと思って泊りました。 

 

コメント (2)
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お早うございます、行って来ます。

2011-11-16 06:25:25 | お知らせ

 お早うございます。

 きょうは11月16日 水曜日です。

 きょうは、せんだい豊齢学園の「修学旅行」の日です。

 山形県鶴岡市と酒田市へ行って来ます。

 宿泊は湯の浜温泉です。

 温泉は久し振りです。

 行って来ます。

 でも、

 きょうは 結婚記念日でもあるのです。


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