とりあえず約束の期日まで働いた。身体中、筋肉痛に悩まされた。しかし幸いなことに有機溶媒で頭はやられてはいなかったようだ。いやもしかしたら少しやられていたかもしれない。もしここで働いていなければ浪人せずに大学に入っていたかもしれない(笑)。とりあえず月末にはアルバイト料をもらいにいった。高校生にとっては自分の労働で得られた収入なのでうれしかった。今となっては自分がそのお金を何に使ったのか全く思い出せない。しかし数十年後、路上の標識文字のきらめきをみて、当時のガラスの粉のようなキラキラした物体を思い出したのは意外だった。「触ると死ぬ」という脅し文句のせいで強烈な刷り込みがなされていたのかもしれない。今年の夏は猛暑だったが、あの時の工場の暑さはこんなものではなかった。遠い昔の想い出は、暑さの中の陽炎のように揺らいでいる。