きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

人生万事、塞翁が馬!

2014-07-17 | 母子家庭だから思うこと
知り合いの知り合いなので、直接知っている人ではないのだが、お子さんが難病になってしまったことが分かったらしい。

その話を聞いて、どんなに気の毒なことだろうと思った。
と言うのも、kekeが2歳になる前だっただろうか、小児ぜんそくであることが判明して、夜中に病院に行ったまま入院したり、点滴も受けていた頃があったのだ。

今になって振り返ってみれば、男の子の喘息なんて決して珍しくない。でも当時は近くに喘息の子供がいなかったので、自分の子だけが不幸になったような気がして、毎日ダニを掃除機で吸い取ったり、朝晩吸入をしたりしていた。
たかがぜんそくでもそうなのだから、重い病気だと言ったらどんな気持ちなのだろうと思い、nanuさんに「生きてるって辛いことが多過ぎですね」と言うと、「そうだろ?そうだよな」と言っていた。

でも本当にそう思ったら、今から結婚しようとか子供を作ろうとか思わないよな、やっぱりnanuさんと私には温度差があるのでは?と思いつつ、その方のお子さんのことをしばらくずっと考えてしまったが、夜中に考えているうちに「可哀想と思うことが既に失礼なことなのでは」と言う気になった。

相手を「可哀想」だと思うこと、既に上から目線で見ているような気がして、そういう見方がそもそも失礼かもしれない。
ましてやこんな、連れ合いもいない見知らぬ人から「可哀想」なんて言われたくあるまい。

そう、私には連れ合いがいない。
でも彼らはお互い支え合えるパートナーがいる。
不幸なアクシデントは起こったけれど、二人で乗り越えていけるだろう。


「人生万事塞翁が馬」
一つ起こった現象は、また別の展開を連れてくる。

kekeが大学に受かった。
それ自体は良いことだったが、合わなくて辞めることになった。
今は家にいつもいて心配しているが、もしかしたらそのお陰で、事故や病気にもならず結果的に長生きすることになるかもしれぬ。

何が良くて何が悪いかなんて最後の最後まで分かりはしない。
でもそれを裁こうとするクセが私にはあるらしい。

起こったことを、良いとも悪いとも深く考えず、そのまま受け止めよう。

時に愚痴も潤滑油。
言えば「そうよそうよ、うんうん」と話題の盛り上がりの一役は買ってくれる。
悪いものではない。

しかしあくまでもそれはコミュニケーションツール。
そこにぞっこん溺れていいものではない。

宇多田ヒカルの歌にもあるじゃないか。
 変えられないものは受け入れる
 受け入れられないものは変えていく、って。

そういう心構えがあれば、愚痴におぼれることも人のせいにすることも、ましてやそれに同意を求めるようなこともないだろう。

・・・と思って、私は「変えられないものは受け入れる、受け入れられないものは自分から変えていく」ようにしたいと思うのだけど、なんせ根性ナシなので、明言できるほどの自信はありません、あしからず。(^_^;)