前にも紹介した金盛浦子さんの本を何冊か借りた。(心理学者でカウンセラーの方である。)
その中に「知性で予測する事なんてたかがしれてるんですよ。」と言うことが書いてある。
例えば、一流大学を出て一流企業に働いてしっかりした地位を得ている人が(知性で予測したとおりに)幸せな人生を歩み満足するとは限らない。汚職に巻き込まれることもあるし、お金や地位は得ていても心が満足しているかどうかは分からない。
また一方で知性はこういう予測もする。
不登校になったり、高校や大学を中退したりあげくにまともに働いていない、その子の未来は決して開けはしない。
ところが、そんな時期を過した人ほどその後の人生が豊かになったりするんですよ、と書いてある。
もちろんお金や地位で「成功」はしにくいかもしれないけれど、自分の体と心を惜しみなく使って生きる、と言う本当の深い意味での幸せを実現する例なら、むしろこのタイプの人のほうにこそ多いんです、と書いてある。
そう言われてみればそうかもしれない。
自分だって、自分の人生が本当に始まったのは2度目の結婚からだと思っている。それまでは自分の意思で決めていたようで、親の意志が背後にあり、親の望むように想像しながら生きていたのであまり生きてる心地がしなかった。
あのカラを破って、自分の思い通りにくっついたり子供を産んだり別れたりして、やっと自分のしたことと責任がそこに伴ってきたように思う。
そんなドタバタをしていたのが、ちょうど今のkekeぐらいの年だ。
もしかしたら、kekeはこれから自分の生き方を模索して、本当の人生を手に入れるかもしれない。
もしかしたら、大学を出るよりも、今無理に仕事をみつけるよりも、今はその方が大切なことかもしれない。
自分が母子家庭になった時不幸呼ばわりされて悔しかった、そのことをブログに何回も書いてきたけれど、地位やお金が少ない事を果たして不幸呼ばわりしていいのだろうか。そして働かないことは収入がゼロ円なだけ。人を傷つけているわけでもなく、誰に迷惑をかけているわけでもない。究極は本人が生きていけないだけ。
悪いことをしながらうんと稼いで偉そうにして迷惑を掛けている人や、人を傷つけ自殺に追い込んでいる人より、むしろマシだとさえ思う。
昨日は「自分が死ぬ時までに、友達でも家族でもいてくれたらなぁ」と思ってしまったが、それさえ大きなお世話であろう。
一人っ子で生まれたkekeには、私には想像もつかないようなひとりっ子の誇りがあるにちがいない。この発想も「母子家庭で子供がかわいそう」と同類だ。
私は私の人生を歩み、子供は子供で模索する。
親の知性で予測する事はたかがしれている!
これからのkekeの人生は私の予測に届かない所にある。
ちなみに読んだ本は、金盛浦子さんの「気持ちいいことから始めてみよう」である。
その中に「知性で予測する事なんてたかがしれてるんですよ。」と言うことが書いてある。
例えば、一流大学を出て一流企業に働いてしっかりした地位を得ている人が(知性で予測したとおりに)幸せな人生を歩み満足するとは限らない。汚職に巻き込まれることもあるし、お金や地位は得ていても心が満足しているかどうかは分からない。
また一方で知性はこういう予測もする。
不登校になったり、高校や大学を中退したりあげくにまともに働いていない、その子の未来は決して開けはしない。
ところが、そんな時期を過した人ほどその後の人生が豊かになったりするんですよ、と書いてある。
もちろんお金や地位で「成功」はしにくいかもしれないけれど、自分の体と心を惜しみなく使って生きる、と言う本当の深い意味での幸せを実現する例なら、むしろこのタイプの人のほうにこそ多いんです、と書いてある。
そう言われてみればそうかもしれない。
自分だって、自分の人生が本当に始まったのは2度目の結婚からだと思っている。それまでは自分の意思で決めていたようで、親の意志が背後にあり、親の望むように想像しながら生きていたのであまり生きてる心地がしなかった。
あのカラを破って、自分の思い通りにくっついたり子供を産んだり別れたりして、やっと自分のしたことと責任がそこに伴ってきたように思う。
そんなドタバタをしていたのが、ちょうど今のkekeぐらいの年だ。
もしかしたら、kekeはこれから自分の生き方を模索して、本当の人生を手に入れるかもしれない。
もしかしたら、大学を出るよりも、今無理に仕事をみつけるよりも、今はその方が大切なことかもしれない。
自分が母子家庭になった時不幸呼ばわりされて悔しかった、そのことをブログに何回も書いてきたけれど、地位やお金が少ない事を果たして不幸呼ばわりしていいのだろうか。そして働かないことは収入がゼロ円なだけ。人を傷つけているわけでもなく、誰に迷惑をかけているわけでもない。究極は本人が生きていけないだけ。
悪いことをしながらうんと稼いで偉そうにして迷惑を掛けている人や、人を傷つけ自殺に追い込んでいる人より、むしろマシだとさえ思う。
昨日は「自分が死ぬ時までに、友達でも家族でもいてくれたらなぁ」と思ってしまったが、それさえ大きなお世話であろう。
一人っ子で生まれたkekeには、私には想像もつかないようなひとりっ子の誇りがあるにちがいない。この発想も「母子家庭で子供がかわいそう」と同類だ。
私は私の人生を歩み、子供は子供で模索する。
親の知性で予測する事はたかがしれている!
これからのkekeの人生は私の予測に届かない所にある。
ちなみに読んだ本は、金盛浦子さんの「気持ちいいことから始めてみよう」である。