きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

大家さんの話

2014-07-16 | 父の記録と母の思い出
車から降りると駐車場の大家さん(おばあさん)が家に入るところだったので、声を掛けた。

と言うのも、また今月も家賃を振り込むのを忘れて遅くなってしまったのだ。その度に反省して次は必ずと振り込むのだけど、またしばらくするとうっかりしてしまう。だけど自動振込みにするとお金がかかるので、まだしていない。

「駐車場また忘れてしまって先週振り込んだばかりでした、すみません」と言うと「あらそうだったの?まだ通帳みてなかったよ」と言う。
「そう言えば振込先の口座変わりましたね、ご主人亡くなられたのですか?」と尋ねると、「そうよぉ」と言う。

最後は酸素マスクをしてね、何にも食べさせられなかった、可愛そうだったの、と言う話をするので、自分の父親が今そんな感じで病院の先生からもそれとなく言われてるんですよ、という話をした。「おやまぁアナタも?!」みたいな話になり、そうなるともう行っても何もしてあげられないんだよね、分かる分かる、とおばあさんは言う。

「行っても5分ぐらいしかいられないの、それで今日は天気がいいねとかひとり言のように話して帰ってくるのよ。」と言うので、「ほんとにそうなんです。」と言う。
「私もそうだった、それで充分なのよ。どうしようもないもの。」とおばあさんは何度も言う。

おばあさん曰く、ご主人の入った病院では胃ろうの人が多かったそうである。ご主人の4人部屋ではあとの3人の人がみんな胃ろうだったと聞いて私は驚いた。

「私は病院にお願いして胃ろうは止めてもらったんだよ」とおばあさんは言い、「生き物は口から食べることで生きるんだって思うからね。」と言う。息子は胃ろうを希望したけど反対したんだ、と言う。
「私もそう思います。会える喜びがあるとか、おいしいとか楽しいとか、そういうものが分からなくなってしまって、痛いとか苦しい様子を見ると・・・ねぇ」

おばあさんは、そうそうアナタも同じね、私もそうだった、と言う。

「こんなこと言うと何だけどね、でもね今はもう通わなくていいんだって、肩の荷がおりたと言うか、それまで頭のどこかにいつもあったからね、アナタもそうでしょ?それから解放されたって言うのか、そんな風よ今は。人間って図々しいものよ。」
「そうなんですか。」
「2~3日前になると病院の方から会いに来てくださいって電話がきたよ。最後の日は帰ろうとしたら病院の先生が、もう少しいてあげて下さいって引き止められて、そしたら本当に亡くなったの。病院は分かるんだね。あ、でも命だから分からないよ、1ヶ月って言っても、3ヶ月になるか半年になるか分からないよ。」

とおばあさんは言う。
そして、何度も「行ってあげるだけでいいんだよ」と言う。


そんなことを考えると、やはり切なくて涙が出る。

それでも今まで離婚や倒産、子供の事、いったいどうすればいいんだろうと途方に暮れて一人困ったことがいっぱいあって、でも父のことはあの手の困りようとはどこか違う。誰が悪いわけでもないし、いずれは誰もがそうなるものだし、父は精一杯楽しく生きていた。
そう思うと、辛いことではないし、自分の中で穏やかに受け入れられること。
いずれはお別れすることになっても、楽しく過ごせた時間がいっぱいあること、その一つ一つを誇りに思うだろう。


五木さんの本ではないが、人間最後死ぬ時は一人。
人生後半になれば、これからどんどん別れを経験することになるだろう。
中にはうんと大切な人もいるし、離れたくない人もいるだろう。

でも会うのがもう別れの始まりだから。
せめて今を大切に過ごすしかないだろうな。あとで悔いが残らないように。
最近、そういう風に考えることにしてる。

おばあさんとは40分以上も立ち話をして、別れた。