きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

kekeと早めに夕飯

2014-07-21 | 息子keke
もういい昼となっているのに、寝ているkeke。

ぶっちゃけ休日家にいるのがしんどい。
この状態が、「親としてこれでいいのか、オイ」と言う自問自答に変わっていくのはこんな時だ。

「おいkeke。」と私は言い、「就活はすすんでいるのか、今週履歴書はいくつ書いたのか」と言うと「ふたつ。」と怒りもせず言う。
ほんまかいなと思いつつ、「昨日の残りのチャーハンが少しと、肉を焼くなら3枚あるから。」勝手にやってくれと言う態度で家を出る。こう言う時は昼飯を用意するのがアホらしくなる。
自分で食事を作るなり買うなりすれば、外に出ようかと言う気になるかもしれぬ。もう自分でも何が言いたいのか分からん。

「こうなったら1人でうまいものでも食ってやるゾ」と思い、ショッピングモールのフードコーナーに勢いづけて入ったが、店を見て回ると500円から800円ぐらいのものが多い。ならたこ焼きでいいか・・・と思って、たこ焼き屋に並んでみたが、そこも500円。同じ500円だったら冷やし中華でいいか・・・と思ってラーメン屋に並んでみたが、並んでいるうちに1人で食べるのに500円も出すのが惜しくなって、結局チーズバーガー1個だけマクドナルドで注文して食べる。

父の所に行くと、長淵のCDを焼いてくれたHさんがいらしたので、「厚かましいと思ったのですが、父がよく歌ってた曲を私も作ってきたんです。」と遠慮がちに言うと、とても喜んでくれた。
それとどうしても訊いてみたかったので、「父がRUNを口ずさんでいたのはいつ頃だったんですか?」と尋ねると、Hさんがまだこちらに来る前、他の介護士さんから聞いたそうだ。

ということは、2年前ぐらいに私と一緒に歌っていた頃、私が帰った後に思い出して口ずさんでいたのかなぁ、なんてちょっと胸が痛くなるのだった。

今日は父はずっと眠っていて、CDもボリュームを下げて流れていた。
昨日は目を開けていたから聴こえていたのかなぁ、どうなんだろうと思いながら、しばらくぼんやりしながら適当に父の部屋を後にする。


4時過ぎて家に戻ると、台所に灯りがついており、kekeが肉を焼いている所である。
「ご飯はあるのか?」と言うと、「もう炊いた。」と言う。

肉3枚きりでご飯か・・と思うと、何となくすまないような気がして、何か買ってくるかと言うと、「サラダがほしい」と言うので、私も何か買って一緒に食べちゃおうと言うと、帰ってくるまで皿やフライパンを洗っていた。

最近、kekeはむやみに怒らなくなった。
ちょっと前だったら、朝の私の態度(↑この上から10行ぐらいの態度)だったらキレるか、布団をかぶってふて寝していたはずだ。もちろん肉なんて素直に焼くはずが無い。

今日はニュースを見ながら「集団自衛権ってどう思うか?」と言う話をした。「どういうことなのかよく知らない」と言うので、「アメリカが戦争に巻き込まれた時、日本も一緒に戦うってことらしいよ。」と言うと、「それができないと世界から非難されるだろうね。」と言う。

もしこの先、自分が戦争に行く事になったらどう思う?と尋ねたら、「その時は行くでしょ」とkekeは言う。

自分も今までちょっと右よりかなと思っていたが、最近思うのはそう言う時、いったい誰が戦地に行くのだろう?自衛隊の人だけで済むことなのだろうか。
そういう道筋を作るそちら方面の政治家やそういう思想の人が自ら責任を取って戦地に行くならまだしも、行かされるのは結局学歴や重要なポジションにない人間なのでは。

そう思い始めてから、最近冷めた目で見ている。
そういう思想の人から順に戦地に行く事にしたら、果たして同じようにその思想を持ち続けられるのだろうか。

父の好きな曲

2014-07-20 | 父の記録と母の思い出
父の病室に行くと枕元のCDデッキから音楽が。。。。

聴いてみると長淵剛のようである。看護師さんが掛けてくれているのか・・・と壁と見ると、『RUN』の歌詞のコピーが貼ってあり、「このCDの1曲目がsake(父)さんが口ずさんでいる歌です」と書いてある。

これを見て私はギョッとした。
この曲は(このブログを検索すると)2年前ぐらいによくここの広間で父と二人で「賽銭箱の歌」としてよく歌っていた曲だったのだ。

いったいいつ口ずさんでいたのだろう。。。?

いつもは目を閉じてほとんど寝ている父なのに今は珍しく目をあけて聴いているようにも見える。
先生が来たので「聴こえて分かっているのでしょうか?」と尋ねると、正確にはわかりませんが、聴覚は本能に近い所にあるので一番残る感覚かもしれませんね、と言う。

この長淵のCDは妹が作ったのだろうか。
でも父はそんなに長淵の歌を歌っていなかった。もしも聴こえているのなら、よく歌ってた歌も聴かせたい、と思って、帰ってから妹に電話すると、「そのCDは看護師のHさんが作ってくれたの。」と言う。

「他によく歌ってた歌のCD、私も作りたいけど差し出がましいかしら?」と言うと、「おじいちゃんもきっと喜ぶと思うよ」と言うので、レンタル屋や図書館をあちこち探して、ジャジャジャジャン!と作り上げた。

とは言っても、ぜひ入れたいと思いながらも、見つからなかった曲もある。
三好鉄生「涙をふいて」とか森進一の「冬のリビエラ」「襟裳岬」、上田正樹の「悲しい色やね」もアレンジがあのベタなヤツじゃなかったのでやめた。梅沢富男の「夢芝居」「キャラバン」まで思いつかなかった。(・・・・って、ただ私が懐かしくて聴きたいだけなのかもしれない。)

そしてCDを作っているとG子から電話があった。
M君と二人で今日イオンに行こうと言う話になったそうである。
最初は近くのイオンだったが、だんだん遠くのもっとでかいイオンに行く事になり、「行ってもいいのか、M君の奥さんに悪いかな」と言う相談である。

「よいか悪いかで言えば悪いかもしれないけど、行きたければ行ってもいいんじゃないの?行きたくなければ止めればいいし、後で自分が後悔しなさそうな方を考えればいいんじゃないの?」と言うと、「さすが理論家だ」と言って電話は切れた。

そしてのんびり昼を食べたりしてから父の所に行っていっしょにCDを聴いた。

うーん、聴こえているのかどうか分からない。
一見目を開けて聴こえているように見えるが、よく見ているとまったく瞬きをしていない。
もしかしたら目をつぶることが既にできなくて、目が開いているだけなのだろうか。
耳元でうるさい音楽が鳴っているだけかもしれない。

これで良いのだろうか?良いのだろうか?と悩みつつ、でもあんなに好きだった歌の数々、聴こえていたらきっと懐かしいし元気も出るにちがいない・・・などと、こちらサイドで満足するしかないような気もする。

でもあまりずっと掛けてても疲れるだろうな。・・・と思い、一通り聴き終えると帰ることにした。

明日こそ・・・

2014-07-19 | 健康とか病院とか
五十肩の調子は悪くなるばかりで、今はひじまで疲れきっている。
ちょっと前までは真上まではいかないまでも160度ぐらいは上がったのに、ついに90度(前に伸ばす)のが精一杯となった。

前回の右の時はさすがに危機感を感じ、ここで整形外科に行った。
今回は朝、接骨院でほぐしてもらえれば少し楽になるかもと思い行ってみたが、今日は院長先生しかおらず全て予約が必要とのこと。ザンネン無念。

と、ここで「もっと早く行けば良かった」などと後悔すると思ったら大間違い。全て自分で判断したことである。
まだこの程度ならごまかしごまかし日常生活は送れるが、ここまで肩も張りひじも疲労感がある。放っておいたらまた首ギックリになりかねない。それは避けたい。と思い始め近いうち接骨院で相談しよう。

痛みで目が覚めることは(たぶん)ないのだが、寝返りを打つたびに肩を圧迫しないように意識が戻る。
楽なのは仰向けである。これだとどちらの肩にも負担が掛からない。しかし何時間も同じ格好ではいられないもので、どちらかに傾きたいと思って、しばらく左に向いたり右を向いたりするが、その左を向いた時にそのままにしておくと肩が固まりそうなので、意識を起こしておいて、数分後に向きに変えるようにしている。

先日はスーパーで買ったとうもろこしを真っ二つにパカッと割った瞬間、イテテテテとしゃがみこんだ。
前はこれができたのに。
1ヶ月前ぐらい前、いただいた大き目のとうもろこしを割ったら、やはりダメだった。でもスーパーのとうもろこしなら、まだ大丈夫だろうとタカをくくっていた。やはりダメか。
これからはしばらくkekeに割ってもらうか、フライパンでゆでるようである。

これは「休める時は休みましょう」という神様(andご先祖様)からのお告げだろうと勝手に推測する。


現在肩だけではなく、1つの事をやるのに時間が掛かる。(ような気がする。)
何となく体がテキパキ動いていない。
うすらぼんやりしている時間が増えたのか、家にいるとあっという間に昼になっている。

中でも一番できないのが「片付け」である。こんなに片付けられなかったっけ?と思うほど、体全体が拒絶して動かない。(片付けようとすると、体全体がうつ状態っぽくなるように思われる。)

昨日「ついにここまで来たか」と我ながらたまげたのは、ビールがなくてしょうがないからワインを飲もうとした時、氷が製氷皿に入ったままで、バラバラになってなかったので、本来なら製氷皿の氷をパカパカと開けるはずが、それさえ面倒くさくて、氷を入れないままワインを注いで飲んでしまった。
(日頃は必ず氷を入れて飲むのに。)

夜中に遠くから、氷をパカパカ開ける音が聴こえてきて、(さっきやっておかなかったから、kekeがやってるのか・・・悪かった・・・)思いながら再び眠りについた。


いったい私、どうしてこんなに怠け者になってしまったんだろう。

そう思いながらも、前にお友達が「更年期の時は、タバコを口に運ぶのも面倒くさかった」と言っていたことを思い出し、今がそれであると、これは時期が来れば治るものだと信じたい。。。。

とてもじゃないが、今の自分の自宅での姿(本性)を見せられるのは、一人息子だけ。
心の片隅で(素敵な恋をしたい)とか、(もう一度誰かと暮らしてみたい)とかチラリと思っていても、今の自分の姿を見たら、どんな恋も冷めるだろうし、仮面もそうそうかぶっていられないのが分かる。

明日こそ・・・・。(と、前向きな気持ちでいるフリをしつつ、自分の本性に気づきつつあるワタシ)

パスタ革命

2014-07-19 | ぶきっちょさんの家事一般
帰宅するのに車に乗り込んだら、ポツポツ雨が降ってきて、駐車場に着くころはどしゃ降りだ。
傘をさして家に駆け込んで、「これから買い物かァ・・・」と思っていると、kekeが「8時になったら雨が止むらしい」と部屋から出てきた。

「え?ほんと、なんで知ってるの?」と言うと「調べた。また自分が買い物に行かされるだろうと思ったから。」とイヤミ半分で言う。
「私は残ったスパゲティを食べるから、自分の食べたい物を買ってきてよ。」と言うと、本当に8時になると雨は止んで、kekeは出て行った。

冷蔵庫のベーコンや野菜を炒めてスパゲッティを作る。

よくクックドゥのような中華調味料は4人前なので、わざと余らせてチルド室に保管しておき、こういう時の味付けに使う。(5日程度ならまず大丈夫。あまり使わないまま放置するとカビが生えます。←体験済み)

kekeは帰ってくると、半額値札のものをいろいろ出してきた。温めるだけのハンバーグセット、食パン、クリームパン、ねぎとろの手巻き寿司。

作ったスパゲティは椎茸が入っているのを見るや「要らない」と言い、昨日の残りのミートソース(ごく少量残る)なら食べると言う。

その昨日のミートソースと言うのが久しぶりに好評だった。
玉ねぎを炒めて、ひき肉(豚しかなかったので豚ひき肉)を炒めて、シイタケもあったから炒めて、(ここまで全てみじん切り)、冷蔵庫にある赤ワインと何にでも使えるトマトソースと言うものをいれて、顆粒のブイヨン少々と塩コショウで味付けした上に、これまた余っていたレトルトパックのミートソースを少し入れた。
(つまり持て余らせたレトルトパックのミートソースを使い切りたくて、わざわざまたミートソースを作ったわけです。)

kekeが来たので「味見をするかい?」と言って渡すと「いつもと肉が違う」というので「これは豚ひき肉なんだ。合挽きのがいいけど、冷蔵庫にこれがあったから。」と言い、やはりコクがないよね、と言って、ナツメッグやバジルをふった。

最近発見したのは、パスタをゆでる時にはちゃんと塩を入れた方がいいということ。
今までパスタをゆでる時にもったいないと思って塩を入れなかったが、パスタとは塩を入れてゆでるもので、水1リットルに10g(大さじ2/3)のぐらいの濃度とのことだが、1リットルでゆでることは余り無いので(水が少なすぎ)、本来それなりにしっかり塩を入れてゆでるものなのである。

今までそれをもったいないと端折ってきたので、レシピ通りにカルボナーラを作っても、ミートソースを作っても、味がピンボケだったのだ。
「それでたぶん今までミートソースはイマイチだったんだよ。」とkekeに言うと、「これはソースが麺にからみついてる」と言う。(それはただ単にレトルトを入れてるからだと思うけど。)

なんか世紀の大発見と言うと大げさだけど、そんなわけでパスタばかり食べている。
ラーメンもそうめんも水からゆでるものなのに、どうしてパスタはわざわざ塩をあんなに入れてゆでるのだろう?イタリアは川がなくて海ばかり利用しているのかなぁ、なんてことを想像した。

連休、天気がぱっとしないけど、暑さがしのげてありがたい。

人生万事、塞翁が馬!

2014-07-17 | 母子家庭だから思うこと
知り合いの知り合いなので、直接知っている人ではないのだが、お子さんが難病になってしまったことが分かったらしい。

その話を聞いて、どんなに気の毒なことだろうと思った。
と言うのも、kekeが2歳になる前だっただろうか、小児ぜんそくであることが判明して、夜中に病院に行ったまま入院したり、点滴も受けていた頃があったのだ。

今になって振り返ってみれば、男の子の喘息なんて決して珍しくない。でも当時は近くに喘息の子供がいなかったので、自分の子だけが不幸になったような気がして、毎日ダニを掃除機で吸い取ったり、朝晩吸入をしたりしていた。
たかがぜんそくでもそうなのだから、重い病気だと言ったらどんな気持ちなのだろうと思い、nanuさんに「生きてるって辛いことが多過ぎですね」と言うと、「そうだろ?そうだよな」と言っていた。

でも本当にそう思ったら、今から結婚しようとか子供を作ろうとか思わないよな、やっぱりnanuさんと私には温度差があるのでは?と思いつつ、その方のお子さんのことをしばらくずっと考えてしまったが、夜中に考えているうちに「可哀想と思うことが既に失礼なことなのでは」と言う気になった。

相手を「可哀想」だと思うこと、既に上から目線で見ているような気がして、そういう見方がそもそも失礼かもしれない。
ましてやこんな、連れ合いもいない見知らぬ人から「可哀想」なんて言われたくあるまい。

そう、私には連れ合いがいない。
でも彼らはお互い支え合えるパートナーがいる。
不幸なアクシデントは起こったけれど、二人で乗り越えていけるだろう。


「人生万事塞翁が馬」
一つ起こった現象は、また別の展開を連れてくる。

kekeが大学に受かった。
それ自体は良いことだったが、合わなくて辞めることになった。
今は家にいつもいて心配しているが、もしかしたらそのお陰で、事故や病気にもならず結果的に長生きすることになるかもしれぬ。

何が良くて何が悪いかなんて最後の最後まで分かりはしない。
でもそれを裁こうとするクセが私にはあるらしい。

起こったことを、良いとも悪いとも深く考えず、そのまま受け止めよう。

時に愚痴も潤滑油。
言えば「そうよそうよ、うんうん」と話題の盛り上がりの一役は買ってくれる。
悪いものではない。

しかしあくまでもそれはコミュニケーションツール。
そこにぞっこん溺れていいものではない。

宇多田ヒカルの歌にもあるじゃないか。
 変えられないものは受け入れる
 受け入れられないものは変えていく、って。

そういう心構えがあれば、愚痴におぼれることも人のせいにすることも、ましてやそれに同意を求めるようなこともないだろう。

・・・と思って、私は「変えられないものは受け入れる、受け入れられないものは自分から変えていく」ようにしたいと思うのだけど、なんせ根性ナシなので、明言できるほどの自信はありません、あしからず。(^_^;)

大家さんの話

2014-07-16 | 父の記録と母の思い出
車から降りると駐車場の大家さん(おばあさん)が家に入るところだったので、声を掛けた。

と言うのも、また今月も家賃を振り込むのを忘れて遅くなってしまったのだ。その度に反省して次は必ずと振り込むのだけど、またしばらくするとうっかりしてしまう。だけど自動振込みにするとお金がかかるので、まだしていない。

「駐車場また忘れてしまって先週振り込んだばかりでした、すみません」と言うと「あらそうだったの?まだ通帳みてなかったよ」と言う。
「そう言えば振込先の口座変わりましたね、ご主人亡くなられたのですか?」と尋ねると、「そうよぉ」と言う。

最後は酸素マスクをしてね、何にも食べさせられなかった、可愛そうだったの、と言う話をするので、自分の父親が今そんな感じで病院の先生からもそれとなく言われてるんですよ、という話をした。「おやまぁアナタも?!」みたいな話になり、そうなるともう行っても何もしてあげられないんだよね、分かる分かる、とおばあさんは言う。

「行っても5分ぐらいしかいられないの、それで今日は天気がいいねとかひとり言のように話して帰ってくるのよ。」と言うので、「ほんとにそうなんです。」と言う。
「私もそうだった、それで充分なのよ。どうしようもないもの。」とおばあさんは何度も言う。

おばあさん曰く、ご主人の入った病院では胃ろうの人が多かったそうである。ご主人の4人部屋ではあとの3人の人がみんな胃ろうだったと聞いて私は驚いた。

「私は病院にお願いして胃ろうは止めてもらったんだよ」とおばあさんは言い、「生き物は口から食べることで生きるんだって思うからね。」と言う。息子は胃ろうを希望したけど反対したんだ、と言う。
「私もそう思います。会える喜びがあるとか、おいしいとか楽しいとか、そういうものが分からなくなってしまって、痛いとか苦しい様子を見ると・・・ねぇ」

おばあさんは、そうそうアナタも同じね、私もそうだった、と言う。

「こんなこと言うと何だけどね、でもね今はもう通わなくていいんだって、肩の荷がおりたと言うか、それまで頭のどこかにいつもあったからね、アナタもそうでしょ?それから解放されたって言うのか、そんな風よ今は。人間って図々しいものよ。」
「そうなんですか。」
「2~3日前になると病院の方から会いに来てくださいって電話がきたよ。最後の日は帰ろうとしたら病院の先生が、もう少しいてあげて下さいって引き止められて、そしたら本当に亡くなったの。病院は分かるんだね。あ、でも命だから分からないよ、1ヶ月って言っても、3ヶ月になるか半年になるか分からないよ。」

とおばあさんは言う。
そして、何度も「行ってあげるだけでいいんだよ」と言う。


そんなことを考えると、やはり切なくて涙が出る。

それでも今まで離婚や倒産、子供の事、いったいどうすればいいんだろうと途方に暮れて一人困ったことがいっぱいあって、でも父のことはあの手の困りようとはどこか違う。誰が悪いわけでもないし、いずれは誰もがそうなるものだし、父は精一杯楽しく生きていた。
そう思うと、辛いことではないし、自分の中で穏やかに受け入れられること。
いずれはお別れすることになっても、楽しく過ごせた時間がいっぱいあること、その一つ一つを誇りに思うだろう。


五木さんの本ではないが、人間最後死ぬ時は一人。
人生後半になれば、これからどんどん別れを経験することになるだろう。
中にはうんと大切な人もいるし、離れたくない人もいるだろう。

でも会うのがもう別れの始まりだから。
せめて今を大切に過ごすしかないだろうな。あとで悔いが残らないように。
最近、そういう風に考えることにしてる。

おばあさんとは40分以上も立ち話をして、別れた。

kekeのハンバーグ

2014-07-15 | 息子keke
昨夜家に帰る直前で、会社に忘れ物をしてきたことに気がついた。

朝イチで銀行に寄るための伝票だ。
銀行が家から近いので、朝寄ってから会社に行くことを伝えたばかりだったのに。
今、取りに行くか、それとも明日の朝早く起きて会社まで取りに行くか。。。

その日はkekeが夕飯にハンバーグを作ると言っていたので、本当にできているのかどうか?半信半疑でドアを開けると
ハンバーグができていた。



厚みもあって丸く整っている。

私がいつも作るのはタネもいい加減なので、お好み焼きみたいな薄いハンバーグである。

「中まで火が通らなくて赤かった」と言うので、申し訳ないと思いながらも電子レンジでチンして食べる。

うまい


また赤ワインとナツメッグを入れたそうである。
(ナツメッグは私も入れるのでいつも台所にあるのだ。)

赤ワインを入れるとやはり外食の味がするような気がする。


kekeの履いてる家用の夏ズボンに穴が開いていたので、そのように言うと、裁縫箱(kekeが小学生の時に使っていたのを私がゆずってもらった)はどこにあるか?と言うので、そこだよと教えると、自分で穴をかがるそうである。
「こういう場合はかがり縫いでいいのか?」と言うので、「いいと思うよ」と言う。


私もおととい、パンツがとうとうやぶれてしまった。

ブログに書くようなことでもないのだが、一応パンツも「外用」と「家用」があって、別に誰が見るわけでもないからどうでも良いのだけど、家用のはローテーションが早いので、5年ぐらい履いていると破けてしまうのだな。
ゴムの所から破けてくるのが一般的なのだが、今回は布地が擦り切れて、本当に薄くなって破けてしまった。今では500円玉ぐらいの穴になってしまった。

もうこれは捨てようと思っていたが、息子がズボンの穴をかがっているのを見て、家用のだし私も縫い直してもう一度履こうかな・・・と思い始めたが、やはり面倒くさいのでたぶん捨ててしまうかもしれない。(さすがにこの写真は恥ずかしくてアップできず)

’ゆるかわ’にはまる

2014-07-14 | 女だから思ったこと
蒸し暑くなるたびに「髪を短くしてみたい」と思う。

しかしためらうのは、一度短く切ってしまったらもう伸ばせない。
結わくこともできないし、ごまかしがきかない気がする。
そして私、不器用で未だにブロウと言うものがよくできないのである。

美容師さんもうすうす気がついているようで、自然乾燥で済む髪型にしてくれる。(はっきりとは言わないが何となくそんな気がする。。。)
となると、あまり選択肢はない。

いろいろ模索するとちょっと危険な賭けの匂いがするのだけど、暑い!
暑いから切ってみたい。


・・・と思い、カタログだけでも参考にしようと検索してみた。


そして「これいいな」「これもいいな」と思うのだけど、これって髪型以上にモデルさんの顔立ちとかも関係するような気がしないでもない。(-"-)
この顔の所を丸くくりぬいて、自分の写真を入れたらどうなるのだろう・・・?(怖くて試せない)

ま、いいか。。。(+_+)


そんなわけで、あれこれ見ていると、「ゆるかわショート」と言うものがあるらしい。
ゆるーくパーマをかけて、ちょっとふんわりさせたショートヘアである。


そして、年甲斐もなく、こういうのに憧れてしまうワタシ。。。。
「ゆるかわ」と言う語感が何ともカワイイ。


と思ってさらに「ゆるかわ」を検索しているうちに「ゆるかわ写真」と言うものがあることを知った。


それはどうやら「ゆるくやわらかく」写真を撮る技巧(?)らしいのだな。
ちょっと白みをおびて、ふんわかした写真を「ゆるかわ」と呼ぶらしい。。。

ゆるかわ写真撮ってみたいなぁ。。。(^o^)


ググって調べてみるとこれがなかなか難しい。
どうやら写真機材の設定をいろいろ変えて(それも絞りだの、ホワイト何とかとか、いろんな種類があるんだな。)場合によってはプログラムを使ってきれいに画像を整えたりするらしい。
初心者は「オート」でいいですよと書いてあるけれど、今まで撮った写真はちっとも「ゆるかわ」になってないような・・・?


写真って結構ハードだと思う。

写真の素材を常日頃から探す→ネタをみつける→アングルを考える→カメラの設定→何枚か撮ってみる→再度カメラの調整(するのかな?)→写真の選別→加工→ブログに載せるetc・・

絵が描けない私は写真と言うツールに関心を寄せているが、↑いろいろ考えると大変そう。。。。



でもいつかやってみたい・・と言う希望的観測も含めて何となく「ゆるかわ写真」の本を借りてみた。

kekeと病院へ

2014-07-13 | 父の記録と母の思い出
妹から父の様子を子供達に言ってる?と訊かれたことがあって、「そろそろ話そうかなと思ってるけど・・」と答えた。

kekeに1度会いに行くかい?と言うと、行くような返事だったので、いつがいいかと言うと、「できれば明日にしてほしい」と言う。
出かける様子でもないので、「どうせ家にいるなら今日でもいいじゃないか」と言う所だったけれど、kekeにもkekeの事情があるのだろうと考えて、美容院に電話して自分の白髪染めの予定を変えてもらって出かけた。

熱は平熱だが、酸素の濃度が低いそうで、マスクをしていた。
「kekeもきたよ」と言ってみると少し起きたようだけど、あまり分かっていないのではないかと思う。
しばらく顔を見たり、座ってkekeと少し話したりしたけれど、やがて帰ることにした。

今日は割りと風が涼しいので、窓を開けて車を走らせた。
だから音楽はやめた。kekeは窓を開けながら音楽をかけるのを嫌がるのだ。

無理に誘ったわけでもないのに、始終不機嫌そうにほとんど何も話もしないkeke。

「お前はほんとに話さないねぇ」と私は言い、「でも自分もそうだった。おじいちゃんもよく話しかけてきたけれど、いつもブスっとしてたよ。だからお前の気持も分からないではない。」

「おじいちゃんともっとニコニコ話をすればよかったと思うよ。」と言うと「自業自得だね」とkekeは言う。

本を返すのに図書館に寄ってもらったが、kekeは車から降りようともせず、シャツでもみるかい?と言っても要らないと言う。お昼を一緒に食べようかと誘ったが、kekeは弁当を買って家で食べると言うので、ショッピングモールの惣菜コーナーに行き、「いつも食べられないものがいろいろあって楽しいよ」「せっかくだから値引きしてないものを買おう」と言った。kekeは「家にご飯あったっけ?」と言うので、「もうないよ」と言うと、半額になったご飯パックを指差して「これと酢豚でいい」と言う。

じゃそうしよう、と私も言い、二人で半額のご飯パックを選んで、酢豚とメンチを買って帰った。
でもよく考えたら、自分も父と買い物に行った時、いつもこういう態度だったことを思い出した。
どこか的外れな親孝行だった。

でも、父はいつもニコニコしていた。

G子から電話がきた。
面接までは通るけど、そこから採用にならない。前は面接まで行けば通ったのに、それから最近太って20年お願いしてる美容師の人に「食べるな」と言われたから炭水化物は抜いている、と言う。最近1日1食だよ、5日続けたらさすがに痩せてきたなんて言っている。

たしかに・・・・これ以上は太れない、私もご飯は抜いてと。。。


kekeにマーボー豆腐を作って、「おなかすいた?」と訊くと「まだすいてない」と言う。
そうだよね、お昼結構食べたからね、私もまだすいてないから食べたくなったら食べればいいよと言い、枝豆、レタス、チーズ辺りを並べて、「自分はこれとビールでいいや」と言うと、「動物のエサみたいだね」とkekeに言われる。

ゆるい休日

2014-07-12 | 今の会社
k.m.pさんの「ベトナムぐるぐる」と言う本を読み始めたついでに、「南の島ぐるぐる」「チェンマイアパート日記」も読む。(チェンマイとはタイのようです。)

こういう外国、特に南系の地域の旅行記を読んで、常識に囚われないで、もう少しのんびり暮らしてもいいのではないか?という気になった。人間、忙しさにストレスが加わると、人を羨んだり妬んだりしてしまうものである。これからは自分にゆるく、人にもゆるくしていこう。


ということで、今日はさっそく夕飯もおおらかにする。

kekeは寝ているので、20%引きの寿司とうどんのセット、私は昨日の残りのカレー(またカレーだよ、冷蔵庫の残り物をいろいろ入れた)、は量が少なかったのでそうめんをゆで、買ったかき揚げは二人で半分こ。
今日はカレーを温めてそうめんをゆでただけで終わってしまった。

しかし家で熱心に毎食手作りを望まれるって、日本人が一番なのでは?!

ドイツやイギリスは、じゃがいもやソーセージをゆでるだけみたいなイメージがあるし(そうでなかったらゴメンナサイ)、アメリカはおおっぴらにジャンクなフード、タイやあっちの方は外食が盛んであちこち屋台みたいな店があるらしい。つまりこんなちまちま毎食作ったり、作り置きしてるのは日本人ならではではないのだろうか。(違ってたらスミマセン)

わが国は、つい数十年前まで男は外で女は家で働くのが慣わしだったのだから、惣菜も家で作るのが基本であったが、今は夫婦共稼ぎが大半。ほな、働いて帰ってからまた家で食事を作ってたら、忙しすぎて何もできませんがな。休みの日ぐらい休ませろや、って。

もうね、その食事を作ることが良いと言う神話は捨てよう。
そんなことをしてるから、あれもしなきゃこれもしなきゃで、頭がつぶれはて、旦那に当たったり、子供に過度な期待を背負わす事になるのではないのだろうか・・・・ナンチャッテ。(それは昔の私だけか。。)

みんな、自分の心をおおらかにすることを優先しよう。
その上で料理や掃除をする余力があるなら良いけど、余裕が無いのにやらなければならないことだけ増えたら、何の為に生きているのか分からなくなる。

ということで、明日も私はゆるく生活するつもり。(^o^)


平吉さんと言う人が会社に差し入れてくれたさくらんぼ。
とても粒が大きくて甘くておいしかった。nanuさんと秀クンは、会社で食べないで奥さんや娘に持って帰りたいと言うので、同じ小さい容器に取り分けて冷蔵庫にしまっておいたら、それとは別にとっておいたZENさんの分までnanuさんが見つけ出し「今、ZENさんは通風で休んでるから来ないよ」と言うので、それも二人に分けて、山盛りにして持って帰った。
上司がこの小さい器に大切そうにさくらんぼを山盛り詰めて持って帰ったのを見て、新人のWADA君はどんな風に思ったのだろう・・・相変わらず今回もボーナスのボの字も無い感じだ。