侍帳を覗いてみよう。
「妙解院忠利公御代於豊前・御侍衆併軽輩末々共ニ」には、忠興息女萬の知行として「二千石八斗一升四合五勺 右三齋様御姫烏丸中納言藤原光賢卿北ノ方 御末女也」とある。烏丸家は、ある資料によると知行は954石とあり、萬への知行の大きさに忠興の溺愛振りが伺われる。
「御侍帳・元禄五年頃カ」には、御上衆として、
千石 烏丸宰相様
内
四百五十石 裏松宰相様
二百石 七条侍従様
二百石 勘解由小路様
五十石 春宵院様
百石 栄春院様
百石 久世三位中将様御息女 久姫様
三十人扶持 下冷泉中将様 等とある。
この烏丸宰相とは誰なのか、12代光雄(光賢の孫)は元禄3年に亡くなっているので、13代・宣定であろうか。裏松宰相、七条侍従、勘解由小路等の細川家との係わりは分からない。春宵院・栄春院も不明である。
久世三位中将とは、細川忠隆女トクが嫁した久世家であろうと思われる。忠隆はトクの為に自らの知行の分知を願って亡くなっているが、これがそうであろうか。「真源院様御代御侍名附」には、休無様御息女達として九百廿石とあるが・・・
下冷泉家と細川家の関係は、私の知識の範囲では皆目見当がつかない。
いずれにしろ、藩主の手許から合力されたものであろう。
「妙解院忠利公御代於豊前・御侍衆併軽輩末々共ニ」には、忠興息女萬の知行として「二千石八斗一升四合五勺 右三齋様御姫烏丸中納言藤原光賢卿北ノ方 御末女也」とある。烏丸家は、ある資料によると知行は954石とあり、萬への知行の大きさに忠興の溺愛振りが伺われる。
「御侍帳・元禄五年頃カ」には、御上衆として、
千石 烏丸宰相様
内
四百五十石 裏松宰相様
二百石 七条侍従様
二百石 勘解由小路様
五十石 春宵院様
百石 栄春院様
百石 久世三位中将様御息女 久姫様
三十人扶持 下冷泉中将様 等とある。
この烏丸宰相とは誰なのか、12代光雄(光賢の孫)は元禄3年に亡くなっているので、13代・宣定であろうか。裏松宰相、七条侍従、勘解由小路等の細川家との係わりは分からない。春宵院・栄春院も不明である。
久世三位中将とは、細川忠隆女トクが嫁した久世家であろうと思われる。忠隆はトクの為に自らの知行の分知を願って亡くなっているが、これがそうであろうか。「真源院様御代御侍名附」には、休無様御息女達として九百廿石とあるが・・・
下冷泉家と細川家の関係は、私の知識の範囲では皆目見当がつかない。
いずれにしろ、藩主の手許から合力されたものであろう。