大光山本圀寺は日蓮宗の本山、室町期の色々な文書にその名が見える。現在の西本願寺の北側に、五条通りを挟んで広大な寺域を誇っていた。現在も了円院、勧持院、智妙院、松林院、隋雲院などの、かっての本圀寺の塔頭が残り往時を忍ばせている。加藤清正は京に上ると勧持院を宿所にしたという。「京都六条本圀寺」というすごいサイトがある。かってここに清正門があり、清正女(瑶林院)建立の清正堂があり、清正が作庭したという円龍院林泉があったことをこのサイトで知った。本圀寺は昭和44年、寺勢が衰微し山科に移転した。清正門はここに移され「開運門」となり、清正堂は金色のまぶしい鳥居をもつ清正宮になっている。清正宮は清正廟である。サイト「京都六条本圀寺」は、今はない本圀寺の風景や建物の写真などを織り交ぜ、往時の本圀寺の寺勢を覗わせてくれる。
秀逸のサイトであり敬意を表したい。昨日はこのサイトに数時間釘つけにされてしまった。
秀逸のサイトであり敬意を表したい。昨日はこのサイトに数時間釘つけにされてしまった。