大友家の旧臣達は、西の関が原と呼ばれた石垣原の戦いにおいて、旧主大友義統を押し立てて領地の快復を願って戦ったが、壊滅的敗退を遂げ豊後の名家は此処に途絶えた。しかしながら細川家は、大友一族やその遺臣を数多く召抱え優遇している。その大友家は
大友宗麟--+--義統----松野右京--(1)
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+--利根川道孝----織部--+--亀右衛門--(2)
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+--半斉--(4) +--善左衛門--(3)
以上のように四家が松野氏を名乗って明治に至った。
大友宗麟--+--義統----松野右京--(1)
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+--利根川道孝----織部--+--亀右衛門--(2)
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+--半斉--(4) +--善左衛門--(3)
以上のように四家が松野氏を名乗って明治に至った。