熊本県南人吉地方は、相良氏の領地(相良藩)である。鎌倉期の古いお寺などがあちこちに見られ、古い歴史と文化を肌身に感じる事ができる。現在は球磨焼酎の里として脚光を浴びている。球磨川河畔にある人吉城は、早朝は名物の朝霧につつまれ薄墨の中に姿を隠すが、陽光を受け霧が晴れてくると雄大な姿を表してくる。一名繊月城とも呼ばれるが、いかにも高く上った三ヶ月が似合いそうである。熊本の名家菊池家は没落後、宮崎の米良地方に入り米良氏を名乗る。何時の頃からか米良氏は、相良藩に附庸という家格を経て迎えられる。その待遇は家老を凌いでいる。勉強不足でよく理解できないでいるのは、この米良氏が徳川幕府の「寄合交代衆」の家格を持ち、参勤交代し歴代将軍に挨拶に伺候しているという事実である。明治に至り米良氏は菊地の家名にもどして爵位を得た。相良家における附庸という立場も、「菊池氏の後胤」が作用したのだろうか。明治の一時期、宮崎米良地方が人吉縣に入れられたことがある。その経緯は不勉強で全く知りえないが大変興味深い。
この相良氏は藩の存続には大変な苦労をしている。家臣団の対立が様様な事件を起こしている。又相良家の家督問題も複雑である。このことは稿を改めたい。
静かな人吉盆地は、そんな生臭い過去の有った事を知らぬ気に、秋の気配が深まっていく。私は自分の生業を通じて、この人吉地方に接してきたが、その歴史の深さを知らなかった事に反省している。遅ればせながらの勉強を始めようと考えている。
この相良氏は藩の存続には大変な苦労をしている。家臣団の対立が様様な事件を起こしている。又相良家の家督問題も複雑である。このことは稿を改めたい。
静かな人吉盆地は、そんな生臭い過去の有った事を知らぬ気に、秋の気配が深まっていく。私は自分の生業を通じて、この人吉地方に接してきたが、その歴史の深さを知らなかった事に反省している。遅ればせながらの勉強を始めようと考えている。