細川家の筆頭家老松井家の、「御給人先祖附」(八代市史・近世資料編Ⅳ)によると、堀口庄右衛門の祖は山名藤広入道一雲齋とある。一雲斎は三淵(渕)伊賀入道宗賢(細川藤孝父)の同姓親類で、将軍義輝に仕えた。義輝(義藤)の一字を拝領して藤広と名乗った。泰勝院(細川藤孝=幽齋)の薩摩行きにお供したが旅の途中で病死した。
その子喜六光広は改姓して堀口氏、丹後久美で御切米二十石、宮津屋敷御留守居の時幽齋が田邊城に籠城、宮津屋敷から武具兵糧を船で搬入したという。当然のことながら、籠城に加わったと考えるのが妥当であろう。
松井家の堀口庄右衛門は鉄炮頭で150石である。
このことは山名氏を調べている内に分かった事だ。細川藤孝は三渕氏である。細川家に養子となるが、三渕の末弟好重は異母弟で山名氏を名乗っていた事がある。その生母は山名民部少輔一雲斎と記されている。(ここで堀口氏と繋がった)その故であろうが、その後も三渕家では山名氏を名乗る人が数人いる。(家督前のことだろうか)
何度か目にした資料にもかかわらず、こんな事もある。籠城衆に加えるべきであろうかと思案中である。