あることがきっかけで、玄祖父・上田久兵衛の資料を整理している。明治十年五月から約五ヶ月間獄にあった久兵衛は、九月三十日一枚の「申渡」により「斬」の刑を受けた。そんな書類も出てきた。切なくて脱力感が被う。後に名誉は回復されたが、遺族の悲しみや無念さは未だ継続している。過日久兵衛の旧宅付近を歩いてみた。半田村、現在の熊本市城山半田町であるが、ご多分に漏れず開発の波をうけて様変わりしているが。しかしまだかすかにかってののどかな有様が覗えるようである。愛する妻が住まいしたこの場所には、豊かな萩の花が風に揺られて咲いていたのだろう。玄祖父の辞世はいつ目にしても涙を禁じえない。
秋風のたよりに聞けば古里の 萩が花つま今盛りなり
まだ日の目を見ることなく、数冊の久兵衛の日録が私の手許にある。玄祖父の足跡を何とか残したいと頑張っているが、遅々として進まない。