津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

諸家系図

2007-09-10 13:29:36 | 歴史
 私は活字化されていない肥後藩士諸家の系図を、いろいろな文書の中から収集してきた。素人の私にとっては、大変難しい作業で未だ10点にも満たない。昨日図書館に出向いた折、ふと思い至った事がある。切支丹禁令が出された折、棄教した者もしなかった者も、その子孫については厳しい監視の目が向けられたと言う事実である。上妻文庫の中に13冊に及ぶ肥後切支丹に関する文書が有るが、その中に三巻の「肥後藩切支丹の系統」と言うものがあるのに気づいた。その上巻が「肥後之国部」であり、まさしくそれが私が求めていたものだった。藩士、陪臣、浪人他町人農民に至る、かつての「転び切支丹」であった人たちの膨大な系図が記されている。(中・下巻は豊後の関係でその殆どは百姓である)その系図は、我々が通常承知している表面的な系図とは違い、詳細が凄い。類族の消息などの書き込みがあり、婚姻関係が確認されるなど興味深い。松野(大友)氏、清田氏、河喜多氏、加賀山氏、奥田氏、須佐美氏、白井氏、上津浦氏、野田氏、瀬崎氏、財津氏、飯洞氏、芳賀氏、天草氏、佐藤氏、河村氏、鯛瀬氏などの情報を得て満足の極みである。「侍帳」への書き込み作業に移らねば成らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人吉相良藩を考える-2

2007-09-10 12:04:06 | 歴史
 10/9 五時間ほどを県立図書館ですごす。人吉市史や西米良村史を拾い読み。米良氏についての知識を少々増やす事が出来た。特に西米良村史は中々良い。下手なドキュメンタリーよりも数段面白く、時間を忘れてしまった。相良藩は度重なる内紛や、大変危うい家督相続を繰り返しているが、よくぞ改易を免れたものだと感心する。大森映子氏の著「お家相続・大名家の苦悩」に詳しい。人吉(球磨)モンローと言う言葉があるが、長い相良氏支配や、四方を山に囲まれた閉鎖的立地などの歴史が培ったものだろう。高速道の開通によって、人の行き来の自由度が飛躍的に増し、かっての閉鎖的環境や思考にも風穴が開いたように思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする